黒金の戦姉妹10話 秘密の霊廟
とある理由から、今回の話は初期構想よりガッツリ改変されました。(あとがきに書いてます)
前回に引き続いて、ヒルダが去ったところからですね。
では、書くこともないのでさっそく、始まります!
「おー!集まってる集まってる!」
イタリア、ローマの上空で、小柄な少年が飛行船の甲板から双眼鏡で何かを見下ろし、お祭りでも鑑賞するかの様に無邪気に笑っていた。
その顔は興奮によりうっすらと上気し、口からは鋭く伸びた牙が露呈している。
「イタリアもフランスもイギリスも。おまけに吸血鬼どもと日本の奴らも入り込んで来てるな。気がはえぇ」
「ポ、ポウル様、危険ですので、船内にお戻り下さい!」
少年の不在に気付いた軍服の少女が、ハッチから顔を覗かせて必死に叫んだ。
焦ってハッチに頭をぶつけたのか、涙目でわあわあと騒ぎ立てている。
「いいだろ?もう少しくらい」
「こんな上空から何が見えているのですか?……って、違います!カミナリ雲の発生が観測されたので、航路を変えますよ!」
「えー、もうちょっとだけいいじゃんかー。ルーマニアの吸血鬼が動き出しそうなんだよ!」
「いけません!この飛行船にはイヴィリタ長官へのお土産も積んであるんですよ!」
ブーブーと頬を膨らませる少年に対し、部下と思われる少女は、敬語こそ使っているものの徹底した上下関係は感じられない。
良く言えば親近感があると言えるだろうが、悪く言えば統制力が低いとも言える。
「あー……ん、まぁ、しょうがないか」
「分かって頂けましたか?危ないので戻りましょう」
崇敬する上官の名前を出された少年が渋々ハッチに歩いて来るのを確認してから、軍服の少女は体を引っ込め、そこに少年も戻ってくる。
船内に戻った2人は力を合わせてハッチを閉め、格納庫から乗員区へ向かう。
「ポウル様、イヴィリタ様へのお土産、どれがいいか皆で選び――」
ガッ!
「……その名前で呼ぶな」
「す、すみませんでした……」
突然だった。
少年が前を歩く少女の肩を掴んで壁に押し付けた。
先程まではそんなになかった身長差が、今は20cmまで大きくなっている。
口から延びる牙は鋭さを増し、頭の上では逆立てた髪の毛が威嚇する様に鬣の形を成した。
しばらく緊張した場面が続き……
「あ……あっ!ご、ごっめーん。ほんとにごめんね?うー、なんで暴走しちゃうんだろ……」
今度は少女のように可愛らしく親し気に接するその様子は、甲板で地上を覗いていた少年とも挙動が違う。
まるで人格が切り替わったかのように2度豹変した少年に少女は怯えないし、驚きもしない。
ただ、元の身長まで縮んだ少年に憐みの眼差しを向けながら、自分の失言を反省している。
「そ、そうだ!イヴィリタ様へのお土産だよね!ほら、いこっ!置いてっちゃうよー?」
「は、はい。行きましょう」
2人は乗員区へと入っていった。
時刻は18:45。
遥か下方、ローマ市内では。
パトリツィアの捜索が行われていた。
クロがイタリア内での事件の解決に勤しんでいた頃。
そのイタリアには多くの勢力が既に集まっていたのだ。
この飛行船に乗る、軍服の集団も含めて……
「ここが入り口か?」
城の外壁に辿り着いた一菜が振り返って問い掛けてくる。
早く室内に入りたいのだろう、雨水を吸ったダークブラウンのポニーテールが重そうだ。
雷雲が時折大気を震わせているとくれば、私も屋外には長居したくない。
落ちないから大丈夫とかそういう問題ではないと思う。
「堡塁の中には入れますが、城への入り口は反対側、サンタンジェロ橋がある方です」
「ちぇっ、回り道かー」
「回り道かー」
まあ、ヴィオラの計画なら元々お城に入る必要はなかったからね。
