まめの創作活動

創作したいだけ

黒金の戦姉妹32話 首尾の一行

首尾の一行ジャーニー・ガイダンス

 

 

雲一つない青空の下、日本のように四季のあるローマは私が寝ている間に秋へと姿を変えていた。

季節が切り替わり冷え込む朝の気温、予備の新品制服に袖を通して気分を一新させると、不安で浮足立った気持ちがきゅっと引き締められる。

 

カナやチュラが普通に登校していたという話を聞いた私は2人が出て行くのを見守り、疲れや怪我なんて知ったものかとバラトナの制止を振り切って、脚で覚え込んだ学校までの道のりをのんびりと歩いていた。

……ここまでは。

 

 

「おひさー、クロちゃん」

「……待ち伏せですか。お久しぶりです、一菜さん。呼び捨てでなくて安心しましたよ」

 

 

三浦一菜。

1週間と1日前、私が参加した箱庭で喧嘩を吹っ掛けた国々の代表戦士がいたが、その内の1人、日本の戦士だ。

そして私に対して一番最初に宣戦布告――果し状を送り付けてきたクラスメイトでチームメイト。

 

黄味の強い茶髪の尻尾を白いリボンで結わえた少女は、カフェ・ラテのツリ目をゆるゆるに脱力させて、ビューティともプリティとも言い表せない不思議な笑顔を見せている。

一度彼女の魅力に気付いてしまえば、性差は関係ない。もっと見たいと心が収着され、自然と視線を向けてしまう。

 

歌って戦う武偵アイドルが向いてるんじゃない?

歌声を聞いたことはないし、本人の性格を考えれば総合格闘技に出場している方がまだ想像可能な範囲という点を除けば、の話だけど。

 

 

「クロちゃんを呼び捨てにするわけないじゃーん! それとも、なになに? もう一歩上の段階に行こっていうお誘いなの?」

「言っている意味が分かりませんが、上の段階とやらに行けば街中で出会った時に抱きしめるのをやめてくれますか?」

 

 

上の段階に進む、とは?

上とか高いとか高度を連想させる言葉を、一菜の口から聞くとそこはかとなく不安になる。

 

(大抵の被害者は私ですし。いや、他の人が被害に遭うのは危険過ぎるから私にぶつけるのは構わないんですけど。ベアハッグの回数が減るなら一考の価値はあるのかな?)

 

被害者になる前提の考え方は割と末期だとは思うけど、きっと地域の平和に貢献できている事案だと思うのだ。

さあ、三浦家の一菜さん。一体どんな事を想像しているのかは知りませんが、妄想を振り切るように首をブォンブォン横に振ってないでお答えくださいな。

それとも、横に振る反応はやめないって意味なんですかい。

 

 

「えっ……えーと? そ、それはあたしも詳しくないけど……むしろずっと抱き締める感じじゃない、のかな――」

「お断りします」

 

なにその地獄の責め苦。誰が進みたがるんですか、そんな死への近道に。

異次元の段差を登らせようとするんじゃないよ。期待して損した。損するほども期待してないけどさ。

 

「も、もー!クロちゃんったらー、朝から変な事言わせないでよー」

 

朱く色付いた頬を手で覆い、体を左右にブンブン旋回させる一菜。恥じらう乙女の数段上を行くオーバーリアクションには際限がない。ひとりでに盛り上がって興奮してるよ。

 

「話を始めたのも広げたのも一菜ですよ。変な事言ってないで前見て歩いてください。姉さん達を送り出してから内緒で家を出たので、登校時間を過ぎてしまいます――」

 

チームメイトとジャレ合っていて遅刻などリーダーの沽券に関わる。

狙撃手の怒りを買いたくないので、ポニーテールの片腕でんでん太鼓を止めようとした。

 

「――ッ!」

 

頭で理解するより早く危険を察知した脳がスローモーションの世界を作り出した。

肩を触れられた一菜がビクンと跳ね、人間の身体の一部が風切り音と共に迫るのが見えた。正確には左裏拳。

彼女を押す腕を引っ込めて、でんでん太鼓に増設された白制服の軌道上から身をよじる。

 

 

ヒュバォゥッ!

 

 

照れたような困ったような笑顔から放たれるジャレた拳はスローモーションですら避けるのがギリギリで、当たればただでは済まない一撃だ。

狙いが正確で直線的だった為、射線のように見えてさえいれば私には当たらない。おそらくは反射行動による過剰防衛だったのだろう。スイッチが無ければ即入院だった。

パンチ一撃とか、格ゲーならチートの域を超えてるだろ。

 

「それです!それをやめろと言ってるんですよ、いち――」

 

名前を呼ぼうとして声が詰まってしまう。

理由は体の不調ではない。

原因は背後にある。

 

 

「ああっ!ごめん、クロちゃん!まだ制御しきれてなくて」

「……!」

 

 

背後から音がしたのだ。

岩が砕かれるような重い破壊音。こんな街中で落石?と思ったが、違う。だってこちらを向いている一菜は驚いていない。

 

ゆっくりと、振り返った。

 

「……うっ……」

 

しかし、状況が把握できても正常な言葉が出なかった。

 

岩が落ちたんじゃなくて地面が割れている。後方、2m先の地面が。

偶然の地割れではない。あれは――

 

 

「たくさん取り込んだから上限値が高くって……つい、いつもの感覚で動いちゃってさ」

 

 

 

――――一菜おまえの仕業か……っ!

 

 

 

ガラスの上に砲丸を落とした時みたいな、それを拡大コピーして貼り付けた破壊の痕。

目の前の少女は細腕の一振りだけでその砲丸投げを為し、見えない空気の拳は人間なんて容易に蹴散らしてしまう。

こればっかりはバカ力なんて一言で括れない、そう片付けるには脅威度合がサバ折とは桁違いなのだ。

 

さらに彼女の振る舞いを見ていれば分かるだろう。 

普通なのだ。いつも通りの彼女のまま、その力は以前なら頂上付近まで登っていた時よりも……強くなっている。

 

「……一菜、今のあなたにはどんな風景が見えていますか?」

 

確か中腹6合目くらいまでなら正気を保って行動していたな。

それなら考えたくも無いがまだまだ上があることになる。

 

私の質問にトントンとつま先で地面をつついた一菜は、継いで左足で右足のふくらはぎを、右手で左上腕をまたトントンと叩くと、首をひねって答えた。

 

 

「んーと……正直風景が見えないから正確なとこは分かんないけど……道を開拓してないから登るのに時間が掛かってるんだよね。2合目には到着したんじゃない?藪漕ぎは楽じゃないよ」

「2ごッ……!?」

 

 

(これで……2合…………?)

 

山裾の森の中であれだけの力を出せるとなれば、中腹に辿り着く頃にはどんな超人が出来上がるっていうんだ?

一菜の乗能力は私のヒステリアモードスイッチと違い神経系の増幅ではないので、反射神経を伴う攻撃速度が格段に上がるという事はないのだろうが、身体能力の向上による破壊力や移動速度、耐久力と抵抗力の上昇は正に戦闘に特化した強力なものだ。

 

単純な話、私は30倍の神経伝達を用い集中力を消費して攻撃力に変換させているのに対し、相手はその腕を振るうだけで同等以上の破壊をもたらす。私は衝撃吸収の為に、または移動速度の向上の為に関節を、筋力をコンマ秒のズレも無く制御しているのに、彼女は立っているだけで私より頑健で、普通に走るだけで私を追い越せる。

身体的な部分に着目すれば完全な上位互換。普通に戦うだけでは、勝ち目は無くなるのだ。

 

「箱庭が終わるまで下山するつもりもない。頂上に到達したって下山してる暇はない。思金はこの瞬間も、人間の理性を糧にして進化を続けているんだよ」

 

目の前に聳える少女が大きく見えて、まるで自分を公園の砂場に崩落していく砂山に錯覚してしまう。

 

超能力が使えないのがハンデ?

じゃあ生半可な超能力者がコレを止められるのか?

 

殺生石の存在を警戒している場合じゃなかった。

一菜はその存在自体が危険なものに変わっているんだ!

 

 

「クロちゃん。あたしの果し状、受け取ってくれた?」

「ええ、カナから受け取りましたよ。折り返し用の果させろ状を」

 

 

日付も場所も空欄の果し状

しっかり埋めさせていただきましたよ。

 

一菜は「あはは……」と乾いた笑いを返してきたかと思うと、表情をすぐに引っ込めて感情を律した口調を作り出した。

 

 

「箱庭の宣戦で自分が何をしたか、分かってる?」

「あなたの言いたいことは分かっています。私は箱庭の全てを敵に回しました、一菜、あなたの事も、箱庭の主の事も」

 

誰も私に味方

ルールを反故にした私と協力関係になれば、諸共追放の危険がある。

 

「分かってて、それでも、やったんだよね?」

「はい、そうで――」

「なんで?」

 

 

なんで、か。

 

理由は何個もある。

守りたい人達がいる。

助けたい人達がいる。

 

だから、参加して。

だから、宣言して。

だから、こう答える。

 

私には、目標がある。

越えるべき壁がある。

 

そしてその為には絶対的なルールがあることを知っているから。

宣言なんてものよりずっと大事な私のしるべ

 

 

 

 

 

「"義"の為に」

 

 

 

 

 

これが私の憧れを目標とした形、壁の向こう側へと到る決意みちだ。

その道が正しいかなんてのは後世の人間が判断すればいい。だから正義とは言わない、私の導が示すこの道はただの通り道だ。

 

 

一菜はどんな決意を持って、この場所へ至ったのだろうか。

ここで私と交差したことは偶然かもしれないが、互いに譲れないから戦いになる。

 

でも、私に果し状を送ってきたのは、弱いからとか、厄介だからとかではない。

彼女は再会まで私の記憶を捨てなかった。そして、初見では対応できないであろう遠距離技を見せて、自身の力の上昇速度、限界値の目安まで伝えてきた。

 

 

彼女は誰も選ばない死への近道に進んでいる私を見捨てていない。

その意図を汲むのであれば今日にでも戦いを行うべきだ。

 

時間が経てば経つほど、明日になってしまえばどんなに強化されてしまうかなんて予想も出来ない。

登頂速度が遅く不安定なうちに挑まなくては……

 

 

「"義"……ね。ちーちゃんから聞いたよ。クロちゃんとカナ先輩が生まれた遠山の血族は何よりも正義を重んじるって」

「その通りです。私の先祖は代々正義の味方として日本を守り続けてきましたし、それはこれからも変わりません」

「じゃあ何を言っても退かないよね?」

「退きませんよ」

「……どうしても?」

「らしくないですね、そんな未練がましい事言わないでください」

 

 

どうしてそんなに泣き出しそうな声を出すのさ。言いたいことは言ってくれないと。

でも、曲げないよ。私の道は止まることがあっても、真っ直ぐにしか進まない。

 

あなたの手を引いて立ち止まった事もありましたが、そのあなたは私を置いて行こうとした。

以前に私があなたを危険ヒルから遠ざけようとしたように、私を……箱庭に近付けまいとしたんですよね。

いえ、あなたはそのずっと前から、私の前に立ち続けようとしてくれていた。

 

仲間を守る為。

変わらない、きっと変えられない、あなたのスタンス。

 

「統一なんて、出来ると思ってるの?」

 

ああ、この刺し貫くようなゾクッと来る表情、これも一緒。

その本気の意思を表す表情も、出会った時から変わらないね、一菜。

 

 

「いつも通りです。私1人では心細さに耐えられそうにありませんが……何とかして見せますよ」

「何とかかぁ~……チュラちゃんとは同盟を結んだ?」

 

 

あまり自軍の戦力をホイホイと外部に漏らしてしまうのは良くないのだが、分かっていて聞いているのだろうし隠す必要もない。

悔しいが、一菜の考えている事は正解だ。

 

 

「まだ、結べていません。昨日目覚めたばかりですから」

「カナ先輩は?」

「当然、まだ結んでいません。無所属の同盟入りは認められていませんし、私の実力では、対等な立場ではありませんから」

 

 

現状を静観している主をこれ以上刺激してしまっては動き出してしまう可能性もある。

その為にルールを守るとすれば、クロ同盟(仮)はあくまで無所属。同盟を結ぶ権利は無く、勝利による属国化(無国籍)しか仲間を増やす方法が無いのだ。

 

……まあ、説明を聞いていた限り、仲間を増やす方法がない訳でもないのだが。

 

一菜はあからさまにあちゃ~って顔をしている。

口元が「やっぱり」って無音のまま動いてたのは見逃さなかったからな?こんにゃろう。

 

 

「じゃあ、ひとり?」

「同情は不要です。元より友達も少ないですし、覚悟の上でした」

 

 

友人がいたとして巻き込むつもりもないが、繋がりは戦力に変えられない力となる。

私の場合は直接的に戦力に繋がりうるわけだが、チュラは箱庭参加国、一菜も同じく敵国で、ヒルダもその保護下にある理子も味方には引き入れられない。

ヒステリア・セルヴィーレを発動させる事が出来た仲間達は全て敵に回ってしまっている。

 

そうだ、クロ同盟は勢力で言えば在籍1名だけの限界集落ならぬ限界同盟なのだ。

 

 

クラーラを始めとした数少ない友人に対して命懸けの実験も行ったものの、その成果の程は――ゼロ。

あらぬ誤解を悪化させられ、狙撃銃でいつもの倍以上撃ち込まれ、芸術的じゃないと拒否され、パオラやフィオナで成れなかった時点で諦め半分だったが、変態呼ばわりされる覚悟の上で頑張ったのに報われなかった憐れな武偵もいたのだ。

 

 

「クロちゃんの乗能力は脅威だけど、多対一は苦手だよね」

「なるほど、よってたかってボコボコにするつもり。手加減は無しなんですね」

「人聞きが悪いなぁー」

 

 

ニヤリと笑う一菜は否定をしないし、そのつもりか。

一対一の決闘でも勝てるのか怪しいってのに。

 

 

「良いんだよ?どこからか仲間を連れて来たって。箱庭の魔女も言ってたし、"参加資格を持っていない"ってさ」

「くっ……!」

 

 

いないっちゅーに!友達がっ!弱者も強者も関係ないのっ!

いい加減、怒るよ!?

 

 

「喧嘩売ってますね?」

「もう買い取ったでしょ、早く支払ってよ。今か今かと郵便受けを覗いてたんだからね…………見張り番の兎狗狸ちゃんが」

 

 

兎狗狸っていうと……あー、あのフィオナの誕生会でぎゃんぎゃん騒いでた緑髪の子ね。

お酒を飲もうとしてたから注意したら、『あっしはお主さんよりもよっぽど年上だもーん』とか言って、仲間内にこっそりすり替えられたライムの生絞りジュースをグイッと煽って盛大にひっくり返ってたなあ。

 

復活した後は一菜に尻尾まで巻き付けて全く動こうとしなかったし、ちょっとチュラっぽいなと感じた。

 

 

「子分だからってあんまり強要したらいけませんよ」

「じゃんけんが壊滅的に弱いんだもん。癖とかは無いと思うんだけど……勝率は1%切ってるんじゃない?」

 

 

(不幸……!)

 

何でじゃんけんに応じるんだろうね。

そういえば誕生会でも運気の修行と称してノリノリでじゃんけんしてた。全員に負けてたけど。2回ずつ。

しかも歓喜の初勝利はカナが恐ろしい動体視力と反射神経で脅威の後出し負けをしてあげただけだったよ。

 

「って、兎狗狸ちゃんは置いといて」

 

置いといてのモーションが明らかに苔石を抱える体勢だったな。

再現度がいやに高い。

 

 

「あたしの手で、一番最初の属国にしてあげる」

「逆ですよ。一菜がクロ同盟の礎になるんです」

 

 

例え強がりでも、言ってしまえばやり切る所存だ。

いつも通り、やってやりますよ一菜。花一匁だって最後の1人になるのは怖いですが、なったらなったで勝っても負けても怖くない立場なんです。

 

 

 

負けたら、その戦いは終わりなんですから。

 

 

 

「絶対負けませんよ。あなたは私の全力を知らないでしょう?」

「それはお互い様でしょー。し・か・も、あたしの仲間の能力も知らないし、どっちが不利かなんて……ほらね?」

 

 

くっそ、売り言葉に買い言葉の口合戦もここまでか。

あの余裕の笑み、意図的に飲み込んだ語尾もこの場の勝利を確信しているな。イラァッ……!

 

思いの外白熱していたらしく、外気に晒され続けているというのに体は熱を持ってポカポカしている。

 

 

「でも、クロちゃんだから、怖いんだよ」

「え、どういう意味ですか?ま・さ・か、私一人を警戒しているんですか、お山の大将?」

「ぬぬぬ……すっごい腹立つけど、そうだよ、あたしはクロちゃんが怖い。きっと予想は裏切られて、いい勝負になっちゃうんだろーなー」

 

 

悲観論で備えるのは良い事だけど、悲観的過ぎるのも問題だね。

私が過大評価されてるのはいつもの事だけどさ、実力者相手に人数差を覆すのは容易じゃないでしょうに。

 

 

「……いつにする?」

「今日の放課後」

 

「どこで?」

「学校近くのスポーツ複合施設なんてどうでしょう」

「おっけー。あの乗馬もブランコもあるとこね」

「そうそう、花火とかライブとかやってる広い所です」

 

 

そう、あそこは開けた平地。

ここまで分かり易く対策すれば勘付くか。

 

 

「それはちーちゃんを警戒しての事だよね?」

「ええ、もちろん。彼女の狙撃の腕はこの目で、彼女の武装も見たんですよ。正直、驚きました」

「テベレ川で、かぁ~。も見られたんじゃそう来るよね」

 

 

一菜はそう言いながら両手を恵方巻きを持つように構えて、右手でビンの蓋を開けるように回す動きをした。

うむ、なかなかの再現度です。

 

狙撃手の存在を押さえられなければ勝負にすらならない。

徒手格闘の最中に撃たれた時点で対処のしようも無いのだから、撃たれないようにベースポイントを作らせないのが重要だ。

 

 

「残念なお知らせなんだけど、ちーちゃんは今日も山に登ってるよ」

「でしょうね。エネルギー切れは初めから考慮していません」

 

 

それに、遠くまで見渡せるあの場所なら、陽菜の隠密も活かしづらいはずで、唯一、銃を積極的に使うだろう私の射線を遮るものは無い。

 

不確定要素は兎狗狸の能力と残りの1人三松猫という名の猫耳お化けの子供の戦闘能力だ。

一菜で手一杯な所を陽菜に不意打ちされてしまうのは避けたい、さらに手間取れば狙撃の対処が間に合わない……

 

(厳しすぎる……シミュレーションがどう足掻いてもワンクォーターすら持ちこたえられない!)

 

先程指摘されたが、私の戦闘スタイルは複数人を相手取るのに向いているとは言えない。

それはそうだろう、お父さんに伝承された遠山家の技はどれもこれも防御寄り、相手の動きを観察することが前提の技ばかりだったのだ。

だから『鉄沓』や『徒花』を自ら生み出したのに、今回の勝負、平然と私の蹴りを止める一菜には鉄沓が、正面から立ち合わない陽菜には徒花の効果が薄い。

 

もしも逃げに徹したとして、15分耐えられる自信がない。

一菜と陽菜に足止めされて、狙撃される。

 

 

その、先が……見えない。

 

 

もし、カナがいたら?

一菜は完全に止められるだろう。

その隙に私が槌野子を倒せば勝利を得られるに違いない。

 

もし、チュラがいたら?

チュラのセルヴィーレならおそらく一菜と陽菜を同時に相手取れる。

早々に前衛を負傷させれば狙撃準備が整ったとしても、あの広いフィールドで2人同時への対処は間に合わないと思う。

 

 

でも、仲間は……いない。

 

 

それだけで、秋の風で舞い踊る落ち葉の音までもが私を嘲笑っている気がした。

お前1人で勝てるわけがないだろ、って。

 

 

「やめる?」

「――!」

 

 

シミュレーションの中の一菜に追い詰められて地面に叩き付けられた瞬間とほぼ同時に、現実の一菜にアフレコのようなセリフを突き付けられた。

 

 

『もう、やめる?』

 

 

思い出す、一菜との喧嘩の数々。

今でこそスイッチを使いこなせるようにはなったが、最初は一菜にあしらわれてばかりだった。

だって一菜が喧嘩を売ってくるんだもの、買わなきゃ武偵の名折れでしょう?

 

銃無しの徒手打撃戦ストライキングでボロ負けし、銃を使ったアル=カタを挑んでは集中の途切れに付け込まれ、次こそは次こそはと裏でこっそり作戦を練ったものだ。

その点はカナという遼遠な壁を意識し過ぎず、捻くれずに真っ直ぐと成長して来られたのに一枚噛んでいたと言える。

 

 

何ていうんだろう……良きライバル?みたいな。

 

 

……まあ、そんなんだから余計に周囲から遠巻きにされたのかもしれないけどね。

喧嘩の終了合図がその一言で、何故だか2人揃って笑顔になった。そして翌日も喧嘩をする。

 

いつからか喧嘩という理由付けも必要なくなって、切磋琢磨を重ねるうちに私達はチームになった。

互いの成長は互いが最も知る相手だと、そう断じてもいいのではないか。

 

 

「おやぁ?言葉に詰まりましたねー?」

「ムキーっ!だまらっしゃい!やるったらやるの!やめないのっ!」

 

 

思い出に浸って笑顔になったなんて悟られたくなかったから、目を閉じて叫んだ。

だってこの一菜は……あの一菜と一緒だって、そう分かってても、やっぱり違うから。

 

無性に負けたくない。

得体のしれない何者かに大切なチームメイトを、仲間を、ライバルを、友達を奪われて、でもその怒りをぶつける先も友達で。

もう、わけわかんないよ。

 

 

「クーロちゃん?」

「なんですか……」

 

 

戦うって言ったから、もういいでしょ?

 

とりあえず距離を取りたいのに、進行方向に立っているから待つしかない。

一菜も笑っていて、どうどうと宥めて来る。

 

「怒んないでよー、これで最後だから」

 

そう言って私と同じ方向に振り返ると、振り回された尻尾が目の前を通過して。

また思い出しちゃったよ。

 

私のみちは、いつだって誰かが隣にいたんだ。

トロヤと戦った時でさえ、一菜はお守りの中であのエネルギーを山の頂上に登って受け止めてくれていた。

 

 

「あたし達のチームって、本当に変わったメンバーだよね。あたし、大好きだったよ」

 

 

それだけ告げて、一人、前に歩いて行った。

 

 

 

わざとらしいセリフだ。

それなら私もわざとらしく、ちょっとボリュームも上げちゃって。

 

 

「あーあ、負けられないなー」

 

 

取り残された場所で呟いた。

これは独り言だけど、誰かが聞いてしまったのなら仕方ない。

 

 

「……あなたが、一番の変わり者ですよ。私達はそうやって最前線で戦うあなたの尻尾をずっと追って来たんです。あなたが、リーダーである私を差し置いてチームを引っ張ってきたんですから」

 

 

追うように歩き出した私の、くうを握る両手に力が入る。

 

そこに後ろから迫る影がいて。

並ぶ影が1つ増えた。

 

 

箱庭の宣戦に臨んだ日、こうなるんじゃないかと予想はしてたんだ。

私に向けられた目は、今私が一菜に向けていた目とそっくりだったから。

 

アンバーの瞳に灰白色の髪。

肩に掛けたケースには、ドイツ国旗とイタリア国旗と日本国旗のステッカーが張り付けてある。

 

 

 

心強い仲間と信頼できるチーム、か――――

 

 

「おはようございます、フィオナさん」

「おはようございます、クロさん。私、生まれて初めての遅刻かもしれません」

 

 

――――私だって、大好きだ。

黒金の戦姉妹 おまけ9発目 天体の記法

おまけ9発目 天体の記法テレスコープ・エアノート

 

「"ふんふんふふーん♪"」

 

 

地下洞窟を思わせる静かで暗がりの続く道に、いたくご機嫌な少女の鼻歌がその小さな歩幅のステップに合わせて、深くかぶったフードの中から聞こえている。

壁も天井も存在する人工の廊下には仄かなオレンジ色のランタンのみが、広い間隔を持って片壁に掛けられているだけで、紺色のマフラーを身に着けた随伴者が左手に提げるランタンが無ければ、足元に番犬が眠っていても気付かずにその尻尾を踏ん付けてしまっただろう。

 

まるで洞窟のように底冷えする石造りの廊下に風はなく、その通り道は扉か何かで厳重に遮られていて、鼻歌が良く響くこの場所に吸音体となる人間はほとんどいないことが分かった。

秘密の取り引きを行うには向いていない場所だ。所々に小さな穴があけられて、怪しい行動を取る者には常に監視の目が当てられている。

 

「"パオラよ、随分と上機嫌な様子、何ぞ嬉しき廉でも有ったか?"」

 

2度と同じフレーズを奏でることは出来ない延々とループを続ける無意味な鼻歌が、3度目のサビらしき盛り上がりを終えた所で、ようやく空気を読めた黒髪の少女は紺藍色の瞳をにこやかに細めると、マフラーで隠された口から前を歩く小柄な少女に問い掛けた。

すると、軽い足取りで進んでいた少女は待ってましたとばかりに、片足を軸にして多少オーバー気味な動きで振り返り、一片の曇りもない笑顔をフードに隠して、ふざけた声色で話題に乗っかった。

 

「"ふっふっふ……よくぞ聞いてくれたね!ニコーレ。今日はスペシャルゲストが一緒なんだよ"」

「"ゲスト……うむ、其は楽しみにしておこう"」

 

 

露骨にテンションの高い彼女の様子やその語り口は聞き慣れているようで、普段の真面目さとのギャップに驚きをみせることも無い。ついでに言うとそのスペシャルゲストとやらにも見当は付いているのだが、敢えてその得意げな笑みを奪う必要もないと判断したらしい。

ただ、背負ったリュックごとぴょんぴょん跳ねる行動には、少しだけ身を案じる表情を見せた。

 

 

