まめの創作活動

創作したいだけ

黒金の戦姉妹39話  縁故の梯子

 縁故の梯子ラポール・パッセージ

 

 

何の変哲もない一般向けのマンション。

その一室には地下へとつながる大穴に、今日日珍しい常用の縄梯子が垂れ下げられていた。

 

そこそこ多めに設置された電灯に照らされて足を踏み外す心配は軽減されているものの、上端しか固定されていない梯子とは慣れない間、下を見ることが躊躇われる程の揺れを起こす。 

 

 

ぶらぁ……

 

 

体勢を変えるだけで重心の変化に追随してぶれてしまい、見た目からボロい横縄には足場用の板も棒も無いものだから、一段降るたびにフラフラと足が空中に踏み込んでいくような不安定感が緊張に力む使用者の握力を刻々と奪っていく。

 

 

「おぉう……」

 

 

強襲科の強行潜入演習で行われたロープ降下実習中に、強襲科教諭のイメルダ教官によく可愛がられた私だが、自覚がないだけで実はのが怖いらしい。

え? それが普通だって? …………私だって普通でいいならそうしたいよ。でも荒事の多い武装探偵はそうもいかない。

私を含む同学年の半数は目標降下時間を超過しているとはいえ、プロ武偵でリぺリングが出来ませんなんて落ちこぼれもいいところだ。

 

誕生会の折にも思った事だが、先に通過した一菜もフィオナも、よくホイホイと降りれるよね。こんなの。

一菜は何も考えてなさそうだけど、降下実習経験のないフィオナも慣れた手付きであっさりゴールインしてしまった。

 

これでは私だけ臆病者みたいではないですか!

いつ頃からだったか……父さんに勾玉を教わった時には大丈夫だったんだけどな。

ちなみに落下速度は関係ないようで、床にマットを敷いた高所からの受け身実習では、眉一つ動かすことなく間髪入れずに飛び降りた私は大層驚いた顔をされた。なんせ慣れっ子なもので。

 

 

だから足元が見えようが見えまいが、私は下を見ない。見ないったら見ない。

見ていなければ落ちた先が固い地面かトランポリンか、不確定要素として脳内処理可能だからね。

 

「"素人なクロちゃん、略してシロちゃーん! こっからだと黒いストッキングに包まれた脚線が全部――"」

「"うっさいです!階段、階段の設置を所望します! ――うあっ……"」

 

 

階下から聞こえる男子小学生並みのセクハラ発言に言い返してやろうと反射的に、つい眼下の光景を眺めてしまう。

電灯から電灯へ、子供向けの点繋ぎ絵の要領で追った視線は、残り2m先の硬い地面に立ってこちらを見上げるポニーテールの少女を捉えた。

 

 

「"えーっ! それだと秘密基地っぽっくないじゃんかさー"」

 

 

更に返ってきた答えも子供が喜びそうなお話で、全長約6mの縦穴はそんな理由で縄梯子を採用していたのか。なんとはた迷惑な。

 

しかし、その外見はお子様ないつもと違う。

ダークブラウンの髪と人懐っこく細められたカフェラテの瞳は元通りだが、学校をサボってどこへ遊びに行っていたんだか、防弾制服ではなくボーダーカットソーをインナーに、所々にファーの付いたピンクのノーカラーコートを羽織って、落ち着いた膝上丈のフレアスカートなんかはいている。つまり、めかし込んでるのだ。典型的なブッキーのくせに。

頭でもぶつけたか。あ、私が原因じゃないか。

 

(馬子にも衣裳とは言いますが、元々容姿の整った一菜はキレイ系の服装だと顔のつくりの良さが際立ちますね)

 

はっちゃけた性格に似合わない澄ました格好をしているのが新鮮で、そこから目を離せないでいる内に、徐々に血の気も引いていくのが分かってしまう。

いけない、クラっと来た。いや、一菜にじゃなくて高度に。

 

 

「"だいじょーぶっ! 落ちてきたら抱きとめてあげるよー"」

「"それなら梯子の端を押さえててくれませんか?"」

「"おぅ~任しとけっ、マイパートナー!"」

 

 

ギュッギュイイッ!

 

 

「"オーケー! マイク~、もう何があったって梯子は揺れないサー"」

 

ギュ……ギュギュギュ…………

 

「"オウイェア! コイツは凄いじゃないかジョン、叩いても蹴ってもビクともしないヨー!"」

 

ギュィイ……ギシ……ギシ……

 

「"レッツ、今の内に降りるんだキャシー。梯子と僕はずっと君を待ってあげるけど、ステキな時間と放送時間は待ってくれないんだからネ☆"」

 

ギ……ギギ……ビシ、ビシ…………

 

「"ハハハ、クリスは上手い事を――"」

 

 

――――プツッ……

 

 

「"あ……"」

「"えっ……"」

 

 

手元に伝わった大きな振動。

それは一菜が押さえる下からではなく、固定されているはずの上から私を追いかけるように到達した。

縄を握っていた手が軽くなり、体を支えていた足が宙を踏む。真横を高速で上昇する明かりを目で追う内に、自分が縄梯子以上に不安定な場所へ投げ出された事に気付いてしまった。

 

 

(私、落ちてる――――?)

 

 

――――スイッチ……ON――

 

 

 

再教訓。

おバカな一菜にやらせてはいけない事。

 

・一菜に落とし穴を掘らせてはいけない。

・一菜にラズベリーを与えてはいけない。

・一菜にウインチを巻かせてはいけない。

・一菜に二人羽織りをさせてはいけない。

・一菜に梯子の支えを任せてはいけない。←NEW!!

 

 

 

 

落下地点の一菜がてへぺろ☆みたいな顔をしていたのが非常に癇に障ったので、差し出された両腕を無視し肩に思いっきり体重を落としてやった。

秋水で全衝撃力2トン超の大半を伝え、自分は両脚に鉄沓の逆の動きをさせて撃力を逃がせるだけ逃がしたのだ。

 

ほんの一瞬、雑技団の気分を味わう私の足元で、小癪な一菜は真似して腰と膝を畳んだものの「ぬわ~ッ!」と叫んで潰れていた。

……が、円座卓を囲んだ現在の振る舞いは至って自然な動き。脱臼はおろか痛いだけで済ませる非人間的な頑丈さを見せ付けてくれる。感覚がマヒしそうだよ。

 

 

「ん。じゃあいいかな。では、これから日本とクロちゃん同盟の決闘の結果を、箱庭のルールに基づいて処理していくよ」

「はい、お願いします。あれだけの啖呵を切っておきながら箱庭の事は良く知らなくって」

 

 

4つ用意された湯呑みからもわもわと上がる湯気が天井に向かい、登っては消え登っては消え。その隙間からは、違和感も超人感も消えた私の良く知る一菜が朗らかな微笑を覗かせていた。

私と一菜が座卓を挟み対面、金の刺繍が贅沢にあしらわれた座布団に腰を落ち着け、私の隣にはフィオナ、一菜の後ろには正座を崩した槌野子と胡坐をかいた三松猫が控えている。

 

そして両陣営の上座に座るのは隠れ家の地上階に建つマンションの持ち主である一菜の……お母様?

つい先ほど、浴衣のような寝間着に半幅帯を締めためちゃめちゃお若い女性が一菜と兎狗狸に支えられつつ初めて寝室から姿を現し、そのまま彼女の脇に兎狗狸がちょこんと正座した。

 

陽菜は己の不行き届きを恥じたとかどうとかで、諜報科の先輩と修行に精を出しているそうだ。昨日の今日で。

 

(あの勾玉の威力は道路を走行中のトラックにブレーキ無しで撥ねられる威力があったと思うんだけど……ニンジュツかな)

 

彼女の生体構造に興味が出て来た。機会があったら修行を見学させてもらおう、フィオナをだしにして。

 

「あの女性は一菜さんの……?」

 

こそっと耳打ちをしてきたフィオナは私同様、学校から直接訪問しているため武偵中制服のままだ。

今日のオヤツはナッツ入りのチョコだったようで、甘い匂いにカカオに香ばしさがプラスされている。

 

「一菜さんの母親、だと思います。目元なんかそっくりですし」

 

フィオナの確認するような問いに応じながらも、私もその女性の特徴から母親で間違いないと確信する。

染めていない一菜と同じ、輝くように光を反射する金髪。前髪が長く垂れた穏やかな表情には皴の一つもなく、造りも雰囲気も1つの理想を突き詰めた完成形。男女問わず彼女に目を奪われる者は多いだろう。

色白の肌に緩く弧を描く唇は桜貝色、目尻が吊り上がった目は優し気にふんわりと細められて、髪は結わずに腰までストレートに下ろしている。

 

一菜のなで肩は母親似らしい。というか大体の容姿は母親から来てるのか。胸以外。

外見だけなら一菜より一回り大きい姉で通りそうだが、纏う空気は一回りや二回りどころでは無く大きいな。胸も。

 

(持つ者と持たざる者。これが格差社会の縮図か……)

 

登山家達が魅了される飛騨山脈の山々と子供たちに愛される公園の砂山を見比べ世の儚さを嘆いていたら、ゴスッと隣から水平に代理のグーパンが飛んできた。

 

 

「"母上、体の具合が優れなければ、いつでも仰ってくださいね"」

「"ありがとう、一菜。でも大丈夫、あなたの大切なお友達を一目見たいとわがままを通したのは私ですもの"」

「"無理しちゃだめだよ、イヅ……トキナ様。あっしが付いてるからね、何でも言ってよ!"」

 

 

母上呼び頂きました。母親確定。

頭のてっぺんとお尻から獣成分を発してはいない。八重歯は尖っているけど、あくまで個人差の範囲で収まる程度。よかった、一菜は妖怪とのハーフではない事が証明された。

ただし、一般人ではない。寝たきりの体では全てを制御しきれないのか一菜以上に人間らしからぬ、漏れ出しただけでヒルダに匹敵するほどの妖気が、彼女も普通の人間ではないのだと身に沁みて感じさせる。

 

けど……彼女の存在感は薄い。水のように透けて見える。

こんなに美人なのに、街中で目の端に映っても気付けない。こんなに大きく見えるのに、彼女がそこに存在すると脳が理解しているから彼女を把握できている。

フラヴィアみたいに意図的に隠してるんじゃない。

おそらくは……存在を形成する個の輪郭の消失が近い、という事なのだろう。

 

「"兎狗狸ちゃんも、ありがとう"」

 

苔石ではなく名前を呼ばれたのがそれだけで嬉しいといった緑髪の少女が、頭からハートマークを飛ばしながら頭を撫でられている最中、トキナさんは一菜に目配せする。

 

「それではまず、決闘の結果から。あたしが代表戦士を務めた日本代表は、先の決闘によりクロちゃん同盟に敗れたことを認め、その傘下に属し協定を結ぶことを声明します」

 

頷きを返し高々とそう宣言する一菜だが、閉鎖された地下の一室に彼女の声がこだます必要はあるのだろうか?

私達以外に聞こえないし、聞こえる必要もない。しかも、クロ同盟にちゃんは付けなくていい。

 

 

「一菜さんは元気ですね。決闘ではボッコボコにしましたし、学校も休むから心配しましたよ」

「ボ、ボッコボコにはされてないよ! 途中までクロちゃんの方がボッコボコだったじゃん!」

「終わりよければ全てよし。まあ、私は方法や経過も大事な要素だとは思いますけどね」

 

 

親が見守る手前、暴れ馬の一菜さんは膝に置いた両手の震えが肩にまで連動されている。さてさて、彼女の我慢はいつまで保つのやら。

昨日は戦いの後に拉致されて、一菜の容態を見届けてあげる事が出来なかった。おまけに今日は学校を休んでいた。小さじ一杯分くらい気に掛けていたけど、挑発されてムキになって返してこられるのなら大丈夫だろう。

 

あ、でも学校を休んだ件については相談して欲しかったな。私、一菜、パトリツィアが不在でここ一週間ずっと討論グループで独りぼっちだったパオラには説明を要求されたし、班分けでエマが乗り込んで来るしで大変だったんだからね。

 

 

「それでなんだけど、今後の戦いはあたしたちも協力する。苔石ちゃんも「兎狗狸だよっ!」、ちーちゃんも「ん」、なーちゃんも「な~う」、ここにはいないけど陽菜ちゃんもクロ同盟の仲間として扱ってちょうだい」

「いわんとすることは分かっていますが、杞憂ですよ。私は誰かを使うとか、指揮官じみた割り切った考え方は出来ませんから」

「おっけーおっけー! 一応ね、い・ち・お・う。クロちゃんって、たまーに変な事言うからさ」

 

(変な事? 一菜に言われると傷付くなぁ、変な事を言うとか)

 

「変な事とは?」

「小っちゃい子好きって噂もあるし、3人は小っちゃいし……強制するのは禁止! だから……あ、相手の意思を尊重してね? ね? 絶対だよ?」

 

 

やたらと焦りながら念を押して、さっそく変な事を言うちびっ子の方の日本人は、その噂の原因が自分にあるとは露にも思っていなさそうだ。

確かに関係が最も良好な方々は小さいけどさ、パオラもチュラも。しかし私にそんな趣味はない。

右から「クロさんは小っちゃい子好き……」と、がっかりしたような声が聞こえる。こうして誤った噂は拡がるらしい。

 

 

「失礼ですよ、一菜さん。私にそんな趣味はありません」

「ほ、ほんと?」

「本当ですか!?」

 

 

きっぱりと否定したのに前と横から聞き返される。なんでだ。

 

自国の戦闘員の身の安全を確認した一菜はホッとした様子で、フィオナも私が犯罪に手を染めないと分かり胸を撫で下ろしていた。

この人達、チームメイトにどんな印象を持ってるんです?

 

「あとは戦後処理に関してなんだけど」

 

進行役の一菜的にはさっきの不躾け過ぎる確認で最終局面を乗り切ったらしい。腑抜けたまま話を進めないので、一度操舵席を奪う。

決闘場の修繕費なんて部外者のパトラが柵を壊したくらいしか無いので、一菜から回収するのはお門違い。決闘の戦後処理も大したものではないのだろうし、いくつか質問させてもらおう。超常現象は超常の存在に聞くのが一番。餅は餅屋だもん。

 

フィオナには悪いけど日本語を使わせてもらうよ。

私が戦う理由の1つは吸血鬼や魔女との共闘も辞さないアンダーグラウンド。箱庭なんてものに巻き込んでおいて今更だけど、ここから先は完全に私情でしかない。

 

「"ところでお尋ねしたいのですが"」

「"ぽ? お主さんが知りたい事には興味ある、興味あるよ! あっしがなんでも答えてあげる"」

「"それは期待が持てますね。では、どなたでも構いません。小さな情報でも偏った知識でもいいので、『宿金』と呼ばれる金属について知っている方はいませんか?"」

 

この発言が軽はずみだったとは思わない。

少しでも多くの情報が欲しかったから、5人もいれば1人でも知っていればいいと思っていた。

でも、これは失言だった。

 

……ここに私達以外の人間がいなくて良かった。

 

 

「"ぽぽっ!? ぽぽぽぽっ!?"」

「"や、宿金……ナー"」

「"遠山、それはどこで?"」

 

 

日本側の動揺っぷりがすごい。兎狗狸と三松猫が目を白黒させて意味もなく姿勢を低くしている。一見冷静な槌野子も揺れ動くのを止め、声には怒気や積怨の意思も窺えた。

ずっとにこやかに見守っていたトキナさんの顔も心なしか険しくなっているのかも。

 

一菜だけがレーザー照射の出来る槌野子の目線を隠すように手で制し、私の視線が他の誰かに向かわないようジッと目を合わせ続けた。

これ以上の発言を誰にもさせまいと、問いを飛ばした私を目で制したのだ。

 

 

「"答えなくてはいけませんか?"」

「"いやー、ごめん……答えなくていいよ、クロん。それは絶対に話しちゃいけない物、二度と口にしないでね? ……母上"」

「"…………ごめんなさい、少し眠っていたの。もう、すっかり目が覚めてしまったからお話を聞かせてくれる? 箱庭の戦後処理はどうなったのか"」

 

 

全員が全員、宿金の事を少なからず知っている。だが、もう口にするなと一菜に用命された。きっと、私の為に。私の発言を揉み消した。

それをわざわざ蒸し返すのが正しくない事ぐらい理解できてる。

 

見通しが甘かったな。詳しい人に聞けば方法の1つくらいは見付かるものだと思ってた。

しかし、知っている人は知っているから話せない。自らを餌にした箱庭での受け身の捜査は初っ端から頓挫してしまったらしいよ。

 

まあね、操舵したところでオールを漕いでくれる人がいなきゃ前には進まないしな。

 

 

「戦後処理とは言っても……クロちゃんとフィオナちゃん、弾代と医療費以外の賠償はどうする?」

「決闘で医療費を貰うのも気が引けます」

 

 

何事もなかったかのように再開される談議では、一応代表同士の取り決めとして辛うじて勝利を得たクロ同盟への賠償責任を果たす意向のようだけど、外交のイロハを学ぶのも面倒臭い。

調印だのなんだのを持ち出されたらたまったもんじゃないので、やれやれと首を横に振る。

 

「賛同します。戦争ではありませんので、賠償なんて必要ありませんよ」

 

フィオナも私の判断に異存なしの従順な返答。

そんで、こっちを見る目を煌かせないで。そういう意図はないんだよ、本音は利用規約を読まないでチェックを付けるそこらの一般人と変わらないんだって。

 

 

損失は他国の代表戦士に私達の戦闘データが流出してしまった事が一番でかい。

あの戦いだけで『不可視の銃弾』も『勾玉』も一菜とのダンスも公衆にお披露目したね。真似なんて出来やしないけど、対策はされちゃうかも。

 

――いや、違うな。

一番の問題は……フィオナの存在だ。彼女の参戦が最も由々しい情報なのだ。

 

 

「フィオナちゃんは無償で雇ったの? これで終わり、とはいかないんだし」

「条件付きです」

 

 

私には私のままでいて欲しい。正義の味方で、フィオナの希望であり続けて欲しい。

……だそうだ。彼女にしては珍しい、ハッキリとしない曖昧な表現だったな。

 

 

「条件? どんなの?」

「い、いいじゃないですか一菜さん! クロさんも、個人の契約なんですから守秘義務を守って下さいね!」

「ええ、まあ。言いふらしたりはしませんよ」

「怪しいなっ! なになに、なにさー! 教えてくれたっていいじゃーん!」

 

 

一菜とフィオナの間で教える教えないの喧騒が続き、10秒後にはチョコレートスイーツの話に変わる。これが私のチーム。

箱庭の今後があるというのに、緊張感のない2人を見ていると日常の一部が戻ってきたことをひしひしと感じて、肩の荷が軽くなった。ほんの1割だけ、軽く。

 

軽くなった分引き締めないとね。

次のターゲットは……未知の敵なんだから。

 

 

水を差すのも忍びないと、茶を一口。

粒あんの羊羹に添えられた竹楊枝へ手を伸ばす私は彼女の変化に勘付いた。偶然、じゃないかもしれない。深層心理とか、たぶんそんなの。ふと、気になったのだ。

 

小さく息を吸って、桜貝色の唇と白茶けてしまった小豆色の瞳を控えめに開いていく。

彼女にとってはそれが全開なのだ。若くして大病でも患ったのだろう。

 

「"同盟は結べたのね。立派になったわ、一菜"」

 

その眼差しに三松猫はビクッとしているのに、一菜も槌野子も平然としていた。いや、槌野子の前後左右に揺れる風鈴運動も止まっている。

 

どうにも視線を向けられた一菜には話の予想がついていないようだ。

 

 

「"一菜"」

「"はい"」

 

 

彼女の弱々しくも透き通った綺麗な声は、威圧的でもなくトゲトゲしさもないのに何故か警戒してしまう。

妖気に当てられると本能的に神経質にはなる。これは経験則で得た知識だ。

しかし、前例が少なく妖気に当てられたせいだと断定するのは尚早かもしれないな。前例があるのがなんとも言えない気分にさせられるよね、私の人生。

 

(…………?)

 

鋭敏化した神経は室内に奇妙な居心地の悪さを拾い出す。

場の雰囲気ではなく、胸騒ぎを催す事象の前触れのような。

 

地震……?ではないか)

 

日本人特有の感性で地震を想起した私は振動を感じたのではなく、音――コンバータから生じるモスキート音や気圧の変化で発生する耳鳴りのようなものが聞こえた気がしたのだ。

 

音も消え、フィオナに反応はないので気のせいかと流そうとした時、今度は僅かに空気が揺らぎ始め、これまたすぐに納まった。

一菜も気付いていないのか「"なんですか?"」と普段の彼女からは考えられない敬語が母親に向けて飛び出す始末であり、寒気が走った体まで震えてしまう。キミガワルイヨ。

 

 

「"あなたからカンの欠片を取り上げます。良いですね?"」

「"――っ!"」

「"ぽえぇっ!?"」

 

 

(カンの欠片?)

 

缶? 管? 幹?

 

私はその言葉の意味が掴めず日本代表の様子を窺うが、微笑みを崩さず告げたトキナさんの発言に対する反応は様々だった。

一菜は目も口もカメラのシャッターで切り取られた写真のようにピクリともさせず絶句し、兎狗狸は撫でつける手を押し返してトキナさんを見上げ、言葉の真偽が分からないと訴えている。

そして槌野子がコクコクと2度頷くと、三松猫は無言のまま腕を組んでそっぽを向いた。この2人は知っていたって反応だな。

 

 

「"……母上、それは…………。それは、我にかの巫女達を。ひいては……伏見様や玉藻様のご意向を蹉跌させ疎隔せよと?"」

「"やむを得ません。あなたが扱えるのは今まで通り4つまでとします。今回は20の欠片を持ち出したようですが……槌野子さん"」

 

 

名指しされた槌野子は両眼を閉ざしたまま、ダークブラウンの下げ髪を水平にする勢いで振り返った一菜と、黒茶の丸耳をぼさぁっと苔色の髪の間から発露させた兎狗狸に一瞥をくれてから、その大きな口を小さく開く。

 

 

「"ちーは、イヅを失いたくない。三松も。兎狗狸、あなたは?"」

「"ぽっ!? そ、そんなの当然、失いたくないよ! でも、だったらを取り上げるのはおかしいよッ!"」

「"どこもおかしくナー。イヅは箱庭の終戦まで大人しくするんだナ"」

「"っ! だめ! イヅは普通の人間として学校に通うの!"」

 

 

ギャンギャン吠えつく兎狗狸とは対照的に、話題の主役である一菜は沈黙したまま真剣に悩み、母親の意を類推している。

字幕も吹き替えも無しに突然始まった日本ドラマの状況が読めず私に助けを求めるフィオナには、説明する材料が足りていないので『ごめんね』のウィンクをしたら俯いて押し黙ってくれた。

マバタキングも用いずに以心伝心出来た事に感動したよ。これぞチーム!

 

 

「"私も、イヅを学校に通わせたい。同意、私に賛同して"」

「"無理だナ。思金がいる場所にノコノコ向かわせられんナー"」

 

 

20個持ち出した『今回』というのは決闘の事で、カンの欠片と呼称されたのが『殺生石』なのだろう。一菜は4つの殺生石の内、常に2つを御守りと称して持ち歩いている。

彼女自身が一週間の訓練だけであれだけの力を手に入れられはしないのだから、底上げされた力の大もとは数を増量した殺生石と考えるのが妥当。多く持ち出した目的は私への警戒だ。

 

 

「"否定。私が守る、兎狗狸も。三松も手伝う"」

「"バチカンの懐にナ? 思金の影も暗躍する危険地帯で果たして上手く行くもんかナー"」

「"……不明。法化銀弾ホーリー殲妖弾イカンキラー、西洋魔女の結界1つ、戦況は変わる"」

「"ほらナ~。イヅの身柄は安全な場所に置くべきだナ"」

 

一菜の力――イヅナの能力は殺生石によるものなのだろうが、よくよく考えてみるとどうして殺生石の所持数で力の総堆積量が増えるのかが疑問点として残る。

生命力を吸い取るだけが殺生石の効果ではないのか?

 

「"犴を野に放つわけにはいかナー。玉藻様との契約が切れた以上、三浦の管理下に収め続ける必要があるナ"」

「"その事実は認める。輪廻還元の魂、今生45番目。満ちたあいつは、復活の機会を窺って、引力を強めた。結果、イヅは自我の保持に、保険をかけた"」

「"そいつが敗因だったんだナ?"」

「"肯定。1匹はぐれた犴は、20匹の犴に離反。普通なら、考えられない勝利。異常"」

 

 

……そうだ、記憶や絆や思い、それ以外にも人格を作り上げる要素を一菜は詰め込んでいた。私が預かっていた殺生石の中にも一菜がいたように。

それに、これもずっと気になっていた。

 

 

殺生石は蓄えたエネルギーをどうしているのか』だ――――

 

 

未だ微かに湯気の立つ玉露をまた一口頂く。

茶請けの羊羹も手付かずだが、流石にこの空気の中で前歯に粒あんの皮を引っ付けてモッチャモッチャする気は到底起きない。

 

そういう作法ではないのだが、日本文化が良く分からないフィオナも続いて緑茶を音を立てずに口を付け、せっかく立っていた茶柱を「私のアホ毛の二番煎じです」とでも言わんばかりに横倒しにさせた。

中国産ほどマイルドではないものの、渋みの少ない玉露日本茶に馴染みのない彼女の舌の上も抵抗なく通過し、その特有の香りで首をひねらせる。美味しいとも不味いともつかない感想を持ったようだ。

 

「"それを、成し遂げさせたのは……"」

 

フィオナの微妙な顔をニヤニヤ眺めていたら、突如として槌野子に収束していた視線が私にターゲットを変えメッタ刺しにする。トキナさんも笑顔を深くしてこっちを見ていた。

 

そういうゲームでもないのだが、空気を読んだフィオナも続くように私を凝視する。ものの数秒で逆襲された。

違うよ? 見られても、私、何も言わないよ?

