黒金の戦姉妹19話 無窮の慄然
雲って生きているのだろうか?
そんなことを聞いたら、きっと笑われてしまうだろう。
でも、そう思ってしまう程に、空の雷雲は不自然な軌道を描いて移動している。
翼の形によく似た不気味な雲はまるで夜空を自由に飛び回る様に、北へ南へ、東へ西へ、獲物を狙う蝙蝠が如く、地上を走る何かを追っていた。
別におかしな話と笑ってくれても構わないが、その雲の遥か下方、地上を進む銀装の聖職者たちも同じ疑問を抱いたのかもしれない。
蛇の様に地上を這い回り、蝙蝠が獲物を捕らえに降下するその時を、辛抱強く待ち続けていた。
「カルミーネ、あの雲の動きはおかしくないかな?」
ここまでの道中、一度も交わされる事が無かった会話。
その始まりは唐突で突飛もないあんまりな滑り出しで、相手が返事に詰まったことは想像に難くないだろう。
なにせ、彼女達のいる上空は雲に覆われていて、あの雲もどの雲も全てが1つの雲なのだから。
「どこの…話?撃ち、込んだ、人間の…空白から、覗いて、る?」
「……ああ、そうだった。私達のいる所からでは、遠くて良く見えないんだね」
自らの能力がもたらす状況を説明する事に煩わしさを覚えた少女は、気にしないでくれと追及を逃れようとした。
「埋めて…あげた、ら?あれ、って…凄く、痛いん、だよね」
パトリツィアの家に向かって走るバイクは、凸凹道や割れた地面を避けた安全運転で、しっかり交通法規を守って走行している。
偶にカタリと揺れても、緩やかな速度で進む分には大した衝撃にもならないし、濡れた路面を走っていても、さっきの会話の滑り出しみたいに話の見えない道の端まで滑っては行かない。
「痛いよ、とても。でも彼女は昏睡状態だし、眠ってしまえば痛みを感じることもない」
「覗き魔、悪趣味……」
「分かった分かった、今埋めるよ。それだけは、あなたに言われたくないし……本当に妹は狙ってないよね?」
答えによっては何をするつもりなのか、表情は暗く、ベルトに掴まっていた右手は上着の内ポケットで何かをまさぐっている。
「しつこい、よ、パトリツィア、さん。私は…別に、女性が、好きな、訳…じゃない」
折り返しの一言は呆れを含み、からかっているのか本気で言っているのか、いまいち掴みどころのない元チームメイトの問い掛けを軽く受け流す。
バイクは右側のベルトを引く力が消えたからか、後ろの同乗者を気遣うように速度を落とした。
「…普通に、男性に、興味は…ある」
「もちろん、知っているとも。あなたにはバイセクシャルの疑いがある」
「通じて、無いんだ…よ、いつも」
過去に何度か繰り返した問答に今日も敗れてしまった運転手は、がっくりと肩を落として悲嘆する。
右のベルトが引かれた事でバイクの速度は元に戻ったが、彼女の沈んだ気持ちは元には戻らない。
不名誉なあだ名は好きなように付けてくれて構わない。でも、仲間である彼女には勘違いされたままでいて欲しくないのだ。
まして、いついなくなるとも知れない彼女の誤解は、早めに解いておかないといけない。
「ねえ、パトリツィア、さん。キミは…」
「今夜の話ならしないよ。仕事の重要性はあなたなら分かるだろう?」
そんなつもりは無かったのか、話を中断させられた暗紅髪の少女は呆気にとられ、否定することも出来なかった。
それをさらに勘違いした黄髪の少女が、運転手の背中を不連続なリズムでトントンとつつく。
――英文モールス。
警戒するに越したことはない。
初めの場面に戻るが、あの奇妙な雲だけが夜の世界を闊歩しているとは限らないのだ。
その内容は短くとも、含まれた意味は大きく深い。
だからこそ、暗紅色の少女は端正な顔に微かな驚きの表情を表した。