「"相構えて歩まれよ。気上げたるはこと戦において力となれど、静心なくば万事を仕損じる危うし有り様也"」

「"??……えと、気分を盛り上げると戦力が上がるけど、焦ると失敗して危ないってことであってる?"」

「1つだけ間違っている。静心とは落ち着きを持つという事だ」

「な、なるほど……ニコーレの日本語は難しいよ」

「"我は忍び故に、致し方なし。ほれ、歩みが止まっておるぞ"」

 

 

上がり過ぎたテンションは図らずとも落ち着きを取り戻し、BGMの消えた通路を進む2人の前に大きな扉が見える。

重厚な鉄扉には窓口となるポストの投函口に似た穴が設けられ、少女たちの到着を見張りから伝えられていた守衛がギラつく攻撃的な目で迎えた。

 

「……どこのモンだ?ガキの来るとこじゃねーぞ」

 

脅しを掛けようとドスを利かせた声が、前に進み出ていたフード姿のパオラに浴びせられた。

強面な顔と白兵戦の能力を買われて守衛に割り当てられた知り合いの男性を見て、失礼ながら強盗犯みたいだなと思った少女は、自分に話し掛けて来たその窓口の先にドライフルーツの詰め合わせと通行証を差し入れる。

 

「――ッ!!"こ、これはこれは"」

 

通行証と共に渡された好物の袋に嫌な感じはしていたらしく、ラミネート加工済みの四角い紙に記載されたサインを一目見た男は先程までの態度を一変させた。

言葉も日本語を用い親し気な目に変えたその顔は、それでもまだ到底親しみやすいとは言い難いものだが。

 

 

「"いやー、酷いですよパオラさん。いらっしゃるなら事前に……それに、そんなフードまで被っちゃって"」

「"しーっ!お忍びですよ。今日は賓客がおいでになるのですが、その前に新商品と市場の見学をしに来ました"」

「"はぁー、相変わらずですね。分かりました、上には伝えませんがバレないでくださいよ?絞られるのはこっちなんですから"」

 

 

金庫のように電子制御されて、窓の付いていない側の扉がゆっくりとした動きで開かれる。

向こうからは嗅ぎ慣れた金属や油の匂い、眠気も覚めるような薬剤の刺激臭、金属を叩き合わせたりグラインダーが火花を散らす音などが、心地よいとは言えない温い風と共に飛び掛かって来た。

 

パオラが前に進むのに合わせて投函口にの男に挨拶をしたニコーレも、暫く振りに持ち出した通行証を懐から取り出してポストインする。

 

 

「"我は脇さしにて、実検お頼み申す"」

「"はいはい、えー、ニコーレ・ノートさんね。……って!ニコーレさん!?"」

 

 

この会場において国際権力よりも発言力を持つパオラの出現で気力を失いかけていた男は、彼女に付き添う護衛なら問題ないだろうと、適当な監査で通行許可を出そうとして再度目を剥いた。

ノート家は東洋発明家の末裔。この市場の一区画を牛耳る元締めで、日本人の参入を最初に提言し取り纏めるオーソリティだ。ご息女であるニコーレ自身に数年間の出入り記録がなかった事が余計に男を困惑させる原因となったのだ。

 

 

「"鳴り高し!声高に我の名を挙げるでないぞ"」

「"す、すいません、あまりにお久しぶりで驚いちゃって。持ち込みの商品が無いのであれば問題ありません、急いで通って下さい"」

 

 

これで通るのだからザル警備と言えそうだが、実際はもっと面倒な書類もあり、紹介制のため通行証も容易には手に入らない。

さらに商品の持ち込みには厳重な態勢が敷かれ、扉の裏には数名の手練れと雇われの人間が、表舞台に公表されない兵器を携えて待機している。

 

大体、扉も時間で管理されるものを、お忍びですの一言で開放させていた。

今回のようなものは特例であり、一重に彼女達の影響力が要因なのだ。

 

 

「"ありがとうございます。お菓子は痛まない内に食べてくださいね"」

「"干したものはそうそう腐りませんよ――っ!……分かりました"」

 

 

冗談が上手いですねとお世辞を続けようと裏面を確認したその視点が一点に留められ、普段から近寄り難い顔を、より一層険しいものに変化させた。

 

 

「"彼女が到着したら一報を"」

「"はい、よい一日を"」

 

 

扉をくぐると室温が10度以上は上がっただろう。

じめっとした空気を感じ取った小柄な少女がフードをパタパタとさせて、急激な温度変化で汗が流れ始めた体表面に風を送る。

 

ここまで続いた道に比べ、広大なスペースには多くの人々が行き来していた。

道行く先々の露天商で契約や交渉が行われていて、中には大きな店を構える企業も存在している。

そして活気付く内部と比例するように、天井からは大きな球状のライトが至る所からぶら下げられて、人間の顔をよく識別できるように照らし出していく。

 

また床面は唐突にフローリングに変わる訳でもなく変わらず石造りのままではあったが、運搬時の負担を軽減するために凹凸は一切排除され、歩行の妨げや傷害等のトラブルが発生する事を防ぐ為に安全通路を区画したペイント表示がなされている。

それでもトラブルが絶えることはないのだろう、ハチの巣のような球状の光源からは周囲を警戒するハチの代わりに、監視カメラが顔を出して警戒に当たっているのが分かった。

 

銃器や防具、刀剣なんかの装備品から、治療薬、化学薬品、電子部品といった材料の他に、一角には衣類、食料品と車輛まで。

商品を求めて一周すれば一日、目的もなく彷徨えば数日は余裕で潰せそうなくらい、多種多様な店が軒を連ねているのだ。

 

「"時間に結構余裕があるね"」

 

パオラは電波の届かない携帯ではなく、ヒマワリがプリントされた懐中時計を取り出す。

どうしよっか?との相談であると理解し、この蒸し蒸しした場所でも平気な顔をして長袖を脱ぐことはないニコーレは道すがら考えていた事を口にした。

 

 

「"少ししたら昼食ひるげに参ろう。我も久方ぶりで挨拶したき朋友、行かま欲しき場所が在る"」

「"レストラン『ジェメリ』だっけ?和食も置いているとか"」

「"是。ぬしと日ノ本にて食した『すものも』が用意されておる"」

「"『しめ鯖キュウリ』だよ、ニコーレ"」

 

 

スペシャルゲストこと商人仲間兼・発明家仲間の到着予定まで、市場の調査を行う2人の武偵。

自然とその会話内容は日本のホームステイ先である天才というにふさわしい発明家の物へとすり替わって行った。

 

 

「"幾年ぶりであろうか。アヤヤに会うのは"」

「"アヤさん、もう5年も経つんだよ。ニコーレの打ち上げ花火装置を一緒に修理したのが懐かしいなぁ……"」

「"すでに5年。片生いのパオラは然程変わらねど、如何な生い成りを見られるものか"」

「"一言多いっ!き、きっと私の方が身長も伸びてるはず……だってあの時より15cmも伸びたもん!"」

「"5年で5寸……"」

 

 

天に伸び悩む高山植物並みの成長速度は彼女のコンプレックス。

初夏の連休中、学年末の成績報告と進級報告で実家の近所に住む祖父を訪問する際、彼の営む養蜂場のヒマワリ達に次々と身長を追い越されると、太陽の当たる顔も陰っていたほどだ。

気まずい空気を流すまいと顔を逸らしたニコーレであったが、空気の読めるパオラは既に勘付いている。そしてその気遣いが余計に彼女を傷付ける事になるとは、無念ニコーレには理解出来ないのであった。

 

 

「彼女の発明品が待ち遠しいな、パオラ」

「……そうだね、せっかくの時間を無駄にしたくないし、行こっか」

「ああ、そうしよう。我も少し、血が騒いできた」

 

 

予定よりも早く内部への入場を果たした2人は少しの時間を潰すために、さっそく数々の発明品や発掘品が集まる小さな穴場のブースへと向かう。

そこには件の発明者が世に送り出した道具の数々が、とある人物によって取り扱われているのだ。

 

 

 


 

 

 

目覚まし時計より10分早く起き、ボサボサの長い灰白色の髪を、鏡を覗きながらドライヤーとブラシで梳かす。頭上の一束は本日も好調のようで、気を付けつつも時折襲来する温風に揺られる動きが弾道計算のデータとしてインプットされていた。

 

「どうしましょう。ヘアサロンの注文なんてした事がないです」

 

最近のちょっとした悩みの1つだ。義母に褒められてから伸ばし続けた髪が邪魔になってきた。前髪は自分の顔とにらめっこして鋏で切ればいいが、後髪はそうもいかない。

まあ、そんな事をしたからクシャミと同時に私のレフトサイドは無惨に散ってしまったのだけど。

 

狙撃科の演習中に髪留めで縛ると変なクセがなかなか取れなくて面倒だし、自力でブラッシングするにも手が届かなくて時間が無駄になる。

同室の生徒にも毛先の乱れくらい整えたら?って言われたものの、伸ばしてるんです、で誤魔化してきた。とうとう観念して教えを乞うべきなのだろうか?

 

「私も前髪を上げてみたら……いえ、それは少し恥ずかしい」

 

いっそレフトサイドに合わせてサッパリさせてしまおうか等とぼやきつつ、ドライヤーの温風どころか送風音も意に介さない寝坊の常習犯を見やる。

シーツの上には寝る間も緩めのヘアゴムで優しく結われた濃茶の艶髪が、体を丸めて横寝する彼女の背後へ松の小枝のように幾筋も伸び伸びとしている。

 

「朝ですよ、マルタさん。これ以上遅刻して出席日数が足りないと本当に留年ですからね」

 

形式的な声掛けをしておく。

空砲を発射しても良いのだが、隣の部屋の生徒や寮長に迷惑だろう。返事はないがもぞもぞと蠢いていたし、今日は起きてくるかもしれない。

 

 

今朝の朝食はカカオ粉末とドライフルーツの入ったシリアルだ。

冷蔵庫から取り出した牛乳をボウルに注ぎ、食事を取りながら一日の予定を決める。

 

「うーん……放課後は3年生の授業があって、ココとココは使えない……。遠隔狙撃の練習をしたかったのですが、今日の所は座学にしましょう」

 

予定とはいっても実技練習をするか勉強するかの二択。

仮チームのメンバー探しを理由にバールへ入り浸る生徒もいるようだが、私には関係のない話である。

 

「おはよ、フィオナ!ウチにもカフェとクッキー下さいな」

「おはようございます。私に用意できるのはテーブルの空きスペースだけですよ。寝惚けるのも大概にしてください」

「愛情の数だけ空けておいてよね!」

 

モカエキスプレス――直火式のエスプレッソメーカーを専用のコンロにかけ、投げキッスをして去っていくルームメイトは起きたら起きたで起動待機時間は無いに等しい。

起床と同時に目は全開。ベッドを転がり出たかと思えば洗面台へ直行。戻って来るなり温めておいた45mmコテと呼ぶヘアアイロンでクルクルと毛先を巻き始める。

 

もっと早起きすれば目まぐるしく働く必要もないと思うのに。

適切な愛情表現の為に、一度空けたスペースを適度に埋めつつ荷物の確認をしていると、放課後の予定が1つ出来た。装備科に弾倉を注文しておかないと。

 

 

「ただいまー、ってせまッ?!」

「先行きますよ。一応、登校時間には着いておきたいので」

 

 

授業始まりそうだったら待ってもらっててー、と戯言を背に受けつつ、私は登校を開始した。

 

 

「案の定誰も来ていないんですけどね」

 

 

カコッ!

 

 

無人の教室から中庭へ足を向ける途中、自動販売機の前で踏み潰されていたカップを拾い上げて捨てる。どうやら昨日は清掃の無い日だった模様。

中庭にほど近いバールの扉は鎖で縛られ、鎖にはChiuso閉店の看板が吊られている。予約が無ければようやくパン生地を捏ねて形成を始める時間だ。

私としては2度目の朝食に丁度良い時間なのだけど、ここではあまりパンは売れないらしく、供給量が少なくて売り切れの危険がある。そんな日は持ち込みのチョコレートでお腹を満たしていた。

 

 

中庭の空気はマットの代わりに敷かれた砂が混じっていて、風が吹くと喉がイガイガしてくる。

遠くに聞こえる声は昨日のテレビの話だったり、スポーツ選手の話題ばかりで戦術論に花を咲かせる者などいない。週末の予定を相談する生徒も、それは遊びに行く打ち合わせだ。

 

「今日も中庭は平常運転ですか」

 

私は回れ右をして校舎内に戻り、もう1つの目的地へと向かう。

由緒正しき武偵学校の始祖、イタリアに来たのはこの学校へ入学する事が目的だった。

 

基礎学校のグレード4を終え、1年だけ母国ドイツの武偵中へ通った後、入学時に作ったパスポートを利用してイタリアへ、そして2度目の入学を迎えた。

私の住んでいた州は4年間の基礎学校修了から武偵中への編入が認められていたのに、イタリアは初等部が5年もあるらしい。

 

このジメジメとした暗がりの廊下は、栄えあるローマ武偵高校付属中学校。

世界各地に数ある武偵高の中でも世界で最初という肩書きを持てるのはローマ武偵高だけで、実力のある者は更なる実力を身に付けられる名門校として有名……だと聞いていた。

しかし実態は良い面だけではない。

 

確かに実力者は多いのだろうが、気分屋が多くて決まり事にルーズ、特に時間なんかは適当の極みでこれで良く学校としての体裁を保てているなと感じたのは忘れない。

将来はこの中からチームメイトを探すのかと、本音を言ってしまえば幻滅してしまった。

 

いざという時には、では困るのだ。

そのいざという時に実力を効率よく発揮させるためには普段の活動から正義の味方、武偵である意識を……

 

 

Hopplaホプラ?誰かいますね」

 

 

(この時間帯に既に演習場に人が……?)

 

入学当初、私は中庭にて朝の無駄な時間を潰していた。

授業が始まらないからだ。これがドイツなら生徒と教師の集団ボイコットとしてニュースにでも上がるのではないだろうか?

 

しかし、中庭は占領されてしまったのだ。

1年生が使用可能な範囲などたかが知れていて、その中でも武力を用いた縄張り争いが行われていた。そんな所でやる気を出してくれなくていいと何度思った事か。

 

結局、私は武偵としての一年間をドイツで過ごしていたけれども、狙撃科では接近戦を習っていない為決闘に向いておらず、3ヶ月程経った頃、この庭に君臨する女子生徒が誕生するのに合わせて足を運ぶことは無くなっていた。

 

代わりに見つけた穴場がこの演習場。

発砲禁止区域だが、基礎体力作り用の設備が何種類か用意されている。

2年生のニコーレ・ノート先輩が1年生のヒナ・フウマさんを戦妹として迎え入れた際に、一緒に居た私も教えてもらったのである。

 

2人は日本にゆかりがあるらしく、ヒナさんに至っては日本からはるばるイタリアまで海を渡って来たとの事。

小学校という基礎学校の様なものから編入していて、知識が偏っているのが特徴だ。

しかし、彼女の言葉はたまに真理を突いており、今でも私の心に残り、光っている。

 

『フィオナ殿は国を移してまで、何を学びに来たでござるか?』(※メチャクチャ片言のイタリア語)

 

気の毒に、この学校の内側を見てさぞかしガックリしたでしょうね。

そう話したら、見事に返された。

 

 

ここは普通じゃない、そのはずだ。これが世界の武偵の普通であるのなら、違う意味で私は付いて行けない。

 

最初の授業は朝のミーティングに遅刻者など……まあ、1人はいたけど、道が混んでいたらしいし、仕方ない。

翌日、2人の生徒が遅刻をして、しかし教師はそれを咎める事もなく周囲の雑談も絶えず、何故か授業が始まらない。

 

 

この時点で、おかしいぞ、とは思っていたのだ。

 

 

一月経つか経たないか、初めて教師が時間通りに来なかった。理由は忙しかったとの事で、詳細は不明。

だが、悲しいかなその時間には、生徒の数も半数の6人。うち、時間通りに来ていたのは私とヒナさんの2人だけ。…………だけ。

 

 

こんなの絶対おかしいです!

 

 

隣の席に座る綺麗な黒髪の女子は黙々と"図説!絵で分かる世界の危険な毒草・毒虫"を読んでいるが、日本語は読めないので何を読んでいるのかは謎。

時々、彼女の代名詞たるポニーテールが直立するくらい、跳ね上がって驚くのが気になって教本を読む手が止まってしまう。ああ……ダメですね、チョコレートが進む。

 

 

 

今ではそれが当たり前に、もう私も何も感じない。考えない。

そう、結局私は私が何をするかを考える事が一番の成長につながる。彼女の言う通りだった。

 

正にその通りだと、目の前が切り開かれ頭がすっきりした気がして、私は周りの悪い点を探すことを止めた。

それでも目に入ってしまう事が往々にしてあるのはどうしようもないと諦める事にしよう。

 

やがて私は逆に自分の悪い点を探す方に方針を転換した。

 

「おはようございます、ヒナさん、ニコーレさん。今日も不思議な訓練をしていますね」

 

木の枝を太腿と脹脛で挟み込み、蝙蝠のようにぶら下がっている。一切の揺れが無く、無音だ。

私は目を閉じたまま逆さ吊りとなった2人に声を掛けた。

 

「む?フィオナ殿!今日も共に修行へ励むでござるか?」

 

赤いマフラーの少女が目を開いて声の聞こえた方向――私の方に首を回して、腕を組んだまま左右に揺れる。

……ちょっとだけ、他人のフリをしたくなる光景だが、本人達はいたって真面目だ。

それと、一緒に修行などしたことはない。

 

「おお、フィオナよ。主もやたらに生真面目な人柄にて、時には肩の力を抜くべきぞ」

 

片足だけで枝にぶら下がっている紺のマフラーのニコーレ先輩は目を閉じたまま身じろぎもせず、少し太い鉛筆ような鋭利で棒状の武器を隣の木に向かって構えている。

そこには黒いドーナツ状の輪とその内側に小さな赤い円が描かれた布を巻き付けられた的が何個か吊られている。微風で揺れる事からかなり軽いものであるのだろう。

 

 

「この国の緩さで、さらに肩の力を抜いたら関節が外れてしまいますよ。それに、お2人も訓練を欠かさないのは同じでしょう?」

「是。研鑽を怠った者から消えて行く、我が一族はその話を先祖代々言い聞かされて育ったのだ。個人も企業も村も変わらず、と」

「……然り。それは一族という存在そのものを汚す行為なり。某は忍であるに足る実力を得る為なら、この身を削る如何なる努力も惜しみませぬ」

 

 

その発言通り、修行内容の効果のほどは甚だ疑問だが、2人はとても真剣に毎日を生きている。

一族の誇りを持つその姿勢は、私も見習うべきなのかもしれなかったな。

 

 

 

ごう!」

「ほッ!」

 

 

ヒュッ――ザスッ!

 

 

ニコーレ先輩が目を開け、瞬時に見極めて放った棒状の武器は、風でそよぐ的の中心を正確に捉えて深々と突き刺さった。

一瞬で的の場所を把握し精密に投擲する能力はさすがの一言、あの軽そうな物体を弾くことなく真っ直ぐに刺さった点も、そうそう再現できる芸当ではない。

そして、何より速い。彼女は的に命中するかの確認を行うより早く、次の武器を構えてピタリと静止した。枝は終始、全く動いていない。

 

 

 

「お見事」

「ヒナよ、次は参の的の紐を切り号令を」

「御意」

 

 

しかし、彼女のカッコよさや優れた技能よりもマフラーとスカートがズレないその技術の方が気になって仕方ない。

 

彼女達はニンジャを自称しているし、その極東の怪しい戦闘術は未だに遠く理解の及ばないものだ。

そういう技術も……あるのかもしれない。

 

 

――ストンッ!

 

 

的を貫いた武器が木に刺さった。

ヒナさんが放った、矢じりや槍の先端のような形をした握りこぶし2つ大の武器――"クナイ"と教わった――が紐を切って、吊られていた的は風に乗ってふわふわと不規則に落下していた。それを一つ前と同じ様に、ニコーレ先輩は目を開けるのとほぼ同時に攻撃したのだ。

 

彼女達のこれらの技能は、狙撃手としても見習う点が多いと感じる。照準を当てる早さや精密さ、状況によってはその悪条件の姿勢も役立つかもしれない。

狙撃手にとって、不測の事態に適応できる彼女達のスキルは天敵と言っても過言ではない。私はこの2人とは戦いたくないとつくづく思う。

 

 

 

ニコーレ・ノート

 

ローマ武偵中では私やヒナさんの1つ上の学年で、現在は諜報科のBランク。

ニンジュツという戦闘と隠密に特化した技術を日本で習得し、潜入強襲と調査を中心としてボディガードや監視といった任務も幅広くこなしているそうだ。

ただし、単身任務が多く、安価で簡単な任務も予定が空いていれば受けてしまう為、その点の評価があまり良い印象を得られていないらしい。

 

紺藍色の瞳に、日本人のヒナさんと同じようなサラサラで純粋な黒髪を、ヒナさんよりはボリュームの少ないポニーテールに結っている。

赤黒い指ぬきグローブと紺色のマフラーを常時着用し、自作の忍具なる道具をいくつも持ち歩いて、膝下まで締め付けるサンダルのような指の露出した靴を履いているのだが、これも不安全による減点対象だったりしないのだろうか。

 

使用武装はおそらく量産品ではない。

かなり古めかしい作りの物で完全自主製作なのかは不明、その銃口から銃弾を撃ち出したのは見た事が無い。基本的には音の出る銃器を使う事は好きでは無いらしく、武装も趣味の範囲だと話していた。

銃を使わないでBランクに上がるって……

 

学年の違いから任務を一緒にという事もなく、実力の高さは相当なのだろうがそれも小耳に挟んだ程度。

私と同学年の装備科、パオラ・ガッロと仲が良いようだが、2人の共通点とは何なのだろうか。彼女は校内で装備の調達はしないらしいので、そういう繋がりも無さそうなのだ……

 

 

 

「誠に見事なりっ!」

「うむ、次は主の番ぞ」

 

 

どうやら交代の様だ。

ニコーレ先輩が右腕を振るとくしゃくしゃの布が袖からその手に移され、グッっと握った布はみるみる内に隣の木の的と同じ大きさまで膨らんだ。

それを髪の中から引き出したワイヤーに繋いで、重りがついている端を隣の枝に投げて巻き付けると、的も続けて空中に放たれる。

 

その間約3秒の早業。

お見事!

 

 

「ヒナ、しばし黙祷を続けよ。我はフィオナに目言がある」

「御意」

 

 

蝙蝠状態から片足だけで体を持ち上げて枝へ登ると、2階層よりも高そうな位置からワイヤーもなしに飛び降りてきて、僅かな砂埃だけを立てて当然のように着地した。

これもニンジュツなのか?

 

 

「私にお話とは?」

「なに、そう構える事では無し。ただ、主の身を案じておるだけの事、承知しているな?」

「ええ、まあ……」

 

 

初めてここに来た時から、彼女は何かと私にも気を回してくれる。

どうやらヒナさんにとって、クラスメイトである私は気の許せる数少ない人物らしい。

 

 

そこからクラスでの話を聞いて私にも興味を持ってくれたようだ。

プライベートでの交流は互いに苦手とする者同士、こういった学校での絡みで徐々に親睦を深めてきた。

 

 

それで、話の内容は多分……

 

 

「仮部隊の申請は強制されておらぬが、よもやそのつもりではなかろうな?」

「私の意思は変わりません。私はヒナさんと仮チームを組むつもりだと、そう何度も言っているではないですか」

 

 

……やっぱり仮チームの話か。

 

促されるままに歩かされたが、ヒナさんの耳に入らないようにするためだろう。

別に聞いたところで彼女が私とチームを組むことはないと思うが、聞かせたくないのだ。私も、ニコーレ先輩も。

 

 

「……其の様にはいかぬ。あれは素晴らしき一族の技術と弛まぬ努力の賜物たる身体能力を持つ。なれども、心が未だ半人前故に到らぬ。部隊への参名なぞ心疾しき事ぞ」

「私には理解出来ないですよ。彼女ほど強くて約束を守る生徒は同学年に数えるくらいしかいません」

「然らば其の者共を尋ねるべし、今のヒナに、主は過ぎた同士よ」

 

 

私だって譲らないし、ニコーレ先輩もまだ自身の戦妹を不出来と称し、快く応じてくれない。

この話は以前から平行線で一向に進まず、ニコーレ先輩的に有望株な他クラスの生徒を教えてくれるのだが、実力はともかく性格に難のある生徒しかいない。

 

 

『三浦一菜という少女は近接戦に特化しておるぞ』とは言っても、あの人に話し掛けられる人間は肝が据わっている。いつもムスッとしてるし、口調は荒いし、眼つきは怖すぎて犯罪者寄りだし。

ただ、強襲科の彼女は相性だけで言えばバランスは悪くないとは思う。

 

『ファビオラという少女などどうだ?少し得体は知れぬが、確実に伸びる』という紹介文句に自分でおかしいと気付かないのか。

得体の知れないって上級生が言う相手に誰が近付くのか……と思っていたら、男女ともに大人気らしい。性格は良いのだが色々と無防備で、男子生徒が付け込もうとして他の女子生徒に阻まれている。

 

『ルーチェという少女は基礎から叩き込まれておるな、堅実なタイプと見える』って言ってたのに、その人、中庭を征服した人達の1人ですからね?トップではなかったとはいえ。

性格は強襲科の割に物静かで、静かに本を読む場所が欲しいとかで協力したらしい。

 

『カルメーラは止めておけ。あの者は我よりも余程強い、狙っていたのならば妹の方にするが良い』って言われた時は、なんでその名前を出したのか分からなかった。ヒナさんしか狙ってないってば。

自由奔放な性格で、学校の刀剣所持義務でナイフの代わりに槍を持ってくる変人。しかも、妹の方もCランクの私より上、余裕のBランクだった。

 

 

紹介された相手の調査をするも、どの人もこの人も正義の味方には程遠い。

そして、私自身も正義の味方を目指すには実力が足りない事に気付き、仮チームを組むことにさらなる抵抗を持ってしまったのだ。

 

「フリーで構いません。狙撃手がチームを組む利点はそんなにありませんから」

 

教師に聞かれたらかなりの問題発言とされる自覚はありつつも、曲がりなりにもCランク。

多少の目こぼしも期待が出来そうな気はする。

 

ふぅー……とマフラーの中で溜息を吐き、ニコーレ先輩はまた例の調査ノートを取り出して、付箋の挟まれたページに指を差し入れた。

よくもまあ、毎回新しい人材を探し出すもので、この学年には危険人物が集まり過ぎている気がする。

あーあ、今回はどんな人が紹介されるのやら。

 

 

「……フィオナもグローリアを知っておろう?」

「――!ええ、もちろん、同学年で知らない人はいませんよ。黒い噂が絶えないパトリツィアさんと同じ位、彼女も良くない噂が出回っていますからね」

「良くない噂か」

「何でも違法改造を依頼していたり、突然空を撃ったりなんて話ですが、信憑性はありませんし、真に受ける必要もないでしょう。私は彼女を尊敬しています」

「主らしい理を求むる善き習わしよ」

 

 

グローリアさんと言えば武偵中最強の狙撃手との呼び声も高い実力者で。そのランクは入学した時点でAランク。

一部では世界レベルでもAで通じるだろうとまで言われた奇才の持ち主だ。

 

武偵中の入学は筆記試験と体力試験、他に各学科ごとの特別試験を以て判断される。

しかし、昨日まで一般人の生徒たちが碌な成績を取れようはずもなく、大抵はEとなる中で私は狙撃科の特別試験成績を加味されることで入学当初からCランクだった。

世界基準であれば下手をするとEランクまで落とされるかもしれないが、それでも入学時Cランク以上は13人しかおらず、ここではいわゆる優等生の地位を勝ち得ることに成功したのだ。

 

悔しいのは自信を持って臨んだ特別試験の成績が2位だった事。

負けたのはタイガーリリーの花弁のような、少しクリーム掛かったオレンジ色の髪を肩まで伸ばし、右前髪を掻き上げた少女、グローリア・バローネその人である。

 

拠点確保ポジション遠方索敵ディスカバー遠隔狙撃ファラウェイ予測射線フォアサイ精密射撃ミニット通信照準コネクトなど様々な種類の試験がある中、今回選出されたのは遠方索敵と精密射撃と予測射線。

苦手な遠隔狙撃と通信照準が来なかった時点で勝てると踏んでいた分、彼女の驚異的な集中力と射撃能力の高さに驚かされた。

 

確固たる証拠に基づいた情報ではないが、試験官の全員が彼女の位置取りと姿勢に驚いて忙しなく話していたので聞き耳を立てたところ、何度場所を移しても必ず全く同じ位置に戻って、全く同じ姿勢で構えていたらしい。

信じがたい事ではあるが、まるで最適解を保存して読み込むように、微々たるズレも見られなかったそうだ。

 

写真を取っている試験官を見て何をしてるのかと思っていたら、その確認作業だったのだろう。

同時に裏では彼女や他の学科に出現した化け物たちの試験結果で持ちきりになっていた。

 

「彼女がどうかしたのでしょうか?」

 

狙撃手を2人以上組み込んだチームなど過去にほぼ前例もないので、私に紹介するわけではなさそうだ。

また変な噂が出回っているのだろうか?