しょうがないさ。
「道が狭く見通しが悪いので、警戒を怠らないように」
「早く屋根のある所に入りたいなー」
「入りたーい」
私達は堡塁の北側入り口をくぐり、サンタンジェロ城内部に侵入すべく、南側へと走っている。
舞台を盛り上げる音楽団のように、勢いを増して降り続ける雨。
最高の登場シーンを、雷雲という名の舞台裏で待つ雷。
わずかにあった演出家のライトアップは、堡塁の入り口をくぐった途端に、フェードアウトしてしまった。
今その不吉な第一幕の舞台上に立つ登場人物は3人、私と一菜とチュラだけだ。
残念ながらこのメンバーではテノールもバリトンもバスも、
「んで、接敵までは3人で行動。開戦次第あたしが突っ走って正面突破すればいいんだよね?」
「正面突破とは言ってません!中は狭いからそうなりそう、ってだけですよ」
サンタンジェロ城の内部は狭い。
戦闘は接近戦を余儀なくされ、つまりは電撃の効果範囲から逃れるのは至難の業となる。
だから別行動はせず、確実に一菜を屋上へと到達させるため、私とチュラが囮役をこなすのだ。
「屋上で待ち構えてなければいーけど」
「それが一番最悪なパターンです。普通の人なら雨の中、屋上で待ち合わせなんてしませんし」
「助けたらバチカンにー?」
「はい、
ここに来るまでに粗方決めた行動を再確認して、誘導する。
「ホントに2人で大丈夫か?」
「勝てない戦いに3人で挑んでも時間の無駄です。屋上の2人が手遅れになったら、意味がないんですから」
「救助したらすぐに助けに行くからな」
「意識があってもちゃんとバチカンまで送り届けて下さいね?」
好戦的な一菜さんは何が何でも戦闘現場に来たいのか?
だが、許すわけにはいかない。万が一追い詰めることが出来た場合に、一菜をさらって逃亡されてしまえば、相手の目標はそれだけで達成されたも同然だろう。
なんで一菜を狙うのかは分からないが、目標は一菜だとヴィオラは言っていた。
他に気になるのは……
(ルーマニアに帰られるまで。って言葉の意味だよね)
拠点がルーマニアにあるんだろう。目標が一菜なら確保したら戻ってしまえばいいのに、わざわざこの城の牢獄に幽閉するような発言をしていた。
イタリアに来た目的は1つじゃないか、はたまた、ルーマニアに近づけない理由がある。
(それとなく聞き出せればいいか)
狭い上に壁が高く、圧迫感を感じながらもちょうど半周。
階段を登った先にある、悪魔城と化したサンタンジェロ城の入口にたどり着き、最後の確認を行う。
「準備はいいか?」
「おーけー」
「行きましょう!」
ついに足を踏み入れた。
明かりは無く、真っ暗な内部で、ペンライトの明かりを頼りに進みながら、足元・壁・天井全てに警戒を払う。
通路は狭く、3人並べば完全に封鎖できるほどの道幅しかない。その上外周と同じく、内部の壁も円形を描いているので先が見渡せないのだ。
そう、見渡せない。警戒は……払っていた、はず。
「もう少しで天使の中庭です。罠や不意打ちに気を付けて、おもてなしの準備をしてくれてるみたいですから……あっ――」
「あっ――」
「おっ?外が見えて来たぞ!――広場だな。これ、正面の階段でいいのか?」
「……」
「あれ?」
キョロキョロ
「だ……誰もいない……?」
「いててて…」
「いててて…」
踏み込んだ足場がすっぽ抜けた、結果がこの落下である。落下地点にはバラの花束による分厚いクッションが用意されていたところを見るに、これがおもてなしとやらだろう。下にはベッドも置いてある。
日本式のおもてなし、とはだいぶ違うが、カルチャーショックを受けている場合ではない。
(なんて巧妙な落とし穴なんだ……ッ!)