「それ、って…!」
「学校では私とあなたと……後は、魔女しか知らない。アリーシャには話さないでくれるかな?もちろん、カルメーラとファビオラにも」
「なんで…?」
皆で力を合わせれば……そう言おうとしたのだろう。
しかし、すぐにあることに思い至った。彼女がチームであった頃にも悩んでいた、原因不明の発作。それが――
「また、感覚が、縮まって、る?」
「うん。狙撃を受けて仕事の回数が減ってからずっと、だよ。理性が薄れて、芸術を求めるんだ。でも、最近は他の何かが疼く気がしていて、なんだろう、綺麗なステンドグラスに心惹かれるのは初めてだから……少し、戸惑ってる。その影響で重篤な発作にはならずに済んでいるみたいなんだ」
「芸術の…新、境地、って事、かもね」
「そういうのはアリーシャの方が綺麗な色使いなんだよ。私には白いキャンバスがお似合いだと思うんだけど」
「あ、覚えて…る。アリーシャ、さん、の、天窓…すごく、綺麗だった、よ」
「もっと褒めるといい。私は誇らしいよ」
彼女達は発作の話を掘り下げはせず、思い出話を楽しんだ。こうして楽しめる時は、もう長く続かないのかもしれない。
「パトリツィア、さん。大丈夫、約束、は、守る。でも、私はキミを…『見捨てない』!1人でも、キミの、仲間で、あり続ける!」
「……あなた達姉妹の、面倒臭い性質を忘れていたよ」
「褒め、言葉、だよ。でも、キミの事を、見捨て、ない、のは…きっと、みんな、一緒…だから」
そこで会話は再び途切れる。
バイクのエンジン音と勢いを増して振り続ける雨、それだけが彼女達の周りで騒がしく音を立て続けた。
だからとても小さな「ありがとう」の言葉は、誰の耳にも届かなかったのだろう。そうに違いない。
バイクはグォン!と速度を上げて、エンジン音を大きくしていく。
これだけ大きくなれば、「聞こえなかった」と言い訳もできるだろうから。
雨の音楽団は勢いを増して降り続け、舞台をさらに盛り上げる。
雷の使役者は雷雲という名の舞台裏で、降雷の瞬間――最高の登場シーンを間近に感じていた。
彼女は既に、再生している。
深く優しい眠りの中で、空白から立ち戻ったその臓器だけは――――
――動いている。その鼓動は、彼女の身体を目覚めさせるのに十分過ぎたのだ。
直に雷鳴と共にその
車内は奇妙な緊張感に包まれていた。
逃走班と別れ、車が走り始めて10分ほど経った所で、異変を感じ始めていたのだ。
おかしい、初めに言い出したのは助手席に座るクラーラで、キョロキョロと忙しなく視野角を広げて大雑把に彷徨わせている。
視界の端に少しでも違和感を感じては注視を試みているが、すぐにその正体は消えてしまう。
気付いたことに気付き、姿を隠してしまっているのだと、彼女は話した。
とはいえ、車を停めても意味は無いだろう。
目標が彼女達だとすれば逃げ続ける方が良いのだし、違うのであれば警戒する必要もないのだ。
ここには戦闘員がいない。
元より、逃げる以外の手段は取れないのは、全員が理解している。
「予想していなかった訳ではないけど、かなり不味い状況だよ、パオラ」
「……見付けられない?」
「遠方から車内が見えてるみたい。私には見えないけど、向こうには目が合ってるように見えてるのかも」
「それってさー、ヤッベー奴なのかな?」
「すっごい奴です。関わらない方が良いと思いますよ、エレナ」
追跡してきているのにその距離を詰めることはしない。
街中で仕掛ける気は無いのか、それとも単に見張っているのか、どちらにせよ接触されないことは彼女達にとって都合がいい。このまま周囲で様子を見ていてくれることを祈るばかりだ。
後部座席に掛けたパオラは、そわそわした気分を紛らわせようと、後ろで眠る綺麗な女性の安否確認を行う。