しかしニコーレ先輩がわざわざ取り上げるとすれば、その話は事実である可能性が高い。

 

 

「彼の者が仮部隊を組むそうだ」

「え――?」

 

 

 

――――あの人がチームを?

 

 

 

「相手は……?」

 

 

なんとなく、彼女はずっとフリーでやっていくものかと思い込んでいた。それが出来る力を持つから。

実力がある人間は周囲の人間を足手まといだと切り捨てる傾向があるが、その枠には当てはまらない存在なのだろう。

 

知らず知らずのうちに足元へ向けられていた顔を、恐る恐る上げながら上目遣いで尋ねた。

もし正視していたら、今頃私の表情から心情を読まれてしまっていただろうな。

 

 

「焦るな、気持ちは推し量らずとも解せよう。我でなくともな」

「うー……」

 

 

無駄な抵抗か、言い当てられてしまった。

自分より格上が孤高の道を止めチームを組んだ。

その事実を平常心で受け入れられる豪胆な精神力が欲しい。

 

ニコーレ先輩の顔も決して楽観的ではなく、むしろ私以上に険しいという事は、組む相手は彼女が危険視するレベルの者なのだ。

 

予想は付いている。

それこそ推し量る必要もない。以前に聞いた名前なのだから……

 

 

「カルメーラ・コロンネッティとカルミーネ・コロンネッティ、2人規模の強襲部隊だ」

「やはり、ですか」

 

 

強襲科Sランクの姉と強襲科Bランクの妹、それだけでも武偵中の上級生の間で警戒されていたのに、そこにAランクの狙撃手が加わった。

紛れもない危険因子の融合と認識され、そろそろ何処かしらの上級生チームが新人にお灸を据えようと動き出しても不思議ではない。

 

渋い顔のままノートに落としていた青い瞳が私の顔を見据える。

私がターゲットであれば、この目を見たら手遅れ。赤い円に見立てた急所が刺し貫かれていた。

 

 

「今年の3年は本に因果なり」

「そこまで、強いと」

 

 

近々、武偵高から宝導師の派遣が行われる予定だが、その前に上級生による洗礼を兼ねた仮チームでの決闘が行われると聞いている。

伝統だか知らないが、随分と不毛な行為だと思う。

 

徒手格闘故、下級生武器を持つことが許されぬのだが、それでも大した重荷とはなるまいて。銃器など只の玩具であろうぞ」

 

それは成程とは頷けない話だ。

銃の有無は致命的で、1年生の最強チームは見せしめに一方的に嬲られて……そういう構図が求められている。

 

現在、強襲科のSランクは武偵中には1人しかいない。

なぜなら、Sランクの生徒は大抵そのまま武偵高でもSランクとなる為、1つの学科につき校内で1人しか冠することが出来ないからだ。

 

今年の入学者に1人だけ現れた異才、数年に一度Sランクに批准する生徒が現れる事があるらしいが、その強さを私は想像できない。

Aランクが束になっても勝てない強さ……規格外の力を持つ事だけは理解出来る、出来るけどAランクが束って軍隊の投入と変わらないような気がする。

 

(私は、このままでいいのだろうか……?)

 

 

「主にも人遣りの要らぬ出会いが見付くることを我も願うとしよう」

「……急かされた気がしますよ。今まで背中を押していてくれていたのが、今度は前から引っ張られているような」

「うむ、違いない。心配なのだ、正義なぞ曖昧なもの、何時と無しに希う主は容易に悪へと思い到り兼ねぬ。流類の存在は其を息災の如く守り導く、真に尊きものぞ」

「ニコーレ先輩だって独りではないですか」

 

 

私の指摘は先輩にとって深い傷を負わせるものだったと、そう気付くのはまだ、先の話だ。

彼女の顔色は一切変わらないまま、でも、痛かったのだろうな。

 

 

「我も主と同じであった。遥か先の正義に目を暗ませ、支を違え、おめおめと生き延びしなんと情けなき我が姿よ。友の名を刻む処すら得られぬ、愚か者のくるしひかり也」

「えっ?」

「主は我と同じであってはならぬ、仮に部隊を組みし暁には……」

 

 

それは彼女の、心からの警告だった。

 

 

「同士を、何よりも尊ぶが良い。信ずることは互いの力となり、失することは天命の喪失と同義也。…………行こうか、ヒナが焦れておる頃ぞ」

 

黒金の戦姉妹31話 仮構の水源(後半)

仮構の水源(後半)

 

 

寝室の窓、開かれたカーテンの間から光が差し込んで隅々へと行き渡り、外を見れば混じり気の無い白雲が絵画にでも描かれているような整った形におすましして、晴れ晴れとした淀みのない青空に浮かんでいる。

 

今日明日は一日中晴れの天気予報で、午後には金色の太陽に照らされた街並みと燃えるように綺麗な茜色の空が望めるだろうとか言っていた。

 

太陽は黄色いらしい。

日本人としては日の丸のイメージを覆すのは難しい所だが、日本にいた頃から太陽を見て赤いなんて思ったことはない。それでも白だけど。

 

昼食を終え、再び眠気に襲われる前に済ませておこうと銃の分解整備と格闘していた。

ベレッタの整備は授業中に練習する機会がある為だいぶ慣れたもの。パオラが他人の依頼で忙しい時に限り、クロは難なく完全分解オーバーホールしちゃってるけど、俺には簡易分解フィールドストリッピングとラジオの分解が関の山。直せる保証も無いから怖くて出来んぞ。

 

しかし、未だにコルトの整備には慣れないな。

部品数も少ないし簡単だとは思うが、なにせ骨董品だ。壊れた部品は容易には手に入らないし、手順通りに組んだつもりでも、どんな不調が起こるかも分かったもんじゃないから毎回一層の注意を払っていた。

武装数制限に引っ掛かって学校に持ち込めないから正規のゼロインも出来ず、整備後の照準のズレを自分の感覚で矯正する荒い使い方を余儀なくされている。そもそもヒステリアモードだと長距離射撃以外は照準を覗かないし。

 

組み上げたベレッタを女子制服の襟、後ろ側の隠しホルスターに戻し、SAAの分解に取り掛かる。

グリップを外し、トリガーガードを……そこでふと気付くと結構時間が経っていた。そんなに食器は多くなかったはずだが、どうしたのだろうか。

 

「お待たせ。ごめんね、何も教えないまま会わせちゃって」

 

……こういうもんだ。気に掛けた事が待ってましたとばかりに現実世界へと踊り出る。

人間はこういう小さな予知能力を備えてるんじゃないかと思ってしまう時がある位だ。

 

ま、ただの偶然でしかないんだけどな。

分解途中でやめるなんて学校でやったら厳重注意を食らいそうだが、今はいいだろ。

 

「それはいい、カナの判断は間違ってなかったと思う。これからハンガリーの代表戦士が来るなんて言われたら否が応でも警戒しただろうし、俺に記憶の齟齬がない事は分かった」

 

前回目覚めた時は記憶の欠如が見られた……らしい。

それは俺には確かめようも無い事で、一定の単語や出来事のみを摘み取るかのように選び採られている可能性が考えられると言われた。

 

ヒステリアモードは未解明な部分の多い病気だ。さらに派生したとあれば思いもよらない影響が体のどの部位に現れても不思議じゃない。特に能力の中心である脳への多大な負担が、長期記憶を保管する大脳皮質に悪影響を及ぼす可能性は高い。

 

 

カナは断片的な記憶障害を大げさに懸念したものの、忘れたものは仕方ない。こうして7日前の晩に起こった重要な出来事なら正確に把握している。

 

俺やカナを含めた14人の代表者が3種類の同盟ないし無所属として箱庭の戦いを生き抜くことになった。

どいつもこいつも普通じゃない奴らばかりだったが、特に目を引かれたとのはヒルダとにらみ合っていたくすんだ茶髪のシスターと、水色に近い霧色の髪に小型機械みたいな髪飾りを付け全身軽装の両腕に手甲装備のまま立ち寝をしていたリンマ2号。あと、木の上に陣取っていた口数の少ない2人の少女達も危険だと感じた。

 

バラトナを救出後、ここに逃げ込んでそのまま睡眠期に突入した。

ここまで、流れの繋がりに違和感はない……はず。

 

 

しかし、なぜこんなにも長い期間眠っていたのかは説明できない。

通常は長くても2、3日の前後に1日の意識混濁期間がある程度であるのに、意識を回復するのに掛かった時間が2日も多い。

 

あるはずなのだ、原因が。俺の記憶の中から抜け出した何かが。

 

 

俺の言葉から我が意を得たりな反応を示したカナは、自然発生していた毛布が畳んでおいてあるソファに軽く腰を下ろして、代わりに室内を緩めの空気に仕立て上げた。

 

 

「良かった、ちゃんとキンジにも伝わってたみたいで。それで、どうだった?」

「ああ、見た瞬間にあいつがあの時の脱落者だってことは分かったよ。服はクロの……まあ、俺のっちゃ俺のなんだが、ローマに来てすぐにその場しのぎで買ったパーカーに着替えてたから印象は違った」

 

 

たぶんその日からここに住み着いているのだろう。

お礼が言いたいとか呟いてたし、それが叶ったのだから近いうちに帰るかもしれない。

 

 

「うーん……全部は伝わってなかったかな?」

「何の話だ?確認の他に意図があったんなら教えてくれよ」

「詳しく話すと気にしちゃうだろうから曖昧にするわ。彼女の印象が聞きたかったの、敵としてでなく普通に接したキンジは箱庭の戦士にどんな人柄や人格を見出したのか」

 

 

(あいつ個人に対する印象?そんなこと聞いてどうするんだ?)

 

だが、カナの表情は冗談を含んだ笑みではなく、この問い掛けに真剣な姿勢で臨んでいるようだ。

 

 

「聞きたい事が分からない以上大雑把に答えるけど、表裏もなさそうで悪いヤツには到底見えなかった、同じく強そうにもな。戦争やりに来てるような国の代表だし悪逆非道な超人共を想像してたから拍子抜けした、ってのが一番の感想だ」

「ええ、いい感じよキンジ。その調子でもう少し深く踏み込んでみて?」

 

 

え、足りなかったか?

 

カナはおいでのジェスチャーをしながら更なる意見を求めている。

女は危険物な時点で行動を観察することに余念はないものの、出るとこ出てるバラトナは心臓に悪い。そこまでじっくりと人格や身なりを観察してはいないからストックが無いんだけどな。

 

 

「えーっと……なんだ、髪が長い。身長も俺と変わらない位だった。肌が白くて髪は薄茶気た黄緑で……」

「それでそれで?」

 

 

まだ足りないのか……一体何を聞き出したいんだ。

 

 

「パーソナルスペースが狭いのは良くない……チュラは慣れたから別にいいけど」

 

 

頭の後ろをガリガリと掻いて残りの感想をなんとか絞り出す。

 

その様子見たカナは少し俯いた。

何かを我慢しているみたいに、肩を小刻みに揺らしている。

 

 

「そっか」

 

 

帰ってきたのは真剣味も素っ気もない返答。

顔を下げたカナの声色には楽しさを堪え、飛び跳ねるようなスタッカートがちょっとだけ強く顔を出していた。

 

(ん?そういえば、途中から顔が笑ってなかったか?)

 

正式にはおいでのジェスチャーをした辺りから微笑みがあったような。

 

まさか……

 

 

「総評はどう?」

「危険だ」

 

 

顔を上げたカナは完全に笑っていた。三つ編みの先端を指で弄っているのは楽しんでる証拠だろう、俺で。

だからこっちも適当に返す。何だったんだよこれ、その為にバラトナを追い出したのか?

 

緩かった空気が完全にダレた空気に変わってしまう前に引き締めに掛かる。

会話の主導権を握らなければ、いつ俺の求める情報が得られるか分かったもんじゃない。

 

「そんな事より戦況を聞きたいんだが、この話はもう終わりで良いんだよな?」

 

投げやりになり始めたのを自覚する前に、本来の目的を投げ掛けた。

と言っても諜報員がいる訳でもない我がクロ同盟や単身無所属のカナに、大した情報なんて有りようもない。

 

 

「……もうちょっと、キンジをリラックスさせてあげたかったんだけど……仕方ないか。あなたは男の子、それも遠山家の子だもの。臆病風に吹かれなんかしたら……ふふ、ご先祖様は許してくれるかしら?」

「今頃何の心配をしてくれるってんだよ。それに、俺は遠山家の人間でもあるけど、それ以前にカナの弟だ。もし、カナの弟だっていうやつと任務を一緒にすることになったら、全面的に信頼してやれる自信があるぞ。俺がそれに相応しいとは思えないけど、たまには信じてくれよ、クロだけじゃなくて通常状態の俺の事も」

 

 

無理だろうけどな、って部分はぼかしておこう。

不安がられて勝手に情報を添削されたんじゃあ納得できないし。

 

心がモヤモヤする。

俺自身が求められていないような、そんな気がする。

 

「ごめんなさい。もちろん信じてるわ、キンジ。あなたはまだ未熟だけど、その可能性は私にだって見えないものだもの。それと……」

 

ソファから立ち上がったカナは、距離を空ける為にサイドチェアに腰掛けた俺の前まで歩いて来ると、右腕を少しだけ伸ばし手を丸めてモノクルのような形を作って、左胸の下に聴診器のように当ててきた。

 

「今、一番あなたの心を占めているのは誰なのかしら、ね」

 

今度は問い掛けの意思を感じなかった。

ただの独りごと、それを間近にいた俺が聞いてしまっただけ。

だから、その答えは……出ない。

 

 

俺から離れたカナは背を向け、振り向かずに答えた。

 

 

「戦況は……恐ろしく静かよ。今は」

「…………」

 

 

『今は』――

 

その現在を表す言葉には、過去も未来も含まれているんだな。

俺が寝ている間にも、そして近いうちに、大きな争いがあると暗に示している。

 

頭の中にはゲームのウィンドウみたいに選択肢が表示されているが、当然聞くのは過去からだろう。

んでもって、『本当に聞きますか?』問いには『イエス』で確定だ。

 

「順を追って聞きたい。まず『どこが戦いを始めて』、次に『なぜ戦いは休戦になって』、最後に『どうして戦いが始まるのか』だ」

 

戦争を先陣切って始めるような好戦的な国はマークしておくに越した事は無いし、その目的を知れば戦闘を避けられる可能性もある。

逆にこれから始まる戦いを未然に防ぐ事も不可能ではないかもしれない。そう考えての問いだった。

 

しかし、途端に場面が切り替わったかのように空気が変わる。

違う、変わったのはカナの方だ。カナの水の如く静かな、それでいて圧倒的な闘気が部屋中に満ちて飲み込んでいるのだ。

 

「キンジ、あなたの質問に答える前に、あなたには答えなければならない事があるわ」

 

怒っている時とは違う。

俺が自分の身を危険に晒した時の兄さんは、それはもう鬼と呼ぶのが形容ではない位恐ろしかった。

 

比較するとカナは怒っている訳じゃない。怒ったところなんてローマに来てから数回見た程度だ。

しかし、説教で許される様な雰囲気でもない。これは、まるで……

 

 

(敵対行動……ッ!?)

 

 

状況が分からない。

瞬間的に脳の機能がロックを掛けられたように動作を停止して、全ての神経がカナの動きに集中しようとフル回転で動き出す。

 

手元には使用可能な拳銃も無い、ナイフも無い、防弾制服も無い。

あった所で役立つとも思えないが、部屋着とカツラ以外には丸腰というだけで気が滅入ってきそうだ。

 

 

「久し振りに、しちゃおうかな?」

「ッ!」

 

 

振り返るカナのお願い、すなわち命令。

それを断る術を、俺は持たない。

 

 

「ウソをついちゃダメよ?」

「うそ……?」

 

 

(強制させることを嫌うカナがお願いをしてまで俺から聞き出したい事……?)

 

そんな言い方だった。

俺がカナに隠し事をしてるとでも思っているらしく、答えによっては無事では済まされ無さそうだ。

 

 

「キンジは5年前、日本で隕石を巡る暴動事件があったのを覚えてる?」

「隕石?暴動?そんなニュースをテレビで見た覚えも無いはずだ」

 

 

ヘタな言い訳は通じない。

答えは細心の注意を払って、事実と違える事の無いようにしなければ。

 

 

「確かにこの事件はニュースどころか当時は新聞にすら載ることはなかったの。国家機密を含んでいたから、あらゆる情報機関に多大な圧力が加えられた。自身の仕事に誇りを持っていたと、どこか遠く手の届かない、誰にも声が届かない場所で吹聴している人間もいるのかもしれないわね」

「……その事件と俺に、何の関係があるんだ?なぜ、俺が知っていると思った?」

 

 

どうやらこのまま話が進めば俺と無関係であることを証言できそうだ。

一生のうちに隕石とお友達になった覚えも、暴動事件に参加して羽目を外した覚えもない。いわゆるお門違いって話。

 

緊張が解け始め、少しだけ肩の力が抜けた辺りでカナが唐突に個人の名を挙げた。

 

 

「かなせ」

 

 

聞いた事の無い名前だ。

やはりカナの勘違いだろう。

 

内心ほっと一息つく。

 

「『怪盗団』と名乗った犯人の内、1人はそう呼ばれていたらしいわ。年の頃は10才前後で少女のような振る舞い、黒髪にキツネ面を付けて奇妙な術を数多く使いこなしたそうなのだけど……」

 

同年代ではあるようだが女子らしいし、続けば続くほどに知り合いからはどんどん離れて行く人物像。

キツネで一菜を思い出しかけたが、髪を染めても黒くならないんだったな、あいつ。

 

「そいつがどうかしたのか?そもそも、箱庭とその事件の犯人に何の関連性があるっていうんだよ」

 

興味も無いが、ぶった切るのも悪いから乗っておく。

 

 

「その子は私達の親族である可能性がある。そして、この箱庭に参戦している……かもしれない」

「――っ!」

 

 

(俺達の……親族…………?)

 

どういう事だ?なぜそんなことが分かる。

それに暴動事件の犯人だなんて、遠山家の親類にいるはずがないだろ。生きているはずがない。

同年代の少女が宴会の席にいるのは見た事が無いし、いたとしてそれなら兄さんが知らないのはおかしいのだ。

 

(いくら何でも筋が通らなすぎるぜ、どうしたんだ、カナらしくもない)

 

顔に出てしまっていたのだろう、カナはそう断定した理由を遂に口へ出したが、それはにわかには信じがたいものだった。

 

 

「キンジも遠山家の技の1つ――『指矢』を知っている?」

「……知ってる。正式には継承はされてないけど、どんな技なのか位は聞いた事がある」

 

 

指矢は父さんの技だ。

継承したのは『羅刹』同様兄さんのみで、つまりカナも使うことは出来るのだろう。

しかし、音も光も無いという隠密や不意打ちの利点を除けば、威力も速度も上回る不可視の銃弾を習得した兄さんがわざわざ使う必要もなく、実戦で使っているのは見た事がない。

 

 

「かなせという少女は、両手から見えない何かを音もなく弾き飛ばして来たって報告があったの」

「両手って」

 

 

子供ながらにロマンを感じ、指矢の習得に挑戦した時期もあったが結果は散々なもの。 

小さい頃の苦い思い出を辿る内、証拠を並べるように次へ、次へと戦闘報告が述べられていく。

 

 

「木々の茂る林の中で音もなく這い回り……」

「……『壕蜥蜴』?」

 

確証は出来ない、が。

 

「手に持っていた銃、弾倉、ナイフ、腰に付けていたワイヤーや通信機器に到るまで、次々と掠め取って……」

「『ヰ筒取り』……!」

 

カナの推理通りかもしれない。

 

「高い位置から落下した勢いをそのまま衝撃に変換させたような掌底で、体格で圧倒的に勝っていた大人を2m以上打ち撥ねたそうよ」

「『勾玉』の事か」

 

そいつは遠山家の技を継承している!

 

 

「すぐに親戚一同に知らせが回ったわ。でも年齢条件だけなら数人の該当者がいたのだけど、どこにも件の少女はいない。術理の漏洩として処理されて、その子供を討つ"仕事"が託されたのよ、私に」

「……俺と同じ年の子供を……殺すのか、カナ?」

 

 

今日日まで遠山家が正義の味方としてあり続けられたのは、その家族をも討つ覚悟と"義"への絶対の誓い、血生臭い過去の因習による。

義の道を外れた者は、その家族によって討たれるのだ。兄弟である俺と兄さんも、互いの義がどこかで衝突した時には道が一つに戻る様に、桜の木が一本の芯を通してまっすぐに伸びる様に戦う事になる。

 

 

正義とは、決して綺麗なモノなんかじゃない。

 

 

表の面が綺麗であればある程、その裏の面は薄汚れているもの。もし表も裏も変わらないのなら、それはきっと未完成で中身の無いものだと言えるだろう。

性格に裏表のない人間は知らず知らず心に陰を持っているもので、充実したサービスは裏で人員を酷使して成り立たせている。

 

逆に両面をピカピカに磨こうとすれば徐々に擦り切れてペラペラな、息で吹き飛ぶ紙切れになってしまう。

人間でいえば主体性の無い意志薄弱なやつだし、会社でいえば社員の生活を支える為に利益も出せず潰れてしまうようなもの。

 

 

だから俺は揺れてしまうのだ。

何かを犠牲にしなければ成り立たない正義を貫くことが、それ自体が俺の考えていた未完成な正義と違う道を進んでいるから。

 

 

だから……俺は兄さんを指標にした。未開の地を拓くことを、恐れたんだ。

今の俺に、己の正義はない。

 

 

「危険よ」

 

 

セリフは俺の適当な回答と同じ言葉ではあったが、その重みは糸くずと金塊。

正義の瞳は一切の悪を見逃さない、"義"を口にする兄さんと同じ瞳。その色は変わっても輝きはどんな姿でも変わらなかった。

 

 

「彼女達の拠点は世界各地にある。その1つがここ、ローマにあることは分かっていたし、ヨーロッパのあちこちに隠れ家を構えているらしいの」

「カナが……俺たちがローマに来た理由は、少女を殺す為だったってのかよ!」

 

 

正義の味方に対して、声を荒げてしまった。

僅かばかり含まれていた怒気は完全な八つ当たり、そうやって自分に無い正義を相手を否定することで得ようとしてしまう。

 

しかし、意思のない言葉など、相手には、届かない。

私情を第一に考える群衆の言葉なんかに惑わされる正義の味方は失敗作だ。

 

カナはその長い睫毛を動かす間隔をコンマ秒もズラす事すらせず、姿勢を変えないままに、――。

 

 

「……あなたが眠っている間に、『ルーマニア』が『バチカン』に仕掛けたわ、あの日の夜の内に。それも単身で、周囲を無茶苦茶にしてしまうんじゃないかと思える程に暴れ狂っていたの」

「…………」

 

 

緊張で満たされた中で、やっと聞きたかった箱庭の戦況を説明される。

だが、カナが構えた段階から脳は動きを止め、ただただ記憶のみに蓄積されていった。

 

 

「最初は優位だったバチカンも『ローマ』が動いたことで膠着状態に陥った、使い魔がローマ中を飛び回っているからその影響もあるのでしょうね。そしてあなたが目覚める2日前にルーマニア姿を消して、膠着状態のままどこもを見せていない。それが現状よ」

 

 

1つ目、2つ目の質問が終わり束の間の平和であることは理解できたが、それ以上の推論は今は無理そうだ。

それが分かっているのか、カナも話を切ることをせずに3つ目の質問にも答えを提示する。

 

 

「あなたが起きたから戦いは始まるの、キンジ」

「俺が、起きたから?」

 

 

予想外の答えに眉間のしわが深くなったように感じていると、カナの右腕が動くのに気付いて咄嗟に身構える。

しかし、これまた予想していたよりも遥かに緩慢な普通の動作で、敏感になり過ぎて早とちりしていたがあの構えは不可視の銃弾の準備ではなかったようだ。

 

その手には一週間前に見た招待状と良く似た折り畳みの白い厚紙が、平和の作り手ピースメーカーの代わりに添えられている。

 

 

「これ、あなた宛ての手紙よ。女の子の手紙にはちゃんと返事を返してあげなきゃだめ、忘れないようにね?」

「待ってくれ、まだ答えを……って、俺宛てに女から手紙?何の間違いだ」

 

 

知り合いの女……?

