まめの創作活動

創作したいだけ

黒金の戦姉妹35話 茜黒の境界

茜黒の境界トワイライト・ボーダー

 

気付くことが出来なかった。

存在感を隠蔽する方法が何種類かあることは分かっていたのに。

 

難易度の高い方法では生理機能を停止する。

遠山家にも自らを仮死状態に追いやるとんでもない力技があって、それを子供に習得させようとするとんでもない親がいた。

 

他にも気配を限りなく薄くする、意識を誘導する、認識の範囲外を動く……やり方と工夫次第で人間の認知などいくらでも掻い潜り、誰でも消えることは出来るのだ。

相手の力量や経験の差に影響されることは言うまでもないが、ただ歩くよりも忍び足、夜間は白い服より黒い服の方が存在を隠しやすいし、普通の床より鴬張り、人混みよりも人気のない場所の方が存在を探しやすい。

当然、警戒されていれば成功率はガタ落ちするだろう。

 

 

私が周囲を警戒したのは事態の起こったほんの数分前の事。

交戦状態に入ってからその数分の間に、この距離をどうやって埋めたのか。

 

……いや、違うな。

私が油断していたんだ。

 

陽菜が来られないという話の内容に疑問を持たず、彼女は来ないと思っていた。

 

――『相変わらず気配を感じませんね、あなたは』と、彼女に話していたのは誰だっただろうか?

 

一つ、陽菜は

おそらく長命な兎狗狸も変化の術を習得する際に生物的な気配を消す手段を手にしていたのだろう。

 

二つ、イヅナは射線が予想出来ていたにもかかわらず、回避ではなく防御を選択した。

私の、遠山家の技を見せる事で自身に

 

三つ、自らの手で放った銃口から立ち上る火薬の匂いが煙に巻いてしまった。

さらに、イヅナの手によって作り出された衝撃波……空気の波が、私とフィオナの後方に広がる背の低い草原に潜んだ陽菜と兎狗狸の匂いを吸い込んで、冬に向けて色を失い夕陽の茜色が重ねられた雑草の中に隠したのだ。私の嗅覚の

 

たとえ、陽菜も兎狗狸も生理機能を停止することが不可能だとしても、れば――可能。

時代を超え、イヅナにとって、私を出し抜く事など容易い事だったんだ……!

 

 

「フィオナ……!」

 

 

私は腰を曲げたまま振り返り、その姿を見つめていた。

臍を固める暇もなく、背後から刻まれた一撃に全身を硬直させたフィオナ。

グラリと一歩だけ前に踏み出した右脚を軸にしようとした彼女の体は、力が入らずに折れてしまった膝と共に露出した固い土の上に倒れ込む。

直前に発砲したライフルの銃床も大地へと立てられていたが、しな垂れるように抱き着いた上半身を支える力は腕にも残っていなかったようだ。

 

(毒……か?)

 

ただのダメージで意識も失わずにあそこまで筋繊維がこわ張ってしまう事は無いだろう。

神経、痛覚増幅の毒か、はたまた筋縮を促す特殊な武術か。

いずれでも陽菜の攻撃は確実に1つの戦力を奪ったのだ。

 

血の気が引き、生気を失った表情のフィオナは、背後に立つ2人にも、牽制弾の回避で意識が逸れたイヅナにも気付かれないように、数回のウィンクと1度だけの言葉を呟いて、顔を落とす。

狙撃銃が彼女の身体から離れるように続けて倒れ、揺れる灰白色の一束が、追うように着地した。

 

(……一本、取られたな。ここは、まいったと言っておくべきか)

 

射線から逃れる為に大きく後退していたイヅナはもう体勢を崩していない。

私がこっそりとフィオナの言葉を聞いている間に持ち直し、最早構えすら取る気もないようだ。

 

ただ、距離だけは取られている。

こんな状況でも警戒はされてるんだな、私って。

 

 

「ぽぽ? もしかして、もしかしなくても、あっし要らなかった?」

「案ずるな、兎狗狸が居ったからこその作戦じゃ。なかなかに小狡い策を思いつくものよ」

「えっ……? イヅ、違うよ。思念で伝えたでしょ? あっしは思念が繋がらないから『殿中』を飛ばしたんだよ??」

 

 

イヅナと兎狗狸の間に変な空気が流れ、波紋のように一帯へと広がっていく。

陽菜も槌野子も、その重みのある空気に心肺を痛めまいと呼吸を弱めた。

まんまと謀られたのは彼女達も同じらしい。

 

だろうと思ったよ。

この日本代表の人達、妖怪やら忍者やら名乗ってるくせに、騙し合いとか化かし合いが上手じゃないもんね。

一菜は少しだけ腹芸も嘘も出来るけど、嘘を吐くとすぐに目が笑うもんなぁ。

 

だからこそ、私騙されたんだ。

陽菜は来ないんだろうって。

 

 

「ぬ? ……はて、では陽菜よ、あの電話は?」

「電話にござるか? お恥ずかしながら、某、ケータイを何者かに持ち去られた次第にて如何様にも連絡が取れず、予ねてより伺っていた強襲科の演習場におりました」

「なんじゃと? 強襲科の演習場などで決闘なぞ出来る訳が無かろう。朝の電話ではこの広場と伝えたはずじゃぞ」

「ええっ⁉ あっしは真反対の南西方向にある森って聞いてたよ?」

「兎狗狸よ! 貴様は何を聞いておるのじゃ⁉」

 

 

しかし、この様子だと三松猫が2段構えで潜伏しているとは考え難い。

彼女達もまた謀られた側。ただ、その手腕はお世辞にも良いとは言えないものだ。

 

(偽の電話による誘導……。いや、たぶん彼女ではない)

 

だから一瞬だけ過ぎった顔は……たぶん違う。

彼女が日本を陥れようとしたならこんな失策を――この状況を狙って起こすことは出来そうだが――犯すとは考えられない。

 

