黒金の戦姉妹30話 仮構の水源(前半)
「カナ、頼むから
「あら、何の事かしら?」
「キンジ、寝坊助さんなのー?」
体温と完全に同化してしまった掛布団は、もう何時間俺の上にいるんだろうか。
睡眠期から目覚めて早々頭痛が鳴り止まず、先程ようやく起き上がることが出来るようになったばかりだ。
「あんな1年分の悪夢が集結したような戦場にいたら……こうもなるよな」
夢の中の俺は自由過ぎるが、せめて人間の常識の範囲内で行動を取って欲しい。
なんであんなことになるのだろうか、生きてたのが奇跡だ。
あの夜は第4の同盟――クロ同盟の設立を宣言後、3色の同盟締結を見届ける暇もなく必死で逃げ延び、逃亡先の貸し部屋で意識を失った。
同盟の締結まではヒルダもリンマも楕円形の石塀から出ようとせず、クロの宣言はナイスタイミングと言えるだろう。いや、あんな命知らずなことをしないのが一番なのだが。
「どうするんだよ……箱庭の全部が敵になったんだぞ。あの気味の悪い魔女の親玉みたいなのがいつ目の前に現れるかと気が気じゃない」
「あなたも分かってると思うけど、私にも
「カッコいーよ、キーンジー」
「……ただの虚勢だ」
(こそばゆいな……)
それは当然分かって然るべきもの。
カナは俺じゃなくてクロを褒めているのかもしれないが、それでも自分の意見をカッコ良いと言われて悪い気はしないものだ。
素直にありがとうと言えないのは、行き当たりばったりの茨道に2人を道連れとして同伴させた後ろめたさがそうさせるのだろう。
……で、そろそろいいか?
「カナもチュラも、心配してくれてたのは嬉しい。けどな、もう大丈夫だから離れてくれ」
「ふーん、そんなこと言っちゃうんだ」
「言っちゃうんだー」
「な、なんだよ。チュラ、お利口さんにしないとダメって
ベッドの右側に腰掛けたカナは頭を撫でる手を止めず、含みのある言い方でやんわりとオレの言葉を拒み、左側から乗り込んできているチュラは……こいつ、聞こえないフリしてやがるな!小賢しい真似を。一体誰に似たんだか。
それもそうだが、俺が武偵中の制服を着てないのはシワになるからという配慮なのだろう。ならなぜ俺はまだカツラを被ってるんだ?これはどういう配慮なんだ?
いくら耐性がついたからってこの状況はちょいとばかし心臓に悪い。
ホントどういうつもりなんだ……?
「昨日の夜から今朝まで、手を放してくれなかったのはキンジの方なんだけどなー。それなのに私にはそんなに冷たい態度」
「取っちゃうんだー?」
「それは……!」
薔薇色の唇をツンと突き出して拗ねる
意識混濁期間だから仕方ないだろ、という言葉が何故か口に出せない。
言っちゃいけないと誰かに釘を刺されているような、警鐘に見立てて頭の痛みが増していくような。
「……心細かったんだろ……覚えてないけど」
数秒間、適当な言い訳を考えたものの、結局は本心を言わされる羽目になった。
2人は俺の素直な答えが少し意外だったようで、ぱちくりと見つめ合ってようやく拘束されていた腕を離してくれた。
「んー……まぁ、キンジにしては合格かな?最近は姉離れが進んじゃって寂しいわ。反抗期かしら?」
「えー……チュラも離れなきゃ、ダメ?いーよね?ね?」
「良くない。お前も物理的に
とはいえ、アメを与えなければ動かないのが俺の戦妹である。言うことを聞く時は赤べこみたいに頷くが、聞かない時は駄々っ子みたいに泣くわ喚くわ噛み付くわ、実に無碍な振舞いをしてくれる。
甘やかしは良くないがムチに対する反骨精神はピカイチだし、こいつの笑顔を見てると怒る気が失せる。なんだかんだで、毎回ねだり負けするのだが、
(こっちは上手く体が動かないんだ。意地でもどいてもらうぞ)
耳の後ろと髪の生え際、完骨・頭竅陰付近を軽く擦る様に撫でてやると抵抗が薄くなることは夢の中で検証済みなのだ。
「お腹が空いた。起きて最初のご飯はカナの手作り料理が良いな」
「っ!何か食べたい物はある?何でも用意してあげるよ?」