とりあえず自分の失敗を敵の功績に変換しておき、周囲を確認すると、ここには電灯が用意されていて、外に比べるといくらか明るい。
ありがたい、これは嬉しい配慮だ。あと気になる点は……
まず、バラの花束。真っ赤なバラだ。あまり詳しくはないが、野バラではないね、品質が管理され過ぎている。
次にチュラ。私が落ちた穴に後追いして来たのか、私をクッションにしている。体は軽いからまだいいが、キョロキョロしてないで降りて欲しい。
続けて通路を見渡すと、少し狭いが、先程の道幅に比べればいくらか広い。
牢獄に直接落とされた訳ではなさそうだ。
しかし、結構な高さを落ちた。元々上に登っていたのもあるが、地上階よりも下に落ちたのではないだろうか。
チュラを下ろして立ち上がり、通路の中を進み始めた。
特に足元に気を付けてしばらく歩き続けていると。
こつッ!
「いたた……」
「だいじょうぶ?」
下ばっかり見ていたら天井から何かがぶら下がっていたようだ。これは、旗?マント?の金具だ。
どうやらこの先は小部屋になっているらしく、暖簾みたいに飾っているのは、日本式かな?
部屋にお邪魔すると、かなり広いぞ、ここ。
「何です?この部屋」
「すごーい」
壁には絵画や彫刻などの美術品から、びっしりと謎の化学式と数式が書かれた
挙句には青銅器の武器や鉄製の武具、
(あれは――!)
「
(なぜここにある?いや別物かもしれない)
しかしその茨の刃には砕かれたレンガの粉が付着し、薄く褐色の赤味を帯びている。
チュラに振り下ろしたときに砕いたものだ。
間違いない、あれは同じものだ。
(ここに片付けに来て、今は持ち歩いていないのか?なんでわざわざこんな場所に?時間も無駄になる)
そんな疑問はすぐに晴れることになる。
バサバサバサ…ッ!
「
「!」
(バラ鞭の影が……蝙蝠の形に!)
鞭は影に飲まれるように隠され、もはや周りの影と見分けがつかなくなったまま
「ようこそ、我が秘密の霊廟へ。歓迎するわ人間」
影が運んでいるのは、何かを掴むような動作をしたヒルダの手の中!
その手にはバラ鞭がある。
影の中にしまっていたんじゃない!あれは影が隠していた、闇夜の中に完全に紛れさせて……!
突然現れたレイピアも、影の中に沈んだ鞭も。ヒルダの影の中に入ったんじゃなくて、ヒルダの影自体が運んでいたんだ!
「この上にはなにがあるんですか?」
「何もないわよ?敢えて言うなら、
(やっぱりそうか!)
ヒルダの影、あれが運ぶことが出来るものには限界がある。その限界はそこまで大きくない。
せいぜい人間1人くらいが限界なのだと思う。
武器だけを影に変えて影の中に持ち歩いたりも出来ないんだろう。服を着て出てくるように武器も
だからこの地下に隠しておいて、必要な時だけ必要な物を、自分の影を使って引っ張り出していたんだ!