パオラとかヴィオラとかか?

 

あいつらならこんな古典的な遣り取りをやりかねないな。

手渡された紙、その一面に書かれていた文字は――

 

 

「――『果し状』、か」

 

 

中身を確認すると1枚だけの便せんが封入されていた。

日本語、記名は無し、三行半……意外と丸文字。一菜あいつか。

 

 

「なあ、日付と時間のとこが空白なんだが……」

「ええと……その紙は折り返し用らしいわ。クロちゃんがいつ復活するか分からないからって」

 

 

果し状の折り返しなんて聞いたことねーよッ!)

 

果たし合いの押し売りじゃねーか。

アホだ天然だとは思っていたが、決闘を申し込む時にまで突っ込み待ちかよ。

 

 

「……これ、来週でもいいか?」

「ゴミ回収じゃないんだから……明日にでも渡しに行くのよ」

 

 

(め、めんどくせぇ……)

 

おかげさまで、カナの闘気が萎えている。

とはいえ、それはそれこれはこれ。

 

鉛筆でいいか。

筆なんて持ってないし、ペンは授業でいっぱい使うし。

 

 

「あいつは何を考えてるんだろうな」

「そんなの、読んで字の如く、でしょう。彼女達――日本の代表戦士が、クロ同盟の最初の相手になるという事ね。ファイトよキンジ」

「場所の指定も無いんだが」

場所を決めるのエスコートは男の仕事、そういうものなの」

 

 

(うっわ、マジめんどい、適当でいいや)

 

受け取った手紙をそのままサイドテーブルへ、戦いが始まるって俺の事だったのかよ。

 

 

「今は他に争いの前兆はないんだな」

「ええ、『今は』ね」

 

 

そうか、それなら……

 

 

「かなせってやつに心当たりはない。俺は休むぞ、まだ本調子じゃないから決闘は先送りだ」

「そう、ならいいわ…………ねえ、キンジ。あのお祭りの日――」

 

「おねぇーちゃぁーんッ!!」

 

「!!」

「!?」

 

 

チュラの叫び声。

銃を整備しようとした体が少しだけ跳ね上がって、何かを言い掛けたカナと目が合った。

 

「――キンジはここに居なさい」

 

それだけを言い残し、カナは寝室を飛び出した。

 

そうではないと思いたい。

例え今が束の間の平和なのだとしたら。

 

「イヤな……予感がする」

 

今というタイミングは、もう過ぎ去ってしまっているのかもしれない。

 

「ここに居ろってのはあんまりだぜ、カナ」

 

ハンガーに掛けられた制服を見る。

そのまま着込んでも、違和感は無いだろう、なんせ朝から女装しっぱなしだったからな。

 

(今日はまだ成れないだろうけど……)

 

やれることくらいはやらせてくれよ。

臆病風に吹かれたら、ご先祖様にボコボコにされちまうだろ?

 

 

だから――

 

 

まだ、もう少し、兄さんの道を歩かせてくれ。

俺の道は、まだ見えないんだ。

 

 

「カ…姉さん!何かあったのか!?」

 

いつもなら玄関を駆け上がって、部屋に居ようが居間に居ようがバルコニーに居ようが腰元に納まらんとホーミングタックルをかますTPOのないチュラがこちらを呼んだ。

何事かと思って廊下をスリッパも履かずドタドタと走って来たのだが、

 

 

ビィイーーッピチピチピチュピチィッ!

 

 

俺の目の高さに鳥がいた。

チュラの頭の上を我が物顔で占領する自己主張の激しい……鳥。

 

 

「……カラフルです」

「カラフルね……」

「ピチピチピチュピチィッ!」

「テュラ、お上手でした!」

 

 

散歩に行ったんだよな、そうだよな。

どこまで行くのかを聞く気も無かったから、割と遠くまで行ってたんだなー、なんて思っていたのだが……

 

 

「なんで2人とも、そんなにボロボロなんですか?ああ、いえ、先にお風呂に入ってこ……来て下さい」

 

 

パチパチパチじゃないだろう。散歩は歩くものであって転がるものではない。

チュラの制服もバラトナのパーカーも、全面を一通り汚しており、ウチは土足厳禁だし、犬の散歩後みたいに風呂への直行確定だ。

 

「お風呂を沸かしてきます」

 

「チュラも――」

「カナ、2人にタオルと着替えを」

 

ついてくんな。

 

「私はシャワーで構わないのでした、クル。お湯がいっぱいになる前に入りました」

「一度入ってみてください、疲れが取れますよ?」

「……お風呂は……浴槽は怖いのでした、でもクルが一緒なら――」

「カナ、着替えの用意もお願いします」

 

ついていかねーよ。

 

 

「ふふ……おも、しろい……ふふ……」

 

 

笑い事じゃねーんだって!

風呂に入ればしばらく出て来ないと思っての作戦だったのに、裸の付き合いに転換されるとは思ってなかった。

走ったんだか何なんだか汗もいっぱいかいたみたいで、女スメルが蔓延した玄関が俺にとっての終着点になっちまうよ!

 

(風呂場だ、風呂場に逃げろ。ここは背中をカナに任せて逃げの一手だ)

 

俺だけを殺す気体が充満した空間からは戦略的退去。

追撃を友軍の対応に全任する形にはなるが、よく考えれば敵軍も友軍だ。仲良しこよしで足止めしていてくれ。

 

 

トイレの前を通過し、バスルームの扉を開けた。

日本のように換気扇を回さなければ乾かないなんてことも無く、壁がカピカピになる位に中は乾燥している。

 

風呂・トイレ別の貸家なんて無謀な家探しを頑張った甲斐もあり、誰かが入浴中でもトイレを探しに屋外へ出る必要もない。店内備え付けのトイレも公衆便所も利用料金を取られるし、日本と比べると汚いと聞いていたのでなるべく家で済ませたかったのだ。

 

「あの鳥はどっから連れて来たんだ」

 

女だらけの屋内で個人スペースを手に入れた後は、現実逃避の材料としてチュラの頭で胸を張っていた色彩豊かな鳥類を思い出す。

もちろん手は動かしたまま、早く終わらせないとあいつが来る可能性があるし。

 

 

「チュラちゃん、お風呂に入るといたいいたいだから消毒してばんそうこうを貼りましょうね」

「染みるのやだー」

「お風呂のお湯の方がいたいわよ?ちょっとだけだからがまんしてね」

「……はーい」

 

 

時間制限の判断材料として、耳をそばだてる。

 

「……まだ、大丈夫そうだな」

 

作業の続行だ。

 

色以外の特徴としては……すごく、偉そうというか自信満々というか、仕草がうざい。猛禽類っぽい顔の作りはしているが、あれだけ目立ってたら獲れる獲物も獲れんだろ。

ペット用に品種改良された個体が逃げたか捨てられたかしたと考えるのが自然か、鳥が自分でメイクするとは考えられない。

 

何で頭に乗るんだか。定位置なのか、バランスもとり辛そうだぞ?

 

 

っと、手を動かせ。

 

(すぐにカビが生えないのはいいな、日本じゃタイルなんてすぐに黒くなるってのに)

 

めりも残らないから風呂掃除は楽……なのには理由がある。

 

そう、ここはローマ。水は硬水。

乾けば浴槽全体に粉(塩素系)をふくし、髪も肌もズタボロにされてしまう。

鏡の留め具なんかの金属が錆びづらいのは良いのだが、肝心の鏡が見えなくなる。

 

下調べは重要だと思い知らされたよ。

パオラが編入早々に用意してくれた軟水シャワーの効果は絶大だ。じゃなきゃ朝も洗顔シートで済ませて顔も洗えてない所だったぜ。

 

 

「すみませんでした、カナ。先にお手洗いをお借りしました」

「ええ、行ってらっしゃい……?」

 

 

おっと、余計なことを考えていたら手が止まり掛けてた。

後は水を掛けて湯を張るだけだ。

 

 

「バラトナちゃん、あなた、怪我はどうしたの?」

「……っ!……最初から……して、ませんでした」

 

 

お湯が溜まるまでは引き籠ってようか、チュラが来たら速攻出るけどな。

 

シャワーから勢い無く注がれる、体温より少し温度の高いお湯が徐々にその容積を膨らませていくのを、焦点を合わせずにぼーっと眺める。

浴室の温度も上がっていき、水の跳ねる心地よい音が瞼の幕を下ろし始めた。満腹だからか眠くなってきたらしい。

 

(俺はなんで箱庭に参加したんだっけな……)

 

一菜を守りたい、って考えたのは覚えてる、その一菜が最初の敵な訳だが。チュラが狙われているのも夢の中で推理した。

ヴィオラには守ってくれと依頼されたが、毎回雑談込みの食事をとってお開き。箱庭のはの字も出やしない。

だが、それらとは別に。何か大切な約束をしたような気がするのだ。

 

思い出そうとしても、ある一定記憶まで遡ると頬の痛みと共にスタート地点に戻される。

とても大事な……約束をしたはずなのに。

 

約束を待つその人物の輪郭すら――

 

 

「クル、起きていました?」

「!!」

 

 

湯気が薄っすらと白化粧を施した鏡に映る曇りガラスは緑色だった。背にした戸の向こうにラフなTシャツへ着替えたバラトナの影が現れていた。

どうやら友軍の討ち漏らしが本陣まで到達してしまったようだ。

戦略ゲーだったらゲームオーバーだぞ?

 

「いえ、起きていますよ。どうかしましたか?」

 

バラトナで良かったと心から思う。

チュラだったら特攻+のスキルで湯船にどっぽーんだったからな。夢でやられた。

 

 

「あの……湯船に沈んでるんじゃないかと……思いました」

「どんなドジっ子ですか、いいから部屋で休んでいてください。ケガをしていたでしょう?」

「……ッ!?」

 

 

手を掛けていたのかそれとも背をのせていたのか、戸が動揺するようにカタンと音を立てた。

 

一目見て分かっていたが彼女の太腿、スカートに隠れるか隠れないかの微妙な位置に打撲のような赤腫れがあった。そんなに重症ではなさそうだが、歩けば痛み、治りも遅くなるだろう。

去って欲しいのもそうだが、少しだけ心配もしている。

 

 

「……して、ない……気のせいでした」

「?」

 

強がりか?野生動物や小さな子供じゃあるまいし。

武偵中にも負傷を恥じて隠す奴はいたが、そんなもの高校に入る頃には無駄だと気付く。

例えばフィオナとかが少し危ういな。体調が悪ければ早めに救護科に行くが、具合が悪い程度だとチームに共有しない。

ヒステリアモードに掛かれば一目瞭然なクロが指摘してフォローしている内に直ればいいけど。

 

 

「そんなわけありませんよ、確かにあなたの脚には……バラトナ、さん?」

 

 

――気配が消えた。

 

うーん?素直なやつだと思っていたが、変な所で頑固な面があるのか。

予想してなかった意外な一面だ。

 

本人が大丈夫だと言ってるなら何度もしつこくは聞かないでおくか。

俺は自衛で精一杯だからな。

 

「さて、もうちょっとしたら」

 

シャワーの蛇口を閉じ索敵を行う。

スプリントのゴールゲート目掛けてリズムよく跳ねる足音。

絆創膏を貼ったあいつが来た。十分な助走を付けてゲートをぶち抜き、風呂場いてもお構いなしなタックルを――

 

 

「おっふろーッ!」

「潜林ッ!」

「わぷぅっ!」

 

ザバーンっ!

 

おーおー、派手に突っ込んだな。

水位が低いから頭も打っただろうよ。

 

特攻どころか爆雷レベルの戦妹は、あの勢いで俺を道連れにしようとしていたのか。

…………湯船に沈みゃしないよな?

 

 

ブクブクプク……ザバァッ!!

 

 

「がぷぁっ!あれー?戦姉がいなかったー?」

 

 

沈んでいなかった不発弾は立ち上がるまで勢いを失わず、一気にその全身を……

 

(当たり前だが……何も着てねぇッ!)

 

不発弾の大爆発。

その威力たるや爆雷の名に恥じぬ衝撃波で、あの柔らかな肢体が直撃すれば……免れなかっただろう。

 

チュラは家族のようで血のつながりはないから家族でない。

近しい人間というのは心を許せる存在だから、本能的に……

 

 

「ニキャアーッ!」

 

 

恥もへったくれも無い。

防空壕も無い戦場から命からがら脱走した。

チュラで通常のヒステリアモードを発動なんかしてみろ、整備したばかりのベレッタに自分の血を浴びせることになる。

 

頭のおかしな声?

出たからしゃーないだろ!変声術の後遺症だ。行ったり来たりしてる内になんかああなっちまうんだよ!

 

 

転がり出た先にカナがいる。

物思いに耽っているのか、さっき起こった空爆にも俺の奇行奇声にも、その目を向けてはいなかった。

 

フローリングに強打した肩を押さえながら立ち上がり、しっかりと気持ちが届くように抗議の意思をいっぱい詰めて今朝と同じ第一声。

 

 

「カナ、頼むから戦妹チュラを止めてくれ」

「あら?チュラちゃん、いつの間にいなくなってたのかしら」

「クル、寝惚けてました?」

 

ピチュピチィッ!

 

 

そうか、寝ても覚めても悪夢なら。

 

俺は寝るぞ!

ふて寝の二度寝だ!

 

 

黒金の戦姉妹30話 仮構の水源(前半)

仮構の水源ミスギヴィン・スタート(前半)

 

「カナ、頼むからクロを止めてくれ」

「あら、何の事かしら?」

「キンジ、寝坊助さんなのー?」

 

 

体温と完全に同化してしまった掛布団は、もう何時間俺の上にいるんだろうか。

睡眠期から目覚めて早々頭痛が鳴り止まず、先程ようやく起き上がることが出来るようになったばかりだ。

 

 

「あんな1年分の悪夢が集結したような戦場にいたら……こうもなるよな」

 

 

夢の中の俺は自由過ぎるが、せめて人間の常識の範囲内で行動を取って欲しい。

なんであんなことになるのだろうか、生きてたのが奇跡だ。

 

あの夜は第4の同盟――クロ同盟の設立を宣言後、3色の同盟締結を見届ける暇もなく必死で逃げ延び、逃亡先の貸し部屋で意識を失った。

同盟の締結まではヒルダもリンマも楕円形の石塀から出ようとせず、クロの宣言はナイスタイミングと言えるだろう。いや、あんな命知らずなことをしないのが一番なのだが。

 

 

「どうするんだよ……箱庭の全部が敵になったんだぞ。あの気味の悪い魔女の親玉みたいなのがいつ目の前に現れるかと気が気じゃない」

「あなたも分かってると思うけど、私にもあなたクロの考えが良く分かる。堂々としてて、とってもカッコ良かったわ。立派に成長したのね、キンジ」

「カッコいーよ、キーンジー

「……ただの虚勢だ」

 

 

(こそばゆいな……)

 

それは当然分かって然るべきもの。

クロの考えは俺が一番分かってる。これだけはカナにだって負けないと言い切れた。自分の事だしな。

 

カナは俺じゃなくてクロを褒めているのかもしれないが、それでも自分の意見をカッコ良いと言われて悪い気はしないものだ。

素直にありがとうと言えないのは、行き当たりばったりの茨道に2人を道連れとして同伴させた後ろめたさがそうさせるのだろう。

 

……で、そろそろいいか?

 

 

「カナもチュラも、心配してくれてたのは嬉しい。けどな、もう大丈夫だから離れてくれ」

「ふーん、そんなこと言っちゃうんだ」

「言っちゃうんだー」

「な、なんだよ。チュラ、お利口さんにしないとダメって夢の中でクロに言われてただろ?」

 

 

ベッドの右側に腰掛けたカナは頭を撫でる手を止めず、含みのある言い方でやんわりとオレの言葉を拒み、左側から乗り込んできているチュラは……こいつ、聞こえないフリしてやがるな!小賢しい真似を。一体誰に似たんだか。

それもそうだが、俺が武偵中の制服を着てないのはシワになるからという配慮なのだろう。ならなぜ俺はまだカツラを被ってるんだ?これはどういう配慮なんだ?

 

いくら耐性がついたからってこの状況はちょいとばかし心臓に悪い。

ホントどういうつもりなんだ……?

 

 

「昨日の夜から今朝まで、手を放してくれなかったのはキンジの方なんだけどなー。それなのに私にはそんなに冷たい態度」

「取っちゃうんだー?」

「それは……!」

 

 

薔薇色の唇をツンと突き出して拗ねる戦姉あねに追随するぷーっと頬を膨らませた戦妹いもうと。切れ長の目と丸い瞳が、本心を催促するように俺の寝惚け眼をじっと見つめる。

意識混濁期間だから仕方ないだろ、という言葉が何故か口に出せない。

言っちゃいけないと誰かに釘を刺されているような、警鐘に見立てて頭の痛みが増していくような。

 

 

「……心細かったんだろ……覚えてないけど」

 

 

数秒間、適当な言い訳を考えたものの、結局は本心を言わされる羽目になった。

2人は俺の素直な答えが少し意外だったようで、ぱちくりと見つめ合ってようやく拘束されていた腕を離してくれた。

 

 

「んー……まぁ、キンジにしては合格かな?最近は姉離れが進んじゃって寂しいわ。反抗期かしら?」

「えー……チュラも離れなきゃ、ダメ?いーよね?ね?」

「良くない。お前も物理的に戦姉あね離れしろ」

 

 

とはいえ、アメを与えなければ動かないのが俺の戦妹である。言うことを聞く時は赤べこみたいに頷くが、聞かない時は駄々っ子みたいに泣くわ喚くわ噛み付くわ、実に無碍な振舞いをしてくれる。

甘やかしは良くないがムチに対する反骨精神はピカイチだし、こいつの笑顔を見てると怒る気が失せる。なんだかんだで、毎回ねだり負けするのだが、

 

(こっちは上手く体が動かないんだ。意地でもどいてもらうぞ)

 

耳の後ろと髪の生え際、完骨・頭竅陰付近を軽く擦る様に撫でてやると抵抗が薄くなることは夢の中で検証済みなのだ。

 

 

「お腹が空いた。起きて最初のご飯はカナの手作り料理が良いな」

「っ!何か食べたい物はある?何でも用意してあげるよ?」

 

 

気持ちよさそうに脱力した顔の戦妹を見て物欲しそうな顔をした戦姉に、この場を去らせる口実を作る。お腹は本当に胃が刺すように痛み出す程空いてるし。

頼む、年長者である自覚を持てとは言わないが、俺が兄さんに銃殺される原因を作ろうとしないでくれ。

 

 

「カナの手作りなら美味しいからなんでもいい。……けど」

 

 

ここで何でも良いで終わるのはNG。

それは過去の経験から導き出された超重要項目。

 

こちらとしては本当に在り物で作った何が出て来ても満足できると言えるのだが、どうでもいいというニュアンスで捉えられてしまうらしいのだ。

献立を一緒に考える、それだけで色好い反応が得られやすい。

 

 

「思いっきり食べられる和食が良いな。メインは魚でも肉でも良いけど塩で薄めの味付けでシンプルに。後は味噌汁と付け合わせに酸味のある物を食いたい」

「うん、分かった。チュラちゃんお料理、手伝ってくれる?」

「えへー。う~~ん……いま、いく~……」

 

 

口だけで動かないんじゃないかと警戒したが、すんなりカナの下に向かって行った。

理由もなく離れようとするとしつこいが、利口になったもんだな、あいつも。

 

姉妹に挟まれての目覚めは胃に悪い。俺は朝食も白米派だから、朝からサンドイッチは要らないんだよ。その上鏡を見ればサンドされた具まで目の毒な三姉妹で。

そんな状態でヒスってみろ一生分の悪夢を見て起き上がれなくなる。俺は人生を諦めてもう一回寝るぞ。

いいか?起きても悪夢ってんなら、二度と起きないからな。

 

 

ま、ともあれ作戦完了ミッションコンプリート、一件落着だ。

こうして俺の平穏は守られ……ッ!

 

 

「……ってぇ」

 

 

頭痛が悪化してきた。

何だってんだ、やっと静かな部屋で独りになれたってのに、物言いでもあるのか?

 

もう一眠りと考えていたのが阻まれる形となり、1人でいる事が逆に手持ち無沙汰になってしまった。

このままうだうだとベットで過ごしていても頭痛は悪化しそうだし、安静に気を紛らわせられることは無いか……。

 

 

「…………」

 

 

ふと、目に入ったのはサイドテーブルに飾られた花瓶。

小さなイングリッシュローズと黄色いガーベラの造花が中心に据えられ、手前側には雨を想像する紫陽花とお日様のイメージを持つヒマワリが並び、その2本の後ろからイチゴの造果がひょこっと顔を出している。左に濃淡の違うネリネアルストロメリアを配置し、区切りを作る様にグリーンのポコロコが差されて、右にはエーデルワイスと3輪のマリーゴールドが互いに異なる方角を向いて手を繋いでいるようだ。

 

クロが水交換の度に、しょっちゅう並びを変えてはルンルン気分で記憶のアルバムにしまい込んでいる。我ながら何をそんな少女趣味な事をしてるんだか。

思い返すと、楽しかった記憶が今の気持ちと衝突し、その余波が気分の波を複雑な形に跳ね上げさせていく。

有事に備えて銃の整備をしておきたいのは山々だが、このコンディションで万が一ミスがあってもいけないしな、今はこの花々で癒されておこう。

 

 

(……ん?)

 

 

どうやら俺が寝ている間に追加オーダーが来ていたようだ。

新たに届けられた花の数は……減っている。仕方ないか、状況が状況だもんな。学校に通えてない奴もいるんだろ。寧ろ学校に通ってる奴らが無事だってのは朗報だ。

 

俺が寝込んでいたとはいえ、カナが動いていないって事は一般の人間が巻き込まれる様な大規模な戦闘は行われていないという事。そこのルールはきっちりと守られているらしい。

出来ればこのまま、箱庭の国々が大人しくしてくれれば嬉しいんだが……

 

 

特に今日は体も動かんし、ヒステリア・フェロモーネの発動も無理だし。

食事どきの話題としてはいかがなものかと思うが、2人に戦況を聞いておかないと、身の回りで何が起きているのか分からんのは困る。

 

 

「こんにちは。ただいま戻りました、カナ、テュラ。クルは起きていましたか?」

「こんにちは。クロちゃんはまだ寝ているわ。休ませておいてちょうだい」

「こんにちわー。テュラじゃなくてチュラだよ」

 

 

あー、困る。

身の回りで何が起きてるのか分かんねぇ……

 

お邪魔しますじゃなくてただいま、って言ったな?

起きたら家に1人増えるシステムはどうにかならないんですかね?

 

聞いたことも無い声だし、女の声だし、新(侵)入居者は俺を知らない可能性がある。それで俺の格好はクロのままだったのか。

やっと落ち着き始めた頭の痛みがぶり返してきそうだぜ。

 

 

コンコン……

 

 

ほらほら、来ましたよ。

時代劇やスパイ映画にも何かしらお決まりのシーンがあるものだ。いわゆるお約束。

前回はチュラだったが、こんなのがお約束になられたらたまったもんじゃない。

ここは頭痛を我慢して寝たふりに徹しよう。そうすりゃすぐに諦めて帰るだろ。

 

部屋の入口に背を向けて横になる。

布団を鼻まで持ち上げ、依頼料で買い替えたふかふかの枕に頭を沈めると、完成だ。

後は呼気を規則正しすぎない程度にコントロールしながら……カツラはズレてないだろうな?

 

 

グ、ギギィー……ッ!

 

 

扉が開かれた音で、改めて立て付けの悪さを実感する。これが耳障りだから普段は開けっ放しにしているのだが、反対に、たった今俺と同じ音を聞きながら扉を開けた相手は、すでに聞き慣れたのか戸惑うことなく寝室への侵入を果たした。

何回かこの家に、この部屋に訪れているのか。

 

「お邪魔しました」

 

それは部屋を出る時の挨拶だ。

だから出てってくれ。

 

「こんにちは、クル。よくお休みのようでした」

 

そうだ、良く寝てるぞ。

だから起こすなよ。

 

「悲しい、顔が見えませんでした…………起こしちゃダメでも、少しならいいと思いました」

 

 

トットットッ……

 

 

短い自問自答の末、悩んだ割には配慮のない足音が背後から足の先、さらにベッドを回り込んで正面、顔の前に回り込んでくる。

誰なんだよと心の中で悪態を付きつつ、バレないように薄目を開けて、安眠妨害の犯人を補足した。

 

(……!)