 

 

「"遠山。あなたが、犴の1つ、変えた。そして、イヅから犴の魂、ひと先ず、引き剥がした"」

「"復活も先延ばしにナー"」

「"私が?"」

 

 

日本代表側から向けられる冷ややかな視線に過去の記憶がダブって見える。

……思い出した、強襲科の授業だ!

現役軍人指導の下に行われた刃の無い武装を用いた近接格闘C Q Cの講義。刀剣だけの小競り合いがほんの些細な意見の食い違いから激化した時の、ヤバい奴を見る周囲の視線と似てるんだ。相手は言うまでもなく正面のあいつ。

放課後の寄り道を賭けた――私はカリッカリのライスコロッケが良かったのに、負けたからサックサクのミルフィーユになった――軽い言い合いは、山の表面を削る雪崩のように勢いと迫力を増して学校の備品をいくつも飲み込み、終わる頃には人に乱暴するナイフが人に乱暴されて全滅していた。

 

 

どうしてそのよろしくされたくない視線が私を見てるんだ。決闘で何したっけ?

イヅナをリードしてダンス披露宴、最後の瞬間は「あほんだらがー!」って頭突きした……ような気がするけど、頭突きが届く距離に接近するまでの記憶が必死ゆえに飛んでるんだよね。

 

一菜さんはなに、なんで赤くなってそわそわするの?

表情筋もだらしなく緩んで……決闘中に幸せな思い出もあるらしき反応。どういうことなの? Mなの? Sなの?

 

 

「"イヅ、答えて。あなた、遠山に出会った、今でも。今生を捨てても良い。なんて言える?"」

「"我は……"」

「"イヅ……"」

 

 

静まり返る部屋に、時間が流れる。

誰も、何も。せわしない兎狗狸すらも、強く握り締めた両こぶしを胸の前でくっつけたまま口を挟まない。

 

私もフィオナも一菜の答えを待った。

命を捨てていいなんて、もし彼女が首を縦に振ろうものなら、今度という今度はボッコボコに鉄拳更生してやるぞ。フィオナと2人掛かりでな!

 

 

一菜。

まだ、その答えに考える時間を必要とするのか?

 

 

「一菜…………」

 

 

……いや、いいんだ。存分に悩むといい。

 

あなたが背負ってきた一族の使命。

カナに叱責された生き方。

私達と歩んできた武偵への未来。

 

あなたがずっと悩んできたこと。

その全てを、あなたが大切にしている証拠だから――

 

 

「クロちゃん……」

 

 

――だから、ごめんなさい。

へ……へっ……!

 

 

「――っくちんっ!」

 

 

……頑張ったけど、我慢、出来ませんでした。

 

 

「"……ぷふっ!"」

「"ぷははっ! あはははー! お主さんの胆力はすっごーい!"」

「"唖然"」

「"ぶち壊しだナー"」

「クロさん、それは何という芸なんですか?」

 

 

一斉に笑われ、呆れられ。

フィオナは注目されたからクシャミをしたとでも思ったらしい。当然、私の生理現象は見世物じゃないよ。よもや、こんな時まで噂されてるんじゃ……

 

 

「"……ぷふっ、うふふふ……クロさんはとてもお強い、凛々しい方だと伺っておりましたが、同時に可愛らしい方でしたのね"」

「"め、滅相もない……"」

 

 

嫌味ではなく彼女はコロコロと鈴の音を立てて心から子供のように笑っている。

噴き出し方は一菜そっくりだったよ。母娘どっちもキツイ顔形なのに、彼女達の方がよっぽど可愛い笑顔が似合うね、断言する。

 

だって私は彼女の笑顔が好きだから。

馬に乗れ、人に添え。

彼女の笑顔がもっと見たくなって、仏頂面の少女に話し掛けた。

彼女をもっと知りたくて喧嘩を買ったんだから。

 

 

袖で口元を隠すトキナさんは久しぶりに笑ったみたいで、くたっと疲れを露わにした彼女を兎狗狸が支える。その笑い疲れてなお眩しいほどの笑顔を見て、兎狗狸が、槌野子が、三松猫がキョロキョロ顔を見合わせて笑い出した。

 

そうそう、そういう周囲を魅了し明るくさせるところもそっくりなんだ。

殺生石を使う力に負けないくらい、代わりの効かない素敵な特技なんだよ、一菜。あなたはイヅナの力だけを持つ人間なんかじゃない。

 

 

床の間に戻るように促されるも、最後に、とトキナさんは日本の真の総大将として宣言した。日本代表の進路を。

 

「"槌野子さん、三松猫さん。あなた達の意見は……双方尊重しましょう"」

 

彼女の意見に槌野子は期待を込めて頬を上げ、三松猫は不安気に眉をねじ下げる。

どういう意味なのか、それもすぐに解ける謎だ。答えを待てばいい、彼女の口から語られる正解を。

 

ま、予想は付いてるけどね。八割方。

 

 

「"ここにある25の犴の欠片の内、20は私が管理し、一菜は4つの欠片を持ちなさい。そしてあなたはこれまで通り学校に通わせます"」

「"ナっ……! と、トキナ様、それでは危険なんだナ! あの学校は正に争いの渦中、一度踏み入れば4つでは自分の身を守れないんだナッ!"」

 

 

フーッ! と勢い任せに跳ね上げさせた髪の間から、毛を逆立たせた三角耳を突起させる。やる気のない目は切羽詰って鋭く研がれ、一菜の事を実直に案じてくれていることが明白だ。

トキナさんが彼女より格上なのは間違いないのに、それでも異を唱えてくれている。

 

その様子に感銘を受けていたのは私と一菜だけ。

……じゃないよね、やっぱり。

 

 

「"なーちゃんのそういう所、大好きよ。私がイヅナだった頃も、あなたは頻繁に会いに来てくれたものね"」

「"にゃッ!?"」

 

「"あっ! その話、あっしも知ってる! トキナ様の大好きなブドウを買いにぎゃあっ!"」

「"な、なんで知ってるんだにゃーッ!"」

 

「"定番。従二位以上、大体知ってる。惚気話。題名は通いづ――"」

「"どこから広がったにゃッ!?"」

 

 

にゃーにゃー暴れまわる三松猫に掛ける言葉はない。いいじゃないか、仲間内で惚気たって。

"なーちゃん"呼びは親の影響か。なら今の彼女は"にゃーちゃん"だよ。

 

(それにしても『私がイヅナだった頃』ねぇ…………)

 

イヅナとは三浦家の力の根源。てっきり殺生石の扱い方さえ知っていれば晩年までその力を揮えると考えていた。

しかし、彼女の言い方は今や殺生石の力を使えないかのように聞こえる。

呪いや狐憑きかと思っていたイヅナの力は何かしらの契機を以て発現者が承継していく、世襲制の役職みたいなものなのだろうか。

 

当代イヅナを担う一菜に制されてようやく座り直した三松猫は、話は終わってないぞとばかりにドッカと膝を立てた。正面の私達には中身が丸見えだけど、気にしない性分らしい。元々の格好もアレだし羞恥心が薄いのかな。

ねえ、フィオナ。チラッと睨まないで? そういう趣味はないってばさ。

 

 

「"一菜を安全な所に置きたい、そうよね、なーちゃん"」

「"そう言ったのは三松猫だナ"」

 

呼び方を変えろと反論気味に肯定するという珍しい一言を皮切りに、再び研ぎ直した眼光を突き合わせる。

 

「"あるじゃない、この世界で一番安全な場所が"」

「"……? この世界で?"」

「"一番安全な場所ナ?"」

 

 

トキナさんはそこを見ている。

 

(ああ、間違いない。それは私達が最も望む展開ですよ)

 

私にはその謎の答えが分かった。世界で一番難しいなぞかけに尻尾をくねらせる面々には悪いが、こちらには振る尻尾も無いのだ。

だから、フィオナにも、ここまでの話を通訳してあげるよ。翻訳機が必要な翻訳機、一菜の代わりにね。

 

 

「"あっしの殿中とか?"」

「"安全な場所とはどこの事でしょうか、母上?"」

 

 

4人の問いに、彼女は答えない。

目線すらもそれぞれに向けられることはない。

 

 

それが答えだ。

 

 

一菜が母親の示したヒントを追う。

目線を辿って、辿って。

 

そうだ、一菜。来い。真っ直ぐに追い続けろ。

安全な場所と私達はずっとあなたを待ってあげるけど、ステキな時間と登校時間は待ってくれないんだからね。

 

 

やっと言える、その時が来た。

目と目が、めぐり合う。

 

 

「おかえりなさい、一菜。ようこそ、私達のチームへ」

「!!」

「あっ、酷いですよクロさん!話が全部終わってからって決めたじゃないですか!……一菜さん、おかえりなさい。ようこそ、私達のチームへ」

 

 

この同盟は、チームの再々結成ってとこだね。一菜はもう手を離して先をゆくことはないと信じよう。

 

 

笑顔、笑顔、呆然、微笑み、笑顔、苦笑い、苦笑い。

 

五分咲きの花は時間と共に開花が進み。

桜の木なら奇跡の十分咲きを達成してしまったよ。一輪も散る事無く、ね。 

 

「クロちゃん……フィオナちゃん……!」

 

ああもう、顔をくしゃっとさせないでよ。あなたが泣くと、釣られちゃいそうになるんだからさ。

手が焼けるなぁ。あなたも……素直じゃない自分も。

 

 

「しかーし、あなたはただで守られるようなタマじゃない。一菜も、私達を守って下さい。馬車馬の如く」

「んだとーっ! 誰が馬だ!」

「もう……クロさんは照れ屋ですね」

 

 

このままじゃせっかくの花が三輪もしわしわに萎れちゃうところだった。

感動の涙も悪くないけど、やっぱりフザケてなんぼだ。私達は。

 

座卓を飛び越えた一菜を両腕で止めようとしたら回避された。卓上をバシンと叩いて方向転換しやがったよ。

両肩に水平飛び膝蹴りを喰らったら呼吸も数秒止まっちゃったね。結局、奇跡は奇跡、さっそく一輪散ってしまった。

 

 

「無事ですか?」

「痛くて涙が出そうです……」

「でしょうね。今の失言は自業自得ですよ、クロさん」

「ほっとけ、フィオナちゃん! どーせ数分後には復活してるって」

 

 

 

あいたたた…………

これが。この痛みが日常……だったか。

やっぱり思い出は楽しい時間のハイライトシーン。嫌な体験はプロ映像クリエイターの脳がカット多用の編集で器用に美化しているものだよ。手にするとそれほどでもないって思っちゃうよね。

 

 

「き、今日のところはこれくらいにしておいてあげます……"じゃじゃ馬娘さん"」

Huh?ほーん? You are like a deer caught in the headli...ビビってるんじゃ……

「"やめろ英語やめろォ! 分かんない、ユアライカディア―って『やーい、おまえ鹿人間』という意味ですよね? 太々しい態度って言いたいの? 新手の悪口ですか⁉"」

「"ぶはぁっ! ちょっ……鹿人間て……!"」

 

感動して泣いたり、煽られて怒ったり、人のリスニング能力を笑ったり、片時も同じ表情を維持出来ないチームメイトだよ。

腹を抱えて爆笑する一菜に半眼を向けていたら、胸を押さえて苦しそうに笑いをこらえるトキナさんも見えた。意図的ではないんですけど、なんか……笑われる英会話能力ですみません。

 

「"いやー、笑った笑った。2日連続で酸欠になるところだったよ。決闘の果たし状ならいつでも買うし、次は1対1で、あたしはずっと待ってるからね"」

「"あなたは……同盟でしょうが…………"」

 

 

だから、どんなに辛い時も忘れないぞ。

私は日常の中にいるんだ。誰が何と言おうと。

 

ここが……このローマが私の日常なんだ。

 

 

黒金の戦姉妹38話 夢魘の愾昇(後半)

緋弾のアリアXXXV 

 ~~侵掠の花嫁~~発売中!!(宣伝)

 

モリアーティ教授が登場したし決戦とかNの内情とか諸々、レクテイアと魔術の新情報を求めて購読。あらすじで分かっていた事ですが、今回は伏線巻となってましたね。

 

アリーシャのテーマとか、バローネ一家とか、旧帝ノ遣いとか、N関係キャラの行動とか。原作と被りや齟齬を起こさない参考にしようとwkwkしていたんです。

 

――していたんです……。

とりあえず、セーフ……かな?

 

原作周回しつつ創作の方も書いてみましたが、地の文がとっ散らかってまとまらず、黒川さん家のラクガキしてました。すみません……

 

 


 

 

夢魘の愾昇(後半)

 

人々が生きる現世よ! 私は帰ってきた!(ただいま、生きててよかった)

 

周囲を見渡すまでもない。

眠りに就く直前までの意識はハッキリとしているし、私の置かれた状況も間違いなく把握している。ヒルダの電撃でブラックアウトしたところまでですけどね。

 

一応気絶した私を横向きに寝かせてはくれたようだ。フカフカベッド……の近くにあった、リクライニング機能の無いソファに。右耳が右肩にピッタリとくっつく位、首がヘンな角度に折れ曲がった状態で。

倒れていたベッドに寝かせず、わざわざ移動させてくれてありがとうございました。

えーえー、泥まみれで廃棄ガス臭くて焦げ臭いですからね。すみませんでしたよーっだ。

 

 

強制的に寝違えさせられた首がピキピキと痛む。

彼女たちはすぐに治るから気にならないんだろう。種族間ギャップが恨めしい……

 

 

「あらまぁ、もう起きたの? おはよう、クロ」

「とても人間とは思えないわね……」

 

 

そしてお出迎えの一言がこれである。

目を開けた瞬間に目が合うってなにさ、監視でもされてたんですかい。どうせ大丈夫だろう的な評価の原因は私にあるのかもしれないが、多少なりとも安否を気遣って欲しいものだ。

分かっちゃいたけど読んで字の如く人でなしな方々ですよ、ホント。

 

けしからん格好だった2人はしっかりと黒いドレスを身にまとい、寝ている間に電気の灯された明るい室内で優雅にテーブルへ着いていた。

ひとえに同じ黒色のドレスといってもヒルダは露出の少ない割に大きく開いた胸元だけを強調するゴシックドレス、片やトロヤのイブニングドレスは肩や鎖骨がばっちり見えているのに胸周りだけはすっかり隠れてるんだよね。ヒルダみたいに目玉模様があるのかな?

んー……でも、そのくせ肌面積は多いし、あれではココらへんにありますって言ってるようなものだ。単なる好みかもね。

 

白いレースのテーブルクロスにひとつだけ置かれたワイングラスは中身を飲み干したのか空っぽで、空きっ腹につまめそうな類のおやつは置いていない。

 

 

「ええ、起きましたよ! この世の理不尽を絵に描いたような見るも残酷な悪夢からね!」

「まあ! 嫌な夢を見てしまったのね? でも大丈夫よ、私が付いているもの」

「えぇ……」

 

 

なにそれこわい。あなたにはもう私が憑いてるから新規契約はお断りよ、みたいな?

この無自覚な悪夢の元凶、教会に行ったらピカッと一発祓ってくれないものか。

……でもなあ、私のイメージだと、依頼主もろとも殺りに来そうなんだよね、地下教会のシスターって。

 

椅子から立ち上がり、怖かったのねヨシヨシと頭を撫でつけようとするトロヤから距離を取る。皮肉を皮付き肉とでも思っていそうな天然串焼き吸血鬼はさておく。

問題は蝙蝠の翼を隠した背を椅子にあずける放電吸血鬼の方だ。

 

 

「ふんっ! おはようございます、吸血鬼さん」

「その呼び方には私に対する敬意を感じないわね、クロ。強者への服従は弱者の義務よ」

 

 

駝鳥の羽根で作られた黒い扇をヒラヒラと仰ぐヒルダが眉間にシワを寄せた。

出ましたよ、とこまでが冗談か分からないお得意の弱肉強食序列理論カーストごっこ

そんでもって、この中で私はダントツの序列最下位。つまり彼女の言う弱者である。

 

日頃のお礼も合わせて、いつかは見返してやりたい。

しかし謀反する気があっても今は我慢だ。

ソファで眠ったことにより多少の体力回復はしたものの、スイッチは温存すべきだろう。

 

ここは悪魔の根城。

どんな奴らが集まって、何が起こるか分からないんだからね。

 

「名前でお呼びなさい? ヒルダ・ドラキュリア様と――」

 

ヒルダはウンともスンとも答えない私の顔色をチラッチラッと窺いつつ下剋上を警戒している。

弱者の反論は認められていないらしいですし、素直な返事に殺人未遂の現行犯に向けた小さな抵抗を込めることにしよう。

 

 

「はいはいあーはいはい」

「……どうやら文句があるようね?」

「ないないあーないない」

 

 

すると、その返答から反抗の意思アリと受け取ったらしいヒル・ドラ様はチラ見を止め、ギギンッと吊り上げた紅寶玉色の瞳で睨みを利かせてくる。おーこわ。

ローマに来てすぐの私だったら恐怖で失神していたかもしれないよ。

 

 

「お前……」

「抑えなさい、ヒルダ。あなたがやった事なのだから、ね?」

「ぐぅ……」

 

 

なんと、キッス未遂事件の発端を作った悪魔が私の肩を持ってくれるそうだ。

でもツッコまないよ? 2対1の有利な状況を自ら壊すのは得策ではない。ヒルダはトロヤには逆らわない、つまり強者には逆らわないって事なのだろう。

 

 

「クロも、この子を許してあげて? あなたに会えたのが嬉しくて、ちょっとだけ魔が差してしまっただけなのよ」

「なっ……!? ち、ちち、違うわよお姉様! コイツが私の寝込みを襲おうとして来たから――」

「ななっ……! ち、違います、誤解です! 私はただ、ヒルダの綺麗な顔に戦いの傷が残ってないか確認してただけで……」

 

 

正当防衛を主張し非難を重ねるヒルダに、決して故意ではないと無罪を訴える。痴漢冤罪で触った当たったの取り調べされている気分なんですけど……

 

「きれ……ッ!? きれ、き…………嘘をおっしゃい! きき、傷なんてすぐに消えるわ、お前も知っているでしょう。ど、どんな理由があってずっと私の事を見ていたのか、邪な考えでも構わないから教えなさいよ!」

 

数秒間も口の端をヒクヒク痙攣させたかと思えば、紅潮した顔で身を乗り出してベシベシと畳んだ扇をテーブルに打ち付ける。

なぜか非難ばかりしていたさっきより理由を聞き出す方が乗り気になってません?

 

 

「邪な考えなんて持ってませんよ!」

「ならあなたは理由もなく、淑女の顔を無遠慮にねっとりと舐め回すように見つめるのかしら」

「それは、だって――――」

 

 

アンタ達が下着姿だったんだもんとか言ったらまた悪夢にオトされる羽目になる。

今度は人間界に戻って来られないかもしれないので、叫びたい心をぐっとこらえた。

 

「いえ! あなたの顔に見惚れていた訳ではないんです、ホントに! 口付けしそうになったのも単なる事故で、狙ってなかったんです!」

 

言ってて思うが信憑性は無いだろう。

事実確認できるのはヒルダが目を覚ました時には私が彼女へ覆いかぶさるように倒れ込んでいたという事実のみ。トロヤの超音波が頭の近くで炸裂しました……なんて信じて貰えないから説明を省いている。

 

(往生際が悪いって、余計に怒らせちゃったか?)

 

後悔しても遅いから開き直ればいいのに、そこは繊細な心を持つ私。面と面を合わせられないね。俯いて沙汰を待つ事しかできないよ。弁護人を雇うお金もないしさ。

 

 

必死の形相で念を押し、『あなたに襲い掛かろうとしたわけじゃない理由』を証明したけど、逆効果だったかもしれない。

ここまでしつこいと怪しさが増してしまった可能性も……

 

 

――チラッ?

 

 

「…………き、ききき、きっ! ~~~~ッ!」

 

 

(どうなんだ、あれ?)

 

識別不能

 

背中に隠れていた翼が興奮したヒルダの感情を発露するようにバサァと広がり、彼女の悲鳴にも似た鳴き声との共振でワイングラスがキュイキュイと異音を発して爆発しそうになっている。かと思うと、次第に威嚇した蝙蝠よりも喧しいキーキー音がとうとう聞こえなくなった。

ついに人体でリスニング出来る領域を突破したようだ。

 

生き物の鳴き声は感情を伝える為に多彩なものだけど、言葉で感情表現できる人間だって無意識に声や動作に出てしまうもの。無理矢理こじつけて解釈するとすれば、彼女は可聴域で発せられる威嚇の上位版、超威嚇をしているのか。

 

威嚇をするのは怒りや恐怖、パニックや警告が原因で、言葉にすれば「こっち来ないで!」なんて拒否の心情が出ていると言える。要は「超こっち来ないで!」ってこと。

言葉で言い表せないほどブチ切れてると推測できるね。やっちまったなぁ。

 

 

 

すかさず立ち上がり、当初の計画通りトロヤの背後に退避する。

しかし、呪われし血塗れの蝋人形のように固まったヒルダはその行動を目で追う事もせずに、私が居たソファの方を超威嚇し続けていた。

 

 

「オバケがいるように見えますか? トロヤさん」

「私自身にはステルシーの素質はないもの。亡霊ファントマは見えないわ」

 

 

一度死んだ吸血鬼さんから霊感は無い宣言が飛び出し、ますます深まる謎。

あの人は何を威嚇しているんだろう?

 

「でも、ああ、良かった。あなたと会った事で少しは落ち着いたわね」

 

金とザクロの装飾が施された銀の人盾は、にこやかな晴れ顔で『鉱物の味評価』に続く難解な自論を展開してきた。

感性のずれなんて言葉じゃ言い表せない真反対な感想が私には浮かんでいる。

 

(その話は視線の先にいる、髪をジブリ並みに逆立ててる少女の事を言ってるんだよね?)

 

あれで落ち着いてるの? 冗談キツイよ、常時あんな音波攻撃されたら聴覚障害を患っちゃうって。実は吸血鬼同士だと日常会話が超音波なんです、とかでもないでしょう?

 

 

「そうは見えませんが……」

「あらまぁ、言ったでしょう? 照れているの」

「それも良く分かりませんけど」

「自分が認めているけど弱い者に対してツンケンしているのは昔からね。私も力の無い生前は素直じゃないあの子の扱いに苦労したものだわ、会ってあげないとすぐに不機嫌になるし」

 

 

そう言っておきながら彼女の顔は苦笑いに程近いものの、辛くも楽しかった日々を懐かしむような笑顔だ。

彼女が斃されたのは戦乱の歴史の真っ只中で、楽しい思い出の陰にはいつも苦しみに胸を押さえるような出来事が付きまとっていたのかもしれない。

 

 

「叔父様が私達親子を掘り起こしてくれた事には感謝しているし、親の教育方針に口を挟むつもりもないのだけれど、叔母様が亡くなってからは余計に閉鎖的過ぎるわ。種の根絶を恐れるのならもっと人々を知る必要があるの」

ヒルダの、お父さん……ですか」

 

 

彼女の語り口は少し批判的で、苦笑いも残らない。

人間と積極的に交流するとはいかずとも互いを知るべきだと、それがその人物には足りないのだと。

でも、その考えが種族の信条に反する事を憂うような昏い顔に変わった。

 

ヒルダの父親なら人間ではなく吸血鬼。

そして娘以上に人間との親交に対して排他的なのか。

父親の影響を大いに受けてあの性格になったのだから、過激でサディスティックな彼女の男版がその叔父様って奴――ブラドの人物像だと仮定出来る。

 

話し合いに応じそうもないし、強さもヒルダ以上なら人類の脅威だ。

バチカンが過去に討ち取れずに生き残っているのも、仕方が無い事なのかもね。

 

 

頭の中で固まり始めた暴虐で猛悪な影のかたち

一般レベルの頭でふと、思う。

 

そんな人物が、"怪盗団"の存在を――娘達が人間と親交を持つ場をなぜ黙認していたのだろうか? と。

 

しかし、トロヤの話は終わっていなかった。

私の右手が少しヒンヤリした両の手で包み込まれ、お色直しした黒いインクのドレスとキャンバスの様な真っ白い肌の境目である胸元へと導かれる。まるで闇と光のわだかまりを隠すかのように。

 

思わずドキッとして引こうとした手は動かせない。

彼女の口元が、願いを込めて再び動いたから。

 

 

「でないと、あの子が可哀想だもの……だから、そう、私達には異常点であるあなたが――」

「キィーーーッ!!」

「!?」

 

 

ビックリしすぎて眉が飛んで行くかと思った。

 

どうやら亡霊を追い祓う事に成功した特殊音波発生装置が出力を落とし始めたらしく、可聴域に戻ってきたのだろう。

ヒステリックな金切り声が部屋中を暴れ回り、次に追い払うのは私の番だとでも言わんばかりの勢いで――?

 

 

血の流れが……変だ。

 

目の前がチカチカして水位が上昇するセルヴィーレの感覚でもなければ。

切り替わる様に波が立つスイッチでも……ないぞ?

 

なんだ、これ。

私の身体に、何が……?

 

 

(…………しまった! 今日は朝から一度も香水をつけ直してないッ!)

 

 

カナから言いつけられていた絶対のルール。

それを……忘れてしまった!

 

(スイッチの不調も、一概に疲労のせいだと決めつけるべきじゃなかったんだ)

 

下を見ているのに床との距離を測れず、体を支える脚も麻痺したように感覚が薄くなってきた。手を握っているのか開いているのかさえ曖昧で、世界が倍速と低速を繰り返す。

運動神経・感覚神経・自律神経――末梢神経に障害が出始めた兆候、恐らくこれから丸一日は意識混濁期間に入ってしまう。

 

一切の記憶に残らない、私にとって夢の記憶としても残らない、時間だけが進む完全な空白期間だ。

 

 

「……クロ? 様子がヘンよ、顔も赤いわ」

「トロヤ……」

 

 

おかしい、おかしい、おかしい!

