まめの創作活動

創作したいだけ

黒金の戦姉妹 不可視4発目 時石の擦過

不可視4発目 時石の擦過リメインズ・コープス

 

 

――親愛なる姉上様。

  あれからお体の調子は戻りましたか?

  プルミャがいじわるして

  詳しく教えてくれません。

 

  ローマ武偵中は今日もほどほどに平和です。

  ミラとルーカはいなくなっちゃったけど

  クラスメイトが優しくしてくれるから

  生き残ってます。

  

  前に利用したと書いたレストランに

  新しい看板メニューが増えた

  と聞いて食べに行ったよ。

 

  お姉ちゃん覚えてるかな?

  昔行ったルクセンブルクのオーバーワイス

  あそこで修行していたシェフが

  非常勤講師で来てるみたい。

  ビックリするよね!

  

 

――――中略――――

 

 

  それで探偵科の授業で探してた犯行凶器を

  目を離した隙に鑑識科の先輩が拾ってて

  丸々探し物の時間になったんだよ。

  先生も気付いてなかった。

  やっぱり先輩はすごいなぁ。

 

  先輩といえば、最近

  宝導師マグドに立候補した先輩が

  後輩グループを取り合って決闘沙汰だって!

  隣のクラスから伝え聞いただけだけど

  武偵高の方ではお祭り騒ぎだったみたい。

  私も見てみたかった。

 

 

――――中略――――

 

 

  あなたのお返事をお待ちしております。  

  果実が実る箱庭の季節より、心を込めて――

 

 

 

「……我があるじ、ひとつ聞いていいかい?」

「うん?どうしたの、プルミャ。手紙に変なこと書いてたっけ」

「別に労いが欲しくて頑張った訳じゃないが、ボクは少しくらい賞賛されても良いんじゃないかと思う」

 

「プルミャはいつも頑張ってくれてるよ?」

「ありがとう、ボクも報われるよ。けど、言わせてくれ。あいつのお腹の調子なんてボクにはどうでもいいんだ。何時間寝たかも知る必要がない。主が望む情報を得る重要な仕事だと理解しているさ。でも、あいつに怪訝な顔をされながら、昨晩のチーズを尋ねるのはとても屈辱だった。これ以上何を知りたいんだい?」

「お姉ちゃん、面倒くさがりだったから、ちゃんとシャワー浴びてるか不安、かな」

「アリエタが……主は彼女には会った事がないか。しっかりした家政婦がついている。その配下のワーカホリック集団も。あいつは独りぼっちだけど孤独じゃない。主が気に掛けてあげる事なんて無いんだ」

 

「…………」

「主……?ボクには君が涙を流す理由が分からない。ボクに出来る事はあるかい?」

「お手紙、お願いね?」

「……ああ、分かった。もう寝る時間だよ。おやすみ、主」

「おやすみ、プルミャ」

 

 

 

「……大丈夫だよ、主。君は独りだけど、孤独じゃないボクがいる

 

 

 

 


 

 

 

「おはよー」

「あ、おはよー。見た見た?あたしのアップした写真」

「見たよー。直後に同じ写真も上がったけど、アングルでは勝ってた!」

「ありがとー。いやー、朝から良いもん撮れちゃったよ」

 

 

教室の入り口で2名の女子生徒が話をしている。

片方は水兵さんの服装にオシャレな赤いスカーフタイを付け、もう片方はシルエットにこだわらない緩めのスーツの内側にブラウスを着込んでおり、その共通点は上着が真っ白であるという点だけ。

 

クラスを見渡せば分かるが、ローマ武偵中は流行に合わせたデザインが、毎年制服に複数採用され、生徒はその中から好きに選ぶことが出来る。

その為学校の中でも、デザイン性に富んだ物を選ぶ生徒、機能美を重視する生徒、伝統を重んじる生徒、紛れ込んで好き放題に改造する生徒と様々入り乱れ、自らの個性を発揮しているようだ。

 

 

この学校に来てすっかり癖になってしまった『服装分析』で周囲を確認する。

同年代のクラスメイト達がどんな服装で生活をしているのかを知る為であり、絵日記に起こせる位、出来るだけ細かく情報を得る。

 

色合いの情報C.M.Y.K.をメモしておくと、後々、絵手紙を送る際に困らずに済む。

あの人の髪は今日も鮮やかだな、とか一口メモを残しておくと尚良しだ。

 

 

「おいおい、入り口を開けてくれよ」

 

 

はっ!となって声の方向に振り返るが、私ではなく先程の2名に向けられたものであった。

 

声の主である、今登校して来たらしい、そのー……少しだけ太めの男子生徒は、特注品になりそうな白いスーツのボタンを全て外している。お洒落なのだろうか?