 

そいつは確かに見た、夢の中で。あの悪夢の中で、確かに出会っていた。

その時はあっちが寝てたけど。

 

 

「必ず、起きて欲しいのでした。クルとテュラが助けに来てくれた、カナが私達を守ってくれた。とても嬉しかったのでした」

 

 

(――ハンガリーの……代表戦士ッ!)

 

服装は変わってたけど、確かにこの顔を見た。

 

クロ同盟宣言後、ヒルダとリンマに襲われながらも、便乗したバチカンのシスターやカナの援護もあって大木へ飛び込むように走り切り、枝に引っ掛けられていた彼女をセーブした。

だが、チュラが反射を使おうとしたらうまくいかなかったのだ。

 

箱庭の主に話し掛けられてから精神状態が万全じゃなかったし、あの日は既に自分の分と俺の分で2回も魔女の力を反射させていたから使役自体が困難だったのかもしれない。

だからチュラに付き添っていた。「戦姉が一緒に居てくれたら出来る、不可能なんてない」なんて言うんだもんな。本当にやり遂げた辺り、大した根性持ちだぜ。

 

 

「……目が覚めるのを待っていました、クル。あなたにも、お礼が言いたいのでした」

 

 

そうか、こいつも無事に目覚めてたのか。ウサギのような梅重の瞳はスタディオンでは見られなかったけど、そんな色をしてたんだな。

美人系のカナと可愛い系のチュラの中間、華もあって愛嬌もある女性らしさの煮っ転がし。身近な近所のお姉さんって感じがして苦手だ。

 

礼は後でクロに言ってくれ。まあ、それも俺で……って、ややこしいな。

 

今度こそ一件落着か。

 

 

 

……終わらせてくれよ。

 

 

「箱庭の統一、終戦。そんな事考えたことも無かったのでした。主は絶対、それが箱庭に鎖された国々へ生まれてしまった私達の意識に教え込まれてきました。彼女を目の前にして貫き通す意志の強さ……ステキ過ぎるのでした!」

 

俺も深く考えて出した結論じゃなかったよ。

後悔は……してないけど、ステキなんて言われる筋合いはない。

 

しかし、話し掛けられる声は途切れず、語る口にも熱が籠り始めて、ベットがギシっと軋む音を上げる。

身を乗り出し過ぎたのか、片膝が体重の大部分を支えて俺の聖域たる台上に乗り上げているようだ。

 

「私は箱庭の戦いには参加できないのでした。でも、クル達の力になると決めました!」

 

まさか頭から聞かれているとは思いもしていないのだろう、そんな素直に自分の気持ちを声に出来るもんじゃない。

意識の回復には話し掛ける――聴覚を刺激するのが有効だから試みているつもりか。

俺を正義の味方かなんかと勘違いしているみたいだし、反応しそうな単語を選んでいるのだろう。

 

(聞こえてる!聞こえてない事にするけど、聞こえてるから!それ以上接近すんなっ!)

 

聞こえないフリは出来ても寝返りを打つわけにはいかず、かといって何をしでかすか分からん奴がいるのに目を閉じるのも危険。そいつがソロソロと近付く光景を、絞首台に登る気分で待ち受けるのを許容しなければならない。

夢の中で面識のない相手には未だに免疫を作るのが遅いままで、距離を詰められるのは少し怖いのだ。

 

当然、素直で切実な心の声が届こうはずもなく、ウグイスの羽みたいな褐色寄りの橄欖色をしたサラサラな前髪が長く枝垂れ、俺の鼻先に触れそうになった。

服装が変われば印象も変わるもので、私服を着用した今の彼女は年相応の高校生くらいに見える。

 

 

「だから……必ず、起きるのでした、クル」

 

 

息づかいが聞こえるほどの距離で、もう一度、起きてくれと、訴えかけられた。

 

それを拒絶する俺が、自分でもおかしいが、クロを閉じ込めている檻になっているような気がして……

クロが自分の中から脱走しようと乖離していく気がして……

 

 

無性に、物悲しさが膨らみ始めた。

 

 

どうしてだ?

 

クロは俺と違って俺の存在を認知できていない。

だからこそ、俺という檻にも気付かず、何の気兼ねも無く学校生活を楽しんでいた。

 

あのカナですら、俺を弟と識別しておきながら過去の記憶の綻びに気付かず、金一兄さんという存在を認知できていない。

それは自分を守る為なのだろう。認知してしまえば自分を見失ってしまうから、無意識に意識出来なくされている。

 

 

だが、もし俺のヒステリアモードが不完全で、穴のあるものだとしたら。

その綻びに……何かのきっかけでクロが触れてしまえば。

 

 

(勘付いた……?)

 

 

俺が日本に戻ればクロという存在は二度と表に出ることはない。出すつもりもない。

それを知れば、あいつは……俺は、どんな行動を起こすか。

 

 

俺にも、予想できない。カナにも。誰にも。

 

 

 

 

 

 

目が覚めた、らしい。

どうやら色々と考えている内に本当に眠りに就いてしまったようだ。

 

しっかりと締め直された扉の先から、おいしそうな匂いが漂って来る。

そう、おいしそうな匂い。出来立てのマーマレードのような酸味のある芳香が……?

 

(酸味のある物とは言ったがジャムの匂いがするのはおかしいだろ。おやつも一緒に作ったのか?)

 

せっかく味噌汁が用意されたのだろうに、その溶きたての味噌の匂いで目覚める日本の習慣で床を離れられないのはもったいない。

しかし、意識が覚醒してくると余計にその甘酸っぱい匂いが強烈に鼻を衝いて、甘い匂いが脳を活性化させるのに続いて爽やかな気分が視界を大きく――

 

(やられた……ここまでがお約束だったのか)

 

寝ている俺の顔を眺めている内に睡魔を伝染させたハンガリーの代表戦士が、敵勢力に成り得たであろう俺達の家の一室で、警戒心の欠片を1つ残らず腕の下敷きして静かな寝息を立てていた。

侵犯を果たした体は上半身しか見えておらず、ベットに肘をついて眠りに落ちるギリギリまで粘っていたことが窺え、後からカナにでも掛けられた毛布の暖かさにとても安心したような、眠りというありふれた幸せを享受することに感謝するような顔をしている。

 

健やかな寝顔であるのに、良く見るとその目の下にはクマが出来ていた。夜は怖くて眠れないのだろう。

その恐怖を知っているから、ここで寝ている事を責めるようなことは出来ない。俺だってしばらくは浅い眠りのカナに頼んで隣に寝かせて貰っていて、そうしなければすぐに紋章が疼き出した。

 

 

メーヤの定期的な退魔の祈りと悪魔祓いで効果を薄める事は可能であったが、それは相手がトロヤという悪魔公姫の正体が判明していたから。しかし、あの魔女は名前すら分からない。

さらに、完全に定着した紋章は反射では消せない。埋め込んだ相手を探し出して、交渉しなければならないのだ……箱庭の主に。

 

助ける方法なんて実質無いに等しく、同情はするがあの場にいたこいつが不幸なだけ。

 

(運が悪かったな)

 

チュラがいなければそうなっていたのは俺自身。

理解は出来ているが、それを要因に身を賭して他人を助けようなんて崇高な考えをただの中学生に求めるのは酷ってもんだ。

助けたい気持ちがない訳では……ないけども。

 

 

「あー、やめやめ」

 

思考を振り払う為に、見舞い品の花瓶をもう一度確認した。赤系統と黄系統で構成されたあの花瓶は心を元気付ける作用があり、寝起きには少々眩しいものだが気分転換にはもってこいな代物となる。

 

そういえば、いつも見ているその場所に、新たな花が増えていたんだった。

仲間が一緒に居てくれる証。

 

 

だが、記憶に映った花の写真と、何かが違う。

 

何が違うか、すぐに分かった。そこには――

 

 

「……分かってる。分かってるよ、お前の考えは俺が一番良く分かってる。だから……」

 

 

頭痛は、眠りと共に治まって。

新たな決意と共に、檻へと収まった。

 

モミジのような形のカラーリーフの頂点に、オレンジ色のジャムみたいな芳香を含ませた花が。

なるほど花言葉は「予期せぬ出会い」。

 

 

――――そこには、新たな仲間が増えていた。

 

 

 


 

 

 

空腹に誘われるままに2回もおかわりした茶碗と焼き魚から取り除かれた骨が並べられた長皿、皮ごと軽く炙った小さなソラマメファーベと豆腐、鶏ひき肉の入った味噌汁は様々な食感と旨味が楽しめ、あっさりとした紫キャベツとクレソンの塩漬けは酸味の中にピリッとした刺激があり、箸休めにもお茶請けにもピッタリな一品だった。

我が家の日本食文化が復活してだいぶ日が経った。今ではイタリアの食材で日本食に挑戦しているのだが、これが中々に面白い。

 

日本で和食が、イタリアでイタリア料理が育った理由も分かる時があるのだ。

国民性や古くから続く文化以外に、こうした自然環境による可食植物の発見順にも左右されていたのだろう。似たような見た目の野菜でも食感も味も大なり小なり違いがあって、まるで違う食べ物になってしまう。

 

 

……まあ、昼食を食べ終えた現状を考えればそんな事はどうでもいい。

 

 

「ごちそうさまでした!カナ、テュラ。今日のお昼ご飯も美味しいのでした」

「うん、お粗末様でした。バラトナちゃんは好き嫌いが無くて偉いわ」

「チュラも無いよー」

「そうね、チュラちゃんもえらいえらい」

「…………」

 

俺がおかしいのか?

 

「いいえ、私はブタ様は食べられないのでした……クルは好き嫌いはしないので、私より偉いのでした」

「……そんな事、ないです」

 

 

ああ、今の俺は確かにおかしいな。

遠山クロとして転校するまでの遅延期間ディレイピエリオッドの最中、カナに教わった通りに変装術と変声術の訓練を続けていたのが不本意ながら実を結んだ。

 

4人掛けにしても大きいと思っていたテーブルには4人分の料理が並べられ、4脚の椅子には初めて4つ分の腰が深く掛けている。

俺、カナ、チュラ……そして『ラカトシュ・バラトナ』と姓・名の順で自己紹介をしてきた年上の高校生が、日常のように食卓を囲んで朝昼兼用の食事を取っていた。

しかも、この違和感に気付いているのは俺だけ、他の3人は「朝にカラフルな鳥を見ました」「それ、チュラも見たかったなー」とか仲良く談笑をしながら、お手本のような、または器用な持ち方の箸で魚をつついていたのだ。

 

馴染んでる。ごく普通に。

無所属の集約地に、満面の笑みを咲かせた華やかで人の好さそうな容顔をした脱落者が居座って、食事が終わった後も帰る素振りすら見せない。

なんなら一緒に散歩に行きましょうかみたいな会話の流れすら出来上がって、気分転換しようとか完全に逆効果な理由をなし崩し的に押し売られるまま、俺も付き合わされる羽目になりそうである。

 

 

「まだ飛んでるといいなー」

「私が見たのは飛んだところでした。もう巣に帰ってしまったかもしれないのでした」

「一羽だったなら渡り鳥とは考えにくいし、きっとまた見られるわ」

「……」

 

 

気分転換は部屋で済ませたから要らない。

行きませんオーラを前面に押し出してみるがサヨナラ三振を打ち立てただけで、ならチェンジしてくれていいのに会話の流れは変わりそうも無い。

 

食事時に返答のみを繰り返していたから聞けなかった戦況の話を振りたいが、また三振となってボロが出そうなので積極的に会話に参加しなければならない話題は避けるべきだろう。

何時までいるつもりかは知らないけど、カナもこんなにのんびりしてるのだ。明日聞いても状況は変わらないと思う。

 

 

「クロちゃんも、体を慣らしておくのよ?いつ戦いが始まるのか分からないのだから」

「……うん」

 

 

心情を読まれたようなタイミングだが、カナの言う通りだ。

俺たちは戦争中、それも人道を守れなんてルールや条約も無い、無法者共の争いなのだ。

 

分かっている戦力だけでも、ヒルダやリンマ、一菜とパトリツィアも強敵だったし、フラヴィアやパトラの組織形態は不明。戦闘力は通常時ではもちろん、ヒステリアモードでも勝てると言い切れない相手ばかり。

木に登っていた狙撃手も容易に俺を無力化出来るし、あの場にいた全員が同等の戦力を裏に複数持っているとしたら……

 

 

「戦姉、元気ないのー?」

「クル、具合が良くありませんでした?」

 

 

左隣と斜向かいからほぼ同じ意味合いを持った声と表情が向けられた。

ココロは伝播する。伝わっちまったな、悲観的な想像が知らぬ間に重い空気を醸していたらしい。

 

 

「寝起きでしたから……でも、お腹がいっぱいになったら、元気が出て来ましたよ。ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。クロちゃんはもう少し休んだ方が良さそう、顔色が優れないわ。洗い物はやっておくから、お散歩は2人で行って来られる?」

「うん、いけるよー」

「大丈夫でした。テュラの事は任されました」

 

 

ああ、そういう事か。

いやに話の流れが変わらないと思ったら、チュラとバラトナを2人揃って外出させるためにチュラの興味を惹き付けたのか。

箱庭を思い出させるような俺への言葉も、その1つだったって事ね。思考を誘導されたからタイミングもバッチリだったんだな。

 

姉弟でやり口がそっくりだよ、まったく。

 

カナは素直な返事を笑顔で受けて、場面を切り替えるようにパチンと手を鳴らすと再度俺に視線を寄越した。

 

 

「よし、じゃあ動こっか。クロちゃんは先にお部屋で休んでてね」

「分かりました」

 

「いい?バラトナちゃん、何か異常を感じたらすぐにここに逃げてきなさい。あなたは私達の仲間よ」

「その一言だけで私は幸せ気分でした、カナ。約束しました」

 

「チュラに任せておいてー!」

「チュラちゃんははぐれないようにしましょうね」

「うん!」

 

 

全員が一斉に席を立ち食器をシンクに運ぶところは、さすがにカナの育成力の高さが窺えるな。

皿を洗い始めたカナの横でチュラは残り物の漬物にラップを掛けてるし、バラトナはテーブルを拭いてるし、俺の仕事が残ってない。

お言葉に甘えて、お先に部屋で休ませてもらうか。一応近くにいた彼女に一言掛けて。

 

「……気を付けて下さいね、バラトナさん。その、ナンパとか相手にしないで、私の所に戻って来て下さい。えと、待っていますから、あなたの事」

 

特に何も考えていなかったからテンパった。

苦し紛れに思いついたことをクロが言いそうな感じで適当に伝えただけなのだが……

 

「――っ!はい、クル。必ずクルの元に戻りました。クルもカナもテュラも大好きなのでした!」

 

妙に高揚した感じで爛々と輝く瞳を年下の少女みたいな無邪気な仕草で向けられ、そそくさとその場を後にすることになった。

 

 

部屋に戻り、記憶が勝手に反芻してフラッシュバックする。

俺にとっては事故の映像よりもショッキング映像なんだよ!

 

(くそっ、年上があんな子供っぽい笑顔をするのは反則だろ)

 

ドクンドクンと高鳴る心臓に怯えながら考えたのは、なんであいつはここにいるんだという今更な疑問と、なぜ俺の部屋に小さなソファが一台と毛布がセットで増えてるのかという至極もっともな疑問であった。

 

 

 

 

黒金の戦姉妹29話 騒瀾の幕開

 

ぐだぐだだった話と没になったおまけを混ぜたらいい感じにまとまりました!

というわけで、不可解が消えた分クロが退場するまでの箱庭の様子を差し込んでおきます。

 

宿金の説明もどこかに入れないとなぁ……

 

 


騒瀾の幕開コスモス・インカオス

 

宣戦は為された。

乱世を望むは世か人か。

武力を以て世は制され、武力によって人は争う。

 

 

私は後悔しない。

私は自分でこの道を選んだ。

私の義を貫くために。

私は強者達に向かって命知らずな宣言をした。

 

 

は後悔しない。

は私を信じてこの道に進んだ。

の夢を叶えるために。

は立ちはだかる者に口を開き理想を形にする宣言をした。

 

 

は後悔しない。

は己の想いを汲んでこの道を選んだ。

の仲間を守るために。

は敵対する全てに刃を当てて争う覚悟を宣言した。

 

 

 

箱庭の主に対する最初の規約違反せんせんふこく

トラブルは御免だと言いながら、いつも口火を切るのは私の方だ。

 

信じられないモノを見る白い目、愚か者を戒める鋭い目、嘲りを含んだ三日月の目。

たった一言で、私は全てを敵に回した。

 

 

――箱庭の主を敵に回した。

 

 

「クロ……ちゃん?なに、言ってるの……?」

 

イレギュラーな参加者の一菜が声を震わせて、イラショナルな宣言をした私に縋りつく。

瞬きですら空気に乱れを生み出す緊張感の中、混乱する彼女はあろうことか集団に背を見せていた。

 

そんな判断すら怠ってしまうくらい、私の一言が衝撃的だったのだろう。

悪いのは平静を失った一菜だが、当然のように武器を構える面々に殺気を返し牽制する。

 

「どうして、危ないことするの……クロちゃんはいつも、自分を犠牲にしようと――」

「フィオナさんも同じことを言っていましたよ。あなたに、ですが」

 

茜色の瞳の追及を避け、一時的なパニック状態に陥った彼女を振りほどいた。

一菜に殺到していた視線は歩み出した私に標的を変える。

 

 

ヒルダの影が地面から浮き上がる。

パトリツィアが胸ポケットをに手を差し込む。

マリアネリーがゆっくりと腰を下げる。

 

それと呼応するように、

 

マルティーナの手に鉄球付きメイスが収まる。

ズニャの銃口が持ち上げられる。

フラヴィアの空気を吸う音が聞こえる。

 

 

彼女達を止める存在は既に立ち消えた。箱庭が牙を剥き、私の静寂を破り平和を壊す。

あとワンアクション。砂埃のひとつが上がった瞬間、スタディオンは戦火の中心となるのだ。

 

 

「正当な人命救助は国境を越え、条約に縛られるべきではありません。カナ姉様、チュラちゃん、私は私の道義に悖る人道的介入を行使しハンガリーの代表戦士をセーブします。想いが通いましたら賛助くださいね」

 

 

ダン――ッ!

 

 

踏み込みは深く大きく、鉄沓で溜め込まれた脚のバネを一気に解放した!

思金の波が体中で引っ切り無しに波紋を発する今のヒステリアモードでは、大技の連続使用が困難だ。この一歩で可能な限りターゲットに接近する。

進行方向に存在する脅威は、大木の比較的近い位置にいたバチカンのマルティーナとフランスのフラヴィア、それと太枝でSVDを構えたズニャ、ターゲットの真横で腰を浮かせているイギリスのアルバ。

その誰が襲い掛かってくるとも知れず、強行突破を図った。

 

 

「進みなさいクロ!メーヤの話なら、紋章の定着から体の支配権を侵されるまで時間があるわ!」

 

 

カナの声は聞こえた。しかし、猶予なんてない事を私は知っている。

紋章を刻まれる時間の進まない恐怖を知っている。

誰も助けに来てくれない絶望の音色を知っている。

 

無防備な心が寒さに凍えて、悪意が外から覗き込む不安は容易に人を狂わせた。

 

だから、すぐに助けてみせる。

彼女の無念が後悔に上塗られてしまう前に。

 

 

息を止めないように肺を動かす自分の呼吸が、後ろから聞こえてくる。

みるみる内に大木が近付く。

 

ここまで奇跡的に攻撃らしき攻撃は受けなかったが、

 

 

キィンッ!

 

 

私に追い迫っていた何かが首の後ろで弾かれた。

銃声は2回。ほぼ同時に聞こえた1発は、私を守って放たれたカナのくびきだ。

 

「みひっ!」

「少し勇み足じゃないかしら?」

 

一難去ってまた一難。落ち着く暇なく、今度は純白の法衣を纏ったシスターがメイスを振りかぶってルート上に身を晒す。

その光輝の目は使命に燃え、梃子でも動かんと遥か先まで続く大地を踏み締めていた。

 

「穢れなる魔性よ母なる大地の抱擁を――」

 

(やるしかないか?)

 

避けられないのなら応じるまで。

両腕をほんの少し開き抜銃の構えを取るが、前後のどちらに撃つべきか逡巡する。

 

「ニガサナイわよ?」

 

シスターの気概へ僅かに気を散らせた直後、足元の影が蝙蝠の群れとなって目前を遮り、ヒルダがロールの掛かった金色のツインテールを風に躍らせ、黒い翼の浮力を水平に利かせて疾駆してきたのだ。

前門の審問官、後門の吸血鬼。進路変更に足を止め、直進の加速を失えば追い付かれる。

 

いや、このレベルの相手に挟まれての交戦は得策ではない。

数歩後ろを追跡するチュラの援護射撃もヒルダには効果的ではない以上、減速してでも距離を取るべきだ。

 

「そこの魔女!止まりなさぁいッ!」

 

と、思ったのだが、シスターまさかのスルー。

彼女にもまた標的は別にいた。それこそ、私のコースを辿っていたヒルダだ。

 

近所迷惑な怒声を上げてマルティーナが叩き落としたメイスは、大地に亀裂を走らせ地鳴りを轟かせ、更なる騒音を誘発した。

だが驚くべきはその小さな地割れを埋めようと地表が流れ込むがごとく、亀裂を中心に地面に立つ全てのモノをアリ地獄式に引き寄せている事。

 

コンベアみたいにスライドする速度は非常に速い。

蝙蝠が潜んでいた影は地盤規模の落とし穴に飲み込まれ、周囲を囲んでいた大岩すらも地面ごと、軽々とその包囲網を狭めていく。

 

「なんかヤバそうッ?!チュラちゃん!」

「うん!」

 

敵を自分の近くに吸い込んで終わるか?

もし、それだけなら仲間がいない状況で使うわけがない。第2撃が来る!

マルティーナの狙いは目睫のヒルダだが、近くにいれば巻き添えを喰らうぞ。

 

全力で走っても着地の足を取られ微々たる間尺しか空けられず、鉄沓の滞空で辛うじて逃げ出した。

 

「悪夢……退散たいさぁーーーん!!」

 

堰を切る掛け声が溜め込んだ大地の悲鳴を爆発させ、平らな地形が熱を伴わない小型の噴火を起こして盛り上がる。

砂嵐が髪に纏わり付き、飛来した石くれは武偵学校の制服にぶつかって連続した衝撃を与え、火山弾の勢いで頭部目掛ける鉄球の第2撃は影に沈みゆくヒルダの侵攻を止めるに終わった。

どうやらマルティーナの作った亀裂を影に潜ったヒルダは通ることが出来ないらしい。

 

「おのれぇ!撃っても斬っても刺しても焼いても蘇るなら叩き潰すまで!大人しく血錆となりなさい!」

 

盛り上がった大地は魔術を吸収する避雷針のようで、バチバチと明滅する電撃は点灯管の寿命を迎えた蛍光灯みたいに光を失う。

敵の敵は味方となり、幸運なことにシスターがヴァンピウスのストーキングを妨害してくれた。

 

「お前ッ!お前のせいでクロに逃げられてしまったじゃない!この……ッ!リンマッ!」

 

キーキーと辺りに金切り声が響き、流動を停止したスタディオンのフィールドを駆ける靴音は3つに減った。

 

 

パトリツィアは両手を上げて、一度敗北した狙撃手に投降の意を示している。

拳銃と狙撃銃は剣と槍の戦い。いくら強者といえど、開戦地点の圧倒的不利を覆せるものではないようだ。

 

状況が状況だけに詳しい分析は後でするとして、彼女の狙撃対策は何度も使えない。

再度使用に時間的要素、もしくは条件を満たす準備に時間が掛かるのだろう。良い知見が得られましたね。

 

知見といえば、私を取り込もうとするのは、ヒルダと同盟を結ぶ国の代表戦士の総意ではなさそうだ。

ハトホルとフランクは乱戦を遠くから眺めるだけで武装を取り出してもいない。

 

フラヴィアも大木の根元から動こうとしない今、地上の障害はあいつで最後だ。

 

「しゃぴーッ!クロがいなくなるとヒルダが機嫌悪くなっちゃう可能性があるとかないとか!」

「勝手に人身御供にしようとしないで下さい!」

 

暴力を振るう相手がいなくなるって意味でしょうに、捕まってたまるもんですか!

 

マルティーナの地割れの内から外に逃げた私は減速させられたが、外から内に追って来たリンマは加速されていた。

普通に走れば向こうが速い。否、両手を前に突き出す鬼ごっこ走りに負けている。大きな隔たりが短時間で詰められ、交戦距離に持ち込まれる。

 

リンマには鉄沓が効かない。

パトリツィアとの決闘で引き分けるのにチュラの異能による助けが必要だったように、理子から借りた異能があったからこそ対抗出来たに過ぎない。

 

「あらあら、助けてあげようかしら黄金の残滓レジデュオドロ?仲間に入れてあげるわよ」

 

銀とアメティスタの輝きを含む宝飾品のような甲矢。人外対策が仕込まれたブロウガンの先端を指で弄ぶフラヴィアは、口ではそう言いつつ意識をヒルダの方に向けている。

ただ、前みたいな殺意が緑色の瞳を怒りに染めておらず、背中を刺そうって企みは実行されないだろう。注意深く側面がありそうだ。

 

「あら、強がらなくていいですよフラヴィア?あなたは蛇が苦手だったじゃないですか」

「苦手ではないわ。蛇の毒は神域も侵す、裏切り者の象徴よ」

 

巧みなパントマイムで木からもぎ取った果実を手の平で転がし、匂いを嗅ぎ、頬張って齧り、酷薄な笑みで投げ捨てる。

旧約聖書の罪の林檎は蛇がイヴをそそのかしたのだったか。

 

(援護を頼めば彼女の吹き矢はリンマを押し返せるだろうけど……怪我しちゃうかも)

 

そもそも怪盗団は利害関係の軍団で仲間意識は個人の采配だ。フラヴィアもリンマも争えば手心を加えない。我ながら消極的な考えだと思う。

再生する吸血鬼だったら看過出来たけど、救出対象が1人増えられると困るし、自分でやればいい話なのだ。

 

 

足止めにベレッタを打ち込むが、

 

 

キュィンッ!