上目遣いで見上げてくるトロヤってこんなに……可愛かったっけ? 心臓が暴れ狂うほどに、その胸元に置かれた手が彼女の腕を捕まえたいと訴えてくる。

 

 

捕まえてどうする気だ?

引っ張り返すのか?

そしたら自分から抱き寄せて?

その後は……

 

 

……彼女に何をする気だ! 私は!

 

 

ヒルダの薔薇色の唇が目の前まで迫った光景があやふやに思い出され、真紅の蠱惑的な――トロヤの唇に差し替えられて再生された。

それはきっと柔らかくて、紋章なんかよりもずっと強く私の事を縛り付けてしまう。

そうしようと思えば、彼女に拒ませることはないだろう。熱に浮かされた今の私にはそれが出来てしまうから。

 

 

「離れろッ!」

「あ……」

 

 

私が何を求めたのか――――

 

 

それが予測出来てしまって。

私から離れることが出来ず、底知れない恐怖から乱暴に彼女を突き放す。

トロヤは高速でもない普通の私の動きにされるがまま、ベッドのある方向に呆然自失の状態で斥けられた。

何をされたのかが分からないと言いたげな表情からは生気が感じられない。

まるで悪夢を見た年端の行かぬ少女のように、魂が抜け出てしまったかのようだ。

 

 

私は…………欲しいと――

 

 

「今日は……帰ります」

 

 

彼女が欲しいと――

 

 

「……何事なの? クロ、お前らしくないわね。どんなお話をしていたのかは知らないけれど、お姉様を突き飛ばすだなんて」

「ごめんなさい、気分が、優れなくて」

 

 

純粋で負けず嫌いな子供っぽい彼女が。

世話好きで魅力的な包容力のある彼女を。

 

 

「人間如きがやって良い事と悪い事も忘れてしまったのかしら?」

「謝罪します。でも、今は……」

 

 

女であるはずの私の本能が、トロヤを1人の女性として欲した。

 

 

この血の流れはなんだ?

芯から熱くなっていく荒々しい闘気を抑え込もうとしてもスイッチのように鎮められず、を拒絶し追い払うように大きく大きく膨れ上がる。

 

灼けるほど熱い体は自分のものではないと思ってしまう。

火傷を負った腕を庇いながら忌々しいそいつへ殺意を込めて対峙した。

 

 

 

見えない何か。

見ようとすればするほど、意識すればするほど。

 

ただ熱の塊だけが、そこにそいつがいることの証。

逆らう意思さえも無意味だと思わされる、私の存在を脅かす存在。

 

 

それが、確かに私を見据えて、言った。

 

 

「おやすみ、クロ。後の事は俺に任せてゆっくり休むといい。大丈夫、クロが望まないことは俺も望まない」

 

信じられるか。

お前は私の意識を奪おうとしている。危険だ。

 

「あなたは誰なんですか? にズカズカと土足で入り込んでおいて、名乗らないつもりならお巡りさんを呼びますよ」

 

 

お巡りさんの単語にクスッと笑って、馬鹿にしてるのか?

 

 

「今日のクロは素直になってくれないね。怖がらなくていいんだよ」

「怖がる?冗談は止めてください。逆ですよ、あなたの事を思って帰れと促しているんです」

 

 

強がっているのは一目瞭然だろうな。

私はあの熱さに耐え切れず、既に窓枠の一枚に背を付けるまでに追い込まれているのだ。

 

そう、この場においても私は弱者だった。

余裕がないのは私の方。

焼かれて消し炭にされるのも私の方。

 

このままじゃ……

 

 

「強い意思だ。でも、ごめんよ? 頑張り屋さんな君を労う為にあげられるご褒美が見つからなくてね」

 

 

……ダメ。私は――

 

 

「また今度、探してみるよ。俺は、クロの敵じゃない」

「でも味方じゃない、ですよね?」

 

 

――消えたくないッ!

 

 

「いや、味方だよ……って、もう窓枠に戻って行っちゃったか。最近はずっと、警戒されているみたいだ」

 

ヒステリア・フェロモーネが発動している間夢の光景が映し出される金の窓枠へ、彼女は消えて行った。フェロモーネの解除と同時に窓枠自体も存在ごと掻き消えてしまう。

何度見ても慣れない光景だ。直前まで自分自身に当てられていた敵意さえも断絶したように消え去っていく。

 

「さて、俺は俺の道を。クロとの約束も守らないとね」

  

――俺が、あいつに頼りっぱなしなのも良くないしな。

 

クロからキンジとして完全に人格が切り替わった瞬間、痺れて緩慢になっていた体がフッと自由になった。

これは嬉しい誤算だな。派生形フェロモーネの切れ目にノルマーレを経由させると神経の消耗を軽減させることが可能らしい。格闘ゲームの上級テクニックみたいだ。

 

立ちくらみに顔を押さえていた手を退ければ、明るくなった視界の先には2人の吸血鬼がいる。

研磨された鉱石のように恐ろしいほど美麗で、両刃のナイフよりも危険なご令嬢達が。

 

だが不思議と恐怖は感じない。

今の俺では室内から逃げる事もままならないってのに、それが可能な気がしてならない。

 

これもクロとしての経験がもたらす成果だとすれば一長一短だな。

クロの経験は俺の経験でもあるが、その全てを再現出来るわけじゃない。俺は死ぬまで冷静でいられるだろうよ。

 

 

ヒルダ、1ついいかい?」

「……許可しないわ。跪いて名を名乗りなさい」

 

 

ヒルダが俺を睨む。

宝石の様な赤瞳の中には怒りによってか禍々しいまでの殺気が満たされていた。

 

初めはクロの口調に合わせて話そうかとも思ったが、目の前の少女から向けられた疑い深く攻撃的な瞳は何らかの確信をもって、俺という存在を捉えている。

その目が雄弁に語っていた、『お前はクロじゃない』と。そこを逆撫でするほど愚かじゃないさ。

 

「仰せのままに、ヒルダ・ドラキュリア様」

 

誠心誠意おどけてみせても彼女の心には一部の隙も生じさせられず、指を少し曲げるだけで、もしくは重心を傾けるだけで視線が刺さる。

格上に当てられる敵意とも取れる対応に足が竦みそうだ。

 

「ですがその前に、少し宜しいでしょうか?」

 

しかし、優先事項は自分の身の安全よりも、感情の行き違いで傷付けてしまった麗しい少女にの本心を伝える事だ。

まるで発作を起こしたように小刻みに震え、翼の端からボロ布のようにほつれていく様子はとても見ていられない。

 

そんなはずないそんなはず……と頭を振り乱し、妄想を振り払おうと必死な彼女を中心に室内の温度が震えあがる程に下がっていく。

ベッドからはパキッ! とトロヤが凍った布を握り潰し、皴を割り伸ばす音が上がった。

 

「変な事はしない方が身の為よ」

「寛大な配慮に感謝いたします。……トロヤ、さっきはごめん」

 

冷気から逃れ、ついさっきまでクロが寝ていた2人掛けのソファの真ん中に腰を落ち着けたヒルダの言葉は、9割は俺の不審な行動に釘を刺し、残り1割は……身を案じてくれていると思っておこう。

 

たった5歩の距離。それだけ。

大股で闊歩すれば3歩で辿り着けるのだが、異常を感じてはばかられる。

 

1歩目を踏み出した段階で、その温度差にヒステリアモードである自分の感覚神経が正常なのかを疑ってしまった。

寒い。

汗を掻いていたら皮膚表面が凍り付いていたんじゃないかと思うほど、寒い。

 

そして、2歩目で足を止めざるを得なかった。

冷たい。

真冬の雪原に裸で転がされている気分だ。次の1歩がどんな世界なのかと恐怖する。

 

 

意を込めて3歩目を踏み出し掛けた時、トロヤが顔を上げて俺の目を見る。

幸い、その瞳にローマで夜遊びする際に見せた拒絶の色は見られない。まだ、間に合う。

 

 

「クロは……私を嫌いになった訳じゃないの……?」

「それは夜空に浮かんで優しく人々を見守る月が世界から永遠に消えてしまうよりあり得ないことだよ。この洞窟の中に差し込んだ満月の明かりがあまりにも美し過ぎて、酔ってしまったんだ」

 

 

こんな時でも普通に話さずに口説いてしまう自分に少し辟易しながらも、彼女との距離をまた一歩詰めて行く。

ヒルダは黙って事の成り行きを見守る姿勢のようだ。

 

3歩目は、痛い。

寒中禊という祭事の話は聞いたことがあったものの、俺の体感ではきっとそれ以上だ。

身体のあちこちに切り傷や刺し傷がついてしまったんじゃないかと思うぐらいに、冷気に神経が痛めつけられている。

 

 

「?? この明かりは電気の光よ」

「誰しも自分の事は見えないものさ。でも、トロヤを独り占めしてしまったら夜道を歩く人々が困ってしまうだろう?」

 

 

月が綺麗ですねの意味は通じていないようだね。あり得ないの部分だけを聞いて若干の笑顔を取り戻し始めたが、詩的表現の9割は右から左へと流れて行ってしまったらしい。

仕方がないからもう一度口説き直し、分かり易いように満月は君の事だよと彼女の名前を付け加えておく。

 

「???」

 

尚もトロヤの頭の上からはハテナマークは消えていない。

この子はアレだね、ラブレターとか貰っても「何かしらこれ?」ってなるタイプ。

中国系の恋文なんかは表現が詩的過ぎて悪戯だとでも思って捨てちゃいそうだよ。

 

だが、意味は通じなくても話し掛けた効果はあった。

空気の温度が上がっていき、今なら心肺を傷めずに呼吸も出来る。

 

残りの2歩で命を落とす心配も無くなった訳だ。

ただ……

 

「ははは……月を落とすのは難しいね。それもそうか、全ての人類を支えられる地球ですら抱き留める事が叶わない相手なんだし、本当なら触れることも許されない山巓の存在、触れることが出来ない自由な風のような女性だよ」

 

悔しいが完全敗北だよ。

負け惜しみの言葉も彼女を称えて終える。それすらも、彼女には理解出来ていないだろうけど。

 

「……もういいでしょう?」

 

4歩目の右足を持ち上げようとした所で、多分に空気を孕み呆れを隠そうともしない声が横槍に入る。

義姉が気を持ち直したのを確認した義妹が、それ以上の接近を禁じたのだ。

 

惜しいけどトロヤを口説くのはまたの機会にしようか。今度はもっと直接的な表現を選ばないといけないね。

 

 

優先事項の第一項目が消化され、次はこの身を守る事が優先される。 

ソファに足を組んだ吸血鬼のお嬢様がご所望なさった通りに片膝のみを立て、それでも有事の機動力を確保する為にもう片膝は微妙に浮かせたまま、バネの要領で初動の準備を整えていく。

 

この一言が吉と出るか凶と出るか……

 

 

「私の名前は……遠山クロ、でございます――」

 

 

バチィッ! 

 

 

 

憤るように目前で弾ける火花。

小さな放電が巻き毛のツインテールを駆け抜け、青白い光がヒルダの影を壁中に泳ぎ回らせた。

 

(相変わらずツイてないね。大凶を引いたみたいだよ)

 

動物の本能がスパークノイズを嫌い、怯んだ体は一時的な硬直状態に陥ってしまう。

しかし、いつの間にか赤い液体で満たされたグラスに映る自分の顔は驚くほど冷静だった。

 

「顔も、声も、クロと何も変わらない。でも、違うわね、お前は。そうでしょう?」 

 

電撃の残像が残る目で捉えた顔は、案の定俺がクロの名を語った事へ、静かな怒りを露わにしている。

悪夢はまだ、終わっていないのだ。

 

 

 

黒金の戦姉妹37話 夢魘の愾昇

夢魘の愾昇ハガード・アボミネーション

 

 

 

「荒く扱って……その、悪かったの。……痛まぬか?」

「悲しい事に、慣れてます。そういう家庭に生まれたもので」

 

 

クレオパトラの胸に抱かれる遠山の金さん……実にシュールだ。

しかも、2人が出会ったのはクレオパトラの代名詞、7世に因縁のあるローマ。「来た、見た、勝った」ってやつだね。まあ、私の場合は「強制的に連れて来られた、情けない所を見られた、思いの強さで負かされた」の受け身3連発だけどさ。

姉さん以外の誰かに説教を喰らう事が久しかったから、胸ぐらを掴まれた時はボコボコにタコられるかと思ったよ。

 

 

「家族……か」

「あっ……!すみません、私――」

 

 

辛く厳しい修行の日々。

不幸自慢には事欠かないが傍には苦楽を共にした姉さんがいる。一日を分かち合える肉親がいる。

それが彼女の周りにはいるのだろうか。

 

物憂げな表情のパトラはすくっと立ち上がり、乱暴に押し倒されていた簡素な木製の椅子を起き上がらせた。

そのまま目線だけで私の様子を窺うと、不自然にまごついてからお誕生日席へ戻っていく。

 

……まさかとは思うが、手を差し伸べようとしてくれたのかな?

ばっちり甘えて元気になったから放って置いても大丈夫みたいな扱いかもしれない。

 

「しょっ、と……なに、気にせんでも良い。家族などと言う単語で沈むような人生は送っとらんぞ」

 

たおやかに脚を組むパトラには私を気遣う余裕さえ感じられる。

正直、パトラという女性の人物像を勘違いしていた。口が達者で偉そうで威張り散らしてて傲慢で我儘でマウント取りたがりで……

彼女の振舞いは実際にその通りではあったけれど、それだけではなかった。

一見無責任に思える大言の数々は弱音の代わりに吐かれているのだと、ひと月の付き合いでようやく理解した。

 

友の為に世界征服。箱庭の全てを敵に回すよりも、ずっと破天荒だ。

それだけの覚悟を持っているのが彼女だけとは限らない。当然、私にだって思いがある。

 

もし、誰かの思いが私の思いを害するなら。迷わず戦う、戦わなければならない。

己が正しい道だと考えたのなら最後まで貫き通さなくてはならない。そこに迷いが生じてはいけない。

 

『義』を通すということ。

私には未熟ながら貫き通す武力がある。悪を断じ、正義を助ける力を持っている。持っている者はその力を正しく振るわなくてはならない。

 

もし、誰かの思いを悪だと認めてしまったら。

その時、私が選んだ道は……いくつもの思いを断ち切らなければならないのだろうか…………

 

「ほほほっ、しかし気に病むならマッサージでもしてもらおうかの。お前は妾の好みぢゃ、特別に許そう」

 

思い悩む私にそんな提案。

ローズのアロマオイルやらお香やら、パイル生地のベッドシーツ、果てには好みのサボンジェム。マッサージ1回でいくら使うんだとツッコまないでいたら、まんまと自慢されてしまったよ。

内外のストレス解消は美容に欠かせないので、お金に糸目を付けないそうだ。

美人さんは別荘並の維持費が掛かって大変ですなぁ。

 

「マッサージ師のお仕事を奪いたくないのでお構いなく」

 

なにが許されたんだろうという疑問はこの際脇に置いておき、明らかに整体される側ではなくする側の怪しい手付きをしたパトラのお誘いをやんわりと拒む。

 

 

無論、お詫びの件は是非も無い。好みと言われて悪い気もしないのだけど、ヒルダといい、どうして"特別に"と前置きしてからマッサージをさせたがるのかな。

鼻が詰まるような強い芳香も手がベタベタするのも好きじゃないんですよ。

 

「パトラ様ー! ケケットから特製のフルーツソースを教わったのじゃー!」

 

そう思っていたら私が嫌いじゃないタイプのかぐわしい香り――何種類かのフルーツを煮詰めた甘酸っぱい匂いがキッチン方面から人間の歩幅で近付く。

発ガンを誘発しそうな匂いはしないな。揚げ物は無事焦がさずに済んだらしい。

 

 

「……うむ、味見はしたかの?」

「とても美味しかったのじゃー! パトラ様もぜひ」

 

 

ハトホルが頭に乗っけている小さなボウルの中身をパトラが若干険しい表情で覗いている。

口元を押さえ、ある種炭化した発がん性物質よりも危険な物体Xを目の当たりにした研究員みたいだ。

 

……あれ? ハトホルはケケットに敬称を付けず呼び捨てなのか?

ますます3人の関係性が分からない。身分ではなく一方的に慕っている説が有力になったな。

確かに、パトラはふんぞり返って2人をあごで使うことはしていないし、

 

「リーダー? なんで地面に座っているんですか?」

 

私が客人という点を差し引いても、ケケットが偉そうな態度を取りそうには見えない。

心底不思議そうに見下ろす金色の瞳には、やっぱり日本人は床に座る文化なのかなって書いてあった。

私からすればあなたがトレーに載せている献立の方が心底不思議なんですけどね。茹でたひよこ豆の隣に金属光沢を放つ球体――火縄銃とかフリントロックとか古式の前装銃射撃式マズルローダー に突っ込む丸玉みたいな銀が盛り付けられた小さなパンプレート。

それ、小麦粉パンじゃなくて粉火薬パァンだよね? 何もうまくないよ、金属は食べられないもん。

 

 

「自然を感じていました。あとリーダーは止め――」

「体を冷やし過ぎてはいけませんよ? リーダー」

「――はい」

 

 

……綺麗な言葉で押されると日和るの、直したいなー……

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 

「あっ、帰ってきたみたい!」

 

空洞から響いて来る岩と岩が擦れるような微振動。あれだ、入り口の岩扉が持ち上がる音。

帰って来た……というと誘拐犯トロヤとあのフルフェイスの人だろうな。

 

俊敏な動きで出迎えに行くケケットは飼い主の帰宅を察知した犬みたいだ。

古代エジプトでは生前のおもてなしが功績として墓標に刻まれたそうだが、その文化が現代にも根付いているのかね。

 

「丁度良い、食事にしようぞ。クロよ、部屋へ行きヒルダを連れて来い」

 

じゃあ今のところ、この人のお墓には書くこと無いねって、お誕生日席に生暖かい視線を送ったものの、案の定取り合う気も無いんだな。

パトラが幸せいっぱいの表情に両腕を広げてお出迎えしてたら絶対家に入らないけど。怖いし。

「じゃー!」の方はフルーツソースを食卓に相応しい容器へ移しに行ったみたい。

 

「え、私が連れて来るんですか?」 

 

あなたたち、ヒルダが暴れ足りてないって話してたよね。

つまりは大電流注意の看板が必要な危険地帯。そんな所に喀血した疲労困憊の中学生を送り込むことに良心の呵責を感じないの?

 

 

「トロヤの判断ではお前の説得が2番目に有効だそうぢゃ。そのまま、お前も着替えて来う。ドロドロの服で食の質を下げるものではない」

「うわぁ……そこまで行ったら一番が良かったなぁ。でも、そうですね。私もドロドロの服は嫌ですし、理子かトロヤに見繕ってもらいますよ」

 

 

2番で悪いかチクショウ。死んだら化けて出てやる。

そんですっごいちょっかい掛けてやるもんね。初夏のイナゴみたいに! 真夏のコバエみたいに!

 

服は期待しないでおこう。

ヒルダのセンスはお察しだし、理子とトロヤはフリフリの服を着るのも着せるのも好きだった。

軟弱な衣装は着たくないけど、最悪シャツ1枚でもスウェットでもキレイな布を纏えればそれでいいや。

 

 

 

ヒタ……ヒタ…………

 

 

部屋の先は横穴のように真っ直ぐ奥へと続いていて、不均等な間隔で小部屋と火の灯ったランプがあった。

立って歩けないほどではないにしろ天井は低く、成人男性なら屈まなければ頭のてっぺんがカッパみたいに平らになりそうだ。

左右の壁は円を描くアーチ状で安定しており、炭鉱にみられる木材やトンネルのコンクリートのような補強はなされていない。

おそらく自然生成されてから数千年単位の洞窟だ。固い地盤は崩落の心配とは無縁だろう。

 

「……道案内を頼もうにも、ネズミや虫の一匹も見掛けないですね」

 

ケケットが一旦止めたにも関わらず、早くご飯を食べたいパトラの迷わず行けよ行けば分かるさ的な無責任極まりない指示で、ヒルダの部屋を探し求めてここまで来た。

驚くべきことにと言うべきか当然と言うべきか、生活空間があるこの洞窟には電気が通っているらしい。今は発電機の稼働音もしないし照明も点いていないけど、どこかにバッテリールームがあるのかもしれない。

 

「今度の飾りは……ダンシングサンタ…………」

 

各部屋の入口には表札とウェルカムボードの代わりに飾りがあって、スピーカーの電池が切れた赤衣装に黒ぶち眼鏡のお爺さんが白髭を揺らしてツイストさせている。無音で。ちょっと怖いよ。

その正面には狛犬と唐獅子が阿吽の呼吸で、サンタの腰振りダンスを必死の形相で威嚇してるし、統一性が無さすぎる。

 

ヒルダは何を飾ってるんだろ? ドクロ?」

 

理解不能な対象に忙しなく運指するトロンボーンのように首を傾げ、演奏会を控えたアンプの音響調節ロータリースイッチのように視線を行ったり来たりさせているがそれらしき物は見当たらない。

 

(なんだかなぁ、首のネジが緩んじゃいそうですよ)

 

玄関口が奇妙なら、内装もまた奇怪。

 

覗いた小部屋では、毛並みの細部まで再現した精巧な木彫りの熊と、竹に和紙を張り付けて作られた小さなねぶた灯篭の征夷大将軍が睨みあっていて、まさに観光向けで良い闘争の雰囲気を醸している。

 

でも待てよ? あの熊、額に白くて小さい角が生えてるね。……鬼? 何かの風刺だろうか。

てっきり熊に対して向けられていたと思っていた漆塗りの黒刀は木製、それが熊の左前足で器用に握られ、さまになった構図で将軍に切っ先を合わせられている。

黄色の和紙で作られた弓を引いた将軍は勇ましく立ち向かっているが、よくよく見るとあちこちが痛んでいて、偶然なのか意向なのか追い詰められた状況をつぶさに表現しているようだった。

王道の日本物語なら角は異民族や災害、疫病なんかを暗喩した悪役の印。

勝ってはいけない存在のはずだけど……

 

(この部屋……すごく、胸騒ぎがする……)

 

天井からぶら下がる緋いLEDライトとそれを見上げる般若のお面を被ったヒトや動物の人形、太陽と三日月の模型が載せられた天秤は月の側へと傾き、彩のある孔雀の羽根があちこちに刺され壁に掛けられた海図? は……どこの物だろう、少なくとも日本近海や地中海では無さそうである。

青銅製の門に巻付いた斑点模様の緑蛇にも、翡翠の眼を持つ白蛇にも統一感がない。

それなのに意味を探ろうとしてしまうのは、この部屋に満ちた日本を思わせる懐郷の念だろう。

 

どこかの遊牧民族を映した写真の子供と目があった時、

 

 

「そこにいるの、クロ?」

「!」

 

 

小部屋の外、通路の元来ていた方向から小音でも鋭く尖る声が聞こえた。

追い付かれたのか。覗くだけのつもりが、いつの間にやら室内に足を進めてしまっていたらしい。

 

何となく、本当に何となく誰もいないこの部屋に背中を見せるのが怖くて、後ろ向きで退室する。

いやいや、幼い子供じゃないんで、不気味な置き物にビビってなんかないですよ?

ほんとほんと。クロ、嘘つかない。

 

「あらまあ、そんなところに。だめじゃない、勝手に他人の部屋に入ったら」

 

身体が完全に退室したところで見つかった。

声の主は言うまでもない。目が痛くなりそうなほど黄色の色素が強い金髪を輝かせた吸血鬼の姉の方だ。従姉らしいけど。

 

優しく咎めるような口調も、そのワクワクを隠しきれてない笑顔じゃあ効果は半減ですよ。羽パタ禁止!

なにさ、興味津々な子供を見守る親みたいな顔しちゃって。それとも私は好奇心旺盛なペット扱いですかね?

 

 

「美術館に不法侵入した人には言われたくないセリフですね」

「仕方ないじゃない、銀分が不足していたんだもの」

 

 

鉄分みたいに言うな。

カナとメーヤさんが追い払わなかったら、館内の銀という銀を食い尽くすつもりだっただろ。

悪びれもしないその態度は問題ありだが武偵の活躍により未遂に終わった。

 

あれから私には聞きたいことが山ほど出来たよ。過去から未来まで、トロヤが知っているであろうことが。

 

 

「トロヤさんの秘密好きは十分です。そろそろここに連れて来た理由を明確に教え――」

「待って」

「――?」

 

 

はいはい、彼女がマイペースなのは分かってる。

あのヒルダですらこの気紛れに振り回されてたんだ。私は抵抗の意思を見せませんよ。

 

自分より強いと畏怖の感情に流されるのではなく、自由奔放に振る舞う彼女が魅力的なのだ。だから、振り回されて嫌な気がしない。

潜在的なものもあるだろうけど、理子はトロヤのこういう所が似たんだな、きっと。

 

待ったを掛けられ、お手みたいな形で差し出された右手を取るべきか迷う。

どっち?

待てなの? お手なの?

 

(……まあ、減るもんじゃないしね)

 

はいはい、お手っと――ッ⁉

 

 

ギュウゥゥ…………――

 

 

全く予想していない行動だったから、今度は意思と関係なく無抵抗に捕まった。

差し出された右手に触れようかという距離で、彼女の白無垢のような右腕が体ごとランジの要領で私の背中に回される。

 

(――反応も出来なかった。チクショウ、スイッチが入ってないからって好き放題に……)

 

行き場を失った私の右手は掌の下に潜り込んだトロヤの頭にポンッと自然に乗ってしまった。

イヅナを好き放題に弄んだ因果か、ガッチリとしがみついたトロヤが頭をすり寄せて来るのに合わせて、良い匂いが凝縮された少しだけ癖のある髪を無理矢理に撫でさせられる。

驚き固まっている内に左腕も軽く背中を掴んでるし。逃げれん……!