「……黒思金か……?」

 

私が次の犯人候補を探し当てたのと、イヅナが口をついてその名前を出したのは同時。

一菜もチュラの声真似に騙されて、私と対話の機会を持ったことがあった。

だが、今度はあの子がここまでの計画を独りで立てられるとは思えない。

 

 

陽菜の携帯を盗むのも、思念の妨害も、朝の時点から嘘情報を流して回るのも、よくもまあ上手くやったものだが、三松猫以外は辿り着いてしまった。

協力か私怨かは知らないが、その先は投げっぱなしでお粗末。

だ。

 

日本代表のみを潰すつもりなら大失敗。

両サイドと敵対的で、私達を相討ちにさせようとしていたなら……成功かもしれないけどね。

そうだとすれば、どこかで見張っているな。

 

 

「三松はどうした?」

「見てないよー」

「……兎狗狸よ、殿中を飛ばせ。三松を探すのじゃ。璃々粒子の濃度は極薄く、思念を妨害する規模ではないぞ」

「ぽぽっ? 干渉?」

「否、『回折』じゃ。効果時間が長過ぎる。数人の超能力者に的を絞った物じゃろう。我らがここで思念を使えるとあれば、効果範囲も狭いしの」

 

 

会話が長引いたおかげで、幾分か痛みが弱まった。

 

前方には無傷のイヅナと武装を組み終えた槌野子、右方向には怪訝な顔でフィオナの状態を確認する陽菜とまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私とパーフェクトゲーム目前の4者。

 

 

 

状況は――――

 

 

 

「ふむん、残念ながらここまでじゃの、クロ。少々拍子抜けするが、終わりじゃ。付近で戦闘が起こっておる……思金がおるぞ」

 

イヅナが両手の手甲銃を、重量でたわみ切ったレッグホルスターに下げながら、決闘を終了させるような事を言い始めた。

今はそんな事より、三松猫を探すのが先だとでも言わんばかりだが、終わらせたいなら言葉が違うんじゃないか?

 

「イヅナ、喧嘩の終了の合図は覚えていますか?」

 

息を吸うと血の味がするから喋りたくはないけど、指摘しておこう。

覚えているなら口に出すといいし、覚えていないなら考えてみればいい。

あなたが何を口にしようと、変わらないんだから。

 

「……そうじゃのう。我らの喧嘩は、こう終わるんじゃったな」

 

喧嘩の記憶は残していた、か。

じゃあ、私も返してあげますよ。

最高の笑顔で、ね?

 

 

「もう、やめ――」

「やめませんよ、イヅナ! 私達の喧嘩が壱番勝負で終わった事なんてなかった!」

 

 

 

 

状況は――――五分五分だよ。

 

 

 

 

――パァン!

 

 

 

不可視の銃弾が1発だけ、陸上競技のスターターピストルとなって合図する。 

上体を倒したまま起こさず、目だけでイヅナを捉えて走る。

銃弾は私の右側に、真っ直ぐに、固い土の上――陽菜の足元に向かって放たれた。

 

飛ぶように迫る私をイヅナは笑顔で迎えているが、その防御態勢はあやふやで、笑った目に余裕の色はない。

この絶望的にも見える状況で、追い詰められた私が何をするのか分からないんだ。

 

だから今、彼女は防御を捨てて迎撃を選択したのだろう。

力で押さえつけて攻撃させなければいいのだと。

 

「助太刀致す!」

 

足元を撃たれた陽菜が他の2人よりも早く気を持ち直し、意識を私に向けた。

そして、側面から回り込もうとして間に合わないと悟ったのか、棒手裏剣を投擲する。

 

 

パァン!

 

 

それをくびきで撃ち落とす。

正面からぶつかり合って変形した銃弾と棒手裏剣は、陽菜の方へ押し戻されて地面に落ちた。

 

「なんと天晴れな技なり……」

 

陽菜は私を止められないと判断するや否や、再び体勢を地面スレスレまで下ろし、気配を消しにかかる。

またしても攻撃後の隙を狙うつもりだろうが、そうは問屋が卸しませんよ。

 

私が彼女の足元を撃ったのは、注意を向けさせる為だけではない。

そこには何があったか。いや、いたのか……

 

 

目の前では、腕2本を伸ばせば届きそうな距離で、イヅナが両腕を外側へ開くように振るった。

扇状に広がった衝撃の波が私を押し戻し、骨まで砕かんと猛威を奮う。

 

「クロよ! 来られるものなら来てみるが良い! 我のエネルギーを越えてのう!」

 

彼女としても、これを越えられたら確実な守り手を持たないのだ。

これまでで最も強大なエネルギーを込められた扇覇が視界の全てを侵し、向こうの景色を歪に見せる。

 

回避の手立てはない。

回避の成功率は0パーセント。

 

だって試行回数が0回なら、計算する必要もない。

避ける必要が無いのだ。

 

 

もう1度だけ言っておくと。

裏返した私は、勝つことを主眼に置いた

 

それが例え敵の攻撃だろうと、利用できるものは利用する。

それが例え自身を脅かす方法だろうと、勝つためには攻め続ける。

 

 

死ぬことだけは、絶対に許されないけどね。

 

 

両脚を大地から浮かせ、身体を丸めて全身の抵抗力をゼロにする。

そこに襲い掛かるのは現状のイヅナが使える100パーセントの力。

 

 

(お借りしますよ、あなたのこの力)

 

 

身に受けたその暴力の全てを、秋水で体中を素通りさせる様に体内で渦巻かせる。

初めの内は骨の軋む痛みが随所を襲ったが、途中からは完全に衝撃を余すことなく扱えているようだ。

 

取り込み切れなかった衝撃の一部によって、私は後方へ。

気配を断って、私の不意を打とうとしていた陽菜の所まで凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 

 

 

――ダダダダァーン!