さらに言えば、影は視覚を持たないし、遠隔操作の距離は長くない。
レイピアを影に沈めなかったのは、おそらくこの部屋の範囲外に出てしまったから。
バラ鞭が置いてあった場所から考えて、レイピアの直下は壁の向こう側だろう。
ヒルダの視界内や把握出来る領域内なら自由に物を運べる。壁も床も天井も関係ない。
上空を自由に飛ばれたら厄介だと思っていたが、地下を自由に泳がれたらこちらは手出しも出来ない。
エネルギー切れに期待したいが……
「さて、1人足りないみたいだし、テラスの方はどうなってるかしら」
「どういう意味ですか?」
「どーゆーこと?」
「あら?言ってなかったのかしら。てっきり色々知られていると思っていたわ。余りにも駆けつけるのが早いんだもの」
駆けつける?何の話だ?ここで遭遇したのは偶然……にしては、確かにヒルダの準備が整い過ぎている。
「あなたたちも、あの復讐に狂った人形の仲間なのでしょう?」
「復讐に狂った?」
「お人形さん?」
「――どういうことかしら?ここに来たのは偶然だとでも言うつもり?私、嫌いよ?そういう冗談」
ヒルダの気配が変わった。どうにも計算外の事が起きるのを許せないみたいだね。
しかし、話が合わない。私たちは突然現れたヒルダに襲われた。そのヒルダは私たちがここに何かをしに来たと誤解していた。
行き違いだ。私たちはなぜ争っている?
ヒルダが一菜を狙うから。だから私は戦う。
仲間が捕まったから。だから私たちは戦う。
――いや、待て。その前提も不自然だ!
なんでヒルダはルーカさんとミラ先輩を捕まえた?
――計画を邪魔されたと言っていた。
それはパトリツィアを救出することを指しているのか?
一菜が狙われていることは2人は知らないはずなのだから。
――そもそもなぜあの2人だったのか。
2人は一緒に行動しておらず、2人とも別の班で行動していた。
その班の中から1人ずつだけを捕まえるなんてことをするとは思えない。
ここに2人が来たのかもしれない。
ヒルダの計画を邪魔するために。
――誰の指示で?
この裏事件を知るものは少ないはずだ。
私だってつい少し前に聞いたばかりなのだ。
ヴィオラから聞いて――
――私は致命的な勘違いをしている。
ヴィオラは
だが、ヴィオラは
同時に協力者が予想できなかったとも言っていた。それが――
「……あなたの裏には、誰がいるんですか?」
「私は私がやりたいことをしているだけよ。たまたま利害が一致しただけ。あんな奴の計画に手を貸すわけがないでしょう?それより……」
ヒルダはバラ鞭を投げ捨てると、再び影をその両手に呼び寄せる。
「――ッ!」
「扇子?」
右手にはレイピアよりも刃の短く軽い、スモールソードを。左手には不吉な黒い駝鳥の羽根の扇を。
「私は格闘戦は好きじゃなかったわ、だって人間の攻撃なんて私達吸血鬼には効かないんだもの。でもね……」
剣術のような上段の構えは取らない。あれはただの威嚇用なのだろう。今回は初めから、しっかりと基本の構えをとっており、左手も遊んではいない。
(再生能力があるのに、なんで防御の構えをとる?)
あの左手の扇子の用途は予想できない。防御するにしても、鉄扇なわけでもなさそうだ。
「お姉様とそのお父様を殺したのはお前ら人間なのよ!」
シュピュョォーーッ!
(左目――ッ!)
急激な踏み込み、腕の伸張による
私は首を曲げ、全力で体に反時計の横回転をさせながら、左腕を後方に伸ばす。
「チュラ!」「ほいッ!」
ほぼ同じタイミングで回転していたチュラが、私の左腕を掴んで引き寄せるように回転する。
右目の前を殺人的な突きが通過していった。
「――くッ!」
勢いのまま回転蹴りをお見舞いしてやろうと思ったが、空振りを悟ったヒルダは器用に翼を操り後方に飛び退く。
(厄介だ、まるで彼女自身が雷の様に迅い――!)
狙いが左目だったから避けられたが、体の中心を狙われていたら回避は間に合わなかっただろう。なぜそこを狙った?