試しに、一目見た観測結果から正常な着こなしをシミュレートしてみると、射出された第二ボタンが私に襲い掛かるシーンが再生され、あのスーツは武装なのだろうという結果に落ち着く。そういうモノなのだ。きっと。

 

 

――メモメモ。

 

 

「ごめんごめん、そうだあたしの写真見たー?」

「もちろん!キミは本当にいいアングルで撮るな!」

「んでんで?どうすんのー?」

チェルトとうぜん!」

「ベネ!お得意割と友割しとくよ」

「ベッラ!今日、ランチを奢るよ!」

「それって私もいいの?」

「2人一緒かい?うーん……じゃあ、オネストも呼ぼうか」

「やったねー!」

 

 

話しの大半は省略されていたけれど、普段の会話と聞き取れた単語から例の掲示板の話だと推測できる。

彼女達はクラスメイトであり敵ではないので、輪に入って話をするべきだろう。

 

でも、今日はそんな気分になれなかった。

双子の姉の体調が悪く、今日も寝たきりだという報告を受けていたのだから、授業にだって集中出来ないと思う。

 

(――もう、1週間も経つんですね……)

 

とりあえず一命は取り留めたが、元から体に異状はない。

主治医が診ているのは脳の異常で、意識が正常に戻るか、記憶の混濁は無いか、特定の話題においてどれくらいの頻度で嘘を吐くかを確認しなくてはならないのだ。

 

私も心配で、何度か会わせてもらおうと施設を訪れたものの、返ってくるのは「会えない」、その言葉だけ。

別に検査の為に面会謝絶、って訳ではない。元々彼女と私は声を交わす事さえ許されていないから、逆にこのタイミングでなら会えるんじゃないかと思っての行動だった。

 

(前に会ったのは2年前、か……)

 

会ったと言っても見掛けただけに過ぎないし、たぶん彼女は私に気付きもしなかった。

それ以前に、7才の頃の記憶を頼りに、周囲の成長を参考資料として今の姉の姿を想像しただけなので、人違いでもおかしくない。直感で判るほど双子の絆は深くない、その程度の関係性。

 

どんな髪形で、どんな表情をして、どこまで身長が伸びて、痩せてるのか太ってるのか、それすらも知ることは出来ず、鏡を見ても膨らむのは想像ばかりで、確かな根拠が手元にない。

 

今はただ――

 

 

「だいじょ…ぶ?」

「えっ?」

 

 

声が近かった。今度こそ、私に誰かが話し掛けて来たらしい。

急に来たように感じたが、相手は少し前まで服装分析していたアマリリスのような紅い髪色の少女であり、距離は離れていたのだから接近に気付くべきだった。

考え込み過ぎてそれすらも怠っていた事に気が付く。

姉の心配をしていた私の表情は、余程深刻なものだったのだろう、目の前の彼女もまた、心配そうにこちらの顔色を確認している。

 

この特徴的な髪色。名はカルミーネ・コロンネッティ。

武偵中に在籍する注意人物で、丸はお姉ちゃんの付けた赤色ひとつだけ。

 

個人的なメモによれば物静かで世話焼き、下手に気丈に振る舞えば余計に気遣うとある。

ならば代わりの悩みを相談してお茶を濁そうとした。

 

 

「最近、体調が上手く整えられなくて。この前も潜入任務の演習中にフラ付いちゃってて……」

 

 

この話は作り話でも嘘でもない。

実際に演習中に体調を……精神を乱していた。今の悩みと同じ一件で。

 

内容は簡単なもので助かったが、しばらくの間、任務に当たるのは避けた方が良いかもしれない。

こういうケースでは仮チームに属さないフリーな身が便利だ。

 

 

「えと、その…探偵、科、だった…よね。パトリツィア、さん、の所…行く時に、見た」

「そうです、良く分かりましたね。といっても、しがないEランクですが」

 

 

プツプツと途切れて自信がなさそうな問い掛けに対し、苦笑いを含めながら返答する。

クラスの人数は全員で10名前後であるのに、分からなくなることはまずない。

 

つまり彼女は他クラスから用事で来ているだけの初顔合わせ。

私も有名人だからマークしていただけで、互いにプライベートも任務の様子も知らないのだ。

 

 