 

 

 

さらに、私への注目度が最高潮に達したタイミングで、ドラムロールの代わりに連続した射撃音が響く。

4発の銃弾は私の前方に、真っ直ぐに、私の攻撃を未然に防いだことで安堵した……イヅナの防弾制服に向かって放たれた。

 

 

攻撃直後の彼女は――隙だらけだ!

 

 

「がふっ! ……ぐうぅ……、なんじゃ、と……?」

vier4発……」

「イヅ……っ!」

 

 

フィオナが決めた。

彼女の覚悟にはまいった、1本取られたよ。

 

陽菜の不意打ちを受けた時、フィオナは冷静に自力での打開は出来ないと判断していた。

存在感の隠蔽を図り、一時的に戦闘を離脱したのだ。

 

――自らの指先で触れた殺生石の力によって。

 

箱庭の宣戦の日、一菜のお守りはフィオナに預けていた。

食堂での作戦会議では、接近戦が弱点の彼女が狙われた際、危険ではあるが対策として利用するつもりだった。

こんな形で利用する事になるとは。

まさかまさか、この状況下であんな博打に出るような子じゃないと思ってたのにね。

 

倒れ込む彼女が妙に脱力していたのは、陽菜の術ではなく殺生石によるもの。

気絶の直前、フィオナの唇を読唇した。

 

Shoot me私を、撃って

 

提案されたのは痛みによる覚醒の手段。

一応、着弾の角度を浅めにとったものの、内出血になってるだろうな。

いやはや、肝が据わっているというか……後で謝ろう。

 

 

武偵はやられたらやり返す。

フィオナがやり返した今、次は私の番だ!

 

地面を何回転も転げ回り、天地が行ったり来たりを繰り返す中で、不明瞭な視覚情報を頼りに、思いっきり右足で踏み込む。

泥に踏み込んだかのように足が大地にめり込んで、空気を撫でるかのように手が制服の上に添えられた。

 

 

「『勾玉』ッ!」

「な、何故なにゆえ意識が飛ばず……うぐぅっ⁉」

 

 

 

勾玉で扇覇の衝撃を掌底の威力に変換させて、驚き姿勢を立たせてしまった陽菜の身体に打ち込んだ。

重力だけが勾玉の対象じゃない。

……それが分かった所で、活用の場面があるとも思えないものの、エネルギーの使い方は私だって十分心得てるつもりだよ。

 

そりゃ、あんな衝撃をまともに受けたら意識も吹っ飛ぶだろうけど、だからこそ受けないようにやり過ごしたんじゃないか。

オマケに、その力を最大限に利用させてもらったしね。

 

おはじきのように、私から衝撃を受け取った陽菜は数m滞空した先で意識を失った。

一般人なら命に係わるような光景だが、こと武偵に至っては騒ぎ立てる程の事じゃない。

 

 

後方には負傷したイヅナと前衛を失った槌野子、前方には意識を失った陽菜、左方向にはまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私とフィオナがそれぞれの敵を見据える。

 

 

「あれ? あっし、人数的にハブられてない?」

「イヅナ、あなたが警戒していた通り、私は大逆転をして見せましたよ?」

「……そのようじゃ。まさか殺生石と『衝波扇陣』――我の力が2人共に利用されるとは全く予想も付かなんだ。しかし、それで勝ったつもりかの?」

 

 

ああ、そうか。

喧嘩の終わりは違う言葉が必要だったね。

 

嫌な予感がするけど、乗ってあげるよイヅナ。

あなたも大概、負けず嫌いだからね。

 

 

「決闘は終了ですよ。さて、もう、やめ――」

「やめんぞ、勝負はまだ……着いておらんからの!」

 

 

読み通りの返し、からの予想外の反撃。

 

世界が一変した。

前後左右、茜色の空が見えていた上方も、一色の中に影もない、真っ白な布に包まれる。

 

 

前後不覚の無限蚊帳あっちこっちのかやまつり!」

「ッ!」

「クロさん!」

 

 

フィオナの叫びを最後に空間が切り替わるような感覚に襲われる。

さっきまで話していたイヅナもいない。

人の気配が消えた。

代わりに聞こえてくるのは――

 

 

【ぽっぽっぽ! お主さん達はあっしを軽んじていたようだね】

「……」

 

 

得意げに笑う兎狗狸の声だけ。

前に歩いてみると、ほどなく一反の純白な、絹の様に滑らかな肌触りの上質な布に行く手を遮られる。

厚みのある蚊帳を右手で暖簾をくぐる様に退かすと、その向こう側も真っ白な布に包まれた空間。

布で出来た小部屋と言ってしまっても過言ではない閉鎖感だ。

 

光量も一定、が、違う。

この布自体が、淡く発光しているぞ。

 

抜けた先も抜けた先も、前に進んでも後ろに戻っても。

スイッチの入った情報処理能力でも、右も左も、すでに分からなくなった。

認識力の問題じゃない、どこに進んでも進行方向は時の流れのように一定なのだ。

 

 

【どうかな、お主さーん? もうどうしていいか分からないでしょー? あっしの蚊帳は無限に続くからね!】

 

 

一々自慢っぽくしゃべるのにはイラっと来るが、自慢するに相応しい能力かもしれない。

時間稼ぎとして考えればかなり優秀だ。

 

これは確かに無限の迷路。

出口なんて用意されていないんだろう。

 

 

――――仕方ない、実力行使に出よう。

 

 

ビッ! ……ギ、ギ、ビィィイイイイ――

 

 

【ここはあっしが作り出した虚の重力圏内……ってぇ、なにやってんのー⁉】

「え、裂いたら出られないかなーって」

 

 