ヒルダは今の一撃で仕留めるつもりだったらしく、一度崩れた体勢から再び構え直す。
翼は一行動ごとの消耗が激しいのか、一旦閉じていて、あんな突きを連撃されないのは助かるな。
「……甘く見ていたわ。人間への意趣返しのつもりが……悪い癖が出てしまったわね」
とんでもない、あれでほとんどの人間は左目を失い、そのまま電撃を脳に流されて黒焦げにされるだろう。
文字通り一撃必殺。
(次からは電撃を織り交ぜてくるかもしれないぞ)
「チュラ、私が前に出ます。サポートと敵の模写観察をお願いします」
「裏返した方が……」
「あなたを前に出すわけにはいきませんから、弱点を探るまでは表のままで行きます」
「過保護ー」
ヒルダが翼を開く。また来るか。
次はさっきのようにはいかない。
狙われる場所、電撃、扇子。
不確定要素が多すぎてシミュレーションが完成しない。
(なら、不確定要素の方をつぶすッ!)
―ガガゥン!ガゥン!
出来た、二丁ベレッタによる不可視の銃弾!
人の反応速度では銃を撃つ瞬間どころか銃すら見えない、不可視の攻撃だ!
2発の銃弾はそれぞれ、ヒルダの右目、扇子、おまけの1発は左胸下部に向かって飛んでいく。
(最悪体には当たらなくていい、あの怪しい扇子だけでも!)
いいぞ、ヒルダは右目の銃弾に気を取られて他に反応できていない、このまま命中する!
ビシビシッビシッ!
ほぼ同時に全弾接触した。
1つはギリギリで回避行動をとられたが、右頬をかすった。
1つは左手甲側。
1つはそのまま左胸部下に。
(扇子の為に心臓を差し出した――!?)
死なない敵と思いながらも、殺してしまう覚悟は出来ていた。
でも心の中で、人は急所を守ろうとするだろう、なんて固定観念が働いたのだ。
(目と心臓と武器。普通なら……私は何度
ヒルダの傷はもう塞がり始めている。心臓部を撃たれてもお構いなしか。
「……面白い曲芸もあるものね。でも残念、お前は失敗した。代償はその命よ。捧げなさい、この私にッ!」
来るっ!神速の突きが!
もう一か八か反射で反応するしかない!
――――ヒュゥウウウンッ!
(風切り音……小さな矢!?)
トスッ!……ギュルルルルルルルルルルッ!
「ぐッ!?あグゥウウッ!」
ヒルダの右腕に刺さったソレは、遅延信管が反応したように、肉を抉り取って回転を速めて行く。
血まみれになり、筋を断ち切られた右腕は武器を手放した。
バチィッ!
ヒルダが軽く電撃を発生させると矢羽が燃え尽き、その
「あらあら、右腕。もらうつもりだったのだけれど」
「フラヴィア……?」
「だれー?」
「ボンソワール、初めまして、レジデュオドロ。探したわよ?こんな場所にいるんだもの」
その後ローマ武偵高に転校してきているはずだが、なぜここにいるのか。……初めまして?
「あらあら、そういえば言いたいことがあったのよ」
「……何でしょうか?」
「"夜道に気を付けようね"だったかしら?」
「っ!」
場の空気にそぐわず、暗がりで楽しそうに笑う姿は魔女と呼ぶにふさわしい。
それは私が以前、フラヴィアが日本語を理解できるかを確認するために言った言葉だ。おのれ、根に持っていたのか。
フラヴィアは前と変わらず、白磁のように白い顔にエメラルドの瞳、染め上げたトパーズの髪を腰まで伸ばし、武偵高の服を着込んで、鋲とベルトと吹き矢が装着された厳ついブーツを履いている。
だが、その表情が違う。
折角の整った顔を台無しにしていた瞼はパッチリ…とは言えないがしっかりと開かれており、生き生きとしているように感じる。
まるで死んでいた表情が生まれ変わったかのようだ。
「……お前、やっぱり狂った人形の手先だったのね。私を欺こうなんて、許せないわ……ッ!」
鋭い目つきでこちらを睨むヒルダだが、その傷はなかなか治らない。
「さっきの――!」
「銀メッキの吹き矢よ。痛いでしょう?苦しいでしょう?でも許さないわ、あなただけは絶対に。これは契約だけじゃない、あなたに対する個人的な恨みよ、ヒルダ」
「人間如きに作られた
ヒルダの手から扇子が消え、代わりに三叉の槍が出現する。
負傷した右腕は添える程度のものだが、それも徐々に回復していくだろう。
ここが勝負どころだ!