気持ちよさそうに脱力した顔の
頼む、年長者である自覚を持てとは言わないが、俺が兄さんに銃殺される原因を作ろうとしないでくれ。
「カナの手作りなら美味しいからなんでもいい。……けど」
ここで何でも良いで終わるのはNG。
それは過去の経験から導き出された超重要項目。
こちらとしては本当に在り物で作った何が出て来ても満足できると言えるのだが、どうでもいいというニュアンスで捉えられてしまうらしいのだ。
献立を一緒に考える、それだけで色好い反応が得られやすい。
「思いっきり食べられる和食が良いな。メインは魚でも肉でも良いけど塩で薄めの味付けでシンプルに。後は味噌汁と付け合わせに酸味のある物を食いたい」
「うん、分かった。チュラちゃんお料理、手伝ってくれる?」
「えへー。う~~ん……いま、いく~……」
口だけで動かないんじゃないかと警戒したが、すんなりカナの下に向かって行った。
理由もなく離れようとするとしつこいが、利口になったもんだな、あいつも。
姉妹に挟まれての目覚めは胃に悪い。俺は朝食も白米派だから、朝からサンドイッチは要らないんだよ。その上鏡を見ればサンドされた具まで目の毒な三姉妹で。
そんな状態でヒスってみろ一生分の悪夢を見て起き上がれなくなる。俺は人生を諦めてもう一回寝るぞ。
いいか?起きても悪夢ってんなら、二度と起きないからな。
ま、ともあれ
こうして俺の平穏は守られ……ッ!
「……ってぇ」
頭痛が悪化してきた。
何だってんだ、やっと静かな部屋で独りになれたってのに、物言いでもあるのか?
もう一眠りと考えていたのが阻まれる形となり、1人でいる事が逆に手持ち無沙汰になってしまった。
このままうだうだとベットで過ごしていても頭痛は悪化しそうだし、安静に気を紛らわせられることは無いか……。
「…………」
ふと、目に入ったのはサイドテーブルに飾られた花瓶。
小さなイングリッシュローズと黄色いガーベラの造花が中心に据えられ、手前側には雨を想像する紫陽花とお日様のイメージを持つヒマワリが並び、その2本の後ろからイチゴの造果がひょこっと顔を出している。左に濃淡の違うネリネとアルストロメリアを配置し、区切りを作る様にグリーンのポコロコが差されて、右にはエーデルワイスと3輪のマリーゴールドが互いに異なる方角を向いて手を繋いでいるようだ。
クロが水交換の度に、しょっちゅう並びを変えてはルンルン気分で記憶のアルバムにしまい込んでいる。我ながら何をそんな少女趣味な事をしてるんだか。
思い返すと、楽しかった記憶が今の気持ちと衝突し、その余波が気分の波を複雑な形に跳ね上げさせていく。
有事に備えて銃の整備をしておきたいのは山々だが、このコンディションで万が一ミスがあってもいけないしな、今はこの花々で癒されておこう。
(……ん?)
どうやら俺が寝ている間に追加オーダーが来ていたようだ。
新たに届けられた花の数は……減っている。仕方ないか、状況が状況だもんな。学校に通えてない奴もいるんだろ。寧ろ学校に通ってる奴らが無事だってのは朗報だ。
俺が寝込んでいたとはいえ、カナが動いていないって事は一般の人間が巻き込まれる様な大規模な戦闘は行われていないという事。そこのルールはきっちりと守られているらしい。
出来ればこのまま、箱庭の国々が大人しくしてくれれば嬉しいんだが……
特に今日は体も動かんし、ヒステリア・フェロモーネの発動も無理だし。
食事どきの話題としてはいかがなものかと思うが、2人に戦況を聞いておかないと、身の回りで何が起きているのか分からんのは困る。
「こんにちは。ただいま戻りました、カナ、テュラ。クルは起きていましたか?」
「こんにちは。クロちゃんはまだ寝ているわ。休ませておいてちょうだい」
「こんにちわー。テュラじゃなくてチュラだよ」
あー、困る。
身の回りで何が起きてるのか分かんねぇ……
お邪魔しますじゃなくてただいま、って言ったな?