マニアゴナイフで裂いてみた。

が、その向こうにも同じ布がはためいているだけ。

 

 

【び、ビックリするなー、もう。虚の世界でそんな雑い行動をされると困っちゃうんだよー!】

 

 

怒っている以上に焦っている。

絹を裂いたような、っていうかまんま裂いた音が悲鳴のようにこだまして、空間全体が揺らぐ古びたゴンドラような不安定さを覚えた。

 

兎狗狸の言葉に偽りはなく、もっと迂闊な行動を蓄積させていけば、プツンと綱の切れた籠みたいに落ちて行きかねない。

本能的な警戒心がそれを察知した。

 

 

【いい? ここに入った時点で、お主さんは抜け出せないの! あっしは正一位の大大将、金長様の作り出した"永劫に虚と現実の彼処此処あこここを行き来する神宝"、『阿波金殿中アワカネノデンチュウ』を授か……えっと、今のは無しで。うえーっと……色々あって預かってる状況というかなんというか――】

 

 

勢いづいて説明をしようとしていたが、勝手に自慢話につなげようとして自滅、勝手に尻すぼみな語り口へと遷移していく。

結局何が言いたいんだ?

 

姿形も見えないし、しっかりと言い切って貰わないと会話が成立しないんだけど。

 

 

「で?」

【――いやでも、あっしもちょっと位認められて……で?】

「で? ここからはどうすれば出られるんですか?」

【ぽぽ! だーかーらーっ、出られないんだってば! 一人じゃ出られないのはあっしも一緒だけど】

 

 

ふむ、私を置いて1人では出られんとな?

どうしてだろ。

 

おしえてー、とくりせんせー。

 

 

――ビリィッ!

 

 

【あ、あ、あああーーーッ! また破ったでしょ! 嫌な音が聞こえたよ!?】

 

 

なんだ、こっちの動きは見えてないのか?

 

 

【行ったり来たりする時に、前後で質量は変わっちゃいけないの! あっちとこっちで質量に差が出ちゃうと、最悪、負の質量を持った空間がもう片側に漏れ出ちゃったりして、普段は極々微細の重力点が不安定に大きくなって超重力場が発生するから大惨事なんだよ!】

 

 

あれ、この子意外と頭が良いのか?

SFみたいなことを言い始めたぞ?

 

んーと?

つまり?

 

 

【だから代替品を入れ替えるように向こうに置いてきたの。でもでも、もし、片方だけがここを出ちゃうと、当然、双方の空間的質量に差が出ちゃうでしょ?】

 

 

なるほど、私と兎狗狸を足した質量と同等の物質が、この真っ白な世界から入れ替わりに送り込まれたわけだ。

もし私をここに置いて兎狗狸だけが帰った場合、その重力点とやらが超重力場――ブラックホールみたいなものか――を発生させてしまうと。

 

 

【あっしは岩に化ける時には周囲の物質を一時的に取り込んでるんだけど、お主さんはその周囲の物質に該当するいわばあっしの装備品みたいな……】

 

 

ああっと、私が大人しく聞いていたから調子づいてきたね。

岩じゃなくて苔石だし、誇張表現しすぎ。

 

んじゃま、そろそろお暇しますか。

決闘の最中ですし、ここでのんびりと己を見つめ直す機会を持つつもりはない。

 

 

「兎狗狸やーい」

【――こんなに頑張ってるあっしを、うっ、うっ。玉藻様はおろかイヅも……ん? どうしたの? あ、お茶飲む? いいよいいよ、生物の質量が変わる分くらいはあっしが計算してあげるよ。木の葉十数枚を混ぜ合わせておけば上手く行くもんだからさ!】

 

 

雑いなぁ……ほんとに帰れるのかな、この子と一緒に……………

 

 

「いえ、お構いなく。さっきそこの布を裂いてみたら帰れそうな道を見付けましたから」

【……ぽっ?】

「先に戻っていますから、あなたもイヅナに怒られない内に帰った方がいいですよ」

【ぽっぽぽん!? え、ちょお、待って! 勝手なことすると本当に危険なんだって……】

 

 

………………

 

 

【え? うそ? 本当の本当? う、えっえぃ? お主さーん! ど、どこに行ったのー!?】

 

 

………………

 

 

【ぽ、ぽぽぽ! ぽぽぽぽーッ!! イヅー! ごめんなさーいッ! すぐに戻るから、逃げてぇ~ッ!!】

 

 

 

(白い布が昇っていく。あの布の発生源はあそこに飛翔してる赤色の半纏だったのか)

 

貰い物なら全てを把握していないだろうと踏んで騙してみたけど、上手くいったようだ。

 

結局、揺れるゴンドラから降車しただけで、重力場を通って移動したという感覚は湧かない。

それ自体が強力な幻覚による異常な現象なのかもしれないな。

 

なんにせよ、平気なフリをしていたが、あの中にいる間は生きた心地はしなかった。

あの世とこの世の通過点、その一端を垣間見た様な気がして、未だ全身を駆け巡る悪寒が抜け切らず、肌が粟立つような気味の悪さが心を侵食している。

 

 

「"イヅーッ! ごめんなさーいッ!"」

「"ぬぉおう!? 兎狗狸よ、いくら何でも戻るのが早過がぼぁッ!"」

 

「フィオナ!」

「お帰りなさい……クロさん。しっかりと耐え抜きましたよ、一菜さんの攻撃を……」

 

 

泥だらけで、ガチガチの笑顔で出迎えてくれたのは、フィオナだ。

向こうの時間とこっちの時間に大きなずれは無さそうだが、だとすれば接近戦の全く出来ない彼女がイヅナと……おそらく準備の整った槌野子の総攻撃を耐えたという事になる。

 

確かにイヅナは負傷していたが、あの頑丈で精神力の塊みたいな奴がそうそう弱みを見せるとも思えない。

一体、どんな手を使ったんだ?