「フラヴィア、私も――」
「手出し無用よ?私はこの為だけに、この国に来たの。邪魔するならレジデュオドロ、あなたも殺すわ」
「っ!」
うっすらと剣呑な雰囲気を醸し出し始めたフラヴィアにたじろいでしまう。前に戦った時とは違い、人を食ったような態度ではない。本気で自分の気持ちを表現してるんだ。
「さて、
私が退き下がったことを確認したフラヴィアはヒルダに向かって言い放つ。
「その自己紹介も聞き飽きたわ、少しは知性の面を進化させたらどうなのかしら?」
「碌な進化をしないのはお互い様でしょう?」
皮肉の応酬。知り合いのようだが相当に仲が悪そうだ。犬猿の仲というやつだろう。
「あなたは何度バラバラにしても死んでくれませんわね」
「お前は毎回粉々にしてあげているというのに、どこで捏ね繰り回されてくるのかしら」
「影に隠れてこそこそと、誇り高き吸血鬼が聞いて呆れますわッ!」
「大人しく店先で飾られてればいいものを、身の程を弁えなさいッ!」
ん?なんか口喧嘩の方がヒートアップして来たぞ。
「あなたには空よりも地下の方がお似合いですわ、このネズミ女ッ!」
「ネズッ……!ふざけるなッ!お前の方こそ土の中に還るべきでは無くて?このガラクタ女ッ!」
「もーぅ、怒りましたわッ!ジュモーの最高傑作をガラクタ呼ばわりなんて、見る目が無いのよッ!」
「19世紀中頃はもっと可愛げがあったわよ?それが今ではヴァンパイアハンター気取り。粘着質なのもいい加減、目障りだわッ!」
ヒルダが動いた!神速の突きがフラヴィアの胸部目掛けて襲い掛かる。
右手を支えに、踏み込みと同時に左半身全体で槍を押し出すように突き出した。
その予備動作を見逃さずに体を倒し切って避けるフラヴィアは完全にバランスを崩したが――
(あの体勢、回る!)
重心を完全に体幹の外に移動させたフラヴィアは、何者かに手を引かれるように体勢を持ち直し、起き上がっていく。
ヒルダが追撃の為に、右足と翼を用いて跳躍、左手だけで握った槍を素早くターンさせて再度胸部に狙いをつけるが…
ギュルルルルルルルルルルーーーーーーー!
加速、加速、加速加速加速加速加速加速ッ!!
ガキィンッ!
横から迫ったベルトが、ヒルダの槍に触れ、彼女ごと弾き飛ばした。
「あぅっ!……このッ!」
ヒルダは天井に着地し、その踏み込みで得た力で、槍を思いっきり投擲する。
フラヴィアの……手前の床面に。一瞬だが先端部分が影に変わり、地面に沈むように突き立てられた。
キュルルル……ギュゥウッ!
フラヴィアのベルトが、深々と突き立てられた槍に巻付いていき、彼女自身の回転も弱め、槍に引き寄せられていく。
自らのベルトで上半身を縛られ、槍によって移動範囲が狭められる。
「あらあら、腕が使えないわ」
「まずはその首を差し出しなさいッ!」
この部屋のどこかにあったのであろうハルバードを、影で引き寄せていたヒルダが首に目掛けて横に薙ぐ。
「フラヴィアッ!」
だが、フラヴィアはベルトに――その先にある槍に体重を掛けて後ろに倒れ込み、バク宙を切るように両足を振り上げて回避。
両足のブーツからは装着されていた吹き矢が空中に散り――
「次は、体のどこかをもらうわよ」
「ッ!」
ギュルルルルルルルルルルーーーーーー!