起きたら家に1人増えるシステムはどうにかならないんですかね?
聞いたことも無い声だし、女の声だし、新(侵)入居者は俺を知らない可能性がある。それで俺の格好は
やっと落ち着き始めた頭の痛みがぶり返してきそうだぜ。
コンコン……
ほらほら、来ましたよ。
時代劇やスパイ映画にも何かしらお決まりのシーンがあるものだ。いわゆるお約束。
前回はチュラだったが、こんなのがお約束になられたらたまったもんじゃない。
ここは頭痛を我慢して寝たふりに徹しよう。そうすりゃすぐに諦めて帰るだろ。
部屋の入口に背を向けて横になる。
布団を鼻まで持ち上げ、依頼料で買い替えたふかふかの枕に頭を沈めると、完成だ。
後は呼気を規則正しすぎない程度にコントロールしながら……カツラはズレてないだろうな?
グ、ギギィー……ッ!
扉が開かれた音で、改めて立て付けの悪さを実感する。これが耳障りだから普段は開けっ放しにしているのだが、反対に、たった今俺と同じ音を聞きながら扉を開けた相手は、すでに聞き慣れたのか戸惑うことなく寝室への侵入を果たした。
何回かこの家に、この部屋に訪れているのか。
「お邪魔しました」
それは部屋を出る時の挨拶だ。
だから出てってくれ。
「こんにちは、クル。よくお休みのようでした」
そうだ、良く寝てるぞ。
だから起こすなよ。
「悲しい、顔が見えませんでした…………起こしちゃダメでも、少しならいいと思いました」
トットットッ……
短い自問自答の末、悩んだ割には配慮のない足音が背後から足の先、さらにベッドを回り込んで正面、顔の前に回り込んでくる。
誰なんだよと心の中で悪態を付きつつ、バレないように薄目を開けて、安眠妨害の犯人を補足した。
(……!)
そいつは確かに見た、夢の中で。あの悪夢の中で、確かに出会っていた。
その時はあっちが寝てたけど。
「必ず、起きて欲しいのでした。クルとテュラが助けに来てくれた、カナが私達を守ってくれた。とても嬉しかったのでした」
(――ハンガリーの……代表戦士ッ!)
服装は変わってたけど、確かにこの顔を見た。
クロ同盟宣言後、ヒルダとリンマに襲われながらも、便乗したバチカンのシスターやカナの援護もあって大木へ飛び込むように走り切り、枝に引っ掛けられていた彼女をセーブした。
だが、チュラが反射を使おうとしたらうまくいかなかったのだ。
箱庭の主に話し掛けられてから精神状態が万全じゃなかったし、あの日は既に自分の分と俺の分で2回も魔女の力を反射させていたから使役自体が困難だったのかもしれない。
だからチュラに付き添っていた。「戦姉が一緒に居てくれたら出来る、不可能なんてない」なんて言うんだもんな。本当にやり遂げた辺り、大した根性持ちだぜ。
「……目が覚めるのを待っていました、クル。あなたにも、お礼が言いたいのでした」
そうか、こいつも無事に目覚めてたのか。ウサギのような梅重の瞳はスタディオンでは見られなかったけど、そんな色をしてたんだな。
美人系のカナと可愛い系のチュラの中間、華もあって愛嬌もある女性らしさの煮っ転がし。身近な近所のお姉さんって感じがして苦手だ。
礼は後でクロに言ってくれ。まあ、それも俺で……って、ややこしいな。
今度こそ一件落着か。
……終わらせてくれよ。
「箱庭の統一、終戦。そんな事考えたことも無かったのでした。主は絶対、それが箱庭に鎖された国々へ生まれてしまった私達の意識に教え込まれてきました。彼女を目の前にして貫き通す意志の強さ……ステキ過ぎるのでした!」
俺も深く考えて出した結論じゃなかったよ。
後悔は……してないけど、ステキなんて言われる筋合いはない。
しかし、話し掛けられる声は途切れず、語る口にも熱が籠り始めて、ベットがギシっと軋む音を上げる。
身を乗り出し過ぎたのか、片膝が体重の大部分を支えて俺の聖域たる台上に乗り上げているようだ。
「私は箱庭の戦いには参加できないのでした。でも、クル達の力になると決めました!」
まさか頭から聞かれているとは思いもしていないのだろう、そんな素直に自分の気持ちを声に出来るもんじゃない。
意識の回復には話し掛ける――聴覚を刺激するのが有効だから試みているつもりか。
俺を正義の味方かなんかと勘違いしているみたいだし、反応しそうな単語を選んでいるのだろう。
(聞こえてる!聞こえてない事にするけど、聞こえてるから!それ以上接近すんなっ!)