 

プライドもあったもんじゃないな。

悪魔の様な吸血鬼がどこの回路をどうショートしたんだか、べったべたの仔犬モードで甘えまくりだよ。

その弛緩しきった身体が、ふにゅっと制服越しに押し当てられている。

 

 

「あなたをローマで見付けてから、ずっと、こうしたかった」

「あの、トロヤ……さん?」

「呼び捨てでいいのよ? 男勝りで粗野な話し方でも、懐かしくて……嬉しくて、もう怒れないわ」

 

 

で見付けた、って自白したな。

やはり、フランスで出会った時には私の事を既に知っていたってわけか。

初めから殺す気は無く、妨害さえなければ私をどこかに攫うつもりだった。

それでも銀が不足して不安定な彼女なら勢い余って殺しかねない。運が良かったよ。

 

 

「懐かしい? 私とあなたはフランスの美術館が初対面ですよ」

「もうっ! あなたはいつもそう。ヒルダにばっかりあの可憐な笑顔を向けるのね?」

 

 

どの部分を切り取って伝わったのか、拗ねたトロヤは私が自然に打ち解けたとでも思っているようだ。あの乱暴で凶暴なお貴族様と円満なんて一生涯を賭しても不可能ってものだよ。早死にするからね。

 

難解な義妹と比較する分には単純で機嫌を取りやすいトロヤだが、暴れ出したら人間の手に負えない共通点は健在。ヒルダがちょいちょい雷を落とす雨雲なら、彼女は年に数回襲来する爆弾低気圧だ。

 

爆心地に滞在している最中に爆発されてはたまらない。

切断するワイヤーを再三復唱する爆発物対策部隊処理班の心持ちで、自発的に動き出した私の右手が彼女の髪をぎこちなく梳いていく。

 

「……冗談よ? うふふ、甘えがいがあるわ。とぉーっても、気持ちが良いもの」

 

芯の通った金色の糸をはじくと、彼女の機嫌はコロリと一転し、私を再びその汚れなき両腕で捕まえた。片手で出来るタイフーン鎮静の儀式がお気に召されたご様子。

人知れず明日の天候を変えちゃったけど……まいっか。晴れ空に文句を言う人なんて、それこそヒルダくらいのものだしね。

 

 

「"おかえりなさい"金星。あなたが死ぬなんて、私でなくても信じなかったわよ、嘘つきさん」

 

幸せを堪能し目を蕩けさせていたトロヤがポロッと口にする名前に身体ごと心臓が跳ねた。

その名を呼んだ彼女の期待する返事は分かってる。伝わっている。

でも、ダメなんだ……あの頃とは私達がお互いに求めるモノが違い過ぎる。

かつての怪盗団だからと味方になるつもりはない。ヒルダに正体を明かしたのは理子を救う為であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

「……死にましたよ、彼女は。どこにも、いません、オリヴァから聞いたでしょう?」

 

「おかえり」なんて……卑怯だ。

「ただいま」って言いたくなっちゃうじゃないか。

 

なんとか踏み止まって誤魔化しの返事を返す。

トロヤの翼が深く沈んで、胸に耐えがたい痛みが走った。たぶん、トロヤが感じているものと同じ苦しみ。

 

「……そう、そうなのね。あなたは昔から、難しい事を率先してよく考える子だった。考え事をしている貌も凛々しくて素敵よ……」

 

彼女を傷付けたのは私なのに、それでも構わないとばかりに私へ身を寄せる。もう離したくないと、もう失いたくないと希うように……

腰が折り曲げられ丸くなった背筋。彼女との身長差がより顕著になり、感慨に耽る。

 

(……背、伸びたんだなぁ、私)

 

時の流れを実感した。

見下ろしているのだ、5年前には鬱陶しいくらいに撫で回してきた仲間を。

 

 

5年の歳月は、怪盗団の崩壊と共に人間関係をがらりと変えてしまっていた。

三々五々に我欲を追求するならず者達が、その形を取り戻す時は来るのだろうか。

 

(少なくとも私は……戻らない。理子の願いを叶えたから)

 

再会したら、タスケテコールが増えてたけどね。

そっちは多少の無茶をしてでも解決してやるよ。

 

だからこれは、身勝手な気休め。

騙すみたいで悪いけど、本心だから――

 

「ですが、私からも伝言があります。彼女は言いました」

 

――ごめんね、クロ、嘘つきだったよ――

 

「ただいまって」

 

――金星なんて人間、存在しないのにね。

 

 

胸の痛みが和らぐ。

何よりも安上がりで効果があり、重い副作用を持つ枷。

鎮痛剤となった言葉は彼女の翼を軽やかに浮かせ、私の心へと深く深く溶け込んでいった。

 

 

「……言わせたようなものね、ごめんなさい。その名前で呼ばないから……だから、もう少しだけ甘えさせて?」

「もう少しだけですよ? あなたとヒルダが待ってるんですから」

「ええ」

 

 

寄り道三昧だった自分の事は棚に上げて、物理的にも上から目線の許可を出す。

私よりずっと年上の少女は、それに素直に頷いた。

 

でも、しばらくは離れてくれそうに、ないね。

もう少しなんて曖昧な言葉だったから、時間切れもない。

 

上等だよ。私も嘘つきだから……別に、離れたいわけじゃないですし。

 

 

 

 

 

……気まずい。

 

 

立ち直ったトロヤは何事も無かったかのように平然と歩いて行くが、もしや泣いた吸血鬼を想像したのは私の勘違い?

気になる部屋があっても制止の声を掛けられないし、追い付いてしまうのを避けたくて歩幅を意識して歩いてしまう。

 

……よし、素数を数えよう。

 

(2、3――)

 

「理子の事について、あなたには話さなければならないわね」

 

(――4、5、6……なんで話し掛けるんですか。歩幅意識しすぎて歩数数えてたし)

 

「……今ですか? ヒルダが暴徒になった話の方が優先…………あ、れ?」

 

スイッチの入っていない平凡な頭で、今さらながら事態の深刻さに気付いてしまったかもしれない。

 

限界だったヒステリアモード……今はどうだろう。

たぶん体は思うように動かないけど、記憶を思い出して推理するくらいは……

 

 

(スイッチ、ON――)

 

 

鮮明に蘇る記憶。

星座のように繋がっていく会話。

強く照らされた正解が、濃い影となって出現する。

 

 

「トロヤ、理子は……どこですか?」

「…………」

 

 

そうか、そういう事なのか。

だから、ヒルダは……

 

 

『あなたが眠っている間に、ルーマニアバチカンに仕掛けたわ、あの日の夜の内に。それも単身で、周囲を無茶苦茶にしてしまうんじゃないかと思える程に暴れ狂っていたの』

 

『一緒に来てちょうだい、理子とヒルダの為に』

 

『焦る気持ちは分かりますが、今は我慢を』

 

トロヤの判断ではお前の説得が2番目に有効だそうぢゃ

 

 

(彼女の方から打って出るとすれば、それは……)

 

理子に何かがあったから、ヒルダがバチカンに仕掛けた。

結果トロヤが彼女を抑制し、1番りこではなく2番わたしがトロヤと共にここにいる。

 

 

この奥に……理子は、いない。

 

 

「……私は分からないの。ヒルダも、リンマもバチカンが連れ去ったと思っているけれど、真実は……枝の向こう側に隠されている」

「枝の……向こう?」

 

 

申し訳なさそうに独白するが、それは結び付きそうで結び付かない、私の知見から少し離れた場所にあるヒントだった。

秘密基地ここみたいに枝葉で物理的に隠されたって事ではないだろう。

 

取り急ぎ窓枠にメモを書き残そうとするも、インクが出ない、記憶に定着しない。

このままだと有象無象の累積された日常会話の記憶と混同されてしまい、次にスイッチを入れるまで掘り出せなくなる!

 

(違う! 今を逃したら、真実を取り逃してしまうんだ! 答えを……導かないと――ッ!)

 

スイッチはすぐにでも切れてしまう。

バッテリーの切れた電池を騙し騙し使ってテレビのリモコンを操作したり、満潮に移り行く砂浜での棒倒しをするような瀬戸際だ。

 

排水溝の大きな穴を、両手で塞ぐ。

しかし、水位はみるみるうちに減少し、

 

(推理が……間に合わなかった……!)

 

何かが見えかけた。

そんな気がしたのに、私は絶好のチャンスを逃した。

 

 

左頬が痛む。

真実が、遠のいて行く。

 

トロヤは言葉を切らずに言い切った。

 

知らないのだ、その向こう側を。

風の様な彼女ですら、その枝の隙間を通れなかった。

 

 

その敵は、私達の絆という根底を知り、理子を攫ったのに。

私達は、その敵の姿形――花の調査にすら取り掛かれていない。

 

 

――――誰なんだ、お前は!

 

 

何を聞いたのか、それすらも薄れて行く。

もうじき、何かを聞いたことも忘れる。

 

 

真実へと伸ばした私の腕は、指先は。掴んだ。

 

 

また、スタートラインを。

何も知らない、私の背中を。

 

 

(何を考えてたんだっけ……? あ、そうだ、どうして証拠も無いにも関わらず皆がバチカンを犯人だと思ったのかだ。真犯人が誘導したのなら――)

 

分からないなら分からないなりに、相手の意図通りの展開から逆転予想したいところだが、とうとう電球のフィラメントが切れたみたいで、私自身がガス欠状態。

カチカチと虚しい音だけが暗い脳内に反響している。

 

やむなく、この状態のままで出来る事に挑むこととした。

つまり、記憶の堆積。次のタイミングで答えを見付けられるように。

 

「どうして皆さんはバチカンが連れて行ったと思ったのでしょうか? いくら敵対し合う関係といっても、短絡的過ぎると思うんです」

 

ヒルダは警戒心が高いし、パトラはああ見えて思慮深い、2人がそんなことで目を曇らせたりはしないだろう。

他に判断材料が無ければ、結論付けられはしなかったはずなのだ。

 

 

「仲間を信じたからよ。箱庭が行われた夜、仲間の1人が理子と一緒に別の秘密基地で守備役ギャリソンを務めていたの。パトラは他に用事があったようだし、でも……」

「でも、どうしたんですか?」

 

 

雑な合いの手になったが、どうしたもこうしたもない。

ヒルダが暴れ出したのはその夜だ。何者かが現れて、まんまと捕まった。

 

……捕まったと考えたのは、私が2番だから。

ヒルダを止められる1番であろう理子が1番のまま――生きていると、トロヤがパトラに話したのだ。

 

 

彼女は1つの部屋の前でピタリと停止し振り返ると、目を閉じて首を横に振った。

荒々しく振るわれた金の光が、明かりの乏しい通路に燦然と輝く残像を作り出して、ザクロ色の紐飾りがその中を遊ぶように翻る。

 

 

「襲撃者がいたわ。ああ、そう、そうね。私が一緒に居てあげれば……誰にも、ええ、そうなの。誰にもあの子を渡しはしなかったというのに……ッ!」

「⁉ 待って、落ち着……っ!」

 

 

殺気が瞬間的に爆発した。

間近にいた平々凡々な私は、そのあまりの鋭さで体表面から削られて行くような痛みに全身が襲われる。

 

自分に言い聞かせるような独り言を呟く度に金の残光がその数を増やし、荒れに荒れた彼女の満月の瞳は私を見ていない。

吐きそうな表情で訴えかける私の顔を認識できていない。

 

 

「トロ――」

「叔父様の動向に、あの方の仇敵が起こし始めた不誠実な悪戯……嫌なことは続くものよねぇ……? 壊しても壊しても、新たな邪魔がチラチラと……遊びにもならない相手なんて鬱陶しいだけ……そうよ、どうせ壊すんだもの、いつ、どこが壊れたって――っ!」

 

 

ラッキーは何度も起こらない。

ただでさえ私は借運状態だと言われたのだ、ここで不運と運命的な出会いをしまうかもしれない。

 

それは死を免れられない!

それはやーです! 私、死ぬなら温かいフカフカの布団の中って決めてるんです!

 

「トロヤッ!」

 

スイッチもない凡人なりに、決死の思いで最も生存確率の高そうな方法を選び取った。いや、取っていた。

対象を刺激せず、殺気を収めさせ、錯乱状態を解消する。

 

その方法は――!

 

 

「――――ん、んんむ、もごもご……っ!」

「どうですか、あなたの大鉱物(好物)のお味は?」

 

 

チュラでよくやる、ガイアによくやられる、成功率100%の必勝技。

宥めとりなし、注意を引いて、ご機嫌を取るにはオヤツがいい。

 

さっきケケットが載せていたビー玉大の銀の玉、トロヤやヒルダ対策に数個だけこっそり失敬していた。通常の私ではキバも翼も防げないからね。

 

名付けて、『鉛玉が効かないなら飴玉作戦』。

 

大成功だ。

成功率100%の記録はまだ続いていく。

 

「んん……」

 

悩ましい声とは裏腹に、ガチィッ、ギギギ……バキャィイッ! という世にも恐ろしい金属音が耳朶を強襲する。

見ていると自分の歯茎が浮き上がりそうで痛々しいのだが、当の本人は大変ご満足いただけたようで、真っ白な雲のような瞼が満月を半分隠し半月となっていた。

 

 

「祝福はされていないけれど、純度が高い……とても美味しいわ」

「さいですか」

 

 

金属の味など知らないが、良い物らしい。

純度って言われてみれば確かに良品の意味合いは掴み易いけど……

 

 

「少し銅が混ざっていると独特な香りがあって、それもまた良い物なのだけど」

「さいですか」

 

 

それは分かんない。だいぶ分かんない。

ハーブとかターメリックとか、スパイスみたいな感覚?

ゲテモノを越えた食性だよ。

 

 

「ありがとう、クロ。私まで暴れてしまう所だったわね」

「絶対にやめてください。地形が変わります」

 

 

あわや桜の花弁が暴風に散らされる未来を迎えかけたが、普段の経験と先見の備えが活きたお陰で阻止できたみたい。

気まずさとか、どうでも良くなったや。

 

さてと、本題に戻ろう。

トロヤも銀分補給出来たでしょ?

 

 

って、おーい。

部屋に入っちゃうの? 予備知識なしでヒルダに会うのですか?

私、あの人の地雷を踏み抜くのが得意みたいだから、タブーワードを聞いておきたかったんですけども。

 

 

「あの――」

ヒルダ、入るわよ」

 

 

あ、そうですか。

良いですよ、取り押さえるのはあなたの役目ですし。盾になってくれればそれでいいんで。

 

せめて空洞の向こうに響く声色からヒルダのご機嫌を窺おうと画策する。

 

「あらまぁ、銀の良い匂いがしているわね。私に黙って美味しい物でも食べて来たのかしら?」

 

しかし、返事もトロヤの声。一瞬1人で会話し始めたのかと思っちゃった。

まあ、中にもいることは知ってたから驚かない。

 

というか、分離している間は別人みたいになってるんだ。

本体と分身体みたいな識別もないのかな?

 

 

「あらまぁ、ちゃんと金星を連れて来たのに……連れて帰っちゃおうかしら」

「――ッ⁉ 見付けられたの⁉ そう、そうなのね! それなら糾弾はしないわ、入ってらっしゃい、さぁ! 早く!」

 

 

(デジャヴュー……)

 

金星の名前、呼ばないって言ったじゃん。

態度が急変したし、手っ取り早いのは分かるけどさ、私をそう呼ばないってだけかい。

あっちのトロヤは銀分補給十分で暴れ出しそうにないが、名前を出した直後から声が上擦っていて、興奮の仕方も一緒で心臓に悪かった。

 

 

ここで深呼吸を1つ。

NOx臭いのは我慢して、徐々に呼吸を早めて心臓を一定のリズムで高鳴らせる。

 

武偵は極力、銃の精度を下げない為に心肺は落ち着かせるものだが、それは数発の銃弾で場を制圧できるケースに限る。

同業者や大人数を相手にする強襲任務中は鼓動が不規則だとタイミングを逃してしまうし、心臓を慣らせておかないと痛めちゃうからその準備だ。

(人間)場慣れ離れしたプロは、戦闘中もずっと一定らしいけどね。

 

トロヤがふぅーはぁー言っている私を面白そうに眺め、待ってくれていた。

その後、お先にどうぞと促されて入室を覚悟する。

同じ顔が向こうにもいるのか……

 

……あれ、あれれ? ちょっと待って?

私、トロヤ2人に前後から挟まれて発狂しない自信が無いんだけど。

 

 

試しに1歩。

 

 

トツ。

トツ。

 

 

(ふっ……やっぱり付いて来ますよね)

 

トロヤの暴走を諫めておいて言いたくないけど。

私が暴れ出したらおやつで優しく諭してね。コロッケ、揚げたてでしょ?

 

 

部屋に侵入した私は中を見渡そうとして、まず困った。

前方にいたはずのトロヤの姿が無かった、それ自体は別にいい。案内人は後方の1人で十分である。

言ってしまえば中は部屋じゃなかった。室内が廊下の続きみたいになって、さらに2つの部屋へ分岐していたのだ。

 

「これって……」

 

どっちですか?

と、部屋主であるトロヤに聞けばいいと思うじゃん? そう思うじゃん?

 

「いないじゃん……」

 

なんで! なんなの! なんでなの!

 

放置するにしてもタイミングがあるでしょ? そうでしょ?

何で分岐点直前で離脱するのさ! どこ行ったのさ!

 

中にいたトロヤが銀の良い匂いがしてるとか言ってたけど、人並み以上の優れた嗅覚で嗅ぎ分け……られる訳がない。

犬じゃないんだから。

 

(右か、左か)

 

ここで天啓。

そうだ、ハズレの方に危険があるなんて誰も言ってない、寧ろアタリの方が吸血鬼の潜むよっぽど危険な部屋に違いないのだ。

 

イッツ、ポジティブシンキング。

つまり、アタリの部屋を選べばストーリーは進行するし、ハズレの部屋を選べば一呼吸おける。

この選択肢は良いことづくめなので、両方アタリなのだ。

 

だから、適当に選ぼう。

何も解決していない地に堕ちた堕天啓に従い左の部屋に向かう。

 

「お邪魔しまーす……」

 

両方アタリの部屋でも、そこはあくまで悪魔の根城。

どっちも怖いので、恐る恐る中の様子を窺う。

 

(鏡……持ってくれば良かったな)

 

決闘に隠密なんて必要ないと思って、学校のロッカーにしまいっぱなしだ。

マニアゴナイフの磨かれた金属部分に反射する、歪んだ室内を観察した結果、敵影は無し。

 

タイを外してヒラヒラさせても反応がなく、呼吸音もないから使い魔の類も……いや、虫とかだったら探しようもないよ。

素人にはその辺が分からんのです。

 

「行けますか……? 行くしかないですか……」

 

有無もない。

ナイフを仕舞い込んで、代わりに予備用に1つだけ首襟の裏にセットしたままにしていたベレッタを構える。

 

(鬼が出るか、蛇が出るか……)

 

どっちも既にいるけどね、この秘密基地には。

吸血鬼とヘビ目の少女が。

 

 

ババッ!

 

 

一気に踏み込んで正面に銃を構える。

しかし、予め不鮮明ながらも調べていた通り、何者もいないぞ。

 

清潔な絨毯が敷かれ、オシャレなレースで縁取られたベッドの上には白地に黒猫がプリントされた枕。

壁かと思っていたのはクローゼットの扉だったようだが、ここって、もしかして……

 

(理子の……部屋か)

 

彼女はネコ派だと主張していたし、室内は仄かなバニラの香りがする。クローゼットに近付くとバニラの匂いはより濃く増していった。

 

なら、あのクローゼットの向こうはフィッティングルームで間違いない。

きっと甘い匂いで充満したスウィートルームならぬスイーツルームだよ。

 

日光が当たらないため観葉植物は置いておらず、電気の供給が不安定だからか電子機器の類も無く、部屋を灯す花傘電球も交換充電式のバッテリーだった。

目に入るのは各国のファッション雑誌やフランス語の難しそうな参考資料、日本の漫画と女児用アニメのDVDなんかが納まった棚。

 

私はその端に並んでいる鍵付きのノートから半差しで鍵の掛かっていない一冊を取り出す。

十字に巻かれた赤茶の革ベルトに銀色の鍵穴、オレンジとピンクのグラデーションカラーに白いドットとレース模様はいかにも女の子が喜びそうな装丁だ。

 

(日記だ。地下牢から解放されて、毎日欠かさず書いてるって……)

 

いつ、こうなるか分からないから。

だってさ。

 

 

はぁ、なんだってこんな。

とんだ大ハズレ部屋だよ。

 

しょぼくれたままじゃ根暗呼ばわりで追い出されて会えないし、気分を変えようと一冊の漫画を手に取る。

 

げっ⁉ 前巻から引き継いでいきなりの告白シーン⁉

んえッ⁉ 丸くて小っちゃい女の子がギター背負った鋭い眼の女の子に……って⁉

 

うわぁ……これは俗に言う百合という奴ですか。

バトル系かギャグ系が良かったな。でもこの作者さん、絵、綺麗だなぁ。

 

(1コマ1コマにこだわり過ぎな気もするけど、アクション漫画とは畑が違うみたい。それに愛が溢れてる……おっ?小さい金魚鉢を逆さまにしたような髪飾りをしたこの子、良く似てる子を今日見たな。あ、こっちもどっかで見た事あるタレ目顔だ……)

 

漫画の恐ろしいところは絵柄が好きでなくても、内容が趣味嗜好から外れていても読み始めると止まらないところ。

状況把握に労少ない恋愛漫画はパラパラとめくるスピードが加速するばかり。

 

ちょっ……ライバル多いな。これは誰に感情移入すればいいんだろ?

ってか両想いなのになんで告白失敗するのさ。あんた、昨日の夜は主人公に看病された光景を思い出して悶えてたじゃないか……ああーッ! 気になる所で終わったッ!

うーむ、同性に好意を持つことはあるものですけど、それがこの漫画みたいに複数の少女から同時に恋愛感情を向けられるなんて現実に起こり得るんでしょうか?

……とか、創作物にツッコンでも仕方ないね。

 

現実は小説より奇なり。

さて、次々――じゃなかった!

次は小説を越えたリアル奇妙こと、ヒルダの部屋に行かないと。

 

「行ってきます、理子さん」

 

今度この部屋に遊びに来たら、いらっしゃーいって言ってもらわないとね!

その為にはお帰りって、今度は私が言う番だ!

 

 

気分の抑揚はプラマイゼロのまま、退室からの入室は流れるように。

 

だってこっちはアタリ。

怖いものなんてヒルダとトロヤしかいないはずだ。

 

ベレッタ射撃準備よーし! 銀の玉の用意よーし! 緊急退路の確保よーし!

いざ、こっそりぃー!

 

 

「お邪魔しまーす……」

「いらっしゃい、クロ」

 

 

お出迎えは向こう側にいたトロヤ……あっ、あああ……⁉

ちょ、ちょ、ちょちょちょっ⁉ なんでぇッ⁉

 

淡色の紫、白のレースに髪飾りと同じザクロ色の紐リボン、フリル感満載の襟、裾、肩紐。実に肌触りの良さそうな素材で生み出された、ラフを越えたスーパーラフ。ランジェリーなんて最も隙のあるギリ部屋着と下着の狭間でしょ!

 

「む、む、むらたき! たんたんたたた、ふりるとりぼんがらんでりー!」

 

混乱で頭も舌も回っていないのか、言いたい事の一割も再現出来ていない奇声が木霊する。

うぎぎ……悔しいけど、彼女の人外めいたビアンコの肌は高尚な芸術品のようで、眩いばかりに人々を魅了する。

 

怪盗団に男の目がないからって無防備が過ぎる。

下着同然の出で立ちで歩き回らず、ガウンを羽織るとか……想像したら、似合わないけど。

 

「あぅあ……な、なんじぇそんな……下着だけ……!」

 

あっちのトロヤは直前まで服着てたじゃんという私の問いに、どうやら初めから脱衣済みだったこっちのトロヤは大した回答が浮かばなかったらしく、唇の上から自分のキバをクリクリと触る落ち着かない時の悪癖が出ている。

そんな色気のある格好で子供じみた挙動をしても滑稽に見えない倒錯的な魅力、ませた少女の幼気な容姿とのギャップに心臓が早鐘を打ち始めた。

 

「……? なんでって、体温を奪うのなら肌が触れる範囲を増やした方がいいのよ?」

 

何言ってんだあんた!

奪うんじゃなくて、空気に奪われてるじゃないか!

 

言ってることは分かるけど、言ってる意味が分からない。

何してたんだよ、ここで、ヒルダと、2人で!

 

「トロヤ……お姉様……? どこにいるの?」

 

キャアーッ!

ヒルダの声が聞こえるーッ!

ってかそこにいるーッ!

 

庶民にケンカ売ってるのかと問い詰めたくなるほど、拠点の1つに設置するにはオーバースペックな天蓋付きクイーンサイズベッドの上に寝転んでいる。

トロヤがけしからぬ服装で現れたから予想していたけど、あちらもランジェリー。色は濃いが仲良し姉妹で揃えたように紫色だ。

 

幻覚でも掴もうとしているらしき動作で、ヒルダの右腕が虚空を引っ掻いて探している。

間違いなく、自分から離れたトロヤを。

 

 

……あの状態を、私は良く知ってる。

 

「何もない。お姉様、どこかへ行かれてしまったのかしら」

 

(抑え込むために紋章ベリアリナライブを埋め込まれてるのか)

 

トロヤの催眠術は超能力と高周波を併用した遠隔での操作に近い。その催眠術の発信機となる銀――体の一部を紋章として埋め込んでいる。

一度埋め込まれてしまえば最後、彼女から離れても効力が弱まるだけで銀の束縛から逃げることは敵わないのだ。

 

思考を毒することはないが脳機能の一部を超音波によって遮断させることが出来る。その代表が神経系の阻害――見えない、聞こえない、喋れない等、まさに催眠術のフルコースである。

 

 

ヒルダさん、私です。クロです」

「早く助けに……理子…………」

 

 

ベッドサイドに膝立ち……してみたら思ったよりマットが高かったので中腰。顔の前まで近付いて名前を呼んでみるも、視覚と聴覚、嗅覚もやられてるね。

両脚をレザーベルト被覆の鎖で縛り付けられてるし、容赦はないが暴れた彼女を止めるのは容易ではなかったのだろう。

 

悪夢が再発する度に私は丸くなってカナに縋ってたのに、闇の眷属さんは光も音も得られない無の世界でも発狂しない精神力をお持ちようだ。

赤い両眼を閉じたその蝋の様な白い肌には、今は薔薇色の唇だけが鮮やかに色付いていて……

 

ヒルダ、お目覚めの時間よ」

 

眠り竜悴公姫ドラキュリア様の首から下は目の毒なので、そのお上品な顔に傷は無いかをまじまじとチェックしていた時、超音波の余波がキーンッと頭の中を通過していった。

私に向けられたものではないらしく、その解呪の呪文は聞き取れない。

凝縮された音の波はヒルダの頭の中で増幅し響いているのだろう。視線が吸い寄せられるままに接近していた私の黒髪をふわりと巻き上げる。

 

その時、借運状態の私に不幸の風が吹く。

反響する大きな音波同士が側頭部付近で衝突し、偶然合成する不運な事故が発生したのだ。

もちろん、計算されていない合成は本来持つべき意味を持たないノイズ。それが私だけに聞こえる爆音となって炸裂した!