 

 

効果なし。苦し気な呻き声の代わりに金属を撫でる不快な音だけが成果として届けられる。

 

「止まらないと熨して燻して食べちゃうぞー!」

 

物騒な口上の発信源が近い。あと数歩で距離は槍の間合いに縮む。

なんであんなフザケた走法に負けねばならんのですか。

 

「邪魔するなら要求通り戦って止めてやりましょう!」

 

チュラと息を合わせ、即座に反転した。

右手の照準はリンマの頭部へ、左手のナイフは順手で体の前へ。

 

「チュラちゃん、前衛をお願いします。指示を飛ばすので常に私の顔を意識してください」

「分かった!チュラに任せて」

 

戦闘態勢に入った私をリンマが槍の横薙ぎで打ち払い、寸前で割り込んだチュラのナイフが、遠心力の働かない槍の持ち手部分を押し止める。

伏兵の思わぬ身のこなしの良さに驚くリンマも槍を引き払い頭部への銃撃を避けた。

 

(態勢を立て直す隙は与えません!)

 

波状攻撃に必要なのはピッタリと攻めをスイッチングすること。攻撃には殴るにも撃つにも予備動作があり、双方の攻撃がその隙をカバーしなければならない。

攻撃のインパクトは衝突の一瞬と防御や回避態勢の回復によって隙を作る。比べて予備動作は姿勢制御と溜め、照準を合わせてトリガーを絞る為に同等の時間が掛かる。

パートナーの攻撃動作を見てから予備動作を始めるのでは、敵に立て直す自由を与えてしまい戦いは長引く。

 

そこでだ、予備動作と攻撃動作を完璧に重ね合わせる事が出来れば……2つの身体を思い通りに動かせたなら。

切れ目のない波状攻撃が為せる!

 

「予備動作は完了しました」

 

チュラへの指示は波の共鳴を利用する。

意識を体内に向け、チュラの見ている波を想像すると、競い合うセミが一斉に騒ぎ立てるように、全身で波形が生まれた。

延々と反響する波が重なり合う点を感覚だけで把握し、同時に出現した複数の点と点を繋いで力場を単一な直線に見立て、レールを滑らせる要領で体を覆う輪郭を通過させる。

 

 

パシィッ!

 

 

反撃に回ろうとした鷲掴みの手は防御に回される。

チュラの刺突からナイフを掴んで奪おうとするが、

 

 

ガゥン!

 

 

一度頭部を狙われたリンマは発砲の前兆と同時に、またしても両腕を防御に回す。

開きかけた腕の隙間から覗くヘビの目は、銃を構えるチュラを見て初めて後退した。

 

「う、うじゅっ?!なにこの人間、動作が強い人間と遜色ない!」

 

そして戸惑いのままに紛糾すると、槍の間合いまで離れ、彼女のほっそりとした両腕が銃弾を防いで弾く。

 

チュラが私に劣らないのは議論の余地もない。私と同じ動きをしているのだから。

思金の波によってコンマコンマ秒の精度で指令を送り、熟練のコンビネーションのひとつ上、以心伝心の連携をごり押しで再現している。

同スペックの複製体が増えた感覚は、連携という要素だけでいえばカナや一菜と組むよりも高次元だ。

 

ただし、波の共鳴作業はもちろん一度で終わらない。

30倍の知覚にサポートされてギリギリ運用可能範囲とさえ思えるのに、思主はこれを通常の知覚速度でポンポン放つのですか。

 

 

「鉄沓!」

「無碍!」

 

先に射撃の姿勢を解除した私の後ろ蹴りがチュラの足裏に直撃すると、無碍で衝撃を移動のエネルギーに利用して溜め無しノーウェイトの特攻となる。

開いた空間は即座にゼロへと消失し、さあ攻勢に戻るぞと槍を構え直すリンマに次の奇襲を掛けた。

 

銃撃も斬撃も止まない。優位なのはこちらだ。

防戦一方の相手は精神的にも追い詰められ、功を焦って致命的な隙を晒す。

 

あるあるよ!楽しくなってきた」

 

そのはずなのに、何事にも例外は存在するものだ。

2人だけの車懸かりはしかし、防衛を突き崩す飽和攻撃には至らない。

 

思金の制御と自身の運動、まるでチェスボクシングを勘違いして目隠しチェスしながら殴り合っている状態に近い。

攻め手に光明が見いだせず。攻め疲れで私がダウンしそうだ。

 

「――ッ!そっか!お前は黒思金の思主だったね?クロはホントに思金を従えてた!」

 

今しがた例外認定されたリンマは、得心のいった顔で頷いた。

そして連続されるナイフの間合いから逃れられないと悟ったか、長い得物は放棄され鼠色の物体がバンテージのように両手を覆う。

換装が速すぎて止める間もなく、メギィ……とチュラのナイフが握り潰された。

 

「――ッ」

「チュラちゃん、スイッチング!私の顔を意識してください!」

 

一瞬だけ、驚きに感情を揺らせたチュラが波の指令を受け取り損ねる。

牽制弾は身を屈めて避けられ、急いで退かせた所へショートパンチが叩き込まれるが、翻したコートをパチンと張って脇を締めるように身を固めた。

 

あの顔を覆うような防御、反射神経。

まさかとは思っていたが、体を丸める姿勢やじりじりと蛇がにじり寄るような歩法はインファイターボクサーの型……に見えなくもない。パンチ以外は素人に毛が生えた程度だが。

 

「強い人間かかってこい!授業の成果を見せてやる!」

「ボクシングの授業なんて受けた事無いですよ!どこで受けて来たんですか!」

 

勘弁してほしい。

薄いとはいえナイフをスクラップにする威力で殴打されたら骨が砕ける。

 

力を込めたようには見えなかった。

おそらく金属の重量で圧し潰したのだろうが、そんなん耐えられる人間いな――

 

 

ガシィッ!!

 

 

「クロん!早く助けに行ってあげて!」

 

ここにいたーっ!

 

一菜がチュラとリンマの間に横槍を入れる。

しょぼくれた顔は道中の噴火口に捨てて来たらしく、黄味がかってきた茶色の尻尾ポニーテールを暴れ馬の如く振り乱し、高速で放たれた物理的に重いパンチを受け止めてみせた。

 

「あ!イチナミウラだ!捕まえなきゃ!」

 

リンマの目が逸れた。

それに対し一菜は……

 

「捕まんないよーっだ!べー」

 

一目散に逃走を開始した!

一菜は私より足が速い。それでもリンマには追い付かれるだろうが、彼女の膂力もまた私より強い。殺生石もある。

相性はあって然るものってことだ。

 

「チュラちゃん、ラストスパートです」

 

残す障害はハンガリーの代表戦士の隣に立っているアルバだけ。

警戒心丸出しで睨んで来るから睨み返してやったら更に険しい顔してきた。

うら若き乙女がしていい顔じゃないですよー、それ。

 

「おい、命知らず。こいつはなんだ?フレンドシップ持ってたか?」

「いいえ、初顔合わせですが、関係ありますか?」

「お前……助ける相手は考えろ。ハンガリーには……Amm...あむむ……エンパイアの息が掛かってる。呪いに囚われるぞ」

 

印象を裏切らない魔術的なお言葉は忠告なのかな?

親切心を向けるなら私じゃなくてその娘に救いの手を差し伸べたらどうですか。

 

「とっくに呪われてますよ。夜は吸血鬼に襲われるし、風が不幸を運んで来るそうです。敵国を心配するなんて、あなたも大概お人好しですよ」

「呪われたきゃ好きにしろ。わちはしっかり伝言したからな」

 

話が通じてるんだか照れた風もなく、アルバは木で鼻を括る態度のままぺいっと花柄の女性を突き落とした。

 

「なっ……!」

 

頭から真っ逆さまに自然落下していく橄欖色の長髪から、白い花飾りが宙に散る。

ブラウスのリボンは千切れそうな程に伸び、煽られたロングスカートがバサバサと急かすようにはためいた。

 

彼女が無事に着地できるわけがない。

彼女には意識が無いのだ。

 

(間に、合えッ!)

 

鉄沓での踏み込みから体の前後を反転し、背中で硬い地面を滑ってあらん限り腕を伸ばす。

その手が、肩に触れた!

 

体を強引に抱き寄せて、殺しきれない落下速度を転がることで散逸させる。

強襲科のレスキュー教練が活かされ、頭部と腰部に回した腕が救出相手の負傷を防いだ。

 

何回転も、何十回転も、何mも転がった先で、女性を抱きかかえたまま方膝立ちに受け身を取る。

 

戦姉おねーちゃん!」

「チュラ!出来るだけで構いません。この紋章の侵食を反射してください」

 

小回りより速度重視の広い歩幅で素早く追いついたチュラに、捲って露出させた女性の左肩に刻まれた、愛と平和の象徴であり宇宙と秩序を意味する秋桜コスモスの紋章に触れて示してみせる。

 

反射を2回とリンマとの戦闘。思金の波の操作に無鉄砲や無碍で酷使されたチュラの小さな体はとうに過労限界を迎えている。

期待に応えるため、集中を高めようと目を閉じたり、丸まったりしているが、焦燥感で肝心な平静を欠いていた。

 

戦姉おねえちゃん……だめ、反射出来ない。戦姉が任せてくれたのに……チュラには――」

「息を吸って、空気の動きから意識していきましょう。もう一呼吸、さあ波の反響があなたの輪郭をなぞっていきますよ」

 

ふらつく体を寄り掛からせ、手を握った。

ゆっくりとした呼吸が余計な重荷を取り払い、落ち着いた様子で暗黄色の瞳を細め安心を表す。

 

「私が付いています。チュラ、あなたは出来る」

「――うん!戦姉が一緒に居てくれたら出来る、不可能なんてない」

 

張り切っているものの、力はほど良く抜けている。

思金の波は目に見えていないけど、彼女に任せたのだ。

 

私も首を丸めて頭への衝撃は回避したが、最後の鉄沓に集中が取られ、セルヴィーレは解けてしまった。スイッチも長く保たない。

だが、私の怒りは解けない。あと数センチ届かなかったら――

 

「あなたは自分が何をしたのか分かってるのか!」

Geezあーあー very tire面倒臭い、これだから何も知らない余所もんは嫌だ」

 

なんなんだよ!

お前や箱庭の主の……いや、この場にいる奴らの人間への雑な扱いや無関心さは!

生き死にの遣り取りをする世界では命が軽いのかもしれない。だからこそ、命の代わりがない事が身に染みて分かっているんじゃないのか。

 

 

「救える命を見捨てるなんて――」

『救える命がここにあるじゃないか!』

 

 

 

ドグンッ!

 

 

 

心臓が跳ねた。

大木は動乱の火縄が点火される場所で、捻じ曲がった己の枝を嫌悪し、ミシミシと音を上げて振り乱す。

水の中に沈んだ時みたいに周囲の音が聞こえなくなって、鼓膜が無数の波音に騒々しく刺激され、その残響が私には声のように聞こえた。

 

『お前がそれを言うのか!先に奪ったのはお前だろう!』

『どうしてなの……お母さま、どうして……?"まじゅつ"がつかえるから?みんなとちがう"まじょ"だから、わたしたちはおわれてしまうの……?わたしが』

『大丈夫よ……そう、私はあなたの事を忘れていないわ。約束は……ごめんなさい、覚えていないの』

『私は相棒なのに、私が一緒にいなければいけなかったのに!……こんなの、絶対に認めない……!』

 

激越な喚きが聞こえた。悲痛な嘆きが聞こえた。懺悔の祈りが聞こえた。後悔の呟きが聞こえた。

箱庭の歴史の一部となる名を刻まれた幹が、偉容にそぐわぬ痛々しいを溢れさせている。

 

『泣かないで?仕方ないよ!だって牟宇たちは思主だもん!』

『泣いてないよ。あーあ、こんなことならもっとキミの絵を描いておくんだったよ』

『さぁ!旅立ちの時だ!皆の衆、ワタシの帰還を心待ちにするが良い!』

『お父様、あなたの血も肉も心臓も、私の中に生き続けているわ……行きましょう、人間共に報いを』

 

決意を謳う全ての声は私の声。

誰かの思いが流れ込んで、自分という存在の輪郭が歪む。

 

『悪く思わないことね、人を信じてしまうあなたが悪いの、そうよね?裏切り者さん』

『なー、アタシって天国に行けると思う?』

『わたしは、どうぐ。わたしは、あ、あア?ナんだ?タリなイ、いきチをあつメなキゃ』

『戦う理由?そんなの有って無いようなものでしょう?殺す事に理由を求めるの?それとも、死ぬ事に理由が欲しいの?』

 

 

私は――――

 

 

『助けなんて来ないよ。だって私達は――』

「救える命を見捨てるなんて出来やしない!」

 

心の奥底から真っ直ぐに、アルバではなく箱庭を見下ろす大木へ。

怨嗟の音を連ねる未練の塊にありったけの思いを返してやる。

 

『悔い改めなさい。これは試練なのです』

『前を見てみろ。オマエの夢想など、もう十分なのだぞ』

 

声は消えない。叫びを掻き消そうと一層ざわめきを大きなものへ変えていく。

私も折れない。例え理想を追った道が捻じ曲がった後悔の道だとしても、その終末を彩る花もが枯れていようと。

 

上等だ、やってやるよ。

死ぬまで分からない不確定要素に向かって、枝を伸ばし続けてやろうじゃないか!

 

 

「聞きなさい、この唐変木!己の道は生き様で証明しなさい!誰かの信頼に背く生き方だろうが、誇りを持って正しいと言える生き様なら貫いてみせなさい!失敗を恐れていては――追いつきたい人の隣に並ぶことなど叶いませんよ!」

 

 

なぜ、自分が熱くなっているのか分からない。苛立つままに箱庭の大木あいつに説教をしたのかも。

黒い髪が風に靡いているのに、枝葉は音を立てる事をしなくなった。

あちこちで争っていた戦士達の手が止まり、突然誰もいない場所に意思を突き付けた私の顔を見て目を見開いていた。

 

 

我に返ると眠気がヤバい。

これじゃあチュラの事とやかく言えないな。

 

狼の遠吠えが遠く聞こえて。

カナがいつの間にか隣にいて。

あー、カナも無所属なんだーって。

 

カナが花柄の女性を、私がチュラをおんぶしてスタディオンから一足先に撤退する去り際、微細な光の集合体が空に浮かんでいた。

 

 

 

私は義を貫くための命知らずな宣言を後悔しない。

その言葉が自分の胸を苦しめている事に遅れて気付く。

 

敬愛する姉さんの編んだ栗毛の髪が左右に振れる後ろ姿が遠く離れてしまわないか。振り返る柔和な笑顔が消えてしまわないか。

その時、私は後悔をせずにいられるのか。

 

 

「クロちゃん、宿泊施設までもう少しだけ頑張ってね」

「はい、姉さん」

 

 

 

どうして、は泣いているのだろう――

黒金の戦姉妹 おまけ8発目 引籠りの通信者

今回はおまけ。
題名通りクラーラ回……と見せかけて、取り留めのないおまけです。



おまけ8発目 引籠りの通信者

 

私は幼い頃から耳が悪かった。

 

ううん、そうじゃない。耳は良かった。

神経か脳に異常があるらしい。治療は不可、経過観察なんて意味の無い事だと分かっている。

 

ただなにも聞き分けることが出来なかった。

公園で読書していると聞こえてくる木々のそよぐ音も、湖に浮かんで私に寄ってきた白鳥の鳴き声も、会話をする人々の声も、真後ろでエンジンをふかす車の音も。

 

全部同じ"音"なのに、皆はどうしてその違いが判るのだろう?

9才までの私はその疑問に悩み、自分より優れた他人を勝手に怖がって本へと逃げた。

 

あの頃は音が聞こえただけで、周囲をこわごわと観察し、安堵していた。

 

 

その日の夜も眠れそうになかった。

外から小さな"音"が聞こえてくるから。

 

もしかしたら、本で読んだお化けの声かもしれない。

それとも、ただの降り始めた雨音だった?

 

布団に潜り込んで耳を塞いで、朝が来るのを待つ。

音はまだ聞こえている。

 

こんな時はいつも決まって2人の幼馴染の顔が思い浮かんだ。

私を励ましてくれて、守ってくれて。

 

 

「2人は……もう寝てるかな」

 

 

夜はまだまだ長い。

星を1つ残らず隠した分厚い雲が現れて。

 

 

雨はまだ、降り始めたばかりだ。

 

 

 


 

 

 

満月の夜、悪鬼とのゲームが原因で昏睡状態に陥り、目覚めてから数日経ったとある休日。

 

「むー!むむー!むむむむむー!」

「"噛むな、離れろ、暴れるな。悪かったって、お前を置いて行ったんじゃない"」

「むーむむー!む、むむっ!むーむむむむー!」

 

見ての通り、俺は人間に腕を噛まれてる。そして、不本意ながらそのまま歩いているところだ。

公園で昼寝してて散歩中の犬に襲われるならまだしも、人間にガブガブと噛みつかれていれば道行く先々で注目の的になる。

 

 

なにやらクロがチュラと新発売の菓子パンを買いに行く約束をしていたらしく、すっかり忘れて繰り出した先の公園で焼きたてのパンを食べていたら、空いていた左手を噛まれた。

 

説得も聞かないし、無理矢理剥がそうとしても……

 

「"はーなーれーろー!"」

「"む!むむむぅ……かうっ!いやーっ!離れないで!おね……"」

フェルマーッタ!ストーップ!!」

 

おい、てめぇ!何言い掛けやがった!

俺を社会的に殺す気か!?

 

大体武偵なんだったら相手の事は名前で呼ぶもんだろ。

このままじゃいつヤバい発言が飛び出すのか分かったもんじゃない、夢の中では言い聞かせるのに苦労していたようだが、現実にまで飛び火してきたぞ。

 

 

空腹による異常行動かとも考えたが、過去にも同じことがあったことに思い当たる。

その時も確か、約束をすっぽかして置いて行ったんだっけな。

だから仕方なしにパンの完食を諦め、元来た道を戻って再びパン屋へと足を運ぶことにした。

 

「"チュラ!"」

「むむむむー!」

 

(噛み直しかよ!) 

 

左前腕部に与えられる咬合力は甘噛みで、強くはないので痛くない。痛くはないのだが気になるだろ、周囲から向けられる好奇の視線が。

腕を高めに上げてみると背伸びをしてまで口を離す気は無いようだ。噛みついているチュラからの抵抗もないので自由に腕を動かすとストラップみたいに付いて来る。

 

(……案外、おもしろいな)

 

 

試しにもっと高く腕を上げてみる。

 

「むっ!?むむむむっ!むーむむむむーむーむー!」

 

既につま先立ちを越え、バレリーナの如きトゥでの立ち姿勢で必死に倒れまいと前後左右の平衡を保っている。懸命に頑張ってる所にこう言うのもなんだが、力を込め過ぎて目を閉じ切ったお前が噛んでるのは袖だ。腕まで届いてない。

数秒後には徐々に震えが大きくなり始め、顔色も声色……唸り声?も焦りと共に抗議の色を含み始めたが、そこまでして噛みつく必要性を問い質したいのは俺の方だって。パン食い競争やってんじゃねーんだぞ?

 

 

道中、戦姉呼びをやめろと指摘したり、とりあえず今あるパンで引き離そうとして失敗したり、スッポンチュラは噛むこと自体は止めたものの、今度は腕に抱き着いて離れない。コバンザメならぬコバンチュラ、多様性のある生き物だなこいつは。

そうしてやっと目的地に有事到着。常に噛まれてるから無事とは到底言えないだろう。

しかし以前なら堪え切れずに逃げ出していたが、この光景は夢の中で思い出しヒスし掛ける程に経験済み。俺はカナの目論見通り多少の女子耐性は得られているようだ。

……匂いさえ嗅がなければな。

 

「"おね……キンジ、ここ、ここー!"」

「"知ってるって、今朝というより十数分前に来たばっかだ"」

「"あれ、あれー!"」

「"それも分かってる、ほら、店に入るには狭いから腕を離せ"」

 

公園を出て十分ほど、店の中に新発売の菓子パンを発見した途端、人の腕をブランコみたいに揺らしまくるという暴動事件発生。

 

目的のブツが残っていたのが嬉しかったようで、早く早くと騒ぎ出した。

すみませんね、うちの戦妹が店先で。

 

――その時だった。

 

  

「あっ、おはようござ……ッ!?」

「んっ?」

「あー、クラーラだー。おはよー」

  

気分上々ではしゃぐ戦妹を宥めていると、後ろから「ボンジョゥ……おはようござ……」と、中途半端な挨拶をされた。

やけに聞き馴染みのある声だと思って振り返れば、顔も馴染みのある少女が顔面蒼白で佇んでいた。

 

「お、おはようございます……チュラさん……と、キンジさん」

「クラーラか。おはよう、お前も新発売のパンを買いに来たのか?」

「え、ええと、そう……ですね。そんな感じです」 

 

パンを買う感じってなんだ、買えよ。

それとも見て決めるつもりなのか?

 

 

 

クラーラ・リッツォ

 

ローマ武偵中2年、専攻は通信科でDランク。状況判断や適格な指示が得意な一方、無線機の扱いはあまり得意ではないらしく簡易メンテナンスが出来る程度。軽微の修理にも時間が掛かってしまうため、緩い基準の仮ランクでも低い評価を受けている。

 

暗緑色オリーヴァの瞳、ちょっとだけくすんだ茶色ビスコットカラーで左右の両端を少しだけ外側に跳ね上げた髪は後ろ下部で結わえられている。

授業中だろうが任務中だろうが休日だろうがいつもマイク付きヘッドホンを装着しており、「これは私の武装ですから、外したら校則違反なんです」などと話していて、これが無いと彼女には話し掛けられない。詳しくは知らないが、聴覚に障害があるのだそうだ。

 

また、聴覚の異常を補う為にか視神経が発達しており、かなり目が良い。

過去にとあるチームと任務を共にする際には、自身も作戦エリア内にて索敵や戦況を集めて奔走していたとか。

 

使用武装は……なんだ?こいつが武器を持っているところは見た事が無い。普通は戦場に立つ役割じゃないしな。

体力は低いが、パオラよりは体格の関係で勝っている。

 

大抵はガイアとセットで動いていて、あまり積極的ではないが個人でも任務を受ける事があるらしい。その場合は引き籠りモードで、通信室から一切出ようとしない。

 

夢の中のクロも何度か任務を共にしているが、学校では高難易度の任務を受ける訳でもないので、目立った活躍は見られていない。

そういや、この間の夜の事件では依頼主であるアリーシャの司令塔代理として動いていたな。俺は正直それどころではなかったが、スムーズに解決へ導いたのは確かな功績と言えるだろう。

 

ガイア同様パオラの幼馴染らしく、通常時の俺では米屋でたむろしている所で初めて知り合った。同年代の女子って感じで近寄りがたい感じがあるかと思っていたものの、これも夢によるショック療法によりだいぶ軽減されていて、会話も支障なくこなせていた。

……が、最近クロが思いっきり抱き着きやがったせいで、なんとなく……意識してしまう。今までは彼女のミルラ製油のような独特な匂いは気分が落ち着いたのに、痺れるような感覚が残る様になってしまった。

 

なんでかは知らないがカナが俺に米を買いに行かせたがるから、もう数回パオラの店で顔を合わせている。しかしまあ、クラーラと街中で会うのは稀だな。

原因はこいつが引き籠りだからなのと、遠くに見掛けても話し掛けるほど親しくもないからだ。

 

 

 

「キンジ!早く入ろうよー!売り切れちゃう!」

「手を放せって、2人並んで入るには入り口が狭いだろ。大丈夫だ、もうお前を置いて行ったりしないから安心しろ」

「ほんとー?……うん、分かった!ずっと一緒だよー?チュラはキンジから離れないからねー」

「はいはい、分かったから。いくぞ」

 

説得完了。やれやれ、ようやく離れたか。

腕に抱き着かれたまま、顔を合わせて、頭まで撫でながら。数か月前じゃ考えられないな。

 

やっとの思いでコバンチュラの吸盤から解放されたし俺も1つ買ってみるか。クロには悪いが新作のパンは夢の中で食ってくれ。

 

 

……

 

…………

 

………………まあその、なんだ、お土産に2個買っておくか。いや、違うぞ、これは……そう、一応の予備だ。カナが食べてるのを見たら、また俺が食べたくなるかもしれないからな、うん。

 

それで、入り口の詰まりを解消したのにもう1人がなかなか入店しようとしない。レディファーストなんて柄じゃないから先に行ってもいいんだが、考え込む様子でチュラの方を見ているのが妙に引っ掛かり、目的を探ろうとしてしまった。

 

「お前は入らないのか?まだ数はあるから売り切れの心配はないだろうが、混む前に済ませた方が良いぞ」

「お構いなく、ちょっとした用事を思い出しましたので、家に戻らなくてはならなくなりました」

 

なんじゃそりゃ、パンを買う時間すらない用事があるならなぜ立ち止まっていたんだ。

これは誤魔化している、財布を忘れたとか、そんなん。

 

「そうか、じゃあ俺はもう行くぞ」

「はい、またパオラのお店で」

 

そう言いつつ帰る挙動を装ってまだ見ている。店内をくまなく、俺まで見られてるんだがほんと何なんだよ、監視されてるみたいで気が休まらん。

けど、やっている事といえば子供と一緒にパンを買っているだけ。正体を見抜かれる心配もないし、通報されることもしてない。サッと済ませてしまおう。

 

……っておい、なにしてんだ!