「……ランク分け、は、大体、当て、に…ならない。中学の、内は、特に。仮の、ランク、だから」

「Eランクより下はないです」

「確かに、評価は、低く、見るべき。…でも、例外も、いる。最たる、例が――」

 

 

話の途中で結末が少し分かってしまった。

彼女と同じく超が付く程の(ネタ的な意味で)有名人でありながら、未だに転入時の評価Cランクから不動を貫いている、あの人だろう。

 

日本の武偵中ではBランクだったらしいが、編入試験で1つ落としている。

編入してくる生徒のレベルは大体高い事が多く、ランクを落とす人間はまずいない。まして珍しい東洋人で性別問わず惹き付ける魅力もあって、注目度は異常に高い。

それは私も例外ではなかった。

 

 

「――トオヤマさんですか。話したことはないですが、周りを囲む生徒が軒並み実力者なのが気になります」

「…!キミも、見る目が…ある」

「彼女自身の実力は私程度では推し量れませんが、普段校内ですれ違っても存在感がまるで透明な水の様に希薄です。パトリツィアさんは言うまでもなく、チームメンバーのフィオナさんも狙撃科のBランクですし、ミウラさんもランク以上の実力かと。そして戦妹のチュラさんには得体のしれない異常さを感じました。ひいては……っ!」

 

 

そこまで言ってから、はっ!となるが、いつの間にか報告口調で感じたことを全て話してしまっていた。

私を見つめる海底から空を見た様な色ネイヴィー・ブルーの瞳が驚きで見開かれていて、少なからず彼女の関心を引き寄せてしまった事を物語っている。

 

 

「キミ、の、ランクも…相応、じゃ、なさそう」

「そんな事…」

「パトリツィア、さん、も…同じ、事、言ってた、から。私達、以上の、チームに、成り、得る…って」

「!?」

 

 

(人喰花以上のチームに!?)

 

今度はこっちが驚かされた。逸らしていた視線が持ち上げられ、前髪を跳ね上げさせて彼女の目を見る。

そこに冗談や悪ふざけの意思は読み取れない。事実なのだ、この話は。

 

 

すっかり関心を引き寄せられてしまった。この情報は大きい。

会話の途中で多少怪しまれようと、聞くべき価値がある。

 

しかし、そんな話は普通に考えてあり得ない。

現在、件のチームは3名だけだが、残り2枠にフリーのBランクを迎え入れられたとしても実戦経験はおろか、実力だけで見ても両チームの力量に差が開き過ぎているだろう。

フリーのAランクは2名しか残っていない上、片方は装備科の生徒だ。

 

人喰花は個々がAランクとタイマンを張れる強襲科が3名、そこに狙撃手と超能力者が加わるとなると、Sランクの武偵でも単身で相手取りたくはないだろう。

そんなスペックをどこから持ってくるつもりなのか。

 

 

「……突飛もない冗談ですね?だってカルミーネさんだけでもあの3名を……」

「勝て、ない。これは、パトリツィア、さんと、同意見。私は、クロ、さん…彼女1人、と、渡り、合える、か…」

「――ッ!ありえないです!だってあなたの能力は……!」

 

 

立ち上がり掛けて踏み止まり教室内を確認するが、こちらに注意を向けたのは2名だけ。

自分の良く通らない声の小ささに救われた。

 

(危ない。また夢中になってました)

 

あまり大事にならずに済みそうだったので顔を下に向けて冷や汗を拭う。

だが、用心すべきは第三者だけではなかった。

 

 

――そう、アマリリスの少女の反応にも気を回すべきだったのだ。

 

 

「ごめんなさい、会話に夢中になると、つい――」

「……キミ、私の事、どこまで……知ってるのかな?」

 

 

唐突にゾクッと来る妖美な声が耳に響き、頭が上げられなくなる。話し方が多少流暢になっているのは聞き間違いではないだろう。

別に、力によって押さえつけられている訳ではなく、ただ、何となく正面を見てはいけない気がした。

 

 

「教えてくれる?私、知りたいな、キミの名前」

「あの……」

「教えてくれるよね?キミの名前。私、知りたいの」

「……ポコーダ、です」

「うん、可愛い名前!ポコーダちゃん、今の私は正確にBランク。この程度まで上げられるけど……ポコーダちゃんに説明は要らない?この能力のこと」

 

 

明らかに話し方が変わったし、声質が変声とはまた違う自然な感じで、ちょっとだけ高音で誘うような、女性的な魅力が増している。

心なしか、私の目の前に置かれた両手も、思わず見入ってしまうような透明感が……

 

 