そのまま空中で頭を下にしながら反対方向に回転し、
カッ!ヒュゥウンッ!
カッ!ヒュゥウウン!
カッ…………
次々と空中の吹き矢を蹴り飛ばしていく。
矢はヒルダに向かって飛んでいき、左手首に、右肩に、左脇腹に、右太腿に、左足に着弾。直後には信管が反応するかの様に高速回転を始める。
ギュルルルルルルルルルルッ!
「あぁッ!あ、ガァッ!」
(うげぇ、スプラッターホラー過ぎる…)
先程の吹き矢も銀メッキだったらしく、ヒルダは血まみれで、子供が見たらトラウマになりそうな悍ましい姿だ。
バチィッ!
矢羽を焼かれた矢は床に落ちるが、傷は塞がらず、体に深い咬傷の様な跡が残って痛々しい。
手放した槍ももう持ち直せないだろう。
(強い……ヒルダが電撃を使わなかったのもあるけど、完全に圧倒していた)
ヒルダは立っているのもやっと、といった感じなのだが、武器はもう振るえないだろうその右手に影を集める。
この期に及んで武器を持ち出す気か、部屋には骨董品のような銃も飾られていた。
(なにをする気だ?)
注意深く見つめていたその影が散っていく。
――現れたのは、あの扇。不吉な黒い駝鳥の羽根だ。
「淑女らしく、潔く観念した。それでいいのかしら?」
「残念だけど違うわ」
ヒルダが右手をゆっくり上げていき、扇子を開く――
カシュッ!
何かが撃ち出された。狙いはチュラだ!
(ニードルガン!毒かッ!)
あれは手では触れられない。細菌の類なら危険だ!
(
ガゥンッ!
金一お兄さんとお爺様が宴会でやっていた技だが、見様見真似だ。
チンッ
銃弾はニードルガンを折ることなく、すれ違いざまに掠るように接触させた。ニードルガンは無事に逸れ――
カシュッカシュッ!
(くそっ!初めから私が狙いだったのか!)
ニードルガンの発射音、続けざまの2発は。
右手側の銃口と視線をずらした私の方に飛んできている。
回避はッ?
――――間に合わない!
銃はッ!
――――1本はいけるが、右手を戻すのが遅れる!
狙いはどこだ?
――――左目と首!
(それなら、左手の銃だけでいける!)
構えなんて取ってる暇はない。この体勢のままだ――!
私は今、左腕を正面に伸ばした状態で、右腕を大きく外側に広げ、合わせて頭も斜め右前方を向いている。
まずは首を狙う方に銃弾撃ちッ!
ガゥンッ――!
――チンッ!
1本のニードルは逸らした。
あとは、その発砲の反動も使って、肘と手首を高速で曲げて、引き寄せろッ!
もう1本のニードルは――
スッ――カツン……カラカラン
……ちゃんと入った?折角成功したのに、自分の手と銃が目の前にあって、お客様の表情が見えないじゃないか。
「ふぅ、アンロード、アンロード、っと」
左手の銃口を下に向け、何度か振っていると、中からニードルガンが排出される。
私の左目を狙っていたもう1本の針は、高速で顔に引き付けた
先端が細くて衝撃力がないからうまくいったな。銃弾の先端に当たったから鉛に少し食い込んだみたいだね。
ちゃんと入ったか不安で仕方なかったよ。
お客様は顔を引き攣らせてご満足いただけた様子。
後ろの2人が全然驚いてくれないのが寂しい……
「くっ……」
「あらあら、万策尽きちゃったのかしら?」
「ちっ、近寄るなッ!」
これまでで一番強力な電撃が周囲を襲う!