一見、体のあちこちに大きな傷があり、脈も息も無い彼女が生きているとは到底思えないが、
血の一滴も流れださない傷跡は、死から逃れるために全ての細胞が活動を緩めている状態で、時間が止まったようにも見える。
「人工臓器とか機械細胞とかで何とかするつもりなんでしょうか」
「科学力は膨大な知識を圧倒的な経験で」というのがゾーイ先生の見解。その言葉『科学』が示すように、彼女は医学だけでなく薬学や工学にも精通している。
身長が低かったり、目が三白眼に変化したり、胸が突然成長(通常サイズ)したのも自らに行った実験の後遺症との話もあるほど、研究熱心な人間である。
「追ってきてる奴と人喰花の宝導師を担当してた先輩とどっちがツエーんだろ?」
「知りませんよ、そんなの」
前列シートではエレナミアの質問に答えながらも、クラーラは警戒を怠っていない。この中で最も索敵に向いているのは自分なのだと、その役割を全うさせようとしているのだ。
「パオラ、双眼鏡で見たら右に誰かがいたりしない?」
「右に?右にはアパートしか見えないよ?」
事実、道路のすぐ脇には、歩道を挟んで7階建てのアパートが何件か連なっている。
屋上に人影は無いし、追跡していた人間が窓からこちらを見ているのはあり得ないだろう。
あり得るとすれば――
「アパートの向こう側。もうすぐで交差点だから、準備しておいて」
「向こう側から、こっちを見てるって事……?」
「1人はそう。でも、1人じゃない!」
交差点に差し掛かった。
しかし、双眼鏡を構えたパオラはそれを覗くことが出来ない。
もう覗く必要もないからだ。
――もし、あり得るとすれば、それは人ではない。
「ちょうだい。ねぇ、ちょうだい?それを渡しなさい?」
「――子供……ッ!」
ガガッ!ガガガガッ!ガッ!ガガッ!
「Booone!?あだだだっ!頭が痛ーいっ!」
「くっうぅ……!髪が、引っ張られてる?」
ぎょっとする程大きなエメラルドの瞳が窓に張り付き、ガラス越しのパオラに3種類の声を発する。
鈑金を穿つ音が走行する自動車の至る所から上がり、頭髪を乱暴に掴んで吊る痛みが全員を襲った。
「ちょうだいってば!ねえ、聞いてるの?早く渡しなさい!」
「つぁっ!い……たい……ッ!」
前触れもなく訪れた痛みに、車内が騒然とする。
エレナミアが叫びながらも正確な運転を続けているおかげで事故は起きていないが、それも時間の問題だ。ハンドルを握る彼女の手から力が抜けていく。
次第に全員の動悸が激しくなり、顔から血の気が引いていく。痛みできつく閉じられていた目は脱力し、表情に覇気を感じなくなってきたのは貧血の症状だ。
一切の抵抗を許さずに車は制圧された。
車内からはもう逃げ出すことも出来ない。
黒く蠢く糸状の何かが、全てのドアと窓を縫い付けていく。
白く鋭く尖った爪が、後ろのドアに突き立てられた。
それを成したのは小さな子供の形をした存在だ。
「あけてー!ねえ、あけてよ!開けなさいよっ!」
ギィイィイィイイイイ――ッ!
耳障りな引っ掻き音が響き、薄れかけた意識が現実に引き戻される。
覚醒した意識を鈍い痛みが再び襲い、息切れと共に意識が遠のく。そしてまた、あの不快な音が鼓膜を襲う。
「うっ……ッ!」
パオラは力の入らない体を辛うじて起こし、ヒルダの安否を再度確認する。
そこには変わらず穏やかな表情で眠る姿があった。
「よか、たぁ……」
覚醒している時間が減ってきた。
いよいよ体力の低下による衰弱が命をも脅かし始める。
それでも尚、執拗な攻撃に車の傷は増えていく。
でも彼女達には聞こえていないのかもしれない、反応が緩慢に、薄くなってきた。
ププーーーッ!!