聞こえないフリは出来ても寝返りを打つわけにはいかず、かといって何をしでかすか分からん奴がいるのに目を閉じるのも危険。そいつがソロソロと近付く光景を、絞首台に登る気分で待ち受けるのを許容しなければならない。
夢の中で面識のない相手には未だに免疫を作るのが遅いままで、距離を詰められるのは少し怖いのだ。
当然、素直で切実な心の声が届こうはずもなく、ウグイスの羽みたいな褐色寄りの橄欖色をしたサラサラな前髪が長く枝垂れ、俺の鼻先に触れそうになった。
服装が変われば印象も変わるもので、私服を着用した今の彼女は年相応の高校生くらいに見える。
「だから……必ず、起きるのでした、クル」
息づかいが聞こえるほどの距離で、もう一度、起きてくれと、訴えかけられた。
それを拒絶する俺が、自分でもおかしいが、クロを閉じ込めている檻になっているような気がして……
クロが自分の中から脱走しようと乖離していく気がして……
無性に、物悲しさが膨らみ始めた。
どうしてだ?
クロは俺と違って俺の存在を認知できていない。
だからこそ、俺という檻にも気付かず、何の気兼ねも無く学校生活を楽しんでいた。
あのカナですら、俺を弟と識別しておきながら過去の記憶の綻びに気付かず、金一兄さんという存在を認知できていない。
それは自分を守る為なのだろう。認知してしまえば自分を見失ってしまうから、無意識に意識出来なくされている。
だが、もし俺のヒステリアモードが不完全で、穴のあるものだとしたら。
その綻びに……何かのきっかけでクロが触れてしまえば。
(勘付いた……?)
俺が日本に戻ればクロという存在は二度と表に出ることはない。出すつもりもない。
それを知れば、あいつは……俺は、どんな行動を起こすか。
俺にも、予想できない。カナにも。誰にも。
目が覚めた、らしい。
どうやら色々と考えている内に本当に眠りに就いてしまったようだ。
しっかりと締め直された扉の先から、おいしそうな匂いが漂って来る。
そう、おいしそうな匂い。出来立てのマーマレードのような酸味のある芳香が……?
(酸味のある物とは言ったがジャムの匂いがするのはおかしいだろ。おやつも一緒に作ったのか?)