脳裏に浮かぶのは1つの単語。

魔術的な超能力者の多いヨーロッパ人は、戦い慣れない乗能力者を危険視しろ、という話とともに教わった。

 

 

――トリガータイプ。

 

 

これが、そうなんだ。

彼女がそうだと聞いてはいたが、実際に目にすると、比喩でなく別人になるものなのだと思う。

 

指標として、仮に付けられたBランクではなく"正確にBランク"だと言った。

脅しのつもりかもしれないけれど、こちらにはこれ以上の情報はない。その条件も、能力の上昇限界も、継続時間も。

知らないことは話せないのだから、素直に伝えるしかない。

 

 

「詳しくは、知らなくて……」

「そ。早とちりだったね」

「あっ…!」

 

 

引かれた手を目で追ってしまい、そのまま彼女の顔まで誘導される。

左手人差し指がその端正な顔、にっこり微笑んだ小さく可愛らしいピンクの唇に宛がわれた。

 

導かれるまま向かい合うと、親近感を感じる素朴さはすでに消え去り、艶やかな表情も相まって、これまで蕾だった少女が秘めていた花やかさを前面に出して咲き誇るように、アマリリスの髪も一層絢爛さを主張している。

 

 

「じゃあ、ポコーダちゃん?誰から聞いたのか、、、教えてくれる?」

「う。分か……り――」

 

 

(言わされる……!頭が働かなくなってきて、朦朧と……?)

 

今更気付いてしまった。

 

普段の彼女の話し方――断片的な言葉のリズムは、間を置くことで独特な拍子を作り出し、聞く者の心をリラックスさせる効果を持っている。

そして緩やかな催眠に掛けられた対象は暗示のように、開花した彼女の花のような美しさに魅せられていくのだ。

 

彼女が私の名前を繰り返し、見つめて来るだけで、弾避けにだってなっていいという気分にさせられる。

ただし、彼女自体の能力が上昇したような感覚は感じ取れない。

 

 

――紙面に記載されていた能力と、全く違った。

 

 

「ねーねー何話してるのー?」

「カルミーとコディちゃんなんて、珍しい組み合わせだ!」

 

 

教室の入り口でたむろしていた2名の女子生徒が何の警戒もなく近付いてくる。

私はどんな顔をして、正面の紅い花を見つめているのだろう。

きっと異様な状態なハズで、よくも平然と話し掛けられるものだ。

 

だが、これは感謝しなければならない。

あと一歩で洗いざらい話してしまう所だったから。

 

 

「えと、ちょっと、だけ…楽しい、お話し、だよ」

 

 

(楽しい、とは。随分と認識に差異があるようです)

 

緊張から解放され、催眠術も解けたのだろう。今は体も重くなく、自由に動かせるようになった。

冷や汗はべっとりと背中を濡らしているが、それよりもどう思われているかの方が問題だ。

 

 

おそる、おそる……反応を窺う。

 

 

「やっぱりー!2人ともすっごい笑顔だったから」

「ちょっとだけ楽しいお話なら、ちょっとだけ教えてよ!」

 

 

(えが……お……?)

 

そんな訳がないと自身の顔に触れてみるが、

 

(私……ずっと、笑ってたの?)

 

表情が豊かではないのは自覚している。愛想笑いも下手くそだ。

だから今回も半々で怪しまれてないと考えていたのに、その変化の乏しい顔にそぐわない、彼女と同じにっこりとした微笑み。

 

両頬が上がっていた。

緊張していたのに、つられて笑っていた。

 

そして2名の反応が訝しんでいないと判断した途端、なんだか楽しくなってきた。気分の高揚が心を軽くし、ワクワクが心を前向きに動かしてくれる。

 

 

「2人、とも、その…ごめん、ね?秘密、の、お話し、だから」

「えー、いいじゃーん!」

「気になる!秘密は体に良くないぞ、カルミー!」

「じゃあ、お昼…私、も、ご一緒、しよう、かな?」

「えっ!ホント!」

「ベネ!コディちゃんも一緒にどう」

「わ、私は……。……っ!私もいい、かな?」

「もっちろーん!」

「秘密のお話、邪魔してごめんねー!」

 

 

2名は手を振って教室の前の方に歩いて行った。

私はその間もずっと笑顔だった。

 

だって気持ちが盛り上がっているから。

朝の気分だったら、あのお誘いは受けなかっただろう。この短時間で、なぜこんなにも心が上向きに……?