とクラクションが鳴り、運転手が跳ね上がる!
盛大に頭を天井に打ち付け、虚ろな目で騒ぎだした!
「ね!寝てませーん!!BOONE!BOOOOONE!!ダンテせん……試験官、私は寝てなどいませーんッ!!ニガーッ!」
トチ狂ってしまったのだろうか、少女はいきなりアクセルをベタ踏むと、緩慢だった動きも何のその、普段以上の機敏な動きを見せて目的地へと爆走し始める。
「うわあぁぁぁあああ!!道を空けてーッ!遅れちゃう、配達物が遅れちゃうーッ!」
意識はハッキリしており、狂ったわけではない。
死に掛けたことで、過去の記憶が走馬灯のように蘇り、頭を強く打ち付けた衝撃でその記憶が定着してしまったらしい。……やっぱり狂っているのだろうか?
バンバンとばす車は、ガッタンガッタン跳ねながら、前から現れては後ろに消えていく車をスレスレで避けつつ、更に速度を上げていく!
運転手の顔が笑い始めた、新たな記憶がインストールされたのだろう。
「あぶない!ねえ、あぶないよー!止まりなさい!きゃいッ!」
「BOONE!お客さんすみませんねー、観光客が道のド真ん中をのんびり走ってるもんだからー!」
「エレナミアさん……前の車は、スポーツカーの走り屋さんじゃないですか……っ?!」
パオラの指摘通り、前の車はスポーツカーP400、公道の為最高速度には程遠いが、スピードも相当上げている様子だ。
「走り屋ぁ?まさかー!女をナンパするためにフラフラ走ってるってー!」
「エレナ……スピードが……220キロ超えて……ます」
クラーラの指摘通り、メーターは本来のメーター限界である180キロを遥かに超え、取り付けられたスピードメーターには220キロの表示がされている。
運転手もそのメーターをチラッと見やり、現在の速度を確認した。そして何を思ったのか、まだ加速する。
「これじゃあ、葬儀場に着くのが来週になっちゃうよー!」
「着いてくれれば……それで、いいですからぁッ!」
「葬儀場……。パオラ……死ぬときは……一緒だよ」
「クラーラ!諦めちゃ、だめ……!」
発生する水平の重力が3人をソファに張り付ける。
偶然の暴走だったが、あの不快な爪の音はおろか、髪の毛を引っ張られるような感覚も残っていない。
どうやら術者本体も、この速度の中で集中し続けることは敵わなかったようだ。
「BOOOOOOONE!もうすぐ着きますからー!安心してー」
「ッ!ホントにもう少しですね……!」
「気付いたらスポーツカーがいない……」
いつの間にか市街地を抜けたようだが、爆走を続ける車の外は、あまり見ない方が良いかもしれない。
障害物を避ける為に、ハンドルを一瞬傾けるだけで、車はグンッ!と進行方向を変えて、その度に車内は「アブナーイ!」の合唱。
そんな暴走車も目的地への距離を逆算しているのか、ちょっとずつ速度を落としていく。
その辺りは彼女のどこの記憶を切り取っても同じ事のようだ。
「まだ、視界はモヤモヤする?」
「いる。ふっ飛ばしてる間もずっと、縫い付けられたみたいにくっついてたから」
しかし、いくらカースタントアクションでも、250キロ超過の車体側面にはしがみつかない。体は風荷重で圧し潰され、意識を保てるはずがなかった。
黒髪の少女の執念は恐ろしいものだが、落ちないだけで逆にダメージを受けてしまい、目を回している。
速度の逆算は小さな誤差はあったものの、このままいけば止まることは可能。徐々に窓を流れていく木々の速さが緩やかに変わっていき、安堵の息が漏れる。