せっかく味噌汁が用意されたのだろうに、その溶きたての味噌の匂いで目覚める日本の習慣で床を離れられないのはもったいない。
しかし、意識が覚醒してくると余計にその甘酸っぱい匂いが強烈に鼻を衝いて、甘い匂いが脳を活性化させるのに続いて爽やかな気分が視界を大きく――
(やられた……ここまでがお約束だったのか)
寝ている俺の顔を眺めている内に睡魔を伝染させたハンガリーの代表戦士が、敵勢力に成り得たであろう俺達の家の一室で、警戒心の欠片を1つ残らず腕の下敷きして静かな寝息を立てていた。
侵犯を果たした体は上半身しか見えておらず、ベットに肘をついて眠りに落ちるギリギリまで粘っていたことが窺え、後からカナにでも掛けられた毛布の暖かさにとても安心したような、眠りというありふれた幸せを享受することに感謝するような顔をしている。
健やかな寝顔であるのに、良く見るとその目の下にはクマが出来ていた。夜は怖くて眠れないのだろう。
その恐怖を知っているから、ここで寝ている事を責めるようなことは出来ない。俺だってしばらくは浅い眠りのカナに頼んで隣に寝かせて貰っていて、そうしなければすぐに紋章が疼き出した。
メーヤの定期的な退魔の祈りと悪魔祓いで効果を薄める事は可能であったが、それは相手がトロヤという悪魔公姫の正体が判明していたから。しかし、あの魔女は名前すら分からない。
さらに、完全に定着した紋章は反射では消せない。埋め込んだ相手を探し出して、交渉しなければならないのだ……箱庭の主に。
助ける方法なんて実質無いに等しく、同情はするがあの場にいたこいつが不幸なだけ。
(運が悪かったな)
チュラがいなければそうなっていたのは俺自身。
理解は出来ているが、それを要因に身を賭して他人を助けようなんて崇高な考えをただの中学生に求めるのは酷ってもんだ。
助けたい気持ちがない訳では……ないけども。
「あー、やめやめ」
思考を振り払う為に、見舞い品の花瓶をもう一度確認した。赤系統と黄系統で構成されたあの花瓶は心を元気付ける作用があり、寝起きには少々眩しいものだが気分転換にはもってこいな代物となる。
そういえば、いつも見ているその場所に、新たな花が増えていたんだった。
仲間が一緒に居てくれる証。
だが、記憶に映った花の写真と、何かが違う。
何が違うか、すぐに分かった。そこには――
「……分かってる。分かってるよ、お前の考えは俺が一番良く分かってる。だから……」
頭痛は、眠りと共に治まって。
新たな決意と共に、檻へと収まった。
モミジのような形のカラーリーフの頂点に、オレンジ色のジャムみたいな芳香を含ませた花が。
なるほど花言葉は「予期せぬ出会い」。
――――そこには、新たな
空腹に誘われるままに2回もおかわりした茶碗と焼き魚から取り除かれた骨が並べられた長皿、皮ごと軽く炙った
我が家の日本食文化が復活してだいぶ日が経った。今ではイタリアの食材で日本食に挑戦しているのだが、これが中々に面白い。
日本で和食が、イタリアでイタリア料理が育った理由も分かる時があるのだ。
国民性や古くから続く文化以外に、こうした自然環境による可食植物の発見順にも左右されていたのだろう。似たような見た目の野菜でも食感も味も大なり小なり違いがあって、まるで違う食べ物になってしまう。
……まあ、昼食を食べ終えた現状を考えればそんな事はどうでもいい。
「ごちそうさまでした!カナ、テュラ。今日のお昼ご飯も美味しいのでした」
「うん、お粗末様でした。バラトナちゃんは好き嫌いが無くて偉いわ」
「チュラも無いよー」
「そうね、チュラちゃんもえらいえらい」
「…………」
俺がおかしいのか?
「いいえ、私はブタ様は食べられないのでした……クルは好き嫌いはしないので、私より偉いのでした」
「……そんな事、ないです」
ああ、今の俺は確かにおかしいな。
遠山クロとして転校するまでの
4人掛けにしても大きいと思っていたテーブルには4人分の料理が並べられ、4脚の椅子には初めて4つ分の腰が深く掛けている。
俺、カナ、チュラ……そして『ラカトシュ・バラトナ』と姓・名の順で自己紹介をしてきた年上の高校生が、日常のように食卓を囲んで朝昼兼用の食事を取っていた。
しかも、この違和感に気付いているのは俺だけ、他の3人は「朝にカラフルな鳥を見ました」「それ、チュラも見たかったなー」とか仲良く談笑をしながら、お手本のような、または器用な持ち方の箸で魚をつついていたのだ。
馴染んでる。ごく普通に。
無所属の集約地に、満面の笑みを咲かせた華やかで人の好さそうな容顔をした脱落者が居座って、食事が終わった後も帰る素振りすら見せない。