 

 

「驚きましたよ。通信空手でも始めていたんですか?」

「カラテ……とは、東洋武術でしたか。やっていませんよ、そんなもの」

「じゃあ、どうやって……」

 

 

イヅナの攻撃を、と言い掛けてフィオナに抱き掛かる様に跳んで回避する。

 

反射ではなく、感覚で跳んだ。

そうでなければ間に合わなかった。

地面から煙が上がり、少しだけ色も濃くなったように見えるのは……この焦げ臭さから、熱量による攻撃の仕業だと分かる。

 

となれば、その狙撃を行ったのは1人しかいない。

 

 

『なぜ、避けられたの?』

 

 

槌野子は何も発言をしないが、首を傾げる挙動は私達と同じ意味合いを持っていそうだ。

なぜ、私が避けられたのか、それが不思議なんだろう。

だって私も分かんないし。

 

それより、フィオナ。

私が兎狗狸とショートコントしている間に、またミルクチョコでも食べたの?

匂いだけで口の中がすっごい甘ったるいんだけど。

 

 

「彼女はずっと、あなたが戻ってきた瞬間を撃つ為に狙いを定めていました」

「……それなら、今のが彼女の第一射なんですね?」

 

 

どこまで警戒してるんだよ、イヅナは。

 

実際に脱出して来ておいておかしい話だが、虚の世界とやらに迎え入れられたら戻って来ないだろう。

その間にフィオナを……って魂胆だったんだろうけど、それでも槌野子を私の監視と迎撃に回したのか。

 

 

「フィオナ、狙撃手として、彼女の弱点に予測は付きませんか?」

「排莢の必要なし、弾倉の交換の必要なし、風の考慮も弾道計算の必要もなし。あれを武器にしている時点で普通ではありませんが、狙撃手として可能性の弱点を挙げるなら接近戦くらいでしょうか」

「やっぱり接近するしかないか……」

 

 

弱点はありませんか、なんて無茶ぶりだったか、うん。

両目を閉じたまま、望遠鏡越しにこっちを見ている小さな少女は、それ自体が武装

 

日中に浴びた太陽光を体内に熱エネルギーとして蓄積させているらしく、目を開くと照射。

照射線を限りなく細くしていくことで超高熱の光学兵器並の威力を出せるそうだ。

未知なる脅威への対策として実験体に、そして代替として視力を失ったが、彼女曰く一石二鳥との話。

視力を失う事が一石二鳥っておかしな話だよ。

 

 

……ん?

目が見えないのにどうやって狙撃してるんだ?

 

 

謎が謎を呼ぶ生態だが、そもそも超常生物の体内なんて誰に聞いても分からんだろう。

結果、答えはこうなる。接近戦しかない、と。

 

そうなれば、障害は大きい。

でっかい岩が、こっちを見ているのだ。

 

 

「兎狗狸よ、下がっておれ。殿中も大分消耗しておろう。陽菜は無事じゃな?」

「うっ、うっ、うっ。無事だよ、『不覚にござる……』とか言ってたもん……」

「手遅れとなる前に三松を探してまいれ」

「……うん、分かった、あっしさんしょを探す。だから、イヅ……」

「言うたであろう、案ずるなと。苔石が我の代わりに仲間を探して来る、それ故に、我は憂いなく戦えるのじゃ」

「うん……うん! あっしは兎・狗・狸だよイヅ! 行ってきまーす!」

 

 

親子岩から子岩が離れて疾駆する。

親岩はまだ、動かない。

その場所から、動かない。

あいつは頑固だからな、岩みたいに。

 

それに、なんだよ兎狗狸の前だからってカッコつけちゃって。

私には弱々しく甘えて来たくせにー……記憶はフィオナの持つ御守りの中だけど。

 

 

「血の味じゃ、我が討たれたあの戦を思い出すの」

「『扇覇』ですか?」

「ほっほっげほぉッ!」

 

 

私とお揃い。

口の端からへったくそな口紅みたいな、赤い化粧が流れちゃってますよ。

 

どちらがどちらもこの2人の間の空間が煩わしくて、歩み寄る。

つい先刻、吹っ飛ばされたばかりの腕2本分の距離まで。

この距離が、今の私達の距離。

 

 

「やれやれじゃ、クロに1本取られたと思っておれば、フィオナにも1本取られてしもうた」

「やれやれですね、今更じゃないですか。今まで一緒に居て、私が何本取られてきたと思ってるんです?」

 

 

笑えて来ちゃうよね、互いに血反吐吐いてさ。

それでも意思と意思とのぶつかり合いは続いてる。

 

でも、納得してないもんね。

私はまだ、イヅナに一撃も返してないんだからさ!

 

無理かもしれない。

私とイヅナがぶつかり合っても、どっちも割れない。

それでも、一発は返さないと気が済まないんだ。

 

 

「フィオナ」『槌野子よ』

 

 

イヅナは思念で槌野子に話し掛けながら、小さく復唱するように、同じ考えの内容を口に出している。

ここでもまた、彼女と繋がれている気がして嬉しくなった。

 

 

「最後は私とイヅナで」『大将戦で決めようかの』

「そんな……接近戦を挑むつもりですか?ダメです!撃ってでも止めます!」

 

 

 

止めて!

 

イヅナも何を言われたんだか、激しく顔が引きつってるし。

後衛のお2人さんは納得がいかないみたい。

 

違う違う、イヅナはそういうつもりだったかも知れないけど、私は違うからね?

後ろから撃たないでね、フィオナさん。

 

 

『止めんか!クロは其様な事を考えておるかもしれんが我は違うのじゃ!』

 

 

おい、そこのケモミミ黄茶髪。

人に罪をなすり付けようとしてるんじゃないぞ?