絶体絶命の危機があらぬ幸運によって退けられ、彼女達は任務の完遂を目前に控えていた。
このままいけば……
「――ッ!エレナッ!前に人がッ!」
「BOONE!?わっわっ!曲がってー!」
正面には綿のような質感の
今そこに立った。突然目の前に躍り出てきたのだ。
数秒先の惨事を想像し、思わず頭を下げるパオラ。
女性から膨れ上がる悪意を感じ取り、身構えるクラーラ。
体をドアにぶつけるほどに、全力で急ハンドルを切るエレナミア。
全員が起こした各々の反応が、彼女達の運命を決定付けた。
「あー、忙しい。こんな事してる場合じゃないんだけど」
そう呟いた女性は、エメラルドの瞳を気怠そうに細め、料理人のような服装のスカートから飛び出した蹄のような形の両足で地面を踏み締めた。そして、ハンドルを切って避けようとした車の目前まで、姿が消えるほどの速度で瞬時に迫り――
「ヴィオラ様のお世話に戻らないと」
パシュ――ッ!
――車の上側を紙切れの様に、
キィィイイイイーー!!ガスッ!
車は道路傍の木に突っこんで停車した。
間一髪で屈んだクラーラはエアバッグの中から脱すると、青褪めた顔で星空を見上げる。
全員の頭が下がっていたことで、被害は車と通信機器のみだったが、下手をすれば誰かの首が車の屋根と共に、断たれていたかもしれない。
ドアは開かないが、屋根が無くなった。
そこから2人の少女が顔を出す。
追撃に備えてすぐさま脱出を試み、ヒルダをキャリアーに載せて目的地までのあと少しの距離を運ぼうと考えたようだ。
ところが運転手はギリギリまで避けようと操作を続け、直撃では無いものの強い衝撃を受けて卒倒していた。動ける者と動けない者が2人ずつ、逃亡は絶望的である。
その上、さっきの蹴りだけで力を使い果たす訳でも無し、白髪の女性は降りてきた少女たちを道端の石ころ程も興味のない目で、冷たく見下ろしている。
ただ、ヒルダを見るその目だけは、彼女をターゲットとして捉え、じっと観察していた。
「スカッタ、いつまで目を回しているの。早くその吸血鬼を捕まえて帰りたいのだけど」
「――っ!」
少女たちは気付いた、彼女達の目的がこの綺麗な少女であり、正体が吸血鬼であることを。
そしてここは、自分たちが足を踏み入れていい領域では無かったことを。
「気持ち悪い……。ねえ、酔ったんだけど……。フラフラする……」
「ッ!?」
動きの無かったスカッタと呼ばれた黒髪の少女も、自身を縫い付けた術を解いて、車の影から姿を現した。
目を開かず、ずっとニコニコ顔の人形のような容姿で、身長は厚底の下駄を履いてなお、100cmに届くかどうか。
これで敵も2人。
ヒルダを車に寄りかからせて車を守るように陣取るが、相手がどちらか1人だとしても赤子の手を捻る様にやられてしまう事は明白だ。
追い詰められて成す術がない。
手詰まりだった。
ところが事態は急変する。
「……スカッタ、こっちは任せていい?
「いいよ、アリエタ。ねえ、任せてよ。勝手にしたら?」
白髪の女性は空を見上げ、それを睨んだ。自分と戦う事が出来る敵であると認識している。
黒い蝙蝠型の雷雲が気流にのって、6人の頭上でピタリと止まった。その様子は獲物に狙いを定め、襲い掛かるその前触れ。
「おかしな形の……雲?」
この期に及んでなんだあれはと、クラーラは内心毒づく。
チャンスと捉えるには迫るスカッタの進攻を抑えられていない。
そう考えた。
直後――!