なんなら一緒に散歩に行きましょうかみたいな会話の流れすら出来上がって、気分転換しようとか完全に逆効果な理由をなし崩し的に押し売られるまま、俺も付き合わされる羽目になりそうである。
「まだ飛んでるといいなー」
「私が見たのは飛んだところでした。もう巣に帰ってしまったかもしれないのでした」
「一羽だったなら渡り鳥とは考えにくいし、きっとまた見られるわ」
「……」
気分転換は部屋で済ませたから要らない。
行きませんオーラを前面に押し出してみるがサヨナラ三振を打ち立てただけで、ならチェンジしてくれていいのに会話の流れは変わりそうも無い。
食事時に返答のみを繰り返していたから聞けなかった戦況の話を振りたいが、また三振となってボロが出そうなので積極的に会話に参加しなければならない話題は避けるべきだろう。
何時までいるつもりかは知らないけど、カナもこんなにのんびりしてるのだ。明日聞いても状況は変わらないと思う。
「クロちゃんも、体を慣らしておくのよ?いつ戦いが始まるのか分からないのだから」
「……うん」
心情を読まれたようなタイミングだが、カナの言う通りだ。
俺たちは戦争中、それも人道を守れなんてルールや条約も無い、無法者共の争いなのだ。
分かっている戦力だけでも、ヒルダやリンマ、一菜とパトリツィアも強敵だったし、フラヴィアやパトラの組織形態は不明。戦闘力は通常時ではもちろん、ヒステリアモードでも勝てると言い切れない相手ばかり。
木に登っていた狙撃手も容易に俺を無力化出来るし、あの場にいた全員が同等の戦力を裏に複数持っているとしたら……
「戦姉、元気ないのー?」
「クル、具合が良くありませんでした?」
左隣と斜向かいからほぼ同じ意味合いを持った声と表情が向けられた。
ココロは伝播する。伝わっちまったな、悲観的な想像が知らぬ間に重い空気を醸していたらしい。
「寝起きでしたから……でも、お腹がいっぱいになったら、元気が出て来ましたよ。ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした。クロちゃんはもう少し休んだ方が良さそう、顔色が優れないわ。洗い物はやっておくから、お散歩は2人で行って来られる?」
「うん、いけるよー」
「大丈夫でした。テュラの事は任されました」
ああ、そういう事か。
いやに話の流れが変わらないと思ったら、チュラとバラトナを2人揃って外出させるためにチュラの興味を惹き付けたのか。
箱庭を思い出させるような俺への言葉も、その1つだったって事ね。思考を誘導されたからタイミングもバッチリだったんだな。
姉弟でやり口がそっくりだよ、まったく。
カナは素直な返事を笑顔で受けて、場面を切り替えるようにパチンと手を鳴らすと再度俺に視線を寄越した。
「よし、じゃあ動こっか。クロちゃんは先にお部屋で休んでてね」
「分かりました」
「いい?バラトナちゃん、何か異常を感じたらすぐにここに逃げてきなさい。あなたは私達の仲間よ」
「その一言だけで私は幸せ気分でした、カナ。約束しました」
「チュラに任せておいてー!」
「チュラちゃんははぐれないようにしましょうね」
「うん!」
全員が一斉に席を立ち食器をシンクに運ぶところは、さすがにカナの育成力の高さが窺えるな。
皿を洗い始めたカナの横でチュラは残り物の漬物にラップを掛けてるし、バラトナはテーブルを拭いてるし、俺の仕事が残ってない。
お言葉に甘えて、お先に部屋で休ませてもらうか。一応近くにいた彼女に一言掛けて。
「……気を付けて下さいね、バラトナさん。その、ナンパとか相手にしないで、私の所に戻って来て下さい。えと、待っていますから、あなたの事」
特に何も考えていなかったからテンパった。
苦し紛れに思いついたことをクロが言いそうな感じで適当に伝えただけなのだが……
「――っ!はい、クル。必ずクルの元に戻りました。クルもカナもテュラも大好きなのでした!」
妙に高揚した感じで爛々と輝く瞳を年下の少女みたいな無邪気な仕草で向けられ、そそくさとその場を後にすることになった。
部屋に戻り、記憶が勝手に反芻してフラッシュバックする。
俺にとっては事故の映像よりもショッキング映像なんだよ!
(くそっ、年上があんな子供っぽい笑顔をするのは反則だろ)
ドクンドクンと高鳴る心臓に怯えながら考えたのは、なんであいつはここにいるんだという今更な疑問と、なぜ俺の部屋に小さなソファが一台と毛布がセットで増えてるのかという至極もっともな疑問であった。