 

「っつあぁッ⁉」

 

パーンッと風船が破裂する衝撃に似ていて、身を乗り出し気味だった私は体のバランスを崩し、ベッドが存在する前方に倒れ込んでしまう。

ベッドに顔から落ちるなら安心安全。しかし、死ぬ前に味わってみたい寝心地抜群のベッドには先客がいるのだ。このままでは形の整った貴族的薔薇の花弁に私の庶民的桜の花弁が……ッ!

 

さっきの百合漫画のぶち抜き1見開きが脳裏に浮かび上がる。

 

(とうるッァアーッ!)

 

心の中で男口調の叫び声が轟いた。

そこまでピンチを感じていたのだ。

 

右肘をヒルダの手前に、左手を奥について2点着地。

ベッドが沈み軋む音を立てたが、何事もなく切り抜けられた。

 

 

無事に……うん?

ヒルダさん、お顔の綺麗な装飾品が3つに増えました?

 

蝋細工の少女には、今や赤い飾りが3つある。

まずは最初からあった薔薇色の花畑、それから上方に美しくも可愛らしい鼻先小峠を越えた先で、ルビーの鉱脈が2つ並んで発掘されたようだ。

 

ぱちぱち。

と瞬く真紅の瞳。

 

要するに、キスもされていない眠りイバラ姫がフライングで目覚めた。

星銀の屍姫がお膳立てたこの最悪のタイミングで。

 

 

目が合った――――

 

 

「…………」

「…………」

「こんばんは、ヒルダ」

 

 

目を合わせたまま時が止まったように硬直した世界。

それを動かしたのもまた、あの月下の悪鬼。

 

状況を誤認したヒルダの顔が瞬く間に、急速に、瞬間湯沸かし器のように紅潮を始める。始めると同時に完了し、白かった肌はもう真っ赤っかだ。

あるよね、自作の色付きオシャレキャンドル。これはローズの甘い香りもして、いい仕事してますよ。

 

「ク……ロ…………? ――ッ!!」

 

あ、まずいまずい。

怒ってる。真っ赤だもん、激おこだよ。

退路は確保して……っ!

 

 

ガシィッ!

 

 

逃走失敗!

私が退くと分かった途端、寝起きとは思えない吸血鬼の速度と握力がいかんなく発揮された。

この調子だと電撃の調子も抜群ですね?

 

 

(スイッチ……スイッチが入りさえすれば……)

 

カチカチと空振るスイッチを、高速で繰り返……あああっ!一瞬点いたのに消しちゃったぁ!

寝起きでぼーっとしていれば言葉で騙くらかせたかもしれない。しかし、もはやヒルダの覚醒は疑う余地もない。

 

(だが諦めるな、武偵は決して諦めるな!)

 

力みだす真っ赤なお姫様の両手に、血を吸われたように蒼白な私は精一杯の笑顔を向けて、あらん限りのタスケテコール。

対フィオナ対策の妙技、ご機嫌取り。ね? ね? 許してちょーだい?

 

「私、言ったわよね? 『次に同じことをしたら倍の威力を喰らわせてやるわよ』……って」

 

あ、ダメだこれ。

こうなったら最終手段を取るとしよう。

 

「て、てへへっ? 何の話でしたっけー?」

 

忘れたフリ。

記憶にごじゃいましぇーん!

 

「忘れたとは言わせないわよ……クロッ!」

 

 

分岐はどっちもハズレだったよ。あと、私の選択肢も。

 

――――死ぬ前に、味わってみたい寝心地抜群のベッド。

 

死んでからじゃ、手遅れなんです。

死ぬなら温かいフカフカの布団の中って決めてますけど、死ぬために味わうくらいなら床で寝ますから……

 

 

タスケテ……タスケテ…………

黒金の戦姉妹36話 謀者の小塊

謀者の小塊プロット・インゴット
 

 

私は人間である。

 

そう語る以上、当然獣の様な耳は生えてないし、尻尾も無い、ついでに触覚も暗視ゴーグルの様な眼だって付いていないのです。

人並みの寿命で得た記憶を保存した頭部は丸く、尖った角は持ち合わせておりません。

手品は好きだけど超能力はごめんなさいと、ここまで語った口の端からキバをはみ出させる心配をする必要だってないのですよ。

 

赤い木の実を咥えて、青く澄んだ空を自由に飛び回る雀の小さな翼にすら憧れる、ちょっとした暗がりを怖がるような普通の中学生。

それなのに……

 

 

「まだじゃ~、クロ~……」

「クロさん、あれは……」

「……トロヤ・ドラキュリア」

 

 

私と手を繋ぐ少女はキツネのような金毛の尖り耳と稲穂の様な尻尾を生やしていて、すぐそばに立ち膝状態で構えた少女の頭には触覚のような灰白色のアホ毛

もっと言うと、大妖怪さんは人並み以上の記憶を持ち、狙撃手様は怒ると鬼の様な角を幻視する程怖い。

述べ連ねると、イヅナの力は最早エスパーに近しいものと言えそうだし、フィオナとの約束を破ると説教の合間に牙まで見える気がする。

 

おまけについ先ほど、真っ赤に燃える炎の様な熱視線を向け、真っ青に凍り付きそうな殺気を放ち、完全な闇を思わせる大きな翼を背負った少女が舞い降りてきた。

 

 

 

なんだ、普通なのは私だけか。

 

 

 

そんな普通な私は、地面に寝転んでいる。

好きで寝てるわけじゃない、よりによってこんな草の生えていない所に。

 

一件落着して、時代劇ならもう後日談に移っている頃合いなのだが、今日は数話連続再放送の日だったみたいだよ。

今頃、続投のキャストは次の舞台に向けて大忙しだね。私も含めて。

 

 

トツトツトツと人間と変わりない歩法で接近する彼女は、悪魔と言うより小悪魔。

前に戦った時と同じ、全体の半分くらいの妖気を纏っている。

 

それでも、場を支配し誰もが動きを止めてしまうほど、その殺気は強烈だ。

軽く開かれた彼女の口の端から、被せ物ではない星銀製のキバがちらりと。

 

バモロじゃないからセーフ。

だけどどうしてそんなに殺意全開で迫ってくるの?

怖いです。

 

 

『警戒しないで? お話があるのよ、クロ』

 

 

キンキンと響く超音波が頭に……おっ?

なんと、さっきまで感じていた頭痛が治まっていくではありませんか!

 

……代わりに超音波で頭が痛いんだけど。発信源も頭痛の種だしね。

なんで付きまとわられてるの、私。

 

「抵抗はよしなさい? 人工森林の秘め木から降りた片耳のお嬢さんも、破れかぶれになる必要はないわ」

 

私に話し掛けているのを誤魔化すためだろう、その真紅の唇からは全員に警告しているようだ。

監視者ギャラリーも多い事だし、その目を欺くつもりか。

 

(あなたも秘密の話、大好きだね。私に気を遣っての事なんだろうけどさ。トロヤやヒルダみたいな吸血鬼と接点を持っているなんて知れたら、ローマでの生活は終わりを告げちゃうよ)

 

表向きの口調は感情が薄い人間離れしたもので、超然とした雰囲気をより強調し、反抗の意思を埋めて行く。

しかし、超音波で伝わってくる裏側の感情は……荒れてるぞ。

元々感情の制御が苦手な彼女はギリギリみたいで、今にも爆発してしまいそうだな。

あの夜みたいに。

 

ここは私も手を貸そう。

事を荒立てられたくない。

 

となると、最後の仕事は一菜に一任して、私は次の収録に向かわなくてはならない。

力の抜けたイヅナの手を離し、その温かな手の平に残された中身を御守りの元に戻して強く握らせる。

両脚が笑っていて立ち上がれそうもないから視線だけをトロヤに向けた。

 

一時的に跳ね橋をあげて、一菜エンジニアのメンテナンス業務だよ。

遠山相談所もゆっくり眠っていたかったけど、起きなきゃね。

閉店間際の駆け込み客がいるらしい。なんて迷惑な。

 

 

「フィオナ、私の後ろに。一菜を介抱して下さい」

「私、無茶をするなと――」

「おねがい、フィオナ。一菜の傍にいてあげて」

「……バール、後で。絶対ですからね」

「一杯位なら奢りますよ」

 

 

納得はしてなさそうだが、状況は理解しているのだろう。

そんな彼女は親の仇のように睨み付けたトロヤが意に返さない事で痺れを切らしたか、それとも格の違いを悟ったか。袖から何かを取り出す動作をキャンセルさせ、晒されていた触角のような髪を隠すようにベレー帽を被り直し、一菜の横に留まっている。

 

戦闘は避けたい。いや、戦闘にならない。

戦いの体裁も取れやしないと考えるも、それは彼女の発言で杞憂で終わりそうだ。

お話ってのは文化的なもので、血吹き肉裂ける肉体言語ではないらしい。

 

 

『一緒に来てちょうだい、私達の仲間――』

 

 

私……達の、仲間?

以前に話していた同志じゃなくて、仲間。

その言葉は、十中八九あれを示す。

 

そういえば、怪盗団の記憶を取り戻してからトロヤに会うのは初めてだな。

話の切り出しからそのワードを使うって事は、ヒルダから色々聞いているのかもしれない。

 

 

理解したと返事も出来ないから、ちょっとだけ長く瞬きをしておく。

これで通じるだろう、たぶん。

 

おい、意思疎通が出来ただけで喜ぶな。

お前がそれ以上破顔したら超音波を使った辺りから全部台無しなんだからな。

こら、翼もパタつかせるな、感情表現豊かな子供か。

 

 

理子とヒル可愛い妹たちの為に』

 

 

超音波が止み、歩みも止めた。

 

 

……まあ、予想通りだ。

ルーマニアバチカンに仕掛けたと、カナが話していたのも記憶に新しい。

あと、ヒルダも理子も年上なので私の妹じゃないです。

 

ヒルダにローマの地下墓地へ拉致されたのが29日前で、そこから箱庭が始まる20日間、彼女はずっと大人しくしていた。

相談役こと遠山クロが仲介役を務めて、とある義姉妹が一応和解……和解? したのが理由だろう。

 

理子が恨んでいる感じではなかったので、和解というより仲直りとリハビリテーションみたいな様相だったけど、確かに関係修復は時間が掛かりそうだね。

どっちもプライドが高いのを無理して気遣い合ってる感じで笑顔がガチガチ、空気がドロドロの血液みたいに固まっててお見合いより酷い会話だったなあ。

 

 

で、箱庭が始まって早々に眠りへ就いた私を余所に、2人に何かがあったのだ。

目覚めた後も一菜との決闘の事もあったし、何よりカナによって告げられた衝撃的な真実から逃げるように会話の一部を切り離してぼやかしてしまっていた。

ヒルダは、気紛れで暴れてもおかしくはないから、何故暴れたかなんて考えてもいなかった。

 

それでも理子が心配で独りにさせたがらない過保護っぷりだし、宿金の確かな情報がないままに彼女の方から打って出るとは思えない。

 

もう、考えるだけ無駄だろう。

理子に何かがあった。

それがバチカンに仕掛けた理由で、トロヤがここにいる理由だ。

 

 

「戦闘の意思はないんですね? あれだけのモノを準備しておいて」

「あらまあ、怖いのかしら? ごめんなさい、でもそう、そうなのよ。あなたは素直じゃないから交渉の余地を貰えないかもしれないじゃない?」

 

 

トロヤも心穏やかではないが計画的に動く癖がついている。

空に浮かんでいるのは、雷雲か。

天気予報は一日中晴れだったぞ、用意周到な奴め。

いつから私の行動を把握してたんだよ。

 

何気に前回のゲームで私が交渉権を使い潰したことへの意趣返しみたいな発言もして来た。

断れば脅しで済ませるとは限らない。

 

彼女の怖い所だ。

素直過ぎるが故に冗談か本気かの判別がつき辛くて困る。

 

 

だが、これで断れないし、断る理由もない。

その設定が私と……周囲にも定着して来た。

 

相手が相手なら罠の可能性も考慮して翌日に回すように交渉していただろう。

今回はその必要もない。

 

 

なんたって、トロヤは嘘を吐かないしね。

 

 

「一緒に遊びましょう? あなた達とのゲームに負けてから、力の行使が面白いように上手くいくの」

「泣きたくなる話ですね。またかくれおにですか? いえ、前回のはどう見ても鬼ごっこでしたが」

 

 

ボロ雑巾のように伏したこの姿を見て鬼ごっこしようとか、その発想そのものが鬼なんですけど。

 

 

「好きだったでしょう。鬼ごっこ

「だったでしょう、と言われましても……」

 

 

(好きじゃないよ鬼ごっこ。あんたらと一緒に隕石盗もうとして追いかけられてただけだよ)

 

関連事項だから否が応にも、金星として活動していた頃の事を思い出してしまった。

その最後で最大の大仕事ビックイベント、闇に葬られた歴史の1つとなった事件の全容を。

 

 

しかし、回想ターンはドルルルルッ……という重たいエンジン音で中断させられた。

 

大型バイクが近付いてくる。

どこかで聞いたことがあると思ったらこれって、映画『ターミネーター』で未来から来た人型殺人ロボが乗ってたバイクの音に似てる?

スイッチが入った所で知識量は増えないから車種は知らないけども。

ガイアなら分かったかもしれないな。

 

 

ドルドルドルドル……

 

 

そして、目の前で乱暴なターン、からの排気ガス噴射。

ちょ……やめ、やめて、制服が汚れちゃう! 煤けちゃう!

 

誰だお前。

顔はスカーフで全面的に隠しちゃってるし、服装も黒い革ジャン&革パンだし、サングラスはしてないけどますますターミネーターっぽい。

違いは殺人機械には必要ないほど豪華に飾り付けられた装飾品の数々か。

 

「早う乗れ、道すがらバチカンの使い魔共とすれ違った。じきに武偵高からもバチカンの修道女が送り込まれてくるぢゃろう」

 

あ、この声と話し方、なーんだパトラか。

意外だね、そんなのに乗るんだ。

てっきり時代錯誤な籠に乗って移動するもんかと思ってたけど、身長もあって片足立ちの体勢も様になってるよ。

 

んん? もう一台来た?

あっちはずいぶん静音なエンジンで、安全運転だ。

パトラは服装が男性らしくても前髪が伸びてたから女性かなと思ったけど、向こうはフルフェイスのヘルメットで顔を隠していて分からない。

中世の騎兵が使っていた突撃ランスチャージみたいな格好で鼠色の竿槍を構えている。

 

「覚えておきなさい、クロ? 次から決闘をする時は立会人を用意する事ね。疲弊したあなた達が他国に襲われてしまえば、キバも翼も出ないでしょう?」

 

そんなの最初から出ないよ。

 

 

「たった今、確かに襲われましたね」

「あらまあ、酷いわ。でも、そうね、そういう事」

 

 

――ヒョイッ。

 

 

「へっ?」

「あなたは賞品よ、クロ」

 

 

トロヤさん、力あるんですね。

身長差もあるのに、私の事を結構軽々と持ち上げられるんだー。

 

 

――ところで、賞品ってなんです?

 

 

「ここは頼んだわよ? 特にミウイチナは絶対に必要になるわ」

「すぐに出すぞ、妾の使い魔が交戦状態に入ったようぢゃ。どうせ他の魔女を目の敵にしておる眠土の魔女か祝光の魔女のいずれかであろう」

「それなら眠土の方ね、祝光は市街に行っているわ。あの女嫌いだもの、近くに寄れば太陽光のように眩しくて苦しくなるからすぐに分かるのよ」

「トロヤ、お前も加勢せい。妾とマルティーナの魔法は相性が悪い」

 

 

トロヤに話し掛けられたフルフェイスの人間がコクリと無言で頷き、バイクを降りて槍の石突きを地面に付き立てて仁王立ちすると、フリーハンドな右手は握った状態で右胸に当てられた。

誓いを立てるような動作だが、隙が無い。

槍を軸にして如何様にも初動を取れ、体の中心に据えられた右手で咄嗟の防御も可能な実戦的な構えだと言える。

銃弾には無防備だけど。

 

その様子を見ながらバイクに乗せられた私にパトラが体を固定しろと促すが……

もうちょっと前に行けません?

後ろ狭いです。

 

 

「山洞で待ってるわ」

「お前とは異なるお前がの」

 

 

トロヤが霧となって夜闇に消え、パトラと私を乗せたバイクが大排気量の機関を駆動させて走り出した。

ターンした先頭を戻し、やって来た方角から真っ直ぐ前に。

なんでターンさせたし。排気被り損なんですけど。

 

 

「あの、柵が……」

「壊せばよかろう」

 

 

 

ビシュッ!

 

 

 

前方に差し出したパトラの右手から金色の弾丸が飛んで、柵の固定部分を破壊する。

続けて2発、3発。

 

然程強く固定されていなかった柵はふらふらと揺れ、一枚を打ち破って囲いを脱出する。

バイクは北西、ローマ市街と武偵学校の反対方向へ走り出した。

このワンシーンもターミネーター2っぽい。

 

いやー、まさか実体験できるとはね。

弁償3倍は辛いなぁ……

 

 

「クロよ! トロヤからどこまで聞いておる?」

「どこまでも何も、理子の身に何かあったんですか?」

「そうか、何も知らぬのぢゃな。ならば妾からは何も言わぬ。話は変わるがお前はブラドについても聞いておらぬのぢゃろう」

「ブラド……?」

「妾やお前の敵ぢゃ。詳しい事はヒルダに直接聞くが良い。あやつ以上にあの男を知る者はおらんからの」

 

 

私が誘拐される一連のキーパーソンはヒルダが良く知る人物……か。

うん、会いたくない。

いや、でも一周回って普通の人かも?

 

理子とどう係わって来る人なのか、なんにせよ話を聞かなきゃ始まらないね。

 

 

パトラの反応が苦々しい時点で普通の人説はほぼ否定されているが、希望は捨てない。

いい人過ぎて鬱陶しいと思ってる可能性もある。

そうだ、希望は――

 

 

 


 

 

 

――――ない。

 

ここまでの道中、狼に襲われた。

あれがブラドとやらの部下らしい。

 

 

全く話を聞く気がなかった……まあ、狼なんだけど。

なんで襲ってくるの?

 

バイクの部品に変形させていたらしい砂鉄の砲弾で弾き飛ばしたパトラ曰く。

 

 

「妾からヒルダの匂いを嗅ぎ分けたんぢゃろ。対象が何であれ、主人の下に引き摺って行くように調教されておる」

「ろくでもない芸を仕込む人なんですね。ヒルダは吸血鬼で珍しいから、サーカスにでも勧誘されてるんですか?」

「見てくれは調教師側ぢゃがの」

「えへへ、それ言えてますね、パトラさん」

 

 

バイクを車通りの全くない車道に停め、軽くハイキング。

ついつい口も軽くなってしまったが、眠気が凄まじくて膝も笑ってるし、早く休みたい。

 

洞窟の入り口は垂れ下がった枝や茂みによって隠され、枝葉や草の中にはコガネムシの形をした宝石が所々に紛れていた。

狼に臭いでバレるんじゃないの? と尋ねたら、その宝石――スカラベのお守りが結界みたいになってこの周辺に張り巡らされてるんだとか。

 

他国の使い魔も中の私達が薄ぼやけて見えなくなるらしい。

まるで箱庭で感じた薄い膜みたいだ。

いやはや、高性能な魔術ですのう。

 

 

山洞を進んでいくと最初の小部屋に到着。

明らかに目を欺く目的で自然の洞窟ありのままの形をした行き止まりには、岩に隠された錆色の鉄輪が鎖と繋がって壁から伸びている。

 

 

「引け」

「え」

「お前のお仲間の身柄を守る為に妾の魔力が使い魔の使役に出払っておるのぢゃ。扉を開く役割はお前しかおらんぢゃろ」

「……はい」

 

 

そういうことなら、文句はない。

あれだけ多くの目があっては、決闘が終わった後に漁夫の利を狙われてもおかしくなかった。私が不注意だったのは弁解の余地も無いのだから、従おうっと。

パトラさんも高圧的でちょっと怖いし。

 

 

しかし力が出ない。

全体重を掛けて「んーしょっ!」と倒れ込んでも、たりなーいっ。

 

 

「開きません」

「……しょうがないのう」

 

 

一緒に引いてくれた。ありがとう。

人遣いは荒いけど、困った人には優しいんだ。

錆を触りたくないからか私の手を握ってるところは減点対象だけどね。

 

グイィ……

 

鎖が引かれる感覚があり、今度はいきなりパトラが手を離した。

もちろん掴んだままの私は戻ろうとする鎖によって壁に向かって引かれ、すんでの所で手をつく。

 

(あ、あっぶな! 引っ張られた反動でゴッチィン行くよ!?)

 

 

「ちょっと、一声かけてから――」

「戻ったぞケケット、ハトホル」

 

 

抗議の訴えなどどこ吹く風。

傲岸不遜のターミネーターは壁に話し掛け始めた。

プログラムがバグったのかね? 未来に帰ったらどうだい?

 

何してるんだか、彼女の奇行を内心白けた顔で見つめていると……

 

 

「お帰りなさい、パトラ」

「お帰りなさいませなのじゃー! パトラ様ー!」

 

 

壁から返事が!?

 

 

 

*いしのなかにいる*

 

 

 

ロストした過去の英雄の霊魂か!?

 

マロールッ! マロールッ!

 

 

「うむ。ハトホルよ、結界は上手く機能しておるようぢゃの」

「当然ですじゃ! わしはパトラ様の母君から直接ご指導賜った身、これぐらい朝飯前なのじゃ!」

 

 

マロー……――

 

ハト……ホル?

それって箱庭参加者の……ああ!

パトラと同じエジプトの代表戦士の名前じゃないか!

寒い暗いと弱音を吐いてるイメージしかないけど、元気ハツラツな感じだね。

 

 

「クロを連れて来た。とりあえずは開けてたもれ」

「クロって……"ラブリコ"のリーダーさん?」

「只今開けますじゃー!」

 

 

あまりに普通に会話するもので、つい音の反響を気にしてしまうがそれも気にする必要がないって事だろう。

結界ってのは便利で、相当に自信を持っているらしい。

 

……"ラブリコ"ってなんぞ?

 

 

扉とは名ばかり、ただ大きくて扉くらいの厚さの岩が胸の辺りまで持ち上がっただけで、その隙間を落ちて来ないかビクビクしながら通過する。

その先では、あ、ジャッカル人間のゴレムさんが私がさっき引いていたのと同じ鎖を1人で引いているよ。すっごいぱわーだ。

 

奥から明かりが漏れてるし、会話していた人物達はそこにいるのだと思う。

現にパトラは革ジャンを脱ぎかけながら何も言わないでそっち行ってしまう。

労いの言葉くらい掛けてあげればいいのにさ。

 

 

「お疲れ様です、ゴレムさん」

「……ウォン?」

「あれ、ゴレミさんでしたか?」

「…………」

「トロヤさんが戻ってきたらよろしくお願いしますね!」

「ウォウォンっ」

 

 

なんとなく、心が通じた気がした。

気がした……

 

……ことにしよう。

トロヤの名前に反応しただけかもしれないけど。

 

 

明かりの下に遅れて入室。

岩扉をくぐってから私の食欲を刺激していた香ばしい良い匂いが広がる岩壁の室内には、燭台の置かれたクロス敷きの長テーブルが設えられていた。

まばらな間隔を空けて、取り皿とナイフ、フォーク、スプーンがセットになって準備されている。箸は置いていない。

 

(――椅子の数と同じ10セット。偶然じゃなく意図的に揃えてるのか……)

 

上座のお誕生日席で脚を組むパトラは、既にいつもの半すっぽんぽん状態で寛いでるよ。

重そうな装飾品も外せばいいのにね、最悪あれが武装にもなるみたいだけど。

 

 

ヒルダはどうしておる?」

「まだ暴れ足りないみたい。トロヤさんが押さえてるよ」

 

 

彼女と同じテーブル――うちの食卓テーブルよりずっと立派なのには、えも言われぬ感想を抱きそうになった――には、他にも2人の少女が腰掛けている。

 

1人は箱庭でも見た、袖の無い巫女服と金色の扇を持った人物、ハトホルだ。

震えてないし、笑顔。印象がガラッと変わるね。

パトラを様付けで呼ぶあたり上下関係が存在するのかも。

 

(エジプトの組織形態は不明だけど、もう1人は呼び捨てだった)

 

白いケープを黄褐色のチュニックの上に羽織った少女はパトラと同格なのか、それとも友人か何か?