「避けなさい!」
ズゥォオォオオオオオ―――
雷雲からは稲妻ではなく、電柱ほどの太さで大質量の
ドズァァアアアアーーッ!
黒髪の人形がひっくり返りながらも、すんでの所で回避したのを見るや否や、銀杭は落下の衝撃で先端から霧散していく。
銀の霧は濃密で、光の乱反射が方向を狂わせ、霧に触れた部分から体温を奪い、そして――
「あはっ!ヒルダ、迎えに来たわよ?あなたのだぁ~い好きなお土産も、持ってきてあげたの」
霧の中で嗤う悪魔は空を指差して、眠る従妹にそう話し掛けた。
雷雲が明滅する。
あの内側では一体何が起こっているのか。
分かることはあの雷が、ヒルダに向けられたお土産という事だけ。
「――銀の霧。これはあの雷雲まで繋がってるの。冷やされた銀の電気伝導率はとーっても高いのよ?溜め込まれたあの力は……あらまぁ、さて、どこに行くのでしょう?」
「――ッ!スカッタ、撤退よ!消し炭にされるわ!すぐに紫電の方も目を覚ますッ!」
そこからの転身は早かった。
2体の人形はトロヤの霧の中に溶け、即座に姿を消し去った。
それを見送った悪魔は準備が整ったのか自身の身体を徐々に黒い霧に変えていく。
その笑みは、貼り付けた物だと一目で分かった。
「逃げたければお逃げなさい。意思のない操り人形に用は無いわよ?」
バチッ!……バチバチッ!
上空で放電が始まっている。
地上には小さな音だけが聞こえるが、あの雲の中は地獄のような景色だろう。
「あはははッ!……今はとぉーーっても気分が
ドォォォオオオーーン――――!
真っ赤な花火が遠くの空を飾り、屋上の作戦終了を伝えてくる。
それを見て何かを思い出した悪魔の顔はより一層、苛立ちによって歪んでいく。
「全力で戦いたかったわ……トオヤマクロ。あなたなら
目の前すら見えない銀の霧の中で、彼女の声だけがどこからともなく聞こえてくる。
恐怖に怯える人間は、立ち上がる事すら出来なくなった。
しかし、その霧が突如としてカーテンを開けるように退けられて、ぼやけた悪魔の姿が窺える。
「そんなに怯えないで?あなた達は無関係者だもの。傷付けたら彼女とのルールを破ってしまうわ。特等席を用意してあげるから、こちらへいらっしゃい」
「……」
「……」
去っていく悪魔の背を目で追った後、2人は顔を見合わせて互いの正気を確かめ合い、現在取るべき行動を把握する。
生殺与奪を握られた彼女達は、従うしかない。だが、助かるのが彼女達だけでは足りないのだ。
「すみません、その……」
「……?どうしたの、別に死にたいのなら無理についてこなくてもいいのよ?自殺者はカウントされないでしょうし」
パオラが話しかけたその返事だけで、彼女が人間と同じ思考の持ち主ではない事は理解できただろう。会話中に彼女は振り返りもしなかった。
だから判断力のあるクラーラは即座に切り返し、話の続きへと移行させていく。こうした冷静な判断が出来るのは、悪魔の姿が良く見えなかった事が一つ、神の恩寵だったと言える。
「いいえ、違います。避難に時間が欲しいのです。無関係者を傷付けないというルールなら、車内の仲間も一緒に避難させます」