 

 

「互いに前衛を倒した方が勝ちって事で」『クロならば多少の穴が空いたところで問題あるまい』

 

 

おい、そこの金毛尻尾ヤロウ。

黙って聞いてりゃ、人の身体を何だと思ってんだよ。

 

 

「なるほど、先に代表戦士を下したチームの勝利と」

 

 

ちょ、向こうの狙撃手も頷いた! 穴開ける気!?

調節して火傷くらいに収めてもらえると嬉しいんだけど。

 

 

イヅナが2丁の手甲銃を手に取った。

空はもう夕日が沈みかけ、ローマは紫色の夜空へと変わって行く。

その中でも、イヅナの茜色の双眸はその色が夜空に浮かぶストロベリームーンのように妖艶で、惹き付けて離さない。

 

 

……ドクンッ

 

 

この感覚は……?

 

おかしいぞ、もし私の実験データと過去の前例による仮説が正しいなら。

今、この場でこの状態に成れるのはおかしいんだ。

 

だってこのヒステリア・セルヴィーレの発動条件には、"守る、守られるの関係性"もしくは"絶対の依存性"が必要なはずだから。

 

今のイヅナが私に助けを求めることはない。

でも、この全身を麻痺させるような甘くて、ほろ苦い、どこか野性味のある私を翻弄してやまないこの香りは……

 

 

――一菜のものだ!

 

 

イヅナが似ているから――その芯の強い瞳が、そのキュートなダブルテールが、その金色の稲穂の様なフワフワの両耳が――一菜を呼び起こした。

 

波が立ったのだ。

救いを求める心を探し当てた、私自身の意識によって。

 

そうか、そこで見ててくれたのか、一菜。

ずっと、チームのメンバーとして……隣に居てくれた。

 

 

動けば、始まる。

始まれば、終わる。

終われば、決まる。

 

 

私の簡単スリーステップだ。

決めてやるよ、一菜。

あなたをまた、チームへと迎え入れる為に!

 

 

「フィオナ! 私を守る、仲間の力を下さい!」

「クロさんを守る……仲間…………ッ! はい、今すぐに、撃ち届けます!」

 

 

 

――動く。

 

 

 

私が動き出したのに少し遅れて、焦ったイヅナが左腕で扇覇を振り上げようとするが……

 

「その技はお腹いっぱいですよイヅナ!」

 

その左腕の動きを上から押さえるように右腕を振り下ろした。

移動距離がある分、私の手は届かない、間に合わない。

 

そして、今回はフラヴィアの時とは違う。

あいつの暴力を止める力が私にはない。止められない。

 

 

 

ダァーンッ!

ビシュンッ!

 

 

 

さらに逡巡の後に狙いを定めたフィオナの一発と、知覚不可能な恐ろしい速度で迫る槌野子の光線が双方、私の右手の表裏に衝突して真っ赤な茜色の花と真っ白で小さな茜草の花を弾けさせた。

 

熱くて痛いけど、大火傷で済んでる。

レーザー治療みたいに切除じゃなくて焼き入れ状態で、貫通はしてないみたい。

それでも普通は反射的に手を引きそうだけど、引いてたまるかってんだ!

 

 

受けた、受け止めたぞ!

私の本当の仲間達の力と、思い!

 

 

質量の無い槌野子の光線は手の甲の肌を焼いたが、掌に当たったフィオナの質量を持った一発が押し勝つ。伸ばした腕を前方へと加速させた。

一気に距離が縮み、一瞬だけ浮いた両脚もすぐに大地を踏み締める。

 

 

――動けば、始まる。

 

 

「お、愚かな真似をするものよ、血迷ったか、クロ!」

「間に合わなきゃ、またあなたは私を突き離そうとする! それを防いだだけですよ!」

 

 

――――ドクンドクンッ!

 

 

来たぞ、大波が!

一菜が――私の右手に抱かれた、一途で、魅惑的で、大好きな少女が!

 

窓枠を、ぶち破って、私の中に流れ込んできた。

大波小波が間断なく、私の心目掛けて一直線に、引き波すらも押し返して、迫る。迫る。

重力を損ない、横向きになった瀑布が止まることを考慮していない速度で到達した。

 

息も出来ないのに、苦しくない。

呑まれているのに、意識が覚醒する。

この激しい感情表現は彼女そのもので、人の迷惑も考えない超アクティブな抱擁を思わせるのだ。

 

だから、波の全てを私も包んでいく。

雫の一滴たりとも手放さないように、この気持ちを伝える為に。

 

 

 

「一生そばにいると約束した。だから、あなたはそばに居てくれたんだね」

 

『とーぜんでしょ? クロちゃんはすぐに無茶するんだから』

 

「一菜には言われたくないかな。お願いだから、私の前では自分を傷付けるようなことはしないで欲しい……分かってくれるね、一菜?」

 

『う、うぐ、そ、そんな言い聞かせみたいなことされたってあたしは……』

 

「目を逸らさないで、一菜。寂しくて、私が消えてしまいそうになるよ」

 

『え、消え、消えちゃだめだよ! クロちゃ――』

 

「そう、それで良いんだ、一菜。一菜は私の事だけを見ていればいい。一菜の敵はなんだって、私が吹き飛ばしてあげるから。一菜はただ、私の隣で、笑っていてくれればいいんだよ」

 

『あ、あふ、ふわぁぁ……ぎ、ぎぶ…………腰に力が、入らな――』

 

「ふふ、初心だ。どうか、可愛い一菜のままでいておくれ。いつまでも瑞々しく、赤く甘く熟れて行くあなたを、一生愛でていたいんだ」

 

『か、かか……いっしょ……ッ!!』

 

「戦うのは、意地になった頑固者同士だけでいい。一菜、あなたは最後の、あなただけの役割を果たしておくれ」

 

『あ、みゅ、う、んっ…! うん……っ! 分かった、クロちゃんに任せる、信じてるから。ずっと――っ!』

 

 

 

 

 

視界が波の奔流を見失い、1人の少女を収めた。

目の前にいるのはイヅナ、もう一人の一菜だ。

 

それなら、傷付ける訳にはいかないかな?