 

 

「"チュラ、4個も買って食べ切れるのか?"」

「"チュ~ラ、戦~姉おね~ちゃん、キ~ンジ、カ~ナ戦姉おね~ちゃん、みんなで4ぶんこ~♪"」

 

 

……不覚にも、こいつを可愛いと思ってしまった、子供としてだが。

歌は音程がオムレツの如くふわふわしていて、まさしく新作の未完成品ではあったが、俺もカウントしてくれるのは正直じーんと来た。

 

つまり、クロの分はチュラが買ってくれるらしい。いや、元々買う気は無かったけど。

なぜか俺の分まで買ってくれるつもりらしいな。

じゃあ、俺は買わなくていいか?何かそれも釈然としないし、誰かに手土産として渡せれば……

 

「"ふわふわオムレツのタルト……。中には何が入ってんだ?"」

「"コンニチハ。Ah...ソレハ、Baconト、A few kind of...ヤサイ、ハイッテテマス"」

 

おっと、日本語で呟いていたら、男性店員がわざわざ説明に来てくれた。

親切な事に日本語と英語を交えて解説を試みてくれているが、やっぱりローマは観光客への対応力が高いな。

 

「ベーコンと野菜か、おいしそうだな」

「お客さん、イタリア語お上手ですね。ローマは初めてではないんですか?」

 

最近は日本語訛りが出ることも無くなってきたし、いよいよもってイタリア語は制覇できたと言えるのではなかろうか?

日本で、英語ですら碌に出来なかった俺が、先にイタリア語の方を覚えるとは、人生何があるか分からんもんだ。

 

「ローマは初めてだが、始めてから住み込みさ」

「なるほど、どうりで慣れていらっしゃる。商品についてはご理解いただけましたか?」

「ああ、伝わったよ。ありがとな」

「どういたしまして」

 

店員は軽く会釈をするとカウンターの向こうへと戻って行った。

まさか、その所作も日本人向けだったりするんだろうか。

 

「"オムレツ、タルト、ベーコン。完璧だな、あいつらへの土産にするには"」

 

 

チュラが4つも買った為にショーケースにはぽっかりと穴が空いている。

更に3つも買ったら、少ししか残らないな。お試しとなれば、たぶん大量には作らないだろうから、朝はここに並んでいる分で締めかもしれない。

 

……このパンって、結構子供も好きそうだよな。

楽しみに来る親子連れもいるか。

 

「ちょっといいか、このパンって在庫はまだあるか?」

「?違う、そこに並んでいるもので全て――」

「お客様!」

 

カウンターで焼き立てのパンを運んで来た女性店員を掴まえてみたところ、カウンターで会計をしていた別の店員が割り込んだ。

ジェスチャーによって厨房へ戻って行ったのは、あくまで作る専門の人間って事か。可愛らしい顔が台無しな、ツンとした不愛想だったし。

 

「すぐに新しいものを焼き始めておりますので、気になさらずとも」

「そうか、なら3つくれ」

 

注文の品が用意され会計を済ませる間、店の奥が気になった。

正確にはそこで働く店員の事をだが。

 

(さっきの人間、大人には見えなかったが正社員か?まさか不法就労者じゃないだろうな?)

 

不法就労者はそこまで珍しく無いだろうが、この国では不当な扱いを取り締まる為に、非正社員は働くことは出来ない。日本のような正社員ではないアルバイトなんて存在しないのだ。

 

武偵は任務次第で報酬を得られるし、装備科や調理科の生徒は成績によって更なるインセンティブを得られるとあって、そのお手伝いをする武偵も結構存在している。

同学年の日本人留学生である風魔陽菜なんかは、それこそ毎日のように調理科の生徒に交ざって修行という名のバイトに勤しんでいるようだ。

実は多忙期には任務という名目でバイトをしている生徒もいるとかいないとか。うちもかなりグレーゾーンだな。しかも手練れが多く検挙率はゼロ、もはや癒着を疑うぞ。

 

「"キーンジー!はーやーくー!"」

「"はいよ、今行くから先に店出てろ"」

 

もう1回奥を覗くが、あの店員の姿を見ることは出来なかった。

気にしすぎか。摘発する程のものでもないし、冷める前に届けたい。今日は引き上げるとしよう。

 

 

店の戸をくぐると、チュラとカナがパン屋の袋の中身を見ながらワイキャイ盛り上がっていた。

偶然通りかかったのだろう、カナの隣にはただ者では無い気配の武偵らしき女性が並び立って、盛り上がる二人を微笑ましそうに眺めている。

 

丁度いい、チュラの相手を押し付け……もとい、預かっていてもらおう。

 

 

「"カナ、俺これから――"」

 

 

あの3人組はお米屋に集まっているだろうか。

どんな顔をしてくれるか、ちょっとだけ楽しみだな。

 

 

 


 

 

 

「パオラ、緊急事態だよ」

「……?いつになく真剣だね、通信機器の損害金が足りてなかった?」

「そんなことどうでもいい」

 

「全く良くねーだろ。お前が適当にチェックするからあたしとお前の戦妹ノエディナが苦労したんだぞ」

「機械はあの子がいないと良く分かんないし、ガイアには感謝してる」

「ったく、メンテぐらいは授業でやってるだろ」

「メンテより先は無理、私達の無線機って改造され過ぎてるから」

 

「クラーラ、何が緊急事態なの?ガイアまで私の家に呼び出してきて」

「暇だったから別にいいけどな」

「!そう、緊急。パオラがもたもたしてるから、ピンチなんだよ!」

 

「わ、私のせいで?どういう意味なの?」

「ライバル出現」

「らいばる……?」

「……マジかよ」

 

「相手はかなり上手だった」

「……私の実家のお米は、いくら相手が安さを売りにしたって、そこいらのお店には負けないよ。最近は地域限定の宅配サービスだって……」

「パオラ、考え方が日本的になり過ぎ……じゃなくて、商売がたきの話とは違う」

 

「ストレートに言ってやれ。奥手なやつは少し火を点けるくらいで良いんだよ」

「だね……パオラ、心して聞いて?」

「う、うん。……なに?」

 

 

「キンジさんに彼女がいるかもしれない――――」

 

 

「…………」

「あ、倒れた」

「刺激が強すぎたか。運ぶぞ、戸を開けといてくれ」

「オッケー」

 

「で、どんな相手だったんだ?」

「気になる?」

「もったいぶんなよ、確証はまだないんだろ?そいつも武偵ならただの協力者かもしれないしな、パオラにもチャンスがある」

「……その可能性は、低そう」

 

「東洋人か?」

「スペイン人」

「随分細かく出身地を見抜いたもんだ。スペイン語ででも話してたのか」

「途中までは日本語で、私と会ってからはイタリア語で話してたけど……」

 

「おいおい、知り合いかよ。あたしも知ってそうか?」

「知ってる。よーく知ってるよ、一緒に仕事もしたことあるし」

「……スペイン人……か」

 

「パティと組んで探偵科の仕事を引き受けてた時期もあった」

「……あー、もういい」

「疑ってる?」

「疑うのは信じてないからじゃない、信じ難いからだ」

「それは仕方ない、気持ちはわかるけど」

 

「保護者じゃなく」

「そう見えなくも無かったけど」

「懐いてるんでもなく」

「キンジさんも満更でもなさそうだった」

 

「難敵出現だな」

「パオラ次第、なんて言ってられないかも」

「パオラに、チュラか。子供好きなだけだとしたら」

「それはそれで……もっとピンチだよ、ガイア。恋愛対象として見られてない」

 

 

「客、来っかねぇ」

「さあ、来るんじゃない?」

 

「そんじゃ、やるか。ほいッと」

「ウラ」

「うしっ、変更なしだな?」

「そのまま」

 

「……はっ!しっかり店番しろよ?オモテだ」

「この前のバール代は?」

「通信機器の管理を代わってやったな」

「……お願い、せめて店の裏方にいて」

「隣にいてやるよ、まあ、客が来たら下がるけどな、はははっ」

「……けち。でも、それでいい」

 

「しっかし、チュラの奴と色恋沙汰が結び付かねーな。どんな話をしてたんだよ」

「『ずっと一緒だよ。チュラはキンジから離れないから』……だって」

「おまッ?!それは空耳だろ!」

「そうだったらいいのに」

 

 

カランカラン……

 

 

「ほら、さっそく客だ、あたしは裏で見守ってるぞ」

「見えてないよね、それ」

「ああ、心は目に見えないからな」

「雑。深そうだけど実の無い言葉」

 

 

「いらっしゃいま……うげッ!?」

 

(噂をすれば影が差す、だなこりゃ)

 

「おい、人の顔見てゲェッは無いだろ」

「き、キンジさん……いらっしゃいませ」

「ああ、邪魔するぞ。ここがお前の家だとは知らなかったが、不法就労は3倍刑だからバレんなよ?」

「地域社会への貢献は国民の権利、無償ボランティアは趣味です」

 

(どの口が言うんだよ)

 

「初耳だ、いい趣味してるな。丁度いい、市街で移民や難民の支援ボランティア募集が張り出されてた」

「ボランティアには興味ありません」

「知ってる。1人か?パオラは出掛けてるのか」

「今日は体調が優れないので、裏で休んでいます」

 

(原因はクラーラとキンジお前らだけどな)

 

「……病院に行かなくても大丈夫なのか?あいつ、幼少の頃の知り合いに似てるから不安なんだ。真面目で無理をしやすい所とか、黒髪だしな」

「御心配には及びませんよ。熱がある訳でもありませんし、少し疲れが出ただけです」

 

(あいつ元々心労に弱いんだよ)

 

「別に深い意味は無いが色々と世話になってるんだ。疲労はバカにならないから、お前達が一緒なら心強いけど、何かあったらと思うと俺も……依頼主も気が気じゃない」

「パオラを叩き起こして来るので、今の言葉をもう1回お願いします」

「おい?!」

「冗談です。パオラが聞けば飛び上がって喜びますよ。今度直接言ってあげて下さい」

 

(意外と脈ありなんじゃねーのか、これ)

 

「ところで、チュラさんは一緒ではないんですね。それと、どのようなご用件でいらっしゃったのかもお聞きしてもよろしいでしょうか?前回の購入から半月も経っていませんが、購入手続きの方でご案内しても?」

「チュラなら先に帰ったぞ。途中でカ……クロ武偵に会ったから交代してもらったんだよ、パオラに用事があるってな。チュラと新発売のパンを買いに行ったんだが、思った以上に美味かったもんで。ほら、パオラは確かふわふわのオムレツが好きだっただろ?」

 

(おっと、良く覚えてるな)

 

「ええ、はい。確かにそうですね」

「で、お前はベーコンなんかの塩漬け肉、ガイアはサクサク食感のタルトを好んで食ってたから――」

「えっ、えっ?」

 

(……あいつの前でタルトを食ってたことあったか?菓子なら良くここに集まって食べてるけど、そん時に見られてたのか。あたしとそこまで変わらない年齢だろうに、さすがに海外に来るような武偵は油断できないな)

 

「これ、お前が急いで帰って買えなかっただろ?あの後、近くの公園で食い終わった後にもう1回覗いてみたら、残りがほとんど無くなってた。今度買いに行くなら朝早くに行った方が良いぞ、きっとしばらくは売上最高潮だ」

「あり……がとう、ございます」

「具合が良くなったらパオラにも分けてやってくれ。……で、それとなくで、いいんだが……。前に貰った弁当の"だし巻き卵"、あれが美味かったと伝えてくれると助かる」

 

「っ!はい、分かりました。確実に正確に主観を交えて伝えますので、ご安心ください」

「ああ、頼む」

「ありがとうございました!」

 

 

「ガイアぁ~っ!」

「気持ち悪い声出すな。嬉しいのは分かってる」

「想像以上!想像以上にいい感じかも!」

 

「お前なぁ……喜んでる所水を差すようで悪いがあの質問はマズいだろ。親しい間柄でもないのに、人間関係を詮索するもんじゃない」

「必死で、つい」

「無策かよ。おまけにそこまで聞いといて、結局チュラとの関係はどうでも良くなったな?」

 

「だって、子守りしてますらしき発言があったよ」

「そこだクラーラ、良く聞け。その発言の中に、もう1人のアクトレスがいたよな?」

「もう1人……?――――ッ!?」

 

「気付いちまったか」

「こ、今度こそ……」

「新のライバルだ。それもメチャクチャ強い、宿敵だぞ」

「トオヤマ……クロさん」

 

 

 


 

 

 

雨が止んだ。

身の危険を感じていたあまり、キュッと締め付けていた枕を解放する。

 

ホッとして、もぞもぞと布団を這い出る。

良かった、カーテンの隙間から朝日は差しておらず、まだ外は暗い。今からでも十分眠れそうだ。

 

 

音は、怖い。

音が溢れる世界は、もっと怖い。

音を発するありとあらゆるものは――

 

 

――混ざって混ざって、混沌として。

 

 

悍ましいモヤモヤとした感情と意思のわだかまりを作り出している。

 

敵対の意思や憎悪の感情は、激しくモヤモヤを周囲にまき散らす。

哀悼の意思や悲哀の感情は、漏れ出すように全身を、足元を汚していく。

 

 

今なら分かる。

この気持ち悪い力の使い道も。

 

武偵という立場は、実力さえあれば生きていける。

ヘッドホンを付けてても教室から追い出されないし、会話が成り立たなくても除け者にはしない。

 

 

 

でも、未だに分からない。

 

 

大切な幼馴染が、どうしていつも、このモヤモヤに飲み込まれているのかが。

 

 

 

分かりたいことは、いつまで経っても、分からない。

 

 

 

 



クラーラというキャラは3人組の中では一番最後に出来上がったキャラクターでした。
実は当初、メチャクチャアクティブな現場司令塔の設定だったんです。目が良く、聴覚に異常があるのは同じでしたが、引き籠りとは真逆だったんですね。

容姿は初期から変更なし、ただ、目はもうちょっとやる気があったような気がしなくもないですが、ヘッドホンは描くのが面倒臭いという理由から小型Bluetoothヘッドホンがモデルとなっております。マイクにモデルはありません、知識もないし付けただけ。

黒金の戦姉妹 おまけ7発目 黒黄の茶会

時間軸は月下の夜想曲以降で、不可視の存在の前、ですね。

 


おまけ7発目 黒黄の茶会ファントム・パーティー

 

「チュラさん、私、そういうの良くないと思います」

「チュラ、知らないもん」

 

「部屋から出て来てみたら、いきなり何が始まったのかしら……?」

 

「あ!姉さんからも一言お願いします」

「……私には話が見えないのだけれど」

 

「チュラさんが私の大切に取っておいたパンナコッタを食べちゃったんです」

「知らなかったんだもん!名前も書いてなかったもん!」

「自分の分は昨日食べましたよね?なんで今日も食べちゃうんですか!残ってるわけないでしょう!」

 

「ありがとう、今ので大体掴めたわ」

 

「食べられないのは別に良しとしますが、世の中には暗黙の了解というものがあります。あなたはもう少しそれを知るべきですよ。3個セットのスイーツを買って来たら、自然と3人で分ける流れが出来上がって然るべきなんです!」

「そんなルール聞いたことない!」

「確かに確立されたルールではありませんが、なんとなくそんな考えが過ったりしませんでしたか?」

 

「しない!」

 

「します!」

 

「しないもん!」

 

「しますもん!」

 

「ハーイ、ストップストップ。2人とも、落ち着きなさい」

 

 

 

「なんですか、姉さん。私はチュラさんの事を思って――」

「冷静に考えてみて。あなたの考えはあなたの主観でしかなかった。相手の価値観に合わせてあげないと、伝わるものも伝わらないものよ」

「価値観って言われましても……」

 

「じゃあ……そうね、私が6個入りのナッツ風味の強い高級チョコジャンドゥーヤを買って来たとしましょう」

「私はパンナコッタが良いです」

「チュラもー」

 

「……微笑ましいわ。それなら、パンナコッタにしましょうか」

「はい!」

「わーい!」

 

「クロちゃん、あなたは何個食べられると思う?」

「え?そんなの6個あるんですから2個食べられますよね」

「チュラも2個?」

 

「そう。そしてそれがあなたの価値観で求められた答えだけど、その日に1個、翌日のお昼に1個食べた後に私がお客様を3人お迎えしたら……何となく分かるかしら」

「あ……」

「……?なにかが起こるのー?」

 

「確かに"お客様用"という紙を用意していなかったのだから、私の落ち度ね。けれど、あなたは少し考え方に閉鎖的な部分があるから、心配なの」

「……自分でも内向的だと、思い当たる節が、無くは、ない、です……」

 

「他を鎖し、私と一緒に過ごしてきたクロちゃんが家族単位として考えたように、1人で暮らしてきたチュラちゃんには個人単位で考える癖が付いている。彼女が慣れない内は私達がゆっくり教えてあげなければならないのよ」

「……姉さんの言わんとする事は分かりました。でも、価値観なんて分かりませんよ」

「難しく考えないで、私の真似をすればいいんじゃない?」

「……!考え及ばないことは聞くのが一番早いですね」

 

「ええ、可愛い戦妹いもうとの為よ。ただし、全てを強制してはダメ。彼女にも譲れない領域というものは存在するのだから、あなたの歩み寄りも惜しまないようにね?」

「はい!」

 

 

「チュラさん、頭ごなしに怒ってすみません。今回は私があなたに話しておくべきでした。3個あるおやつは皆で1個ずつですよ、と」

「え……う、うん」

 

「チュラちゃん?ごめんなさいはしないの?あなたもいけないのよ」

「チュラも……?」

「だって、戦姉おねえちゃんのおやつも食べてしまったのでしょう?」

「それは知らなかったからだもん!チュラは……悪く……」

 

「?私の顔を見てどうしたんですか、チュラさん?」

「……チュラ、間違ってた?なんで?どうして怒られたの?……教えて。チュラに教えて!カナお姉ちゃん!」

「うふふ、あなたも歩み寄ろう知ろうとしてくれるのね。素直なのはクロちゃんに似て来ているわ。チュラちゃんは何も間違っていないの、決まりはないのだから絶対的な価値観なんてものも存在しない」

 

「例えば、チュラちゃんがおいしいチュロスを見付けたとするわね」

「ややこしいですね」

「ややこしー」

「クロちゃん?」

「ごめんなさい、なんでもないです」

 

「そしたら戦姉おねえちゃんにも教えてあげたい!って思ったりはする?」

「うん、カナお姉ちゃんにも、皆にも教えたい!」

「……驚いた。私ももっとあなたの事を近くで見ているべきなのね」

 

「私の教育のおかげで――」

「クロちゃん?」

「ごめんなさい!チュラさんの成長が誇らしくって」

「ううん、あなたの与えた影響が想像以上で……私もあなたが誇らしいわ……」

「……姉さん?」

 

「それでチュラちゃん、チュロスを半分こしたら綺麗に割れなかったの、片方が長くなっちゃって。あなたならどっちを渡す?」

「え……」

「ちょうどクロちゃんは余所見をしてたから、見てなかった。長い方と短い方、戦姉おねえちゃんにはどちらをあげるの?」

「それ……は……」

 

「聞くだけ無駄だと思うけど、クロちゃんならどうする?」

「包丁を使います」

「バッサリね。そうだと思った」

「それほどでもー。こういうのは後々に禍根を残してしまわないように手を尽くすものですから。食べ物の恨みはふかぁーいのですよ」

 

「チュラは……」

「うん」

「長い方を……」

「…どうする?」

「でも……」

「……」 

 

「きっと戦姉おねえちゃんなら……」

 

 

「それでいいのよ」

「……?それ……って?」

「この問題の答えは必ず導かれるものじゃない。導くまでの過程が全て、だからチュラちゃんが戦姉おねえちゃんの事も真剣に考えてくれただけで、私達は嬉しいの」

「……チュラ、やっぱりわかんない。チュラにはわからないこと。わかんない……」

 

「自分を責めないで。いい?チュラちゃんは今、考えた。自分から私達を知る為に、分かり合おうとしてくれた」

「でも、わからなかった!チュラには、戦姉おねえちゃん達の気持ちがわかんない!」

「焦らなくていいの、今は分からなくても……」

「それじゃ、だめなの!早く戦姉おねえちゃんを知らないと誰かにとられちゃう!それは、だめ!渡さないの!チュラは――」

 

「――チュラ、少し落ち着きましょう」 

「……うん」

「……」

 

「私の顔を見てください。カナの言葉の意味、それが分からない訳ではないですよね?」

「うん。考える事が大切で、チュラは考えたからそれでいい、でしょ?」

「当たってます。それなら、チュラはカナが最初に言った言葉を忘れたんでしょうか?」

 

「チュラがチュロス?」

「もうちょっと前です」

 

「例えば?」 

「刻みが細かいですね!もう少し前です」

 

「……絶対的な価値観?」

「そうです、更に言えばチュラは自身の価値観の中では何も間違っていなかったとも言われましたね」

「それは、戦姉おねえちゃんとは違うから……」

 

「今のあなたならどう考えますか?」 

「今のチュラ?」

「私とカナの話を聞いた今のあなたなら、あと1つ残っているパンナコッタを食べてしまいますか?」

 

「……食べない。最後の1個は、戦姉おねえちゃん達の分だから……でも、1個足りない。チュラが食べちゃったから」

「ふふっ、それがカナの言っていた歩み寄ろうとした、という事なんです。チュラは今、確実に価値観を変えました、私達と分かり合うために」

「でも、わかんな――」

「あなたは分かってくれた。さっき自分で答えたでしょう?戦姉おねえちゃん達の分だって。そこに私達の名前は書いていないのに、どうしてそう考えたのか……チュラが私達の価値観を少しでも理解してくれたからなんです」

「……」

 

「私達は……そう、家族なんですから、いつも一緒なんです。焦らないで、毎日1歩ずつ、もっとお互いを好きになっていきましょう!」

「家族……」

 

 

 

 

「チュラ。戦姉おねえちゃん達に付き合ってくれますか?」

 

「……わかった。チュラも、戦姉おねえちゃん達が好きだもん。だから……」

 

「……」「……」

 

 

 

 

「ごめんなさい!戦姉おねえちゃん

 

 

 

 

「えへへー」「うふふ……」

 

「許して……くれる――っ!」

 

「可愛い!可愛いですよチュラさん!私も大好きです!」

 

「本当に、可愛い妹が増えて嬉しい。いつでも遊びに来てね?家族なんだもの」

 

 

 

「……えへへー。チュラ……幸せだよ。探し続けた戦姉おねえちゃんが、こんなに――」

 

 

 

「チュラさん、私の右腕を通して、何を見てるんですか?」 

「…小さい頃の記憶ー。すごく、小さい頃の、お姉ちゃんがチュラと一つだった頃の、大事な記憶なんだー。戦姉おねえちゃんの右手を見てると……思い出すんだよ?不思議だよねー」

「小さい頃に私とチュラさんが一つだった……?」

 

「違うよー?チュラのお姉ちゃんが置いていっちゃったの。だからチュラは暴れちゃってー、気が付いたら赤い樹の森で迷子になっちゃった」

「……あなたの言う事は、まだ良く分かりませんね。でも、それもいつか分かり合える時が来ますよ!」

「うん!」

 

 

「2人とも、午後にはお買い物に行きましょう。チュラちゃん、3つのおやつは?」

「みんなで3分こーっ!」

 

「はい、よくできました。クロちゃん、1つのお菓子は?」

「みんなで3分こーっ!」

 

「うふふ、残ったパンナコッタも仲良く食べよっか――」

「わひゃー!パンナコッタだー!私が一番のりだー!」

「――チュラちゃんも、もちろん一緒に、ね?」

「……いいの?どうしてチュラの分が残ってるの……?」

「そうね、あなたも思いっきり悩みなさい。クロちゃんみたいに、大きな壁に当たったら休んだっていいの。あの子はいつか超えていくから、その時はチュラちゃんも付き合ってあげてね?」

 

「あんれーっ!?冷蔵庫の中に無いぞーっ!?姉さんどこに隠したんですかー!!」

 

「えへへー、大丈夫だよ、カナお姉ちゃん。チュラの持ち主は戦姉おねえちゃんしか許さないから。絶対に守るし、死んじゃったって地獄の鬼には渡さないよー」

「……お姉さんによく似てるわね、一途な所とか」

 

「姉さーん!パンナコッタはどこですかー?」

「スプーンを持って早く戻ってきなさい。私が持ってるわ」

「戻ってきなさーい、ビリっけつさーん」

「あ、あんだってーっ!?」

 

 

「ふふ、おかえりなさい」「えへー、チュラは2位だよー」

 

「うー!認めません!これよりパンナコッタ争奪戦を………

 

 

…………始めないので、チュラさん、姉さんの顔を見てから戦闘態勢に入らないでください」

 

 

 


 

 

 

ここって本当に個人の家かね?

その疑問が消えることはない。だって広いんだもの。でかいんだもの。

 

有力企業のお嬢様だとは聞いていたから、大きいとは考えていた。

でも、言ってもローマ市内に構えた拠。建築制限もあるだろうし、その範囲内に収めたとしてもこんな詰めっ詰めな土地によく建てられたものだ。

 

 

青々とした芝生が茂る庭付きの邸宅は4階建て。

門からエントランスまで続く道は石畳で、ローマ街道みたいに表層面は厚く大きな石同士が隙間を埋めて敷かれており、奥の方には唐松の木が天を衝いて伸びている。

築年数も長いようで、レンガ塀のヒビ、鉄柵の錆び、外観は何度も塗り変えたのだろう塗料が少し剥がれた所もあるが、周辺の建物と比べても手入れは行き届いている方だと思う。

 

そう思うのは自然環境が整っているからかもしれない。

長さが刈り揃えられた芝や悠々自適に咲き匂う花々によって、清々しい空気が作り出されている。この庭でランチを頂いたらとっても優雅な時間を過ごせそうだ。

 

「クロさん、そっちはアトリエだよ。危ないから近寄らない方が良い」

「へ?アトリエ?この大きな建物が全部……ですか?」

「私達の芸術は空間を大切にしているからね。雰囲気の違う部屋がいくつも用意されているんだ」

 

相変わらずのパトリツィア節。危ないアトリエって何だ?