 

まるで、催眠術のよう――

 

 

「あ、その、えとえと…ごめん、ね。脅す、つもりで、、訳じゃ…なく、て……」

「……」

 

 

声が徐々に尻すぼみになっていき、最後の方はほとんど聞き取れる声量ではなかった。

でもなんとなく、彼女の、カルミーネさんの伝えたいことは、理解できる。

 

 

「で、だから…元気が、無くて、心配、に、なって」

「カルミーネさん」

「っ!」

 

 

怒られるとでも思ったのだろうか、ビクッとして下を向いてしまった。

しかも、両手は脚の付け根に添えられていて、防御態勢を取る気は無く、はたこうと思えば簡単に遂行できそうな無防備さ。

まるで、いや言葉通り別人なのだろう、トリガーの前後では。

 

確かに彼女の変化には驚かされたが、何をされたわけでもない。

それどころか、この心情の変化は彼女の変化によってもたらされた可能性がある。

 

俯く彼女を起き上がらせ、今度は私が、出来る限りの笑顔を彼女に見せ付ける。

 

 

「この気分は、あなたの能力ですか?」

「…そう、だよ。すごく…恥ずか、しい…けど、相手、を……こ、興奮、状態、に、させる。でも、ただの、副産、物…で、誰に、でも、有効、じゃ、ない」

 

 

……らしい。

人の心を弄ぶような能力だが、本人に悪気はないようだ。彼女も望んで得た力ではないのだろう。

 

折角笑顔を用意したというのに、またしても言葉の途中から顔を伏せ始めたので、机から身を乗り出し、むしろ下からその顔を覗き込む。

 

 

「――ッ!ッ!――!」

 

 

 

予想外の所から私の顔が現れたからか、目が合った瞬間に「?」キョトンとし、次第に紅くなっていって、ダラダラと汗をかき始めたと思ったら、目を回してフラフラし出した。

 

(顔、上げればいいのに……)

 

様子を観察していると、小動物っぽくてカワイイ。

この少女が少し前まであんなに艶やかな表情をしていたのだ。

 

変身前後。このギャップはかなりの破壊力。

私が男子だったらイチコロだろう。

 

 

このまま教室の装飾の一部になって貰っても困るので、姿勢を正し、聞こえてるんだか分からない相手にお礼をしておく。

起き上がってこないが、目を合わせてお礼を言うのも恥ずかしいし、このままでいい。

 

 

「ありがとうございました。沈んでた心が幾分か楽になりました」

「……うん、私、も…うれ、しい。でも、ね…」

 

 

まだ何かあるのだろうか。

もしや誰から能力の事を聞いたのか、お礼に教えてとか言われる?

 

少し警戒を上げて次の言葉に備え、また変身されては敵わないので、どうせ逃げられはしないだろうが少し腰も浮かせておく。

一呼吸置いたアマリリスの少女は、私に言い聞かせるように目を合わせて強めの語気で言葉を紡ぐ。

 

 

「悩み、の、解決…それは、キミ、次第…。いつ、でも…相談、には、乗る…から」

「――っ!…はい!」

 

 

これが、あの人喰花の看板を独りで背負う人間か……

 

(正直、実力とかじゃなくて、人柄が不安です……)

 

カルメーラ、カルミーネ姉妹とパトリツィア。それはそれは強かったのだろう。

でも、それを追い越すと、そのチームの2名の人間が言っているのだ。

 

 

――トオヤマクロ。

 

 

プルミャの報告通り、黒思金を操って白思金と引き分けたという、ふざけた情報もあながち嘘ではないと、肝に命じておく必要がありそうだ。

 

 

(彼女達が箱庭でどうなるのか、見ものですね)

 

 

 

箱庭の宣戦リトル・バンディーレ』――

 

 

 

このは、箱庭の主によって開催される、五色の思金の性能試験と…奪い合いも兼ねた、国家間の代理戦争。

思金を保有する国は強制的に、他国の参加条件は一定の基準を満たした強者を有している事、それだけ。

その基準を満たさない参加者は主によってその場で始末される。彼女は強者を好み、その中から何かを探し出そうとしているという噂だ。

 

 

過去を紐解いていけば、この戦いは遠い島国で始まったものだという。

国を取り合っていた合戦の裏で、思金の奪い合いも行われていた。

 

それが徐々に大陸に伝来し、ヨーロッパを中心とした国々に広まったと思われる。

 

何故なら彼らは作ることが出来ても、使いこなすことが出来なかった。

かの国には『宇宙の脅威』が強く影響していたから、未熟な使い手は排除されたのだと考えられている。

 

 

そして、主がその力に目を付ける、それが『箱庭』の始まりだった。

 

 