褐色肌のおさげ髪でこちらを意味有り気に見つめる姿には強者のオーラがなく、雰囲気だけは一般人と変わらない。

それを言えばチュラだって雰囲気は一般の小学生と大差なかったっけ。

あの子の場合はあえて紛れ込んでる疑惑があるけどね。

 

 

「困ったもんぢゃの」

「冷静さが足りんのじゃー」

「お前が言うでない」「ハトちゃんがそれを言うの?」

 

 

おっと、総ツッコミ入りましたー。

さあ、一体どんな反論を返すのかー?

 

 

「やれやれ、焦ると失敗するのじゃー」

 

 

あぁーっと、強い! 凄いメンタルだぁーっ!

総ツッコミをまさかのノータッチ! こいつは大物だぞー!

 

 

「まあ、妾は冷酷で合理主義者なお前よりも、少々茶目っ気のあるお前の方が気が楽ぢゃがの」

「わたしも!ホルちゃんもカッコイイけどね」

 

 

仲が良さそうで何より、ところで……

 

ヒルダはどこですか?噂ではローマで大暴れしていたそうですが」

 

私がここに召集され、応じた理由。

本題の彼女がいない。

トロヤが押さえているとは一体……?

 

その問いかけに立ち上がり、進み出たのは初顔合わせの褐色少女。

紫色の小さなリボンを揺らして、さり気無く奥に続きそうな出口の前に陣取った。

進ませたくないらしいな。

 

「初めまして、リーダーさん。焦る気持ちは分かりますが、今は我慢を」

 

リーダーってなんですか。

勝手に変な団体のリーダーに祭り上げられても困るんで――

 

「クロさんって、あの"LRD計画"の創設者ですよね!」

 

――あ、私言い出しっぺだったわ。

 

LRD計画とは別名"ラブリー理子りんダイスキー計画"。

理子の宿金を分離させたい私とヒルダ、思金を手に入れたいパトラ。

思惑の異なる私達が箱庭の同盟とは別に、目標を明確にしつつ志を共にしようと考えたのだ。

 

しかし、ヒルダに「理子りんダイスキ」と言わせたいだけの作戦名は甚く不評だったね。

だって会議の場が殺伐としてたんだもの。ちょっとしたお茶目心だよ。

 

そうか、LエルRアールDディー計画の"ラブリコ"の事を言ってたのか。

 

 

「はい、そうですが……あなたは?」

「ニィッ! "わたしは新人のケケット、名前です"」

「"わぁ、日本語お上手ですね。私は遠山クロ、よろしくお願いします"」

「"はいっ! 良きにはからえ"」

 

 

花の妖精みたいなすっごい良い笑顔だけど、なんか違う!

せめてよろしくお願いしますを真似して!

 

すぐさま、高慢ちきな誤用を広めた犯人の方を向いたが、テーブルに肘を付く怠惰な格好のまま意に介さない。

 

ここでは私の方がアウェイだ。

まあ、スイッチが切れた私なんて瞬殺されるだろう。

クタクタの身体では木の椅子がふかふかのソファみたいに恋しいのだ。

自己紹介が終わっても動かないケケットも決まりが悪そうだし、休める暇があるなら休むべきかな。

相手が時間を設けてくれてるんだ、ケケットの言う通り焦ったって仕方ない。

 

 

「"どこに座っても良いのでしょうか?"」

「"椅子にどうぞ"」

 

 

違う、そうじゃない。

席の話であって、床に座るとかそういう話じゃないよ。

 

椅子は全部で10脚用意されている。

3人が奥に固まり、空席は残りの7箇所。

様子を見たいし、手前に座って少し距離を取ろうか……

 

「こっちに座るのじゃー! いま、茹でたてのひよこ豆と揚げたてのコロッ……あああーーーッ!? 火を点けっぱなしなのじゃーッ!」

 

人を強引に自分の隣に座らせたかと思ったら、走り去っていった。

焦ってたな、失敗しないといいけど。

 

「大丈夫かなぁ……」

 

 

同じ心配をしたのだろう、ケケットがハトホルの駆けて行ったキッチンのあるらしき方へ向かう。

それを横目で見送ったパトラが身を乗り出して顔を近づけて来た。

 

改めて、この人もホント綺麗顔。

体から汗に混じってフワッと香る甘いローズのフレグランスはあらゆる男を虜にするだろうな。

 

クンクン……

 

私が排気臭いのはあなたのせいだからね?

 

 

「クロよ、この一週間、何処へ消えておった? お前を見つけ出そうと何度も占星術を行ったのぢゃがな。その存在のヒントをこの地球上に糸の一本すらも見掛けられなかったのぢゃ」

「どこに、と言われましても」

 

 

普通に寝込んでただけだし、ずっと家にいただけだし。

私としてはその占星術の精度に疑問を持つわけですよ。

言ったら怒るから言わないだけで。

 

「お前も超能力者ならそういった類の術を持っていてもおかしくはないと、その可能性も握っておったが……どうも違うようぢゃの」

 

ご自慢の占星術が不調な事が気に入らないパトラは暴論とも言える仮説を立てていたようだ。

超能力者?

アイムナットですよ。

ノーノ―ステルシー、イエスアイアム。センキュー。

 

「私は超能力者ではありません。あれは理子の技ですよ」

「それではなんぢゃ、お前はその能力を真似したとでも言いふらすつもりか? それこそお前は魔女からも異端視されてしまうぞ。少しは腹の内を隠す事を覚えろ。お前の仲間の為に……」

 

 

グサッと来る言葉を、真剣な眼差しで直接斬り込んできた。

 

その通りだよ、私は人間だ。

だけど、私は……普通なんかじゃない。

 

 

トロヤが私の事を異常点と語った。

任務で敵対した人間が私の事を化け物と呼んだ。

カナが――正義の味方が私の事を討つべき敵と言った。

 

 

それに……

 

 

「あなたが言ったんですよ。『初めからそんな人間はいない』って」

「…………」

 

 

彼女は何を言われたか分からないだろう。

だって、私が黙秘した占いの内容を、結果しか知らないハズなんだから。

 

「私は悩んだんです、私ってなんだろうって。私は誰で、皆は本当に私を見てるのかって……」

 

彼女は言葉の意味を知り得ないだろう。

だって、私の能力の事なんて一部の人間しか知らないんだから。

 

「あなたが私の占いを忘れるように、皆、私の存在を忘れて――」

 

数百、数千、数万と行ってきた数ある占いの中で、私の占いの結果なんて覚えてるわけが……

 

 

「何をとぼけたことを抜かしておるんぢゃ?」

 

ほら、ね?

覚えてない。

私が、あんなに、苦しみを、覚えた、のに……

 

でもこれは、八つ当たり。

彼女には、関係ないんだ。

 

だから心を、隠して……

 

「……いえ、なんでも――ッ!?」

 

 

ガタッ! ――ゴッ!

 

 

椅子から、固い岩肌の床に胸ぐらを掴んで叩き落された。

スイッチもOFFで顔を下げていた私は反応する隙も無く。為すがままに自然の冷たさを味わう。

 

気力も、覇気も失った悲愴な気持ちを吐き出した口が潰されて。

顎に掛けられた華奢な手が、私の頭を首が伸びるほど持ち上げる。

 

痛かった。

けれど、掴み返しに行く手は、パトラの手首を掴んだ所で勢いを失う。

 

 

彼女の艶やかな顔は怒りに歪み。高貴な切れ長の目は熱く潤み。

差し込む影が心の傷跡を映し出しているようだったから。

 

ここまで荒々しい様を知らなかった。ただ事ではない。

そうだった。私は『彼女は私を知らない』なんて自分勝手なことを考えておきながら、『私は彼女を知らない』事を考えなかった。

 

 

オモイは誰にだってあるんだ。

 

 

「甘えるなッ! お前は思主の事を知らずに、よくも好き放題言いおったのう!」

 

 

いつだって言いたい放題の気侭な彼女が、この瞬間は私だけに心を突き合わせている。

 

それは――私の中に自分と同じ苦しみを見出したからかもしれない。

それが――私のひん曲がった言動と彼女の心の根幹が衝突してしまったんだ。

 

 

痛みを伴って。

 

 

私の世界に砂嵐が吹きすさび、その中心では砂塵に守られるように薔薇の花畑が咲き始める。

 

 

「知っておるのか!? 思主は存在を消される。勝っても、負けても。生き残っても、名誉の死を遂げようとも。何も残らぬ! 妾の友も突然消えた、代わりに現れたのがあやつ――ハトホルぢゃ」

「――えっ……?」

 

砂嵐は激しさを増す。

オアシスに咲く薔薇を隠すように、私を拒んだ数多の砂粒が舞い上がる。

 

「妾は思い出せぬ! 友の名も姿も。元より思主として生み出された者共は知らぬがな。思主となった者は、思金を持った存在と入れ替わる様にこの世界から何処かに消えるのぢゃ」

 

彼女にとって大切な、探し出したい人物がいたのだとしたら。

彼女が占星術の精度にこだわる理由は……

 

「しかしな、ハトホルと初めて出会った時、懐かしさを感じた。この意味が分かるか?」

「入れ替わって……ない?」

「ただ……消えただけなのぢゃ。思金はヒトのオモイの結晶、それを受け入れる為の殻金で創られた器。色金に神が宿っておる様に、思金も1000年以上の歳月を掛けて理性を獲得した。その個人の存在を世界に形成する輪郭――理性も信じる絆も、その者に向けられ続けた思いも……問い掛けすらも、もう届かぬ。妾の友は……黄思金の中に消えたのぢゃ…………」

 

 

力無く、彼女は腕を落とした。

でも、私の顔はパトラの心に縫い付けられたように、彼女の崩れ出しそうな表情を捉え続けている。

 

彼女の……彼女達の行動理由はどうやら想像していたより遥かに根深い。

その一部分が掴めてきた。

 

 

「生きておる……生きておるかもしれんのぢゃ。オモイの器に、人々の理性が」

「パトラ、さん……」

 

 

狂人の虚言と嘲笑われたこともあっただろう。

知り得ぬことを知る力を持ってしまった故に、彼女は……

 

「……だから、あなたやリンマさんは……」

 

人の存在が、入れ替わる様に……

それを、私も抱懐させられた事例があったばかりだ。

 

ちょっとずつ、ほんの少しずつ変わっていっただけでも乱された。

大切な仲間だから。

 

 

「目を付けたんですね? 一菜に」

「日本の大妖怪、あやつを誘き寄せたのは恐らくシャーロックという男ぢゃ。それを横から掻っ攫ってやろうと思ったんぢゃが、毎度毎度、何者かの妨害を受けておっての」

 

 

しゃーろっく……?

有名な名だが私が授業で習った本人はとっくに亡くなっているのだし、同名の別人だろう。

 

その人物の目的が何なのかは別として、否定されなかった。

パトラは殺生石とその魂であるイヅナを未だに狙っている。

私の存在は彼女への繋がりにもなるのだ。

理子を救う私やヒルダへの助力はそんな打算も考慮しての事かもしれない。

 

「一菜さんはあげませんよ。彼女は我がクロ同盟の傘下に加わりましたから」

ヒルダと同じような事を言うでない。ちぃとばかり力を借りるまでよ」

 

とある理由で私だってあの石の力には一目置いている。

決闘後に一菜から殺生石の詳しい話を聞こうとは思っていた。

てっきり記憶を封じているものかと思い込んでいただけで、それも絆や思いをのかもしれないのだ。

 

その方法が、思金にも適用可能なら……!

 

「作戦変更ぢゃ。まずは世界を獲り、ゆくゆくはその法術を得るとしよう」

 

まずは、の規模がでか過ぎる気もしないでもないけど、私からも一菜にアプローチを掛けてみよう。

その方法が、宿金の別離――理子を救う手段として活用出来る可能性もあるんだからね。

 

 

「世界を、獲る……とは具体的に? ギネスブックに名を残すんですか?」

「お前は一々発想が安っぽいのう。全ての思金を支配し、全ての色金を制圧する。その為には、世界を征する必要があるのぢゃ。思金の犠牲となった者達を救う為に、妾は人類を服従させる。妾は……覇王ファラオの子孫、そして生まれ変わりぢゃからの!」

 

 

彼女なりの宣言、それを言い終わっても。

年上のプライドだろうか、彼女は気丈に、柔らかではなく決意を露わにした強気な笑顔で私を抱き締めてくれた。

 

姉さんとは違う、ちょっと強くて、引っ張りこむような、彼女らしい強引な抱擁。

続く最後の一言は人心地を与え、憂いを鎮める彼女らしからぬ優しい声――でも、少し鼻声で。

 

 

「お前が消えたら。その時こそ、妾が探し出してやるわ。安心せい、その頃には占星術の精度はウナギ登りぢゃよ」

「…………はい……。ありがとうございます……」

 

 

薔薇のオアシスはココロの雨を嫌ったか、砂嵐と共に去って行った。

立ち上る砂煙に混じった真っ赤な花びらが、私の道の先をゆく。

 

こりゃまた遠い所まで行ったもんだね、カナとどっちが先に再会できるものやら。

彼女の根幹――砂礫を舞い上げた竜巻は明後日の方向に行っちゃうし、私の世界も騒がしくなってきたな。

黒金の戦姉妹35話 茜黒の境界

茜黒の境界トワイライト・ボーダー

 

気付くことが出来なかった。

存在感を隠蔽する方法が何種類かあることは分かっていたのに。

 

難易度の高い方法では生理機能を停止する。

遠山家にも自らを仮死状態に追いやるとんでもない力技があって、それを子供に習得させようとするとんでもない親がいた。

 

他にも気配を限りなく薄くする、意識を誘導する、認識の範囲外を動く……やり方と工夫次第で人間の認知などいくらでも掻い潜り、誰でも消えることは出来るのだ。

相手の力量や経験の差に影響されることは言うまでもないが、ただ歩くよりも忍び足、夜間は白い服より黒い服の方が存在を隠しやすいし、普通の床より鴬張り、人混みよりも人気のない場所の方が存在を探しやすい。

当然、警戒されていれば成功率はガタ落ちするだろう。

 

 

私が周囲を警戒したのは事態の起こったほんの数分前の事。

交戦状態に入ってからその数分の間に、この距離をどうやって埋めたのか。

 

……いや、違うな。

私が油断していたんだ。

 

陽菜が来られないという話の内容に疑問を持たず、彼女は来ないと思っていた。

 

――『相変わらず気配を感じませんね、あなたは』と、彼女に話していたのは誰だっただろうか?

 

一つ、陽菜は

おそらく長命な兎狗狸も変化の術を習得する際に生物的な気配を消す手段を手にしていたのだろう。

 

二つ、イヅナは射線が予想出来ていたにもかかわらず、回避ではなく防御を選択した。

私の、遠山家の技を見せる事で自身に

 

三つ、自らの手で放った銃口から立ち上る火薬の匂いが煙に巻いてしまった。

さらに、イヅナの手によって作り出された衝撃波……空気の波が、私とフィオナの後方に広がる背の低い草原に潜んだ陽菜と兎狗狸の匂いを吸い込んで、冬に向けて色を失い夕陽の茜色が重ねられた雑草の中に隠したのだ。私の嗅覚の

 

たとえ、陽菜も兎狗狸も生理機能を停止することが不可能だとしても、れば――可能。

時代を超え、イヅナにとって、私を出し抜く事など容易い事だったんだ……!

 

 

「フィオナ……!」

 

 

私は腰を曲げたまま振り返り、その姿を見つめていた。

臍を固める暇もなく、背後から刻まれた一撃に全身を硬直させたフィオナ。

グラリと一歩だけ前に踏み出した右脚を軸にしようとした彼女の体は、力が入らずに折れてしまった膝と共に露出した固い土の上に倒れ込む。

直前に発砲したライフルの銃床も大地へと立てられていたが、しな垂れるように抱き着いた上半身を支える力は腕にも残っていなかったようだ。

 

(毒……か?)

 

ただのダメージで意識も失わずにあそこまで筋繊維がこわ張ってしまう事は無いだろう。

神経、痛覚増幅の毒か、はたまた筋縮を促す特殊な武術か。

いずれでも陽菜の攻撃は確実に1つの戦力を奪ったのだ。

 

血の気が引き、生気を失った表情のフィオナは、背後に立つ2人にも、牽制弾の回避で意識が逸れたイヅナにも気付かれないように、数回のウィンクと1度だけの言葉を呟いて、顔を落とす。

狙撃銃が彼女の身体から離れるように続けて倒れ、揺れる灰白色の一束が、追うように着地した。

 

(……一本、取られたな。ここは、まいったと言っておくべきか)

 

射線から逃れる為に大きく後退していたイヅナはもう体勢を崩していない。

私がこっそりとフィオナの言葉を聞いている間に持ち直し、最早構えすら取る気もないようだ。

 

ただ、距離だけは取られている。

こんな状況でも警戒はされてるんだな、私って。

 

 

「ぽぽ? もしかして、もしかしなくても、あっし要らなかった?」

「案ずるな、兎狗狸が居ったからこその作戦じゃ。なかなかに小狡い策を思いつくものよ」

「えっ……? イヅ、違うよ。思念で伝えたでしょ? あっしは思念が繋がらないから『殿中』を飛ばしたんだよ??」

 

 

イヅナと兎狗狸の間に変な空気が流れ、波紋のように一帯へと広がっていく。

陽菜も槌野子も、その重みのある空気に心肺を痛めまいと呼吸を弱めた。

まんまと謀られたのは彼女達も同じらしい。

 

だろうと思ったよ。

この日本代表の人達、妖怪やら忍者やら名乗ってるくせに、騙し合いとか化かし合いが上手じゃないもんね。

一菜は少しだけ腹芸も嘘も出来るけど、嘘を吐くとすぐに目が笑うもんなぁ。

 

だからこそ、私騙されたんだ。

陽菜は来ないんだろうって。

 

 

「ぬ? ……はて、では陽菜よ、あの電話は?」

「電話にござるか? お恥ずかしながら、某、ケータイを何者かに持ち去られた次第にて如何様にも連絡が取れず、予ねてより伺っていた強襲科の演習場におりました」

「なんじゃと? 強襲科の演習場などで決闘なぞ出来る訳が無かろう。朝の電話ではこの広場と伝えたはずじゃぞ」

「ええっ⁉ あっしは真反対の南西方向にある森って聞いてたよ?」

「兎狗狸よ! 貴様は何を聞いておるのじゃ⁉」

 

 

しかし、この様子だと三松猫が2段構えで潜伏しているとは考え難い。

彼女達もまた謀られた側。ただ、その手腕はお世辞にも良いとは言えないものだ。

 

(偽の電話による誘導……。いや、たぶん彼女ではない)

 

だから一瞬だけ過ぎった顔は……たぶん違う。

彼女が日本を陥れようとしたならこんな失策を――この状況を狙って起こすことは出来そうだが――犯すとは考えられない。

 

「……黒思金か……?」

 

私が次の犯人候補を探し当てたのと、イヅナが口をついてその名前を出したのは同時。

一菜もチュラの声真似に騙されて、私と対話の機会を持ったことがあった。

だが、今度はあの子がここまでの計画を独りで立てられるとは思えない。

 

 

陽菜の携帯を盗むのも、思念の妨害も、朝の時点から嘘情報を流して回るのも、よくもまあ上手くやったものだが、三松猫以外は辿り着いてしまった。

協力か私怨かは知らないが、その先は投げっぱなしでお粗末。

だ。

 

日本代表のみを潰すつもりなら大失敗。

両サイドと敵対的で、私達を相討ちにさせようとしていたなら……成功かもしれないけどね。

そうだとすれば、どこかで見張っているな。

 

 

「三松はどうした?」

「見てないよー」

「……兎狗狸よ、殿中を飛ばせ。三松を探すのじゃ。璃々粒子の濃度は極薄く、思念を妨害する規模ではないぞ」

「ぽぽっ? 干渉?」

「否、『回折』じゃ。効果時間が長過ぎる。数人の超能力者に的を絞った物じゃろう。我らがここで思念を使えるとあれば、効果範囲も狭いしの」

 

 

会話が長引いたおかげで、幾分か痛みが弱まった。

 

前方には無傷のイヅナと武装を組み終えた槌野子、右方向には怪訝な顔でフィオナの状態を確認する陽菜とまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私とパーフェクトゲーム目前の4者。

 

 

 

状況は――――

 

 

 

「ふむん、残念ながらここまでじゃの、クロ。少々拍子抜けするが、終わりじゃ。付近で戦闘が起こっておる……思金がおるぞ」

 

イヅナが両手の手甲銃を、重量でたわみ切ったレッグホルスターに下げながら、決闘を終了させるような事を言い始めた。

今はそんな事より、三松猫を探すのが先だとでも言わんばかりだが、終わらせたいなら言葉が違うんじゃないか?

 

「イヅナ、喧嘩の終了の合図は覚えていますか?」

 

息を吸うと血の味がするから喋りたくはないけど、指摘しておこう。

覚えているなら口に出すといいし、覚えていないなら考えてみればいい。

あなたが何を口にしようと、変わらないんだから。

 

「……そうじゃのう。我らの喧嘩は、こう終わるんじゃったな」

 

喧嘩の記憶は残していた、か。

じゃあ、私も返してあげますよ。

最高の笑顔で、ね?

 

 

「もう、やめ――」

「やめませんよ、イヅナ! 私達の喧嘩が壱番勝負で終わった事なんてなかった!」

 

 

 

 

状況は――――五分五分だよ。

 

 

 

 

――パァン!

 

 

 

不可視の銃弾が1発だけ、陸上競技のスターターピストルとなって合図する。 

上体を倒したまま起こさず、目だけでイヅナを捉えて走る。

銃弾は私の右側に、真っ直ぐに、固い土の上――陽菜の足元に向かって放たれた。

 

飛ぶように迫る私をイヅナは笑顔で迎えているが、その防御態勢はあやふやで、笑った目に余裕の色はない。

この絶望的にも見える状況で、追い詰められた私が何をするのか分からないんだ。

 

だから今、彼女は防御を捨てて迎撃を選択したのだろう。

力で押さえつけて攻撃させなければいいのだと。

 

「助太刀致す!」

 

足元を撃たれた陽菜が他の2人よりも早く気を持ち直し、意識を私に向けた。

そして、側面から回り込もうとして間に合わないと悟ったのか、棒手裏剣を投擲する。

 

 

パァン!

 

 

それをくびきで撃ち落とす。

正面からぶつかり合って変形した銃弾と棒手裏剣は、陽菜の方へ押し戻されて地面に落ちた。

 

「なんと天晴れな技なり……」

 

陽菜は私を止められないと判断するや否や、再び体勢を地面スレスレまで下ろし、気配を消しにかかる。

またしても攻撃後の隙を狙うつもりだろうが、そうは問屋が卸しませんよ。

 

私が彼女の足元を撃ったのは、注意を向けさせる為だけではない。

そこには何があったか。いや、いたのか……

 

 

目の前では、腕2本を伸ばせば届きそうな距離で、イヅナが両腕を外側へ開くように振るった。

扇状に広がった衝撃の波が私を押し戻し、骨まで砕かんと猛威を奮う。

 

「クロよ! 来られるものなら来てみるが良い! 我のエネルギーを越えてのう!」

 

彼女としても、これを越えられたら確実な守り手を持たないのだ。

これまでで最も強大なエネルギーを込められた扇覇が視界の全てを侵し、向こうの景色を歪に見せる。

 

回避の手立てはない。

回避の成功率は0パーセント。

 

だって試行回数が0回なら、計算する必要もない。

避ける必要が無いのだ。

 

 

もう1度だけ言っておくと。

裏返した私は、勝つことを主眼に置いた

 

それが例え敵の攻撃だろうと、利用できるものは利用する。

それが例え自身を脅かす方法だろうと、勝つためには攻め続ける。

 

 

死ぬことだけは、絶対に許されないけどね。

 

 

両脚を大地から浮かせ、身体を丸めて全身の抵抗力をゼロにする。

そこに襲い掛かるのは現状のイヅナが使える100パーセントの力。

 

 

(お借りしますよ、あなたのこの力)

 

 

身に受けたその暴力の全てを、秋水で体中を素通りさせる様に体内で渦巻かせる。

初めの内は骨の軋む痛みが随所を襲ったが、途中からは完全に衝撃を余すことなく扱えているようだ。

 

取り込み切れなかった衝撃の一部によって、私は後方へ。

気配を断って、私の不意を打とうとしていた陽菜の所まで凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 

 

 

――ダダダダァーン!

 

 

 

さらに、私への注目度が最高潮に達したタイミングで、ドラムロールの代わりに連続した射撃音が響く。

4発の銃弾は私の前方に、真っ直ぐに、私の攻撃を未然に防いだことで安堵した……イヅナの防弾制服に向かって放たれた。

 

 

攻撃直後の彼女は――隙だらけだ!

 

 

「がふっ! ……ぐうぅ……、なんじゃ、と……?」

vier4発……」

「イヅ……っ!」

 

 

フィオナが決めた。

彼女の覚悟にはまいった、1本取られたよ。

 

陽菜の不意打ちを受けた時、フィオナは冷静に自力での打開は出来ないと判断していた。

存在感の隠蔽を図り、一時的に戦闘を離脱したのだ。

 

――自らの指先で触れた殺生石の力によって。

 

箱庭の宣戦の日、一菜のお守りはフィオナに預けていた。

食堂での作戦会議では、接近戦が弱点の彼女が狙われた際、危険ではあるが対策として利用するつもりだった。

こんな形で利用する事になるとは。

まさかまさか、この状況下であんな博打に出るような子じゃないと思ってたのにね。

 

倒れ込む彼女が妙に脱力していたのは、陽菜の術ではなく殺生石によるもの。

気絶の直前、フィオナの唇を読唇した。

 

Shoot me私を、撃って

 

提案されたのは痛みによる覚醒の手段。

一応、着弾の角度を浅めにとったものの、内出血になってるだろうな。

いやはや、肝が据わっているというか……後で謝ろう。

 

 

武偵はやられたらやり返す。

フィオナがやり返した今、次は私の番だ!