でもあなたの言う芸術の恐ろしさはよく知っていますよ。トラウマになる程にね。

 

 

芸術で思い出したあの決闘。

後日、さほど日を跨がずに満月の吸血鬼と出くわしたからこそ隔意は薄れ、交流が続けられているが、彼女の能力には常識が通用しなかった。体に穴が……いや、体の存在が失われる感覚は本能的な恐怖よりも理解しようとする理性を壊しに掛かってきた。

今でもあの技は謎のまま、次に戦う事があってもその対策は出来ない。それどころか、私の乗能力の方が知られてしまっているから奇襲も通用しないし、その奇襲を無駄にさせた衝撃吸収の能力も判明していない。

つまり、次も勝てる見込みは圧倒的に少ないという事だ。

 

……一応対策も考えてはあるのだが、不確定要素が多すぎて効果の程は定かではないのが現状。いずれはリベンジを果たしたいと感じているけど、あの空間を貫く音は一生忘れる事はないだろう。

 

 

「おかえりなさい、パトリツィア様」

 

使用人だろうか?マリーゴールドが植えられた花壇の土をとてもラフな格好でいじっていた女性が、パトリツィアの姿を見るなり弾かれたように立ち上がって深く頭を下げている。

膝下までカバーするロングガーデンエプロンも、両手に着用した軍手も、ニードルブローチのお髪飾りも花柄という出で立ちは、『お花が好きなんですか?』と質問する手間を省いてくれる。

 

「ああ、ただいま。今日は良い天気だ、スパティフィラムを一輪と出来るだけ淡く色づいた土耳古桔梗ユーストマを2色アトリエに運んでおいてくれ、色はあなたに任せる。ふむ、そうだった!スパッツィアの彫刻刀が刃毀れしていた。折角の作品が台無しになったら可哀想だし、話を聞いてあげてくれないかな?」

「お任せ下さい。昼過ぎに届いた画材一式は分類ごとに2回の倉庫へ――」 

 

テキパキと指示を飛ばすパトリツィアと土の匂いがする女性の会話速度は速く、単語と単語の間で発音を分けないから、全部がくっついて聞こえる。

常日頃から、会話1つ取っても私は気遣われていたようだ。

 

「それにしても、直々にご案内するなんて。あのお嬢様に再びお友達が出来て嬉しいですよ。本日はアトリエに?」

「いいや。彼女は特別だけど、完成品しか見せたくない。どうしてか中途半端な所は見せたくなくてね。あなたも試合えば、言葉に出来ないその魅力もこの気持ちも分かるだろう」

「まあ!端麗なお顔に負けず劣らず腕の立つご武人ですのね!」

 

イタリア語が不自由な私の代わりに紹介してくれているんだろう。感極まる様子だった女性が、軽く会釈をした私に手を叩いて黄色い声を上げる。

目が合ったので多少ぎこちなくも挨拶したし、お澄まし顔しておけば失敗はないよね?

 

「個人的にも、彼女には嫌われたくない。くれぐれも粗相の無いように」

「すぐに触れ回ります。良い一日を」

 

恭しく礼をされている事から、ド平民な身空でも歓迎はされているらしい。

あの女性は予想通り使用人だとパトリツィアは教えてくれた。仲が良さそうなのは、彼女が使用人達の中でも庭の管理責任者だったり、アトリエの備品管理を担っていたりと打ち合わせの機会が多いからだそう。

 

 

脱いだエプロンや軍手を庭に設置されていたバスケットに収めて、花壇の奥へと消えていくのを見送っていると、微風にふわりと甘い匂いが混じる。お茶会の準備が進んでいるのかもしれない。

 

今日のお茶会には2人の妹さんも出席するんだっけ?

長女がちょっとネジの飛んだ武偵の模範生だし、妙ちきりんな雰囲気に気圧されて呑まれないようにしないと。

 

「お待ちしておりましたわ、トオヤマクロ様。わたくし、フォンターナ家次女のアリーシャ・フォンターナと申します」

「えっ?あ、はい。どうも、遠山クロです。パトリツィアさんにはいつもお世話になってますー……」

 

明るい黄色の髪に澄んだ青色の瞳。癖のある毛先を長く伸ばし、横に結い上げた髪はその眼と同じブルーのシュシュで留められていた。

姉とは反対の目尻に小さなホクロがある少女は、平民の私と違って所作も良くできている。

 

失礼な事を考えていたら本人が来たもんだから、咄嗟に出た返事は私から見ても不合格な、親戚との挨拶みたいな実に気の抜けたものになってしまった。

 

(この子が前に聞いていた妹さんか)

 

決闘の後始末を手伝ってくれたらしいが、この子も普通の子じゃないのだろうか?

印象を挙げるとすると、姉と違い謙虚で礼儀正しいお嬢様なイメージだ。つまり私のイメージしていた妹像とは違う。

 

 

「お姉さまがご迷惑をお掛け致しましたようで、本日はしっかりとおもてなしさせていただきますわ」

「ちょっと、アリーシャ。さっそく私をこき下ろす気かな?あの決闘は合意の上、むしろ私は巻き込まれた側で……」

「その後、クロ様が諜報科のサマンタ様に拉致されたとの噂を伺ったのですが?」

「う……それは、その……どこから?」

「教えませんわよ」

 

 

え、妹さん強い!

あのパトリツィアを情報戦で圧しているぞ。

 

 

「でも、それも同意の上で……」

「お姉さま?私の目をご覧くださいませ?」

「……ごめんよ、アリーシャ。私が悪かった」

「ええ、とてもよく分かっておりましたわ」

 

 

完封。

まさに電撃戦だった、被害者である私の目にパトリツィアが可哀想に映る程。最後の一言も地味に刺さっていそうだ。

余裕の態度を崩すことがほとんど無い彼女は、妹さんには頭が上がらないらしい。

 

 

「さて、クロ様。お姉さまからのお誘いをお受けいただけて、喜ばしい限りですの。こちらにおいでくださいませ、お茶会の準備は整っておりますわ」

「は、はい。お手柔らかに、よろしくです」

 

 

ただ、パトリツィアとは違う意味で、一筋縄ではいかない相手だと認識させられるのだった。

 

 

 

 

 

 

驚いた事に、大きかったのはアトリエだけ。

彼女達が住んでいる家の方が離れの家屋みたいで、外観はシンプルな薄黄褐色の立方体。

ドアを抜けた先の玄関は広く、正面に続く廊下は8m程。淡く黄味がかった生成色エクリュカラーの壁と床にはネモフィラの花のような空色の絨毯が敷かれ、内装も最低限のオシャレな飾りつけにとどめられていた。

なぜか入り口の天井は2階層まで吹き抜けになっていて、玄関に吊り下げられた小さなシャンデリアでは天井まで光が届いていないのが気になる。

 

それで、入った直後から感じていた事だが、入り口付近はなかなか強烈な花の匂いがしているなぁ……

 

「その部屋はお姉さまの寝室ですわ」

「この部屋……?――っ!?」

 

入ってすぐ脇の部屋を覗こうとしたら妹さんが口を挟む。

そのポジションって警備員とかが待機する場所なんじゃないですかね?でもって……

 

(なにここ、植物園?)

 

それなりに広い異様な室内は花に埋め尽くされていた。

そしてその多くが見た事もない花で、わかるのは葉蘭とか烏瓜とか日本の変わった植物くらいだ。月下美人みたいな花もあるけど……時期も環境も全然違うのに、どうなってるんだ?造花?

驚くべきことに中には羽音の1つも、壁床を這う影も、蜘蛛の巣すらも無い。

萎れず、瑞々しく、自らの最盛期を保ち続ける花達だけが生の気配を漂わせる。

 

「あまりジロジロ見ないでくれるかな?」

「すみません。どこに寝てるんですか?」

「この中だよ」

「中のどこですか」

「昨日はフォックスフェイスの隣に寝たよ」

「……隙間がないですよ」

 

これ以上の有益な情報は得られそうにないし、見過ぎるのも失礼だ。

妹さんが奥に進んでいるし、遅れずについていこう。

 

(チュラも良く分からないことを言うけど、パトリツィアに似たのかな?)

 

もしそうなら、はた迷惑な話で――っ!

 

(なんだっ!体が沈む!?)

 

床板が腐り落ちたのかと思ったが違う。

私の体重を喰らうように、床が私の脚をズブズブと沈下させていく。

 

「こちらですわ。……あら、クロ様、そこの床はスパッツィアのいたずらで単色モノクロームの沼になっていますの、お気を付けくださいませ」

「……遅いです、妹さん……」

 

落ち着いてくださいませと言うアリーシャの説明通り、茶色の沼には底があって、片脚の膝までいかれた。

 

一人で抜けられたけど、いたずらで良かった。

うちも大概だけど、ここも普通の家とは……程遠いや。

 

 

 

 

 

お茶会の準備が整えられていた部屋は12畳程のそこそこ広めのダイニング、入って左側にはカウンターで仕切られたキッチンが独立している。

部屋の中央付近には円卓と4つの椅子が用意され、そのテーブルの真ん中には甘い香りを漂わせたケーキスタンドにカーテンみたいなカバーが掛けられていた。

 

壁のあちこちには彼女達の作品であろう風景画や抽象画、正面と右側の窓には花瓶やカラフルな動物型のガラス細工が並べられて色鮮やかな光を室内に反射している。

あまり生活感を感じないのは、アトリエの存在が大きいのだろう。おそらくこの姉妹は大半をあの場所で過ごすのだと思われるが、それでも時計ぐらいは置いておけばいいのに。

 

 

「アリーシャ、スパッツィアはどうしたんだい?」

「アトリエから戻りませんわ、お姉さまの新作に刺激を受けたみたいで……」

 

スパッツィアという名前は、パトリツィアから聞いていた末妹の名前。アリーシャとも年が離れた天才児だと説明されたが、落とし沼の犯人という認識が私の中では一番強い。

それで、その子がアトリエから帰って来ないと。反応を見る限り、それ自体はさして珍しくもないのか。

 

「新作?…………ッ!?ちょっと待ってくれないか!?それは私が――」

「行儀が悪いですわよ。寝室に隠していたようですが、もう見られてしまったのですから手遅れですわ」

 

音を立てて立ち上がる姉を叱る妹も、彼女の慌てっぷりに少し同情気味だ。

 

「あれは……その、アリーシャは見たのかな?」

「いいえ、スパッツィアが感動して語っていたのを聞いただけですの。楽しみですわ、帰ってきたら見せてくれる約束をしていますのよ?」

 

そんな話をしながら、ケーキスタンドのカバーを取り外し、湧いたお湯とポットを取りに行っている。

用意されたカップは金の縁取りがされた真っ白でシンプルな造形、ケーキスタンドは2段になっていて、上段にはクッキーとマカロンのような焼き菓子、下段にはハムとチーズ、オリーブオイル漬けにしたトマトが挟まれたフォカッチャが入っている。……おいしそう。

 

「だ、だめっ!あれは誰かに見せるものじゃなくて……」

「御心配無く、見ても見なかったことに致しますわ」

「なにも良くないよッ!」

 

取り乱したパトリツィアが騒ぎ立て、それを妹さんが完全に受け流す。

羞恥で真っ赤に染まり立ち上がったパトリツィアは……なんだろうちょっとこの光景、クルものがある……

 

普段弱みを出さず、優位に立っている彼女が余裕を失って、徐々に声も上擦ってきたのは学校では絶対に見られない、特別感。

写真を撮りたいが、私はハチの巣にされたくないのでテレーザさんの真似事はしない。

 

……つもり。

 

 

「その新作、私も見たいです」

「……クロさん?」

 

 

 

――カシャッ!

 

 

 

いやー、我慢できなかった☆

てへぺろ

 

 

「今、何と言ったのかな?」

「あのお菓子おいしそうだなー☆って」

「……ぷふっ!」

「あなたの強かさが、チュラに移らないといいんだけど」

 

紅茶の入ったポットを載せた台を押して来る妹さんが噴き出したからか、パトリツィアもちょっとだけ怒りの勢いを弱めたみたいで、呆れ苦笑い。

妹が笑顔を私に向ける姿を複雑な顔をして見ているが、嫉妬かね?

 

「面白いお方ですのね。お姉さまと決闘沙汰とのお話でしたので、てっきり今春の男子生徒のような身の程知らずかと思っていましたの。どうりでお姉さまがお招きするはずですわ」

「……あいつはアリーシャを侮辱した。事故のギリギリまで痛めつけてやったよ」

 

それは事故ではなく事件です。

妹離れが遅れて拗らせたクラスメイトは妹さん絡みに容赦がない模様。私も気を付けよう。

 

「お姉さまは過保護ですのよ」

「過保護の枠組みを超えてるんじゃ……」

「それでクロさん」

「…なーんでしょうか?私分かりませーん」

 

くそ、有耶無耶に出来るかと思ったのに!

 

「まずは消そうか、その写真を」

「この、大切な思い出を……消せと?」

 

口元に手を当てて、ショーック!みたいな顔で、一応抵抗。

本気で来られたらその時は大人しく消すとしようか。

 

「……ぷっ!ぷくく……」

「ふ、ふく……やめてくれないか、その顔。ポーズも、似てる……ふふっ」

 

……お?パトリツィアの自然な笑顔、これは……激レアなのでは?

何がツボに入ったのか、オスカーかな?

 

ま、いいや。

すごく、良い物が見れたし、消しちゃおっと!

 

「ほら、パトリツィア、あなたの手で消してください。気になるなら中の写真を確認しても良いですよ」

「……それなら遠慮なく消させてもらうよ。ただし、中は見ない、クロさんを信じるとしよう」

「素敵なご友人が増えたのですね、お姉さま」

「うん。私は彼女の人となりが気に入っている。……はい、これで消えた。クロさんには何かでお返しをしないとね」

 

椅子に座り直した彼女がそんな事を呟くものだから、そりゃ私も良い事を思いついちゃうわけで、それをつい口にも出しちゃうわけですよ。

  

「でしたら!写真をください!」

「写真なら今消したばかりじゃないか」

「そうではないと思いますわよ」

「どういう事かな?」

 

立ち上がった妹さんが蒸らしたティーポットからカップへと紅茶を注いでいくと、甘みのある、でもやっぱり渋そうな匂い。見た目だけなら赤味があって暗さはないから、味が濃くて渋みが控えてありそうだな、という感想が浮かぶ。

紅茶は午後ティーしか知らないので、細かい所は私には難しい。カフェならこの国に来て分かるようになったんだけどね。

 

 

「みんなが写った写真が欲しいんです。妹さんも、ここにはいない方も一緒に」

 

 

私は写真が好きではない。極力写らないように努めてきたし、記憶を自由に引き出せれば写真を撮る必要なんてないんだから。

でも、なぜか今日は、記念が欲しくなった。その心境の変化の原因は自分でも分からない。

 

「……?何のために?証明写真やジャストとは違うのかな」

「世間ではご友人同士で写真を撮る文化があるみたいですわ」

「意味もなく、衝動的に撮りたくなるのは不思議だね」

 

行為に意味を求めると価値は薄い様に思えるが、そもそも記念撮影は遊びの一種だろう。

私も慣れないものの遊びは人生を豊かにする。人はパンのみにて生きるに非ず、だ。

 

「日本には"プリクラ"と言う文化が――」

「クロさん!それはすぐに用意できるものなのかい!?」

 

食いつきが良過ぎます。

座ったと思ったら心ごと弾んだかのように、飛び掛からんばかりの体勢で目を輝かせてる。

 

「――あるんですが、特別な用意は必要ありませんよ。要するに友達同士で気軽に写真を撮るだけなんですから」

「それだけなの?」

「それだけです」

「変わった文化ですわ」

「今ほどカメラ付きケータイが普及していませんでしたから、Club di stampaプリクラと言うのは一種のノスタルジアですね」

 

 

内容を聞いて興味を失うかなとも思ったものの、その心配は不要だったようだ。

パトリツィアは今にも実行したそうにウズウズしている様子で、口の形が猫みたいになってる。うーんギャップがいい。

 

「お姉さま、お写真はお茶会の後で。まずは心からクロ様をおもてなし致しましょう」

「ああ、そうだね!クロさんとはこれからもでいたいものだし、本当はスパッツィアにも紹介したかったんだけど」

「アトリエにお伺いは出来ないんですか?」

 

いる場所が分かっているなら、こっちから会いに行けばいいじゃないか。

だが、その反応は芳しくない。

 

 

「クロさんには無理だろうね」

「私もおすすめは致しませんわ。責任を持てませんもの」

「すごく行きたくないですね。止めておきましょっか」

 

(危ないアトリエには、一体なにがあるんですか……?)

 

供された紅茶を笑顔で勧められるままに一口。

――ストレートでも甘みがあるもんだなぁ、それと渋みがほとんどない。

 

私が飲み慣れないと予め伝えていたから、特に優しいものを用意してくれたのかもしれない。そう思い、右手側に座る気が利く妹さんを見やると……

 

「角砂糖、クロ様はいかがですか?」

 

(……この甘めの紅茶に3個、入れますか)

 

「お1つ頂きます」

「どうぞ、やっぱり紅茶は渋みが強いですわね」

 

どこが?

 

「クロさんも驚き顔じゃないか、あなたはいつも入れ過ぎだよ」

「……そうなのでしょうか」

「外では気を付けているからいいけど、慣れないものだね」

「お砂糖、ありがとうございます」

「あら、ご丁寧に。足りなければまた、お伝えくださいませ」

「……はい」

 

 

そして、角砂糖を溶かし終え、一口味わったカップをソーサーに戻したところで、パトリツィアがケーキの無いケーキスタンドを促した。

妹さんがその指示に従い私の方に寄せると、砕いたナッツのココアクッキー、厚みがあってベリーソースの掛かったホワイトクッキー、これまた細かいドライベリーがクリームに混ざった赤いマカロンとスライスされたオレンジピールの入った黄色いマカロンがカラフルで目に楽しい。下段のフォカッチャは青い包み紙に包まれて、こちらも食欲をそそる良い匂いを漂わせている。

 

――これ、全部取っていいの?

 

 

「あの……アリーシャ、さん?」

「やっと名前で呼んでくださいましたわね、どう致しましたの?」

「これって、全部とっても良いんでしょうか?」

「もちろん、構いませんわよ」

「ホントですか!?」

 

一個いくらとか気にしない。聞きたくない。

高級料理は価値を食べるというけど、庶民は味を食べたいのだ。 

 

「ただ、ケーキのご用意も出来ておりますの。熱を冷まして、クロ様のいらっしゃる5分前に丁度出来上がったところですわ」

「アリーシャは料理は嫌いだけど、ケーキを作るのだけは大好きでね。今じゃお店のケーキよりも美味しいものを作ってくれるんだ」

 

くっ……なんてこった。

まさかケーキが載って無かったのは初めから別途提供するためだったのか……!

 

「今日は何を作ったのかな?私はあなたのキルシュトルテが好きなんだけど」

「ご用意できてますわよ。シャルロッテとミルクレープも、昨日スパッツィアがお話ししながら手伝ってくれましたの」

「それは楽しみだ!」

 

3つ?3種のケーキが来るというのか?

シャルロッテ……ってのは見た事が無いが、食べない手はない。どうしよう……

 

……どうしよう?何を迷ってるんだ、私は。

そんなの――

 

「――全部いただきます!」

「嬉しいですわ。ぜひクロ様の感想もお聞かせくださいませ」

「太らないように気を付けるんだよ?生憎、私達姉妹はいくら食べても太らない体質でね」

 

イラァ……

 

えーえー、さっきの角砂糖で予想出来てましたとも。

私だってそこそこ太り辛い体質なんです、ついでにスイーツならいくらでも食べられるんですからね!

 

 

ケーキスタンドから一通りのメニューを頂いた私はそれをパトリツィアの方に差し出して不敵な笑みを浮かべた。

 

「私のこの食べっぷり……見忘れたとは言わせませんからね?」

「――ほほう!」

「え……?」

 

ノリ悪ッ!

 

恥ずかしい、私、超恥ずかしいよ!?

なんか言ってよ、なんで本気で感心してるのさ!アリーシャに至っては『こいつ何言ってんの?』とか言いたげな呆然とした反応だし。

 

くっそ、大体、私の周りにはクールな子が多すぎるんですよ!

一菜だってまだちょっとだけ人見知りであんまりふざけないし、パオラはテンションアゲアゲなキャラじゃないし、ベレッタはそれこそ『何言ってんの?あんた』って面と向かって言ってくるし!それに加えてこの姉妹のこの反応!

辛い!世間の風当たりは強すぎるよ!

 

「……今のは聞かなかったことにしてください、いえ、無かったことにしてください」

「…ふふっ、出来ない相談だね。忘れたとは言わせてくれないんだからさ」

「い、いじわる!そのセリフごと忘れてくださ――」

「クロさん」

 

とうとうセリフまで遮られた。

勘弁してつかぁさい……

 

「な、なんですか?」

 

パトリツィアは自分の皿に2種類のクッキーを取り分け、アリーシャへと渡しながら口を開く。

 

「いや、末永く仲良くしたいものだと思ってね。ケーキの登場を楽しみにしているといい」

「私の方こそ、あなたとは二度と敵対したくありませんよ」

 

 

アリーシャがホワイトクッキーとマカロンを取り分けてスタンドを中央に戻すと、パトリツィアは続けて話す。

うっ、あの手の動きは、前にも見たメモをとる体勢。ベレッタとの質問タイムはそれはもう忙しなくあの左手が走り回っていたものだ。

 

「そうだ、クロさん!日本にもお茶会の文化はあるんだよね。グリーンティー、"リョクチャ"って飲み物がカフェテリアに……そういえば前に飲んでいたか」

「日本にもお茶を用いておもてなしをする、それどころかそれ自体を主目的とした催しがあります」

「私達が過ごすこの時間とは、全く違うものですの?」

「ううーん……なにせ私も茶道が良く分かっていないので、あやふやな説明になりそうですが」

「構わないよ、あなたの感じたままを聞かせて欲し――」

 

『アリーシャおねえさまー!』

 

 

(アリーシャ、おねえさま?)

 

彼女達は3姉妹でアリーシャは次女なのだから、姉と呼ぶのはスパッツィアと言う名の末妹だけである。

声はすれども姿は見えず、反響する幼い少女の声は完全なる沈黙からの第一声だったのか、地声迷子で音階が上下していた。

 

「スパッツィア?お姉さますみません、少し席を立たせていただきますわ。ご友人への聴取も程々に致しますのよ?」

「……うん、わかったよ、アリーシャ。クロさん、また今度にしようか。今はお茶会を楽しもう」

「私は最初からそのつもりだったんですが……」

「私も最初はそのつもりだったよ」

 

あわやお茶会が記者会見に早変わりする未来が見えかけたが、妹さんのお心遣いにより回避、ギリギリセーフだった。

 

 

アリーシャは私に一礼して立ち上がると、部屋を出て玄関とは反対側に歩いていく。

外から見た時、アトリエに向かう道は渡り廊下みたいなもので繋がっていたし、そこを通っていくのだろう。

 

(折角の紅茶が冷めちゃう……)

 

Mottainaiモッタイナイ精神的にはNGだが、甘すぎるお紅茶もNG。ミルクティーにすれば甘さも気にならなくなりそうだけど、この紅茶葉だと今度は風味が残らないか。

 

「クロさん、チュラはあなたと仲良くできてる?」

「?はい、とても良い子ですよ。たまに変な事は言いますが、妹がいたらこんな感じなのかなーって」

 

元相棒、というより保護者のパトリツィアもチュラの事を心配してくれている。

そもそも、どんな経緯で知り合ったんだろう、やっぱり先生から直々に仕事として頼まれたのかな?

 

「暴れたりしてないかい?」

「そんな前触れも見せませんよ」

「クロさんの利き手は右手だったよね?右腕にいつも抱き着いて来たりは」

 

構って欲しいネコかっ!

 

「どちらかと言うと左腕が狙われますね。あ、それで思い出しました!この前一緒に帰る約束を忘れてスーパーに向かったら噛みつかれたんですよ!ガブーッて!制服の上からだったから歯形は残りませんでしたけど、ビックリしました!」

 

それ以前に両利きみたいなものだし、片方塞がれたところで生活に不便はないのだが、あの時の買い物は不便だった。

腕が重いし、片腕しか使えないといちいちカートから手を放さないといけないし、お会計の時には離れてくれたものの、そのままだったらお金も満足に支払えない所だったしね。

 

「それは災難だったね、今後は気を付けた方が良い。に駆られて暴れ出すから、何かで埋め合わせをしないと私みたいに襲われかねないよ」

「ふぇっ!?襲われたんですか!?チュラに?」

「ううん、チュラと知り合ったのはそんなに前じゃないんだ。あの子には懐かれなかったし」

 

はて?チュラの話じゃなかったのか。

 

「激しく体を求められてね、持ち主と一つになろうとするんだ」

「――――えっ?……っ!?"あっ、それ、は、そのあのっ!あれですかっ?あなたと合体したいとか、ゆうべはおたのしみでしたねとか、そういう――ッ!――ぴうっ!ぴ、ぷ、ぷ健全な……私、良くないと思いますぅっ!"」

 

 

パトリツィアさん、中学生の内からそんな爛れた人間関係を……?

彼女の余裕は、そういう事なの?人生の先輩になっちゃってるの?

 

だめ!だめだめっ!そんなのだめですッ!!

 

 

「クロさん」

「"私達には、まだ早いです!おいしくないですッ!"」

「日本語はほとんど聞き取れなかったし、真っ赤っかだよ。……変な想像をしたね?」

「ち、ちがうもんっ!私、何もしらないもんっ!」

「あなたがチュラに似てきてどうするのさ。でも、その反応を見る限り、不安だね。迫られたら断れない感じがするよ」

 

 

 

迫られる……?

チュラに……私が…………?

 

 

 

…………ないわー。

 

 

 

「冷静に考えたら、ありえない話ですね」

「コロッと態度を変えた。今度は何を想像したんだか」

「だってチュラさんですよ?」

「うん、言いたいことは伝わったけど、私もそうやって彼女を舐めていたんだ。気を付けるに越したことはない」

 

 

そうだった、前回は吸血鬼で痛い目を見たんだし、油断大敵。

ま、相手がチュラだと判明している時点で怖かーないんですけど?

 

 

「記憶に留めておきます」

「紅茶のおかわりはいかがかな?私のおすすめがあるんだけど」

「初心者向けでお願いします」

「……アリーシャと同じものを淹れようか」