思金を体内に含む人工超々能力者――思主のほとんどはこの戦いを

その理由は戦死、暗殺、寿命、故障と様々だが、結局は誰も彼らを助けようとしないのが原因だろう。力ある者は疎まれ、裏切られる。彼らは失意の元に、安寧も得ることなく、散るのだ。

 

だから思金を司る組織は複数人の実験体を用意し、その中から数人を選出して残りを保管する。

そこまでして、人類は宇宙人から身を守ろうとしている事に他ならない。

 

(お姉ちゃん……)

 

願わくば、誰も犠牲が出ない。

 

そんな奇跡を、願わずにはいられないのだ。

 

 

 

 


 

 

 

朝が早かったわけではない。

幼少の頃より、私は6時には起きる癖がついてしまったのだ。

 

フランスではその時間に多くの放送局でアニメが放映され、9時就業を賭けた家政婦がエンジンを急発進・急停車させて、市街レースを走る間の無遅刻無欠席な子守りを担っていた。

登場するのは人間並みの知性を持つ、猫やら虫やら魚やらのキャラクターだけ。言語を伴わない幼児向けのアニメーションに双子の妹は釘付けになって静かにしていたけど、同じベッドに眠る妹に布団を剥がされ、朝の寒さを武器に起床を余儀なくされた私はつまらなくて大人しくしていた。

父親が拳銃を整備する傍らで聞き流していた、難しい未知の言語ばかりでチンプンカンプンなラジオニュースの方がよっぽど興味深い。

 

前方のバンパー、後方のナンバープレートがボコボコな通勤用の車が路上のタイヤ痕を乱暴になぞるまで、多くの家庭と同じように共働きの母親はせっせと電子部品の選別をし、電話やパソコンで離れた仕事仲間と連絡を取り合っている。

両親は何の仕事をしているのか教えてくれなかったが、危ない仕事だったんだろう。

引き継いだ私が言うのだ。仮に2人に聞くことが出来たのなら、顔を向き合わせて苦い表情を作るのだろうな。

 

 

そう、朝は早くなかったのに、私は前後不覚に陥っていた。

体内の水分が抜かれたように虚脱感が全身を支配して、電池が劣化し鈍く蠢くオモチャになった気分になった。

 

原因は分かっている。筋肉も脳も使わなくなった私は疲労とは無縁だ。

自ら運動をしたり、脳の領域を行使しているのであれば別だが、あくまで非常用。体に異常があることが異常なのだ。

 

万が一、私自身が消耗するとすれば、

 

 

「パソコンの内部データも破損しているかもしれませんね。後でアリエタにバックアップを持ってきて貰いましょう」

 

 

真っ暗なブラウン管モニターに映る自分の顔は、予想より前髪が伸びていた。

まず始めに、面倒臭いなと考えてしまうあたり、私はやはり父親似なのだろう。

行事には必ず休みを取ってくれる子煩悩ではあったが、スーツ以外の着替えは母親に任せっきりにする、自分の事には無頓着な人だった。

 

 

「コンコンしたよ、入って良いよね?」

 

 

催促されてようやく頭が冴えて来た。

荒くれてもなく、控えめでもない、程良い力加減で啄むような扉をノックする音で目が覚めていたことを思い出す。

耐えがたい疲労を押し殺し、机へ載せていた額にべったりと張り付いた前髪を整えた。

 

 

「入って来ていいですよ」

 

 

視界いっぱい広がる資料の山と、壊れて点かなくなったパソコンの画面に背を向けて、入室を許可する。

こぶし大から人が丸々入りそうな大きさまで、多数の地球儀と惑星儀が並ぶこの部屋に時計はないが、意識を失っていたのはものの数分といった所のようだ。

 

 

であれば、問題ない。

もし私があの状態まま部屋の外に出ていれば、『ハナホシ』が余計な事をして外に敵を作りかねなかった。

アリーシャの件だってそうだ。クロさんの元にトロヤさんが出現する未来は確定していて、そんな危険な場所にけしかけるつもりはなかったのに。

 

私が選ぼうとした道は、いつも彼女に修正される。

文句を言おうにも失敗した記憶はない。粗暴で短慮な話し方は権謀術数の策。実際の彼女は無口で狡猾、要所を決して見逃さない明敏さも持ち合わせている。

黙って私の行動を、私の中から見張っているのだ。彼女は失敗に寛容ではないから、判断を臆すればこうして表層に現れてしまう。

 