 

地面を何回転も転げ回り、天地が行ったり来たりを繰り返す中で、不明瞭な視覚情報を頼りに、思いっきり右足で踏み込む。

泥に踏み込んだかのように足が大地にめり込んで、空気を撫でるかのように手が制服の上に添えられた。

 

 

「『勾玉』ッ!」

「な、何故なにゆえ意識が飛ばず……うぐぅっ⁉」

 

 

 

勾玉で扇覇の衝撃を掌底の威力に変換させて、驚き姿勢を立たせてしまった陽菜の身体に打ち込んだ。

重力だけが勾玉の対象じゃない。

……それが分かった所で、活用の場面があるとも思えないものの、エネルギーの使い方は私だって十分心得てるつもりだよ。

 

そりゃ、あんな衝撃をまともに受けたら意識も吹っ飛ぶだろうけど、だからこそ受けないようにやり過ごしたんじゃないか。

オマケに、その力を最大限に利用させてもらったしね。

 

おはじきのように、私から衝撃を受け取った陽菜は数m滞空した先で意識を失った。

一般人なら命に係わるような光景だが、こと武偵に至っては騒ぎ立てる程の事じゃない。

 

 

後方には負傷したイヅナと前衛を失った槌野子、前方には意識を失った陽菜、左方向にはまだ何もしてない兎狗狸。

4発ぶち込まれた私とフィオナがそれぞれの敵を見据える。

 

 

「あれ? あっし、人数的にハブられてない?」

「イヅナ、あなたが警戒していた通り、私は大逆転をして見せましたよ?」

「……そのようじゃ。まさか殺生石と『衝波扇陣』――我の力が2人共に利用されるとは全く予想も付かなんだ。しかし、それで勝ったつもりかの?」

 

 

ああ、そうか。

喧嘩の終わりは違う言葉が必要だったね。

 

嫌な予感がするけど、乗ってあげるよイヅナ。

あなたも大概、負けず嫌いだからね。

 

 

「決闘は終了ですよ。さて、もう、やめ――」

「やめんぞ、勝負はまだ……着いておらんからの!」

 

 

読み通りの返し、からの予想外の反撃。

 

世界が一変した。

前後左右、茜色の空が見えていた上方も、一色の中に影もない、真っ白な布に包まれる。

 

 

前後不覚の無限蚊帳あっちこっちのかやまつり!」

「ッ!」

「クロさん!」

 

 

フィオナの叫びを最後に空間が切り替わるような感覚に襲われる。

さっきまで話していたイヅナもいない。

人の気配が消えた。

代わりに聞こえてくるのは――

 

 

【ぽっぽっぽ! お主さん達はあっしを軽んじていたようだね】

「……」

 

 

得意げに笑う兎狗狸の声だけ。

前に歩いてみると、ほどなく一反の純白な、絹の様に滑らかな肌触りの上質な布に行く手を遮られる。

厚みのある蚊帳を右手で暖簾をくぐる様に退かすと、その向こう側も真っ白な布に包まれた空間。

布で出来た小部屋と言ってしまっても過言ではない閉鎖感だ。

 

光量も一定、が、違う。

この布自体が、淡く発光しているぞ。

 

抜けた先も抜けた先も、前に進んでも後ろに戻っても。

スイッチの入った情報処理能力でも、右も左も、すでに分からなくなった。

認識力の問題じゃない、どこに進んでも進行方向は時の流れのように一定なのだ。

 

 

【どうかな、お主さーん? もうどうしていいか分からないでしょー? あっしの蚊帳は無限に続くからね!】

 

 

一々自慢っぽくしゃべるのにはイラっと来るが、自慢するに相応しい能力かもしれない。

時間稼ぎとして考えればかなり優秀だ。

 

これは確かに無限の迷路。

出口なんて用意されていないんだろう。

 

 

――――仕方ない、実力行使に出よう。

 

 

ビッ! ……ギ、ギ、ビィィイイイイ――

 

 

【ここはあっしが作り出した虚の重力圏内……ってぇ、なにやってんのー⁉】

「え、裂いたら出られないかなーって」

 

 

マニアゴナイフで裂いてみた。

が、その向こうにも同じ布がはためいているだけ。

 

 

【び、ビックリするなー、もう。虚の世界でそんな雑い行動をされると困っちゃうんだよー!】

 

 

怒っている以上に焦っている。

絹を裂いたような、っていうかまんま裂いた音が悲鳴のようにこだまして、空間全体が揺らぐ古びたゴンドラような不安定さを覚えた。

 

兎狗狸の言葉に偽りはなく、もっと迂闊な行動を蓄積させていけば、プツンと綱の切れた籠みたいに落ちて行きかねない。

本能的な警戒心がそれを察知した。

 

 

【いい? ここに入った時点で、お主さんは抜け出せないの! あっしは正一位の大大将、金長様の作り出した"永劫に虚と現実の彼処此処あこここを行き来する神宝"、『阿波金殿中アワカネノデンチュウ』を授か……えっと、今のは無しで。うえーっと……色々あって預かってる状況というかなんというか――】

 

 

勢いづいて説明をしようとしていたが、勝手に自慢話につなげようとして自滅、勝手に尻すぼみな語り口へと遷移していく。

結局何が言いたいんだ?

 

姿形も見えないし、しっかりと言い切って貰わないと会話が成立しないんだけど。

 

 

「で?」

【――いやでも、あっしもちょっと位認められて……で?】

「で? ここからはどうすれば出られるんですか?」

【ぽぽ! だーかーらーっ、出られないんだってば! 一人じゃ出られないのはあっしも一緒だけど】

 

 

ふむ、私を置いて1人では出られんとな?

どうしてだろ。

 

おしえてー、とくりせんせー。

 

 

――ビリィッ!

 

 

【あ、あ、あああーーーッ! また破ったでしょ! 嫌な音が聞こえたよ!?】

 

 

なんだ、こっちの動きは見えてないのか?

 

 

【行ったり来たりする時に、前後で質量は変わっちゃいけないの! あっちとこっちで質量に差が出ちゃうと、最悪、負の質量を持った空間がもう片側に漏れ出ちゃったりして、普段は極々微細の重力点が不安定に大きくなって超重力場が発生するから大惨事なんだよ!】

 

 

あれ、この子意外と頭が良いのか?

SFみたいなことを言い始めたぞ?

 

んーと?

つまり?

 

 

【だから代替品を入れ替えるように向こうに置いてきたの。でもでも、もし、片方だけがここを出ちゃうと、当然、双方の空間的質量に差が出ちゃうでしょ?】

 

 

なるほど、私と兎狗狸を足した質量と同等の物質が、この真っ白な世界から入れ替わりに送り込まれたわけだ。

もし私をここに置いて兎狗狸だけが帰った場合、その重力点とやらが超重力場――ブラックホールみたいなものか――を発生させてしまうと。

 

 

【あっしは岩に化ける時には周囲の物質を一時的に取り込んでるんだけど、お主さんはその周囲の物質に該当するいわばあっしの装備品みたいな……】

 

 

ああっと、私が大人しく聞いていたから調子づいてきたね。

岩じゃなくて苔石だし、誇張表現しすぎ。

 

んじゃま、そろそろお暇しますか。

決闘の最中ですし、ここでのんびりと己を見つめ直す機会を持つつもりはない。

 

 

「兎狗狸やーい」

【――こんなに頑張ってるあっしを、うっ、うっ。玉藻様はおろかイヅも……ん? どうしたの? あ、お茶飲む? いいよいいよ、生物の質量が変わる分くらいはあっしが計算してあげるよ。木の葉十数枚を混ぜ合わせておけば上手く行くもんだからさ!】

 

 

雑いなぁ……ほんとに帰れるのかな、この子と一緒に……………

 

 

「いえ、お構いなく。さっきそこの布を裂いてみたら帰れそうな道を見付けましたから」

【……ぽっ?】

「先に戻っていますから、あなたもイヅナに怒られない内に帰った方がいいですよ」

【ぽっぽぽん!? え、ちょお、待って! 勝手なことすると本当に危険なんだって……】

 

 

………………

 

 

【え? うそ? 本当の本当? う、えっえぃ? お主さーん! ど、どこに行ったのー!?】

 

 

………………

 

 

【ぽ、ぽぽぽ! ぽぽぽぽーッ!! イヅー! ごめんなさーいッ! すぐに戻るから、逃げてぇ~ッ!!】

 

 

 

(白い布が昇っていく。あの布の発生源はあそこに飛翔してる赤色の半纏だったのか)

 

貰い物なら全てを把握していないだろうと踏んで騙してみたけど、上手くいったようだ。

 

結局、揺れるゴンドラから降車しただけで、重力場を通って移動したという感覚は湧かない。

それ自体が強力な幻覚による異常な現象なのかもしれないな。

 

なんにせよ、平気なフリをしていたが、あの中にいる間は生きた心地はしなかった。

あの世とこの世の通過点、その一端を垣間見た様な気がして、未だ全身を駆け巡る悪寒が抜け切らず、肌が粟立つような気味の悪さが心を侵食している。

 

 

「"イヅーッ! ごめんなさーいッ!"」

「"ぬぉおう!? 兎狗狸よ、いくら何でも戻るのが早過がぼぁッ!"」

 

「フィオナ!」

「お帰りなさい……クロさん。しっかりと耐え抜きましたよ、一菜さんの攻撃を……」

 

 

泥だらけで、ガチガチの笑顔で出迎えてくれたのは、フィオナだ。

向こうの時間とこっちの時間に大きなずれは無さそうだが、だとすれば接近戦の全く出来ない彼女がイヅナと……おそらく準備の整った槌野子の総攻撃を耐えたという事になる。

 

確かにイヅナは負傷していたが、あの頑丈で精神力の塊みたいな奴がそうそう弱みを見せるとも思えない。

一体、どんな手を使ったんだ?

 

 

「驚きましたよ。通信空手でも始めていたんですか?」

「カラテ……とは、東洋武術でしたか。やっていませんよ、そんなもの」

「じゃあ、どうやって……」

 

 

イヅナの攻撃を、と言い掛けてフィオナに抱き掛かる様に跳んで回避する。

 

反射ではなく、感覚で跳んだ。

そうでなければ間に合わなかった。

地面から煙が上がり、少しだけ色も濃くなったように見えるのは……この焦げ臭さから、熱量による攻撃の仕業だと分かる。

 

となれば、その狙撃を行ったのは1人しかいない。

 

 

『なぜ、避けられたの?』

 

 

槌野子は何も発言をしないが、首を傾げる挙動は私達と同じ意味合いを持っていそうだ。

なぜ、私が避けられたのか、それが不思議なんだろう。

だって私も分かんないし。

 

それより、フィオナ。

私が兎狗狸とショートコントしている間に、またミルクチョコでも食べたの?

匂いだけで口の中がすっごい甘ったるいんだけど。

 

 

「彼女はずっと、あなたが戻ってきた瞬間を撃つ為に狙いを定めていました」

「……それなら、今のが彼女の第一射なんですね?」

 

 

どこまで警戒してるんだよ、イヅナは。

 

実際に脱出して来ておいておかしい話だが、虚の世界とやらに迎え入れられたら戻って来ないだろう。

その間にフィオナを……って魂胆だったんだろうけど、それでも槌野子を私の監視と迎撃に回したのか。

 

 

「フィオナ、狙撃手として、彼女の弱点に予測は付きませんか?」

「排莢の必要なし、弾倉の交換の必要なし、風の考慮も弾道計算の必要もなし。あれを武器にしている時点で普通ではありませんが、狙撃手として可能性の弱点を挙げるなら接近戦くらいでしょうか」

「やっぱり接近するしかないか……」

 

 

弱点はありませんか、なんて無茶ぶりだったか、うん。

両目を閉じたまま、望遠鏡越しにこっちを見ている小さな少女は、それ自体が武装

 

日中に浴びた太陽光を体内に熱エネルギーとして蓄積させているらしく、目を開くと照射。

照射線を限りなく細くしていくことで超高熱の光学兵器並の威力を出せるそうだ。

未知なる脅威への対策として実験体に、そして代替として視力を失ったが、彼女曰く一石二鳥との話。

視力を失う事が一石二鳥っておかしな話だよ。

 

 

……ん?

目が見えないのにどうやって狙撃してるんだ?

 

 

謎が謎を呼ぶ生態だが、そもそも超常生物の体内なんて誰に聞いても分からんだろう。

結果、答えはこうなる。接近戦しかない、と。

 

そうなれば、障害は大きい。

でっかい岩が、こっちを見ているのだ。

 

 

「兎狗狸よ、下がっておれ。殿中も大分消耗しておろう。陽菜は無事じゃな?」

「うっ、うっ、うっ。無事だよ、『不覚にござる……』とか言ってたもん……」

「手遅れとなる前に三松を探してまいれ」

「……うん、分かった、あっしさんしょを探す。だから、イヅ……」

「言うたであろう、案ずるなと。苔石が我の代わりに仲間を探して来る、それ故に、我は憂いなく戦えるのじゃ」

「うん……うん! あっしは兎・狗・狸だよイヅ! 行ってきまーす!」

 

 

親子岩から子岩が離れて疾駆する。

親岩はまだ、動かない。

その場所から、動かない。

あいつは頑固だからな、岩みたいに。

 

それに、なんだよ兎狗狸の前だからってカッコつけちゃって。

私には弱々しく甘えて来たくせにー……記憶はフィオナの持つ御守りの中だけど。

 

 

「血の味じゃ、我が討たれたあの戦を思い出すの」

「『扇覇』ですか?」

「ほっほっげほぉッ!」

 

 

私とお揃い。

口の端からへったくそな口紅みたいな、赤い化粧が流れちゃってますよ。

 

どちらがどちらもこの2人の間の空間が煩わしくて、歩み寄る。

つい先刻、吹っ飛ばされたばかりの腕2本分の距離まで。

この距離が、今の私達の距離。

 

 

「やれやれじゃ、クロに1本取られたと思っておれば、フィオナにも1本取られてしもうた」

「やれやれですね、今更じゃないですか。今まで一緒に居て、私が何本取られてきたと思ってるんです?」

 

 

笑えて来ちゃうよね、互いに血反吐吐いてさ。

それでも意思と意思とのぶつかり合いは続いてる。

 

でも、納得してないもんね。

私はまだ、イヅナに一撃も返してないんだからさ!

 

無理かもしれない。

私とイヅナがぶつかり合っても、どっちも割れない。

それでも、一発は返さないと気が済まないんだ。

 

 

「フィオナ」『槌野子よ』

 

 

イヅナは思念で槌野子に話し掛けながら、小さく復唱するように、同じ考えの内容を口に出している。

ここでもまた、彼女と繋がれている気がして嬉しくなった。

 

 

「最後は私とイヅナで」『大将戦で決めようかの』

「そんな……接近戦を挑むつもりですか?ダメです!撃ってでも止めます!」

 

 

 

止めて!

 

イヅナも何を言われたんだか、激しく顔が引きつってるし。

後衛のお2人さんは納得がいかないみたい。

 

違う違う、イヅナはそういうつもりだったかも知れないけど、私は違うからね?

後ろから撃たないでね、フィオナさん。

 

 

『止めんか!クロは其様な事を考えておるかもしれんが我は違うのじゃ!』

 

 

おい、そこのケモミミ黄茶髪。

人に罪をなすり付けようとしてるんじゃないぞ?

 

 

「互いに前衛を倒した方が勝ちって事で」『クロならば多少の穴が空いたところで問題あるまい』

 

 

おい、そこの金毛尻尾ヤロウ。

黙って聞いてりゃ、人の身体を何だと思ってんだよ。

 

 

「なるほど、先に代表戦士を下したチームの勝利と」

 

 

ちょ、向こうの狙撃手も頷いた! 穴開ける気!?

調節して火傷くらいに収めてもらえると嬉しいんだけど。

 

 

イヅナが2丁の手甲銃を手に取った。

空はもう夕日が沈みかけ、ローマは紫色の夜空へと変わって行く。

その中でも、イヅナの茜色の双眸はその色が夜空に浮かぶストロベリームーンのように妖艶で、惹き付けて離さない。

 

 

……ドクンッ

 

 

この感覚は……?

 

おかしいぞ、もし私の実験データと過去の前例による仮説が正しいなら。

今、この場でこの状態に成れるのはおかしいんだ。

 

だってこのヒステリア・セルヴィーレの発動条件には、"守る、守られるの関係性"もしくは"絶対の依存性"が必要なはずだから。

 

今のイヅナが私に助けを求めることはない。

でも、この全身を麻痺させるような甘くて、ほろ苦い、どこか野性味のある私を翻弄してやまないこの香りは……

 

 

――一菜のものだ!

 

 

イヅナが似ているから――その芯の強い瞳が、そのキュートなダブルテールが、その金色の稲穂の様なフワフワの両耳が――一菜を呼び起こした。

 

波が立ったのだ。

救いを求める心を探し当てた、私自身の意識によって。

 

そうか、そこで見ててくれたのか、一菜。

ずっと、チームのメンバーとして……隣に居てくれた。

 

 

動けば、始まる。

始まれば、終わる。

終われば、決まる。

 

 

私の簡単スリーステップだ。

決めてやるよ、一菜。

あなたをまた、チームへと迎え入れる為に!

 

 

「フィオナ! 私を守る、仲間の力を下さい!」

「クロさんを守る……仲間…………ッ! はい、今すぐに、撃ち届けます!」

 

 

 

――動く。

 

 

 

私が動き出したのに少し遅れて、焦ったイヅナが左腕で扇覇を振り上げようとするが……

 

「その技はお腹いっぱいですよイヅナ!」

 

その左腕の動きを上から押さえるように右腕を振り下ろした。

移動距離がある分、私の手は届かない、間に合わない。

 

そして、今回はフラヴィアの時とは違う。

あいつの暴力を止める力が私にはない。止められない。

 

 

 

ダァーンッ!

ビシュンッ!

 

 

 

さらに逡巡の後に狙いを定めたフィオナの一発と、知覚不可能な恐ろしい速度で迫る槌野子の光線が双方、私の右手の表裏に衝突して真っ赤な茜色の花と真っ白で小さな茜草の花を弾けさせた。

 

熱くて痛いけど、大火傷で済んでる。

レーザー治療みたいに切除じゃなくて焼き入れ状態で、貫通はしてないみたい。

それでも普通は反射的に手を引きそうだけど、引いてたまるかってんだ!

 

 

受けた、受け止めたぞ!

私の本当の仲間達の力と、思い!

 

 

質量の無い槌野子の光線は手の甲の肌を焼いたが、掌に当たったフィオナの質量を持った一発が押し勝つ。伸ばした腕を前方へと加速させた。

一気に距離が縮み、一瞬だけ浮いた両脚もすぐに大地を踏み締める。

 

 

――動けば、始まる。

 

 

「お、愚かな真似をするものよ、血迷ったか、クロ!」

「間に合わなきゃ、またあなたは私を突き離そうとする! それを防いだだけですよ!」

 

 

――――ドクンドクンッ!

 

 

来たぞ、大波が!

一菜が――私の右手に抱かれた、一途で、魅惑的で、大好きな少女が!

 

窓枠を、ぶち破って、私の中に流れ込んできた。

大波小波が間断なく、私の心目掛けて一直線に、引き波すらも押し返して、迫る。迫る。

重力を損ない、横向きになった瀑布が止まることを考慮していない速度で到達した。

 

息も出来ないのに、苦しくない。

呑まれているのに、意識が覚醒する。

この激しい感情表現は彼女そのもので、人の迷惑も考えない超アクティブな抱擁を思わせるのだ。

 

だから、波の全てを私も包んでいく。

雫の一滴たりとも手放さないように、この気持ちを伝える為に。

 

 

 

「一生そばにいると約束した。だから、あなたはそばに居てくれたんだね」

 

『とーぜんでしょ? クロちゃんはすぐに無茶するんだから』

 

「一菜には言われたくないかな。お願いだから、私の前では自分を傷付けるようなことはしないで欲しい……分かってくれるね、一菜?」

 

『う、うぐ、そ、そんな言い聞かせみたいなことされたってあたしは……』

 

「目を逸らさないで、一菜。寂しくて、私が消えてしまいそうになるよ」

 

『え、消え、消えちゃだめだよ! クロちゃ――』

 

「そう、それで良いんだ、一菜。一菜は私の事だけを見ていればいい。一菜の敵はなんだって、私が吹き飛ばしてあげるから。一菜はただ、私の隣で、笑っていてくれればいいんだよ」

 

『あ、あふ、ふわぁぁ……ぎ、ぎぶ…………腰に力が、入らな――』

 

「ふふ、初心だ。どうか、可愛い一菜のままでいておくれ。いつまでも瑞々しく、赤く甘く熟れて行くあなたを、一生愛でていたいんだ」

 

『か、かか……いっしょ……ッ!!』

 

「戦うのは、意地になった頑固者同士だけでいい。一菜、あなたは最後の、あなただけの役割を果たしておくれ」

 

『あ、みゅ、う、んっ…! うん……っ! 分かった、クロちゃんに任せる、信じてるから。ずっと――っ!』

 

 

 

 

 

視界が波の奔流を見失い、1人の少女を収めた。

目の前にいるのはイヅナ、もう一人の一菜だ。

 

それなら、傷付ける訳にはいかないかな?

 

 

「なぜじゃ、なぜ、我の力が止められ……! いつの間にッ!」

「気付いたかい? ま、それも当たり前か、だって殺生石はあなたの力なんだからね」

 

 

今、私とイヅナは手を繋いだ。

仲介役は右手に受け止めた御守り、かな?

 

 

イヅナの手首をすっと撫でると、滑り落ちるように左手の手甲銃が落下した。

そこへ、ダンスパートナーの交代時間を待っていた私の右手が滑り込んで――いわゆる恋人繋ぎで、つかまえる。

 

 

「おのれ、何故クロが持っておるのじゃ!」

「おや、忘れちゃったのかい? あなたが私と愛を誓う為に差し出してくれたんじゃないか」

「"わわわ、わいはぁッ!? そ、そそそ、そったらえふりこぎな事ばりへってればせ、我もじゃわめいでまう……!"」

 

 

ふむ、どこの方言だったかな?

確か星伽神社の来客様に同じような話し方の人がいた様な……?

 

 

「"ん? 何て言ったんだい?"」

「知らぬわ、この戯けもんがッ! 終わらんぞ、まだ、我は負けてはおらん!」

 

 

答えのないままに、彼女の右腕が顔面へ殴打を仕掛けて来る。

 

でも、もう離さないよイヅナ。この手と手は、ね?

 

自然な形でイヅナの鼻先まで近づけていた顔を軽く引いて拳を、そのまま上半身まで反らせて衝撃波も避けてみせる。手を繋いだまま。

 

 

「ダンスは慣れてるかい、イヅナ?」

「舐めくさりおってぇ~……」

 

 

イヅナの腕を引き、合気道の要領で反抗的な暴威を導いていく。

彼女自身の力で、彼女の攻撃が舞の如く苛烈で絢爛な動きとなる様に、その攻撃を決められた立ち回りで踊る様に避けていった。

 

狙撃手はどちらも動かない。

2人の舞人が激しく優雅に表と裏を繰り返し、射線を絞らせない。

この舞台の成り行きを静かに見守り、その瞬間を、息を止めて待っている。

 

 

「貴様ぁ……根競べのつもりか? 我の生体エネルギーと真っ向から挑もうなどと……」

「うーん、流石イヅナだ。無理があったね、足元も覚束なくなってきたよ」

「……手を離すか?」

「名残惜しいかい? それは、あなた次第かな」

 

 

一拍あったな。

声のトーンも微妙に落ちた。

 

だったら、私だけがバテてるなんて情けないや。

一菜もまた、私の代わりにエネルギーを注いでくれているのだし、もうちょっと、舞踊のリードを務めさせて頂こう。

動きを止めたら、お客様槌野子に撃たれるしね。

 

 

良し、折角の舞楽だ。

今回も1つ、決め歌を作ろう。

 

 

 

 

 

あかねさし

  てれりほゝこゝ

      はいがいの>

 

ちしあいのて

    めぐるひとなり>

 

 

 

 

 

イヅナ、あなたにはこの短歌を送るよ。

純情で、素直じゃないあなたにピッタリだと思う。

だから、争いはここまで。これで終わり。

あなたが諦めるその結末で、ね?

 

 

 

「『茜拍邏センピョウラ』――――」

 

 

 

伴奏も手拍子も無い2人だけの社交ダンスは僭越ながら私がリードを取らせて頂いた。

向かい合って組み合う基本の姿勢のまま、平原を跳ねまわる2匹の獣のように、1秒間に何度も何度もステップを刻む。

 

右手が熱い。

殺生石が活性化しているのだ。

額を流れる汗が大きな粒になり、熱に浮かされた体がステップを踏み違えそうになる。

 

 

無数の足跡が地を奔り、演目はアップテンポなクイックリズムから徐々にスローペースに変遷した。

示し合わせなど必要ない。

息の合ったパートナーは私のリードに抵抗せず、為すがままに反転する。

 

 

――数分の間に何度ひっくり返っただろう。

イヅナの息遣いに明らかな異常が現れ始めた。

 

「何が……一菜さんに何が起こっているんですか……?」

 

彼女の動きが鋭さを失い、遂にはダンスパートナーである私に付いて来られず、足裏を地面と摩擦させ始めたのだ。

 

 

「……はぁ、はぁ……。クロ……なぜじゃ、はぁはぁ……なぜ……平気な顔を、して……」

「ねえ、イヅナ。あなたは完全に息を止めた状態、全速力で何分走れるのかな?」

「何の……はぁ、話……くっ、苦しい、はぁ、息が――ッ!」

 

 

クンッ!

 

 

イヅナが酸素を求め、息を吸おうとするタイミング。

そこで彼女の力を彼女自身の意思で全力で放たせる。

繋いだ右手を瞬間的に握り締め、力んだ彼女の身体が反射的な防衛行動を起こすように仕向けていた。

 

認識の範囲外で、気付かれないように意識を誘導しているのだ。

気配を限りなく薄くし、接近しておいた私の身体を押し退けるように。

 

 

ヒュボウゥッ!