「あらまぁ、そういう事ね。あの人間は生きていたから助けたいのかしら?」
コクリと頷き、クラーラが開くようになった運転席のドアを開けて、エレナミアを引っ張り出す。
幸運なことに大きな外傷は負っていない。
ホッと一息吐いて、ヒルダの隣に並べて寝かせた。
「ありがとうございます、大切な友人なんです。それと、この方も一緒に避難させてもらいます。任務であるのを除いても、人を見殺しには出来ないですから」
パオラが示したのは悪魔の従妹である吸血鬼のヒルダだ。
しかし、その心配はない。ヒルダは"紫電の魔女"と呼ばれる電撃を司る魔女。雷が魔臓の生きている彼女を傷付けることはない。
その意味不明な発言にトロヤはイライラを募らせたのだが、知らないのだから仕方がない。
だが悪魔は彼女が知らないことを知らない。故に次のような発言につながった。
「からかっているの?お前達も串刺しにしてしまおうかしら。もうゲームは終わっている頃――クロが勝利を手にしている所だもの」
悪魔の雰囲気は小さな怒気を漂わせ、周囲の人間の
少女たちの額には、紋章が刻まれ始める。その形は両眼の無い悪魔と燃える鉄串――
銀の霧によってすっかり体温を奪われた2人は、徐々に徐々に意識を沈めていって……
「こっちに来てハズレ……もとい、正解だったナー」
遠方の木の上から、鼻にかかった子供の声が聞こえる。
不思議なことに、額の紋章が半分以上を描きかけた状態で動きを止めた。
考えられるのは、声の主が何かをしたか。
ヒルダと並んで車に寄り掛かるその近くには、見慣れない雪見灯篭が2基、少女たちを護る様に聳え、温かな火がふわふわと霧の中で周囲を照らす。
「日本の化生ね。何のつもりかしら?」
「今夜はこちらの勝ちだナー」
毛を逆立たせて緊張しているのは、ここで戦いになれば自分が勝てないと理解していて、大人しく引いてくれるかを相手の意図から図れないためだろう。
「言われなくても分かっているわ。わざわざそんな事を言う為に死にに来たの?」
「……まいったナー」
化生はしょうがないか、と言いたげな顔で少女たちの救出を諦める。
例え助けに霧の中へ入ったとしても、二度と外には出られない。そのことは重々承知しているから、下手に手を出すこともしない。
銀の双眸が雷雲を一瞥し、呪いを紡ぐ。
「
雷雲の明滅は激しさを増し、人の目にはその速度が速すぎて雲が蛍光灯の様に光っているとしか判別できないだろう。
「"焼滅"が地上を飲み込む炎の嵐なら。"閃滅"は空から地上へ降り注ぐ雷の雨。祈りなさい、せめてその体の一片でも残るように、ね?」
紋章の束縛を逃れ雷雲を仰ぐ人間は、この未知の災害を、永遠に忘れることは出来ない。
記憶することも、目視することも出来ないのだから。
光が、熱が、稲妻が――
銀の粒子から銀の粒子へ――
幾十、幾百、幾千の閃光が――
彼女の思い通りの軌跡を辿って――
降り注ぐ――――ッ!
ゴゴゴゴゴ………ゴァァアアアーーーーッ!
「『閃滅』――」
ズダダダダダダダダダダダッ!!