成功したければ彼女に委ねるのが一番の近道だと、致命的な失敗が教えてくれた。

私の感情が進むべき道を外れ、失った何かを手に入れようとすれば、また代わりの何かを失ってしまう。

もう失敗はしない。彼女が私を利用するように、私もまた彼女を利用するのだ。

 

 

今回は私の方が一枚上手を取ってやった。

治療よりも予防が大切。フランスにはそういうコトワザがあるのだと得意げに呟き、保険として人差し指に巻いておいた鉄線を解く。

 

今、ハナホシの意思は私から追い出されている。

計画を打ち合わせるチャンスだ。早急にフラヴィアを呼び出したいところ、来訪者には申し訳ないが、話が長くなりそうなら後回しにさせてもらおう。

 

 

「コンバンワ!ピアだよ!……って、やや!お忙しいとこお邪魔しちゃったね主人」

「そうですよピアレーダ。あー、忙しい忙しい。その様子だと上手くいったようですね。報告は手短にお願いします」

 

 

部屋に入るなり山の資料を見て目を丸くしているのは、見知った顔のピアレーダ。

紅玉髄カーネリアンの髪を丁寧に飾り繕い、左肩におやつの袋が飛び出した肩掛けカバンを提げて、室内を占領する星々の一個一個を逐一手で回しながら歩いて来る。

 

 

「チチッ!ほら見て!フラヴィアみたいだよね!」

 

 

彼女は私の腹心ともいえる存在で、多数の使い魔を使役する上に戦闘面でも最も頼りになる。

そしてフラヴィアの他に、ハナホシを知る数少ない盟友で――

 

 

――私のペットであり、使い魔

 

 

「それで?ミラとルーカは回収出来たのですね」

「人形の方は、ね」

「よしよし、いい子です、ピア。本物はプルミャの方で動いていたでしょう」

 

 

不機嫌に鼻を鳴らすターコイズブルーの髪の少女を思い浮かべる。ダンスや演技は得意だったが、歌の方はあまり……そう、下手だった。

ミラとルーカは正式には私の配下ではなく、彼女の協力者。

彼らの上司であるプルミャの性格を考えれば放っておいても大丈夫だろうと考えたが、水飲み鳥みたいに頷くピアの反応から間違いではなかったらしい。

 

回収したのはフラヴィアの部下だ。

戦闘面では彼女に比ぶべくもないが、平時には私の情報処理のサブ領域や監視役の中継器の1つとして貢献してくれている。

一時はミラに成り代わって監視役をこなしたものの、囚われてしまい、一夜明けてこうしてピアに回収させていた。

 

(ここまでは順調に進んでいますが……)

 

吸血鬼に私の存在を示唆し、役割を終えたミラとルーカは武偵学校から雲隠れした。

ヒルダから三浦一菜を逃がす事は出来たし、私の存在にせっつかれたトロヤさんの乱入はクロさんの覚醒を促進するだろう。

が目覚めれば、5年間守り続けた最強の駒がやっと動かせるようになる。

 

 

「遠目から見ていて、金星かなせさんは目覚めていましたか?」

 

 

かなせ。

彼女が敵に回らなかっただけで、こうも一瀉千里に物事が進むとは。

ウルスの民の行動目的は謎も多いが、彼女が目覚める前に、その本体たる遠山キンジさんをマーク出来たのは、彼女達の情報によるものだ。その信仰対象である風に感謝を示しておこう。

 

 

「まだ。だけど、また1つ出たよ。魔力がわっさぁーって、木の葉みたいに飛んで行ってた!」

「さすがは異常点ってワケですね。意気地なしのお嬢様に続き、一番厄介な獣人が目覚めましたか。こっちも順調満帆のようで、気が急きます……念話の様子は?」

「トロヤと遊んでたから、それどころじゃなかったと思うよね」

 

 

やはり私の未来予想ともたらされる結果は必ずしもイコールでは結び付かない。

フラヴィアに身辺を警護させていた事が裏目に出た。私は彼女にクロさんの手助けをしろと命令したが、その車にチュラ・ハポン・ロボが乗り込んでいた。

数か月前には人の顔すら覚えようとしない無機物のようだった人物が、自主的に動き、遠山カナに接触を図るなどと、誰が想像出来ただろうか?