 

 

「なぜじゃ、なぜ、我の力が止められ……! いつの間にッ!」

「気付いたかい? ま、それも当たり前か、だって殺生石はあなたの力なんだからね」

 

 

今、私とイヅナは手を繋いだ。

仲介役は右手に受け止めた御守り、かな?

 

 

イヅナの手首をすっと撫でると、滑り落ちるように左手の手甲銃が落下した。

そこへ、ダンスパートナーの交代時間を待っていた私の右手が滑り込んで――いわゆる恋人繋ぎで、つかまえる。

 

 

「おのれ、何故クロが持っておるのじゃ!」

「おや、忘れちゃったのかい? あなたが私と愛を誓う為に差し出してくれたんじゃないか」

「"わわわ、わいはぁッ!? そ、そそそ、そったらえふりこぎな事ばりへってればせ、我もじゃわめいでまう……!"」

 

 

ふむ、どこの方言だったかな?

確か星伽神社の来客様に同じような話し方の人がいた様な……?

 

 

「"ん? 何て言ったんだい?"」

「知らぬわ、この戯けもんがッ! 終わらんぞ、まだ、我は負けてはおらん!」

 

 

答えのないままに、彼女の右腕が顔面へ殴打を仕掛けて来る。

 

でも、もう離さないよイヅナ。この手と手は、ね?

 

自然な形でイヅナの鼻先まで近づけていた顔を軽く引いて拳を、そのまま上半身まで反らせて衝撃波も避けてみせる。手を繋いだまま。

 

 

「ダンスは慣れてるかい、イヅナ?」

「舐めくさりおってぇ~……」

 

 

イヅナの腕を引き、合気道の要領で反抗的な暴威を導いていく。

彼女自身の力で、彼女の攻撃が舞の如く苛烈で絢爛な動きとなる様に、その攻撃を決められた立ち回りで踊る様に避けていった。

 

狙撃手はどちらも動かない。

2人の舞人が激しく優雅に表と裏を繰り返し、射線を絞らせない。

この舞台の成り行きを静かに見守り、その瞬間を、息を止めて待っている。

 

 

「貴様ぁ……根競べのつもりか? 我の生体エネルギーと真っ向から挑もうなどと……」

「うーん、流石イヅナだ。無理があったね、足元も覚束なくなってきたよ」

「……手を離すか?」

「名残惜しいかい? それは、あなた次第かな」

 

 

一拍あったな。

声のトーンも微妙に落ちた。

 

だったら、私だけがバテてるなんて情けないや。

一菜もまた、私の代わりにエネルギーを注いでくれているのだし、もうちょっと、舞踊のリードを務めさせて頂こう。

動きを止めたら、お客様槌野子に撃たれるしね。

 

 

良し、折角の舞楽だ。

今回も1つ、決め歌を作ろう。

 

 

 

 

 

あかねさし

  てれりほゝこゝ

      はいがいの>

 

ちしあいのて

    めぐるひとなり>

 

 

 

 

 

イヅナ、あなたにはこの短歌を送るよ。

純情で、素直じゃないあなたにピッタリだと思う。

だから、争いはここまで。これで終わり。

あなたが諦めるその結末で、ね?

 

 

 

「『茜拍邏センピョウラ』――――」

 

 

 

伴奏も手拍子も無い2人だけの社交ダンスは僭越ながら私がリードを取らせて頂いた。

向かい合って組み合う基本の姿勢のまま、平原を跳ねまわる2匹の獣のように、1秒間に何度も何度もステップを刻む。

 

右手が熱い。

殺生石が活性化しているのだ。

額を流れる汗が大きな粒になり、熱に浮かされた体がステップを踏み違えそうになる。

 

 

無数の足跡が地を奔り、演目はアップテンポなクイックリズムから徐々にスローペースに変遷した。

示し合わせなど必要ない。

息の合ったパートナーは私のリードに抵抗せず、為すがままに反転する。

 

 

――数分の間に何度ひっくり返っただろう。

イヅナの息遣いに明らかな異常が現れ始めた。

 

「何が……一菜さんに何が起こっているんですか……?」

 

彼女の動きが鋭さを失い、遂にはダンスパートナーである私に付いて来られず、足裏を地面と摩擦させ始めたのだ。

 

 

「……はぁ、はぁ……。クロ……なぜじゃ、はぁはぁ……なぜ……平気な顔を、して……」

「ねえ、イヅナ。あなたは完全に息を止めた状態、全速力で何分走れるのかな?」

「何の……はぁ、話……くっ、苦しい、はぁ、息が――ッ!」

 

 

クンッ!

 

 

イヅナが酸素を求め、息を吸おうとするタイミング。

そこで彼女の力を彼女自身の意思で全力で放たせる。

繋いだ右手を瞬間的に握り締め、力んだ彼女の身体が反射的な防衛行動を起こすように仕向けていた。

 

認識の範囲外で、気付かれないように意識を誘導しているのだ。

気配を限りなく薄くし、接近しておいた私の身体を押し退けるように。

 

 

ヒュボウゥッ!