編隊飛行をしている4機の戦闘機全てから同時に一斉掃射をされたかのような光景。
閃光は木も車も灯篭も、全ての物質をズタズタに焼き貫いて、地面に突き刺さる。
この中で生き残ることが出来る生物など存在しない。
閃光の雨が止み、雷がガラス状の地面にゆっくりと沈み終わった後、黒い霧が人の形をとる。
その視線は目の前に立つ自身の従妹と、車の残骸に寄り掛かるゴーグル少女、それを包み護る様に抱き着いた2人の少女を見つめ、閉じられた。
――その光景を見て、悪魔は小さく笑った。
「
「
完全な闇の中で青白い稲妻をその身に纏い、この絶対領域――夜の世界を支配するのに相応しい、統べる者の覇気を漲らせる。
「
「あらまぁ、元気そうで良かったけれど、私達だけでは足りないの。あなたも思い知ったでしょう?」
「分かっているわ。あんな人形如きに不覚を取ったのは侮りと……」
「私の
金髪の髪を風に揺らしながら、2体の悪魔は未来を語る。
霧は晴れて、暗い道の先がどこまでも遠くを見渡せるようだ。
「お姉様は見付けたのかしら?」
「ふふっ、いつまでも甘えていてはダメよ?」
その言葉の直後、ヒルダの目が気絶した3人の少女がいる場所を睨み付け、それをトロヤが手で制す。
そこにコソっと現れたのは珍しいキジ三毛の日本猫で、バレたんじゃ意味無いかとばかりに一言。
「感謝するナー」
「その子たちに伝えておきなさい、"二度目は無い"と」
日本猫は「にゃー」と一鳴きすると、念話か何かで誰かと連絡を取り始めた。
大きな傷を負った者はいない。問題は次に目覚めたときに、現実を受け止めることが出来るかどうか、それだけだ。
「ヒルダ、私はまた、しばらく姿を見せないわ。超能力者であるあなたを同志に迎えることは出来ないけれど、いつかその宿金を使いこなして見せるのよ?」
「もちろんよ、約束ですもの。世界は夜を中心に回る。闇を冒涜し、魔を厭う人間など、全て私の前に跪くのよ!ほほほっ!」
一陣の黒い風が髪を暴れさせ、青白い光が霧散し、銀の双眸は満月の色を取り戻す。
光が消え、露わになるヒルダの身体には、傷の1つも残っていない。
「……私も思い知らされたわ。この力に驕っていたのかもしれないわね」
「――ッ!……トオヤマ……クロ」
トロヤが笑いながら涙を流し、悔しさが混ざった幸せそうな声色で呟くと、ヒルダは驚き、その名を呼ぶことで戦いの結末を記憶した。
数十分後、要請を受けた兎狗狸と槌野子の指示で、一台の車が到着する。
後輩武偵の一菜とフィオナに依頼され、初対面の相手まで乗せて車を回したが、ギャーギャー騒ぐ緑髪の乗客に喚き立てられるままここに到る。
何が何だか深入りしないことに決めたダンテは、到着するなり駆け去っていく少女を、やれやれと見送ってから自分も車を降りた。
道の真ん中にぽっかりと開いた電柱ほどの太さの大穴が、道路の端まで亀裂を走らせている。へし折られ、バラバラにされた木々。裁断され、穴だらけになった車と通信機。
ここには悪魔が現れたのだと悟った。
悪夢の現出をダンテは焦点の定まらない目で見送る。
そのまま何も考えられずにいられたら良かったのだ。
車にもたれかかる3人の武偵がいた。
猫と会話する白髪の少女の向こうに、彼の良く知る後輩が、2人の仲間に抱きかかえられて、悪夢の中に眠っていた。
「エレナ……?」
「パオラさん!クラーラさん!」
フィオナが3人の元へ、弱々しく歩いていき、彼がその後を呆気にとられたまま追う。
1人置いて行いてけぼりにされた少女は、ドラグノフを携えたまま、その惨状に顔を顰めた。彼女は髪飾りに用いている、小さな片手サイズの角笛を静かに耳へと押し当て、ほどけた銀灰色の髪を風になびかせる。
「……当惑します。風よ、彼女らが勇気を示すなら力を、目的を示すなら道を与えたまえ」
目を閉じ、風の声を聞き、祈りを捧げる。
風が止むことのないように、彼女はささやかな祝福を願ったのだ。
3人はすぐ近く、医療設備のある場所に運ばれた。
担当医はゾロゾロと門戸を潜る生徒にため息を吐き、所内へと招き入れる。
吸血鬼は行方不明。
襲撃者の正体も目的も不明。
任務は失敗したのだ。
情報も何も手に入れられず。
それでも、最悪の失敗ではない。
生きているなら、きっと二度目は来るのだ。
もはや、オリジナル設定が増えすぎて、クロスオーバーみたいになってきてますが、原作キャラは誰が化けるか分からないので、ポンポン使えないですね。あーこわい。