 

 

攻撃の来る箇所は単純明快。

彼女に最も近付いた私の体の一部。

全力ダッシュのようなダンスで疲れ切った彼女は、遠い場所や私の体幹まで腕を伸ばすことを躊躇う。

 

 

無酸素状態では、どれだけエネルギーが作り出せる器官が発達していようと、それを成すための燃焼を行う事が出来ない。

そして、今、あなたはその酸素を失いつつあるのだ。

 

目の焦点も的を離れ、僅かに宙を舞い始める。

私を捉えられなくなって来た。

 

静止させない。

躍らせる、彼女の意思で。

 

体を倒させない。

立たせる、彼女の力で。

 

 

ポス……ポス………

 

 

弱々しい、少女並み力で振るわれた鉄槌打ちは……ほんの小さな子供と変わらない。

それ以前に、立つのが辛過ぎて寄っ掛かって来ているね。

 

 

「はぁ、はぁ……クロ、ぉ…………」

「失神する前に、負けを認めるべきだよ」

「……いかぬ……はぁ、いかん……はぁ、のじゃ……」

 

 

頑固だ。

ここで。ここに来て、その手札を切ろうっていうのか。

 

 

「止めておくんだ。今のあなたでは、『殺生球陣』には耐えられないだろう?」

「試さねば……分からぬ!」

 

 

……全く。

カナの気持ちが良く分かったよ。

 

イヅナこの子は本当の大バカもんだ。

 

 

「イヅナ!」

 

 

本当にバカ一直線だ。

バカバカ村のチャンピオンだ。

 

 

――だから放っておけないんだよ。

 

 

叱責の声は、確実に彼女の動きを止めた。

私は姉さんとは違うから、その一瞬で充分。

長ったらしい説教なんて、出来ないんだからね。

 

 

窓枠から手を引き抜く。

これくらい、自分だけの力で、やらせてもらうよ!

覚悟しいや!イヅナ!

 

 

 

――始まれば、終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"この、あほんだらがぁーーーーッ!!"」

「ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ゴッチィインッ!

 

 

 

 

 

 

最後の一撃は……岩をも砕く、私の意思だ!

 

 

 

頭が離れ、ふらつく。

もう、私も気力の限界だった。

 

一菜の援護があったとはいえ、殺生石に触り続けていたのだ。無理もない。

イヅナの方も目をグルグル回してるからね……ってぇ! ととといっ!

 

 

ドシャッ! ズシャッ!

 

 

 

――終わったのに、決まらない。

 

 

 

(あー、決まんないなぁ~私って……)

 

倒れゆく一菜の右腕を引く力に連れ立たれて、固い地面にこんばんは。

痛みもぼんやりとしか感じないが、1つ確かに感じていることがある。

 

 

「クロぉ~~……まだぁ~、負けておらんぞぉ~~……」

「まだ言いますか」

 

 

戯言のうわ言。意識はない。

ほら、流石の一菜さんも、本体たるあなたの姿を見て苦笑いしてますよ、きっと。

 

繋がれた架け橋は、離れなかった。

記憶を封じた彼女の心の最奥部では、彼女は私を信じてくれたのだ。

 

 

『あなた次第』、その言葉を信じて。

 

 

「クロさん!」

「イヅッ!」

 

 

武装解除をしたフィオナと、武装放棄した槌野子……あの子走るのおっそ……が駆け向かってきた。

 

なんて顔してるんですかフィオナ。

泣いてから、怒ってから、笑ったような、ごちゃごちゃになっちゃってますよ?

 

そう言って場を和ませようとしたのだが……

 

 

「フィオ――」

「馬鹿です! お2人共、やっぱりバカでした! 無茶しすぎなんですよ、いつもいつも! 後衛の私が、どんな気持ちで戦場を眺めているのか知って欲しいくらいです!」

 

 

 

ペソッ!

 

 

 

叩かれた。

心配して怒っても、相手の容態を鑑看てから勢いを弱めるあたり、理性的だなぁ……

元気だったら狙撃されてるところだけどね。

 

 

 

ペソォッ!

 

 

 

あ、イヅナも叩かれた。

私のより強めじゃない?

え、私判定負けっすか?

 

「でも、良かったです。一菜さんも……無事ではないですが、頑丈ですから――」

 

泣き顔と怒り顔が消えた彼女の顔には、翻然として呆れと……恐怖の表情が浮かべられる。

槌野子もいつしか脚を止めて、空を見上げていた。

 

私が感じていた、嫌な予感。

このカンは外れてくれない。どんな時でも。

 

 

赤味を失い、紫色から黒く変わってしまった空。

 

夕日が沈んだ。

空は夜一色。

 

ローマ郊外のこの場所では、電灯のない平原が点在し、ここもその1つ。闇が支配する世界。

そこには……ローマで3度目の双子の満月が、浮かんでいる。

 

 

「あらまあ、本当に良かったわ、クロ。まずは覇道の初勝利、おめでとう」

 

パチパチパチ……

 

 

頭突いて震える脳内に響く、金属音の様な甲高い声。

掌を打つ音に重なった、コイン同士を当て合うリィーンと鈴なる音。

キンキンと痛みが増すようだからやめて欲しい。

 

 

お願い、かえって。

 

 

意地でも目を合わせようとしない私へと、何が気に入ったんだか笑みを深くしたビアンコの肌の少女は熱い視線を送ってくる。

 

勘弁してつかぁーさい……

 

 

「やっと。そう、やっと見つけられたの。紋章が完全に消えてから、あなたを探すのがとても大変になってしまったもの。ねぇ、また刻んでもいいかしら? だって、会いたい時に会えないなんて、私、耐えられないわ」

 

 

恋人同士みたいなことを言いやがって。

普通恋人の身体に金属製のGPSは埋め込みません。

どこのサイコパスだよお前は。

 

 

しかし、どんなに発言がぶっ飛んでいようと、彼女の存在感はそれに違和感を抱かせない。

彼女の言葉が正しいと、恐れた本能が弱肉強食の最上位に平伏するのだ。

 

満身創痍の身体でも、それでも彼女の誘惑はその人を動かす力がある。

闇色の翼がはためいて、地上に……降り立った。

 

 

『もう、やめる?』――

 

ああ、誰か、私にその言葉を掛けてくれないものだろうか…………

黒金の戦姉妹34話 茜空の決闘

茜空の決闘マダーレッド・デュエル

 

 

「まだですか?」

「ふむ、よもや此様な事態になるとはの……」

 

 

だだっ広い草原の中、4つの人影が2対2に分かれて相談をするように向かい合う事15分。

全方位を1辺100mも無い正方形の柵に囲まれた場所にて、2つの派閥は割と深刻な問題を共有しているのだ。

 

その内容は『この辺の植物は枯れちゃって土が露出してますね』なんて環境問題を取り上げた物でも、『柵の向こうは草ボーボー伸び放題ですね』なんて管理者責任問題に発展する様な物でもなく、単純に今から行うイベントの参加者が不足しているという目先の話。

 

3人足りない。

流石にこれは偶然とは考え辛いぞ。

 

間違いなく、何者かが裏で動いている。

私達に友好的な誰か、はたまた日本に敵対するどこか。

 

「ヒナさんが遅刻するなんて考えられません。彼女の身に何かがあった筈です!」

 

公明正大を掲げるフィオナは敵ながら交友のある陽菜に対しても正当な評価を下していて、これから戦う相手の身を案じてすらいる。

 

その頭にバスクベレーはなく、代わりに灰白色の触覚が1束、天に向かって聳立していた。

毎日女子寮を出発する時には被り物で圧し潰されているだろうに、あの軍属の兵隊の様な見事なまでの姿勢の良さは、並の根性では成し得ないな。

何という不屈の精神!

 

それで、なぜ普段から隠している……ぶっちゃけるとアホ毛を外界に解き放っているかと言うと、あれが彼女の狙撃能力――特に遠距離狙撃と速射には必須な身体的特徴だからだ。

 

決闘が始まる前から慣らせる目的で帽子を外しているが、風で揺れ動く度に極わずかなディレイを置かぬまま、彼女の目が痛ましく細められている。

今も、先端の反りがほんの少し右へ会釈程度に傾けただけで、連動する表情が微かに変化した。

 

「兎狗狸と三松も、時間を決めれば、守る奴ら。思念も届かない。イヅ、あなたの予想通り」

 

両の目を横一文字に閉じた、白髪で小学生並みの身長しかない少女は、この肌寒い気候でも半たこと素肌にさらしを巻き、その上にいつ時代の服だよという感じの干し草で編まれた法被を羽織って、頭には小さな山伏の頭巾がチョコンと載せられている。

ふむ?あの子の頭の上にもアホ毛が隠されていたりして……なんちゃってね。

 

 

「さもありなん。これだからクロとは諍いを起こしとう無かったのじゃ。如何にして我は決闘などと言う方法に思い至ったのやら」

「ちょっと! 私のせいですか⁉ 言い掛かりにも限度ってもんが――」

 

~~~♪

 

電話だ。

ポップなこの曲、昨日CMで流れてたな。

 

聞こえてくるのは前方、と言うより目の前。

相変わらず流行に敏感だよね、一菜は。喋り方のイメージとかけ離れてるよ。

 

 

「あ、どうぞ。先に出てください」

「すまぬな、陽菜じゃ。"――おうい、陽菜よ! 遅れ馳せるとは何業なる理由かぁ! ちいとばかり心配したじゃろうが!"」

 

 

怒ってる……のには違いないようだが、口調が荒いだけで攻め立てるような声色ではない。

ってか、二言目には迷子ちゃんの親みたいなこと言い出したし、日本のリーダーらしいけど完全に保護者目線だよね。

 

「"ん?なんじゃ、言いたいことがあるなら――そ、それはまことか⁉ ならば致し方なし、今日は帰って安静にするのじゃ。――うむ、構わぬ。我に任せておくが良い。――うむ、ではの"……ふむ、そうか」

 

なんかうんうん唸って1人で納得してる。

受け答えを聞いた感じだと来れなさそうなんだけど、陽菜はどうしたんだろ?

 

「ヒナさんは何と言っていたんですか?」

 

日本語が分からないフィオナが一菜に説明を求め、私も気になっていたからうんうんと首を振って尋ねてみる。

特に秘匿事項も含まれていないようで、一菜も快く説明をしてくれた所によると……

 

 

「陽菜は拾い食いの後に保健室へ向かったそうじゃ」

 

 

ひっどい!

 

予想をしていたその数倍、酷い理由だ。

んで、あんたはそれで納得するんかい!

 

そんなに飢えていたの?あの子。

それとも大好きなタリオリーニアラピアストラサンドウィッチ――要するにただの焼きそばパン――が道端にでも落ちてたのかな?

 

 

「あ、ありえ、ない……で、です……」

 

 

自信無いんかい。

 

いつも正当な評価を下す彼女が明確な答えを下せていない。

きっとそこには友情が壁となって、親愛なる友の威信を守ろうと必死に立ちはだかっているのだろう。

 

そんなに悪食のイメージが無いのは私だけ?

それとも大好物のタリオリーニ(略)サンドウィッチ――しかしただの焼きそばパン――が枝からぶら下がってたのかな?

 

 

「罠に、掛かったのかも」

 

 

遠回しにあんたも認めるんかい。

 

目を閉じたままでメンタリズム的に心は読めない。

淡々とした口調で話すものだからそこも感情は感じ取れないけど、それって絶対パンに釣られた彼女を想像してるよね?

 

敵がいるようなことを仄めかして『くっ、策士か……っ!』みたいな話に持って行ってるけど、つまりは拾い食いを認める形だよね?

それともタ(略)ッチ――如何なる名称を得ようとも結局の所ただの焼きそばパン――を使えば彼女を容易に謀れるの?

 

 

三者一様の反応を示したことに戸惑いそうになったが、可哀想だねとピリオドを付けておく。

今度お見舞いに、ヤージャの店の絶品焼きそばパンを買って行ってあげよう。

 

着目すべきは、私が苦手な搦め手戦法を主体とする陽菜が欠員になるのであれば、勝率は数十パーセント上がった点。

……無論、兎狗狸と三松猫が接近戦を出来ないことが前提の概算ではあるが。

 

 

「理由はどうでもよい。つまりは、この決闘に陽菜は来られぬ、という事じゃ」

「良いんですか、そんなにさらっと欠員を流してしまって。数は力、強い力は多数と同義、まとめて束ねた数は掛け算ですよ。陽菜が抜けた戦略の穴は大きいでしょう?」

 

 

一菜は「尤もだ」と返し、しかし「それがどうした」と言いたげにフンと鼻を鳴らした。

 

いざ戦闘が始まれば負けはないと誇張し、私達を見下しているみたいだ。

このチクチクと喧嘩を売ってくる感じはまんま出会った頃の彼女とそっくりで、あの頃の煮えたぎる敗北の悔しさが私の神経を逆撫でする。

 

日が落ち始め、見る見るうちに色が変わって行く茜色の空を見ていると、焦燥感が増幅して時間の経過を早く感じてしまう。

待機しているだけなのに苦痛を覚えるのは時間に追われる日本で暮らしていた名残みたい。

 

もうこれ以上待たされるのは精神的にも辛いし、まだ2人も来てないけど、そっちがその気なら今すぐにだって始めても良いんだからな?

 

 

「しかし、兎狗狸の奴め、我が愛弟子と可愛がっておれば付け上がりおってからに……」

「イヅ、その認識は変。兎狗狸、イヅの鬼の説教に、いつも怯えてる」

「そうかの? 最近はかなり手加減してやっておるのじゃが」

 

 

その会話の最後に、槌野子の法被の背面側、丁度人間の尾てい骨がある位置がちょっとだけムクッと膨らみ、常時前後左右にユラユラと揺れる風鈴の様な動作もピタッと止まる。

ビックリ……してるのか、あれは?

 

彼女は意外と感情豊かなのかもしれない。

無表情で眉一つ、口の端を動かすこともしないが、その代わりに衣服の中に仕舞われた尻尾や、挙動へと顕著に表れている。

 

これは戦いの中でも有用な情報かもしれないぞ。

感情を隠すのも技術の一つとして扱われるように、感情の読み合いに勝つだけで有利になる局面がある。

焦った時、怒った時には感情の昂ぶりによって行動が精細を欠いたり、思考が一辺倒になり易く、相手がその状態に陥ったと知ることが出来れば駆け引きを一方的に掌握できるのだ。

 

トロヤの翼みたいに分かり易い特徴があれば苦は無いのだが、ヒトの癖を見るのは武偵の基礎、見せないのは基礎の基礎。

なるほど、全てを信じてはいないが年齢は私より圧倒的に長生きらしい日本代表の共通の弱点。

それは自身の経験に頼り切った自信の傍らで欠如している基礎の無さかもしれない。

 

彼女達の生み出してきた技術の数々は、一見太刀打ち出来ない激甚な力を発揮する。

しかし、それと同等以上のものを無力な人間は長い年月をかけて作り上げて来た。

目的を達成させるために新たな技術を作り出すのは間違いではないが、基礎から順序良く組み立てて行けば必要な労力は少なくて済むものだ。

 

風圧で地面を破壊したからと、勝ち目がないなんて諦める必要はない。

基礎を組み上げる……力と技術を組み合わせれば、彼女達の領域に届くことも可能なのだから。

 

「フィオナ、あなたがどう思うのかは分かりませんが、私はこの状態で決闘を始めたいと思っています。異存があれば聞きますよ」

 

正義の味方は卑怯なことをしないだろうし、フィオナの正義像は私の想像よりも余程崇高な人間。準備が整わない相手を攻撃するのはダメですとか言われちゃいそうだ。

私の正義像、カナなら相手を待ったりしないけどね。

武偵の世界では準備の出来ていない方が悪い。

 

「異存ありません。私は武偵ですから、ターゲットの用意が出来ていないからという理由で射線をずらすようなことはしないですよ」

 

と、ここには柔軟な発想をもってくれたな。

気に掛かったのは『私は』と意図的にか無意識にか区別したように聞こえた部分だけど、気が立ってて敏感になっただけかもしれない。

 

一菜の事となると私は少しだけ精神のコントロールを失いやすい。

喧嘩ばっかりしてたから、ある種イノシシが赤い色に興奮するみたいに、一菜イコール闘争心の数式が適用されているのか?

 

しかし、今は考えるな。

考えれば考える程ドツボにはまる、答えの出ない問いなんてそんなもんなんだからな。

 

 

 

一菜との戦いが、始まる。

波が……荒れる。

 

 

 

「そういうわけだし、どうする、一菜? もう、始めない?」

「……久しく見なかった顔じゃ、最後に見たのは一月と七日前かの? 我はその採れたてのイチゴの様に瑞々しく潤む目が……熟れた濃厚なイチゴの様に意思が凝縮された瞳が……大好きじゃ、クロ」

 

 

 

一菜の熱情が込められ燃え盛るような赤い瞳が、悦びを糧とすることでさらに見開かれる。

彼女が言うように、私の瞳に意思が凝縮されているというのなら、彼女の大きく開かれた両目からは激しい感情が止め処なく、地平線の彼方の夕陽のように茜色の煌きを思わせる眩い光として放たれていた。

 

コキコキと鳴らされた両手がレッグホルスターに……合わせて12kgの鈍器となる手甲銃に伸びる。

どうやら、荒れているのは私の方だけではないようだ。

 

そりゃそうか、あの頃の喧嘩とは違う。

この草原で巻き起こされるのは真剣勝負であり、意思と意思とのぶつかり合い。

彼女はもう、私の記憶の大半も、仕舞い込んでしまったんだ。

 

 

 

――敵として、向かい合う。

 

 

 

「今一度、戯れてやろう。子供の遊びじゃ」

「体育の授業では私に一本勝ちを取られたくせに、よく言うね。それとも負けを認められない程、小さな器量しかないのかな? 一菜には」

 

 

……でも、なんでだろう。

 

 

「ぐっ……後半の事を思い出させるでないっ! クロが気を違えたことを申したのが悪いのじゃ!」

「一菜、覚えてたんだ? だけど私が覚えてないんだよね」

「……この、放蕩者めが…………」

 

 

なぜ、まだ記憶の一部を残してる?

 

 

「今度勝ったら、一菜に何をお願いしよっかなー? ね、一菜。良い案、ない?」

「あ……あ、あ、あ……ある訳無いじゃろうがぁッ! 妄語ばかり並べおって、今生の我のみならずの全てを欲するか!」

 

 

戦いには必要のない情報なのに、の流れを覚えていて。

 

 

「一菜、あの時はごめん。一菜の気持ちを考えなかった私を許してくれてありがとう」

「……?何の事じゃったか思い出せん」

「でも、一菜に引き摺り回されたのは忘れないよ。一菜にお願いしたのに、結局一菜に土下座してもらってないし」

「訳の分からんことを……」

 

 

それなのに、その後の保健室での会話も、サンタンジェロ城で仲直りした記憶も、無いみたいだ。

 

 

「山の上の一菜は素直だったのに」

「共に山登りなぞしとらんぞ、槌野子でもあるまい」

 

 

すると、これも当然知らない訳か。

ずっと私が渡しそびれて、預かったままだったしね。

 

知らなくても、おかしくはないのだ。

 

 

「問答が好きじゃのう。らしくないぞ」

 

 

しかも、これだけ名前を呼んでるのに突っ込みもない。

自分の名前を呼ばれても代理人みたいな反応を返してくるんだもんな。

 

 

 

 

 

ここまでの会話で確信した。

 

 

 

だから、私も気が楽になったよ…………三浦、イヅナ……!

 

 

 

 

 

そっちがその気なら。

 

 

こっちだって、最初っから―――裏返すっ!

 

 

 

「"三浦イヅナ、実力を隠してきたのはあなただけじゃない。ここにはフィオナの目もある以上、あんまり見せたくはないんだけどね"」

「"ふん、勿体ぶりおってからに。いくら人の身に縛られた大妖怪の残滓と成り果てようとも、たかだか女子おなご1人に後れを取ろうはずも"――」

 

 

 

 

――――パパパパァン!

 

 

 

光と音。

それが決闘開始の合図となった。

 

裏の私に正々堂々等という甘い言葉はない。手段も選ばない。

利用できるものを利用して、勝つことを主眼に置いた徹底、だからお父さんに学んだ防御寄りの技の大半は封印する。

 

相手が2人だけなら。

攻め手で押し切れると、そう、踏んだのに……

 

 

「"――早いのう……気が"」

「"速いですね、反応が"」

 

 

甘かった。

この戦いがどうしようもなく困難である事を思い知らされたのだ。

 

私のコルトから放たれた不可視の銃弾は、一菜の手甲銃によって2発が防がれ、残りの2発は見えない何かと衝突し軌道を変えられた。

また衝撃波だ。その技の発動理論は分からない。

 

しかし、分かったこともある。

それこそが、初登山者が山を舐めて遭難するが如く、イヅナが待ち構えている山を登り始めた私の認識の甘さを深い谷底まで貶めた原因となった。

 

 

(冗談じゃないぞ、お前……その技は……!)

 

 

「"……聞いてもいい? イヅナ"」

 

 

こっちが謹厳な態度で威圧してやってるってのに、まるで意味がない。

それどころか、ちょっとだけ口の端を上げて挑戦的な笑みを……浮かべて喜悦の感情を押し隠した感じがする。そんなに戦いが好きかい?

 

 

「"人を撃っておいて、平然と問答を始めようとは、身勝手の限りじゃな"」

「"どこで見た?"」

 

 

不可視の銃弾を看破されて気を落としている場合ではなく、聞かなければならないぞ。

その技は……

 

 

「"……どこ、とは異な事を。幾度も見たものじゃ、一度は打ち合い、この身に受けもした技じゃしな"」

「"じゃあ、質問を変えるよ。誰のを見た?"」

「"知ってどうするのじゃ?"」

「"技の出所を確認したいだけ"」

 

 

イヅナはそうかそうかと頷き、キツく吊ったキツネ目を意地悪く細めると、染めた茶色の髪を隆起させ、金色の稲穂の様な体毛で覆われた尖り耳2つを頭の上からひょっこんと露わにした。

しまいにはその両耳を私の方へとひけらかすように傾けて……

 

 

「"聞こえんのう~?"」

 

 

(ぶん殴るっ!)

 

 

非常に腹立たしい仕草に心をささくれ立たせてはいるが、頭の中では答えが見付かっている。

イヅナという存在は先程自身でも言っていたし、一菜の話を聞くところでも同じ見解、仮死状態となった大妖怪の最後の姿――殺生石に込められた意思の塊らしい。

 

兎狗狸が尾ひれ付けて熱く語っていた伝説の数々は今尚続き、彼女の現師匠……かもしれない玉藻の前は生きている。

では、那須野で討たれた九尾の妖狐は玉藻の前ではなく、その影武者――影狐?――の役割を引き受けた忠実な配下であったのではなかろうか。

 

それがイヅナという名の大妖怪の正体だと思う。

彼女が受けたその一撃ってのは、恐らく過去の戦いで敵対した私のご先祖様が使った技だ。

 

 

大人数で射掛けられた矢、そのでの攻撃を全て避け通した動きは、一菜の回避モードに通ずるものがある。

オリジナルは更に高精度で回避を続けたのだろう、そこへ巧みに紛れた――『扇覇』が叩き込まれた。

 

そして、考えたくもないがその一撃で技を盗み、二度と当たらなかった。

今生のイヅナこと三浦家の一菜が、回避よりも防御を優先させるのはそんな過去の教訓も含まれているのかもしれない。

 

 

「"痛かった?遠山家うちの技は"」

「"あの程度、大木すらも尾で断ち切る我の身体には効かんぞ。……わんつっこばり驚いたけんど"」

 

 

動揺して目が泳いでる。強情な奴め。

 

 

しかしまいった、確証してしまったな。

イヅナはなんらかの方法を用い、片手での扇覇を使用可能。

人間の身体能力を凌駕した重さと速さから放出される衝撃波の威力は、離れた位置でさえもあの威力となる。

 

(1対1でも、勝利は危うい)

 

推測のタブは強制終了し、戦闘に向けて30の集中力を集結させた。

こうなれば作戦通りに動くしかないか?私だけで必勝をシミュレート出来ないなら2対1に持ち込む必要がある。

 

タンッタンッと後方へ引きつつ、無形の構えを取る。

金毛の耳と尻尾を風に躍らせる少女を漠然と視界に捉え、同時に周囲の状況も把握しに掛かる。

 

槌野子の方は私が発砲した瞬間には中央から思いっきり距離を取っていて、法被の内側から取り出したパーツを次々と組み立てている。

いや、大半が落下の衝撃を皮切りにして自動的に組み上げられていたから、彼女は組み上がった物を1つにまとめるだけ、厄介な発明品だな。

 

フィオナは予め組んでいたHK33SG1の銃口を私の背後で持ち上げて、私が意図を伝えるまでもなく立ったまま肩と頬を支点とし、照準を合わせた。

揺れる触覚が寸分の狂いもなく、痛痒の刺激へと変換させた風向と風力を彼女の脳にダイレクトで響かせている。

 

 

……それと他にもこの戦いを見物している奴らがいるな。

 

茜色の空と同化しかけていたが、赤いトンボが2匹。

柵の上を対角線でグルグルとあからさまに監視目的で回り続けている。

柵の外にある木の枝には鳩が、草の隙間からはネズミが、遠くにはカメラや人影すらも視認出来た。

夕陽の光を裂くような鋭い刃に似た銀髪の少女は、こちらが気付いたことに気が付くと、下げていた眉を持ち上げ、団栗色の目を見開いて驚きの顔をしながら背の高い草の中に身を屈めた。

 

見られたくはないけど、敵は手を隠して勝てる中小規模のギャングの子分共とは違う。

それにイヅナは手の内を晒してでも、手に入れるべき価値のある強者だ。

 

 

「フィオナ、私に合わせて。タイムオーバーまで速攻を仕掛ける」

「タイムオーバー……いえ、情状の判断には証拠があるのですね、お任せください!」

 

 

フィオナは見えていなかったようだが、時間