「フラヴィアッ!」
ヒルダに近づいていたフラヴィアは電撃をモロに受けてしまっている。受けてしまっているのに……
「あなたも学ばないのねえ。その程度の熱量だと私を焼くことはできないわよ?」
「そんなこと、分かっているわッ!」
(効いていない……?)
フラヴィアの服から焦げた様な煙が上がるが、彼女自身は何の反応も示さない。
しかし、そんな疑問を抱いている暇はなくなった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……
地震……?違う、部屋が……崩壊している――っ!
「お前らなんか生き埋めよッ!このままここで永遠に眠りなさい!」
ヒルダの姿が溶けていく。自分だけ逃げ延びるつもりか。
「
「チュラ、脱出しますよ!フラヴィア、あなたはどこから来たんですか?」
「……」
(……?フラヴィアの様子がおかしい。反応が鈍い?)
「――あらあら、レジデュオドロ。焦ってはいけないわ。サンタンジェロ城には秘密の通路があるの。イルミナティが過去にここで研究を行っていた名残ね」
「秘密の通路?」
「ひみつなのー?」
「ええ、秘密よ。誰も知らないの。偉い人も、作った人も、私も」
そう言ってウインクするフラヴィアは私達の返事を待っている。返答如何では脱出を手助けするつもりはないと、エメラルドの瞳が冷たく、口元が柔らかく告げていた。
発言主本人も知っていてはいけない、とんでもない秘密を言われた。
そりゃどうしようもない話だな。
「守秘義務は守りますよ、チュラもいいですね」
「うん、チュラ何も知らなーい」
「うふふ、それでいいわ。目を瞑りなさい?良いと言うまで開けてはだめよ」
私とチュラとフラヴィアは手をつないで目を瞑る。UFOでも呼ぶんかいな?とか考えながらも、周囲の状況を、瞼の裏側からわずかな光で、耳から音で、匂いや肌に触れる空気の感触に至るまで、得られる情報を得ようと試みる。
「あの子まだかしら、予定より早く片付いたものね」
「?」
パッ!
なにかが光った?
一瞬だったが、目の前で何かが弾けた感じがした。
パッ! パッ!
まただ、少しずつ光の弾ける回数が増えてきた。
とうとう視界は弾けた光に埋め尽くされ――
(空気が変わった?歩いてもいないのに、移動したのか!)
ザーー
(雨の音。確実だ、私たちは外に出たんだ)
「もういいわよ。2人とも」
フラヴィアの合図で目を開けると、そこはサンタンジェロ城。
目の前には入り口とチュラしか見えない。フラヴィアがいない……?
「チュラ、夢ではありませんよね」
「ちがう、夢じゃ……」
――――タァーン……!
――最高に嫌な音がした。
雷の音よりも聞き慣れ、体を委縮させる、人間が作り出した人間を殺す銃声の残響。
この付近で誰かが何かを狙撃した。
夢ではないが悪夢は続いているようだ。
この場所からは全く見えないが、言いようのない不安感に駆られる……!
(一菜――!)
「チュラ、屋上に急ぎます」
「
狙撃音が聞こえてから、屋上に向かうなんて馬鹿なことかもしれない。だが止まれない。
急ぐんだ、手遅れになる前に!
この一連の事件は偶然じゃない、ここまでの全てを誰かが絵に描いていて、私たちはまんまと裏で操られている。
だからその最後、最後のドミノだけは、何としても倒させるわけにはいかない!
地上で第一幕、地下で第二幕、最後の第三幕は屋上で。
サンタンジェロ城で第三幕とは、まるでオペラの"トスカ"のよう。
そんな悲劇では終わらせないぞ、全員揃って大団円で幕切れさせるんだ!
雨は降り続ける。
ザーザーと音を立てて、この舞台の盛り上がりは最高潮に達する。
その雲の上では星々が、今か今かと出番を待ちわびていた――