 

 

攻撃の来る箇所は単純明快。

彼女に最も近付いた私の体の一部。

全力ダッシュのようなダンスで疲れ切った彼女は、遠い場所や私の体幹まで腕を伸ばすことを躊躇う。

 

 

無酸素状態では、どれだけエネルギーが作り出せる器官が発達していようと、それを成すための燃焼を行う事が出来ない。

そして、今、あなたはその酸素を失いつつあるのだ。

 

目の焦点も的を離れ、僅かに宙を舞い始める。

私を捉えられなくなって来た。

 

静止させない。

躍らせる、彼女の意思で。

 

体を倒させない。

立たせる、彼女の力で。

 

 

ポス……ポス………

 

 

弱々しい、少女並み力で振るわれた鉄槌打ちは……ほんの小さな子供と変わらない。

それ以前に、立つのが辛過ぎて寄っ掛かって来ているね。

 

 

「はぁ、はぁ……クロ、ぉ…………」

「失神する前に、負けを認めるべきだよ」

「……いかぬ……はぁ、いかん……はぁ、のじゃ……」

 

 

頑固だ。

ここで。ここに来て、その手札を切ろうっていうのか。

 

 

「止めておくんだ。今のあなたでは、『殺生球陣』には耐えられないだろう?」

「試さねば……分からぬ!」

 

 

……全く。

カナの気持ちが良く分かったよ。

 

イヅナこの子は本当の大バカもんだ。

 

 

「イヅナ!」

 

 

本当にバカ一直線だ。

バカバカ村のチャンピオンだ。

 

 

――だから放っておけないんだよ。

 

 

叱責の声は、確実に彼女の動きを止めた。

私は姉さんとは違うから、その一瞬で充分。

長ったらしい説教なんて、出来ないんだからね。

 

 

窓枠から手を引き抜く。

これくらい、自分だけの力で、やらせてもらうよ!

覚悟しいや!イヅナ!

 

 

 

――始まれば、終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"この、あほんだらがぁーーーーッ!!"」

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ゴッチィインッ!

 

 

 

 

 

 

最後の一撃は……岩をも砕く、私の意思だ!

 

 

 

頭が離れ、ふらつく。

もう、私も気力の限界だった。

 

一菜の援護があったとはいえ、殺生石に触り続けていたのだ。無理もない。

イヅナの方も目をグルグル回してるからね……ってぇ! ととといっ!

 

 

ドシャッ! ズシャッ!

 

 

 

――終わったのに、決まらない。

 

 

 

(あー、決まんないなぁ~私って……)

 

倒れゆく一菜の右腕を引く力に連れ立たれて、固い地面にこんばんは。

痛みもぼんやりとしか感じないが、1つ確かに感じていることがある。

 

 

「クロぉ~~……まだぁ~、負けておらんぞぉ~~……」

「まだ言いますか」

 

 

戯言のうわ言。意識はない。

ほら、流石の一菜さんも、本体たるあなたの姿を見て苦笑いしてますよ、きっと。

 

繋がれた架け橋は、離れなかった。

記憶を封じた彼女の心の最奥部では、彼女は私を信じてくれたのだ。

 

 

『あなた次第』、その言葉を信じて。

 

 

「クロさん!」

「イヅッ!」

 

 

武装解除をしたフィオナと、武装放棄した槌野子……あの子走るのおっそ……が駆け向かってきた。

 

なんて顔してるんですかフィオナ。

泣いてから、怒ってから、笑ったような、ごちゃごちゃになっちゃってますよ?

 

そう言って場を和ませようとしたのだが……

 

 

「フィオ――」

「馬鹿です! お2人共、やっぱりバカでした! 無茶しすぎなんですよ、いつもいつも! 後衛の私が、どんな気持ちで戦場を眺めているのか知って欲しいくらいです!」

 

 

 

ペソッ!

 

 

 

叩かれた。

心配して怒っても、相手の容態を鑑看てから勢いを弱めるあたり、理性的だなぁ……

元気だったら狙撃されてるところだけどね。

 

 

 

ペソォッ!

 

 

 

あ、イヅナも叩かれた。

私のより強めじゃない?

え、私判定負けっすか?

 

「でも、良かったです。一菜さんも……無事ではないですが、頑丈ですから――」

 

泣き顔と怒り顔が消えた彼女の顔には、翻然として呆れと……恐怖の表情が浮かべられる。

槌野子もいつしか脚を止めて、空を見上げていた。

 

私が感じていた、嫌な予感。

このカンは外れてくれない。どんな時でも。

 

 

赤味を失い、紫色から黒く変わってしまった空。

 

夕日が沈んだ。

空は夜一色。

 

ローマ郊外のこの場所では、電灯のない平原が点在し、ここもその1つ。闇が支配する世界。

そこには……ローマで3度目の双子の満月が、浮かんでいる。

 

 

「あらまあ、本当に良かったわ、クロ。まずは覇道の初勝利、おめでとう」

 

パチパチパチ……

 

 

頭突いて震える脳内に響く、金属音の様な甲高い声。

掌を打つ音に重なった、コイン同士を当て合うリィーンと鈴なる音。

キンキンと痛みが増すようだからやめて欲しい。

 

 

お願い、かえって。

 

 

意地でも目を合わせようとしない私へと、何が気に入ったんだか笑みを深くしたビアンコの肌の少女は熱い視線を送ってくる。

 

勘弁してつかぁーさい……

 

 

「やっと。そう、やっと見つけられたの。紋章が完全に消えてから、あなたを探すのがとても大変になってしまったもの。ねぇ、また刻んでもいいかしら? だって、会いたい時に会えないなんて、私、耐えられないわ」

 

 

恋人同士みたいなことを言いやがって。

普通恋人の身体に金属製のGPSは埋め込みません。

どこのサイコパスだよお前は。

 

 

しかし、どんなに発言がぶっ飛んでいようと、彼女の存在感はそれに違和感を抱かせない。

彼女の言葉が正しいと、恐れた本能が弱肉強食の最上位に平伏するのだ。

 

満身創痍の身体でも、それでも彼女の誘惑はその人を動かす力がある。

闇色の翼がはためいて、地上に……降り立った。

 

 

『もう、やめる?』――

 

ああ、誰か、私にその言葉を掛けてくれないものだろうか…………