 

結果としてフラヴィアの手の内を明かさずに済んだ。

しかし、私の拠点に指定したサンタンジェロ城の範囲からチュラが離れた事で、ピアをヒルダの回収に割けなくなった。

チュラの代役は1人しかいない。彼女を失えば来たる大戦の大将駒、緋緋色金への対応に響く。どうしてもピアの跳躍を使って拠点を運ばせざるを得なかった。

 

つまり、吸血鬼の確保が先延ばしになった訳で、

 

 

「はぁー……」

「主人、頭痛いの?ピア、うるさい?」

「まさか、あなたは癒しですよ。部下のアフターケアは、なかなかにカオスだったなって」

 

 

リュパン家のご息女を救い出すのも同様だ。

私も塞ぎ込みそうになったが、帰還して早々に憂悶とした表情で平伏してくるアリエタと、平常運転で部下達と遊ぶスカッタを見ていたら、このままではいけないと思わされた。

 

とりあえず、アリエタが立ち直ってくれないと、彼女が手塩にかけて育成したスカッタ以外の優秀な部下が統率立たない。

彼女自身のパフォーマンスは変わらないのだけど、彼女を慕っている者たちは円滑に動けなくなっていた。

 

 

「一緒に遊んだんだね!チチッ!」

「一通り、手は尽くしましたよ」

 

 

あの頃とは違う。

トロヤさんが相手では仕方ない、なんて言い訳が通用するイージーモードは破壊し尽くされた。

その彼女すらが敗れたのだから、世界がどれだけ高難易度に出来上がっているのかを思い知った。

 

私の失敗のせいで、唯一の友達が壊れ始めた。そして取り戻そうとして、次々と失った。

やらねばならない。私が動かさなければならないのだ。

 

 

この決意だけが、星核の意思の現身、ハナホシの欲求と合致した。

 

 

「お疲れさまでした、ピア。あなたの部下に計器類の修理をお願いしたから、後で確認に行ってあげて下さい」 

 

 

遊んで欲しそうなピアには悪いが、優先すべきは今後、外部がどう動くかを先導する事。

特にフラヴィアへのコンタクトを、当面の間は避けねばならない。具体的には、箱庭が混迷を極め、クロさんが真実の一端に触れるまで。

 

その時が来ることを心苦しく思いつつ、連絡を取ろうとした。

なのに、ピアが部屋を出ようとせず、ぐいぐいと体を捻り、

 

 

「はい!」

 

 

丸々太ったお菓子詰め合わせのバッグが、あんぐりと開口して、テーブルに陣取る。中を覗くまでもなく、入り口まで満杯だ。

期待の籠った眼差しに声など不要、しかしもう入る余地がないのではないか?

 

「ピア――」

「お駄賃!」

「もう入らな――」

入るひゃひひゅ!」

 

突然に活舌が悪くなったのは、彼女が口いっぱいにお菓子を詰め込んだからである。

使用容量の減ったカバンには指3本ぐらいなら差し込めそうだ。そこまでされてしまっては、お預けに出来ない。

 

「やれやれ、妹に似たんですかね。食堂に行きましょう、希望はありますか?」

 

首を傾げると、溌溂としたオレンジの髪がぴよっと跳ねる。

ついでに、もごもごしている口元を開きそうになったので、慌てて押さえつけた。

 

ここに食べ物はない。

別の誰かであれば自力で取りに行かせただろう。

ピアは特別だ。多少のロスには目を瞑る。

 

 

「……ピアは――」

 

 

懐かしい夢を見ていたからかもしれない。

ふと、考えてしまう。ピアも、変わってしまうんじゃないかと。

 

もう、ただの人間でなくなった、あの子のように。

もう、ただの人形に変わってしまった、彼女のように。

 

 

妹と離れ離れにされた日から、私には新しい姉が割り当てられた。

私よりずっと背が高く、微笑みの良く似合う女性は優しくて、舞台でこなす全ての演目が飛び抜けていた。

 

風のような主旋律のリコーダーは淀みなく、弾かれるチェンバロは正確無比なリズムで、揺らがない音の粒を立てる。

緩やかに飛び跳ね、くるりと回るバロックダンスは決して派手ではないし、見栄えの良いものでもないのだろう。

 

非日常的な音を奏でる楽器によって空想的な世界は作り出され、現実から隔絶され、満たされた空間そのものを楽しんでいた。

色彩に富んだ薄い紫色アメティスタの髪をキラキラと煌かせ、観客席の私と目が合うと嬉しそうに頬を上げて。

 

 

彼女はもっと人らしかったはずだった。

まるで心が残っていたみたいに、温かかった。

 

 

「なんでもありません。ご飯もちゃんと食べて下さいよ」

「??オリヴァ、寂しそうな顔してる」

「切ないです。お腹が空いたのかもしれません」

「そっか!チチッ!ピアと一緒だ!」

 

 

 

――ずっと家族でいてくださいね。