黒金の戦姉妹12話 星々の煌輝
パッパッパッ!
これから始まるのは、過去何人もの政治犯や無罪の人間に行ってきた、処刑。その一幕だ。
処刑方法は人裂き、斬首、火あぶり、絞殺、銃殺など、様々なものが時代によって変化し、行われてきた。
方法などどうでもいい、この場所は今夜だけ、処刑場へと立ち戻る。
処刑執行人はサンタンジェロ橋を渡ってこの砦にやってくるのだ。
屋上にあった慈悲の鐘が鳴ることはもう無い。
ただ、その時は刻、一刻と迫ってきている――
テベレ川。
サンタンジェロ城前、ローマの休日では船上パーティなんかが行われていたな。
川に飛び込んでキスをするシーンがあった気がする。……慌てて目を逸らしたから、よく覚えてないけど。
ここには橋が架けられ、映画やオペラ公演によって増えた観光客が、左右の欄干に飾られた天使像に見守られながらやってくる。
といっても今は夜で、こんな場所を歩く人なんていないだろう。
――だが今夜は違う。橋を渡る人影があるのだ。
「メインキャスト、入りました」
『おーけー。こっちからも見えてる』
「顔を出し過ぎて、逆に見つからないで下さいね」
『はいはーい』
一菜との通信を行いながら、その人物が城に入るのを見守る。
ヴィオラのお誘いは無事に受けて頂いたようで、ここからは私の仕事。なんとしても味方につけなくてはいけない。
「私は交渉に入ります。ヴィオラ、ありがとうございました。舞台の方の管理を一時的にお任せしますね」
『はい、分かりました。……ですが、彼女が吸血鬼の助命を引き受けてくれるとは思えないですよ』
「なんとかします。では、引継ぎを――」
~舞台の表側~
幕が上がる。
礼拝堂から死刑囚が、処刑執行人に背負われたまま運ばれてくる。
囚人に意識は無いようだ。
続けて立会人が2人、片方は手ぶらで、もう片方は何か箱型の物を持って、後ろに連れ立って入場した。
フラヴィアがヒルダを背負い、その後ろに一菜とアリーシャが追随している。
今は無き絞首台のあったその場所に、簡易的な台座と、脇に棺桶が1基。
真っ赤なバラに彩られて、未だ名の彫られていない自身の主を待っている。
ヒルダは立会人の2人によって地に降ろされ、台座に寝かされた。
もう間もなく、彼女は棺の主となる。
立会人である一菜は、ヒルダとの別れを惜しみ、
丁寧に、優しく。
少し経って、
アリーシャは箱を足元に置き、一菜の背中を擦りながら立ち上がらせ、尚も離れようとしない彼女を引き離す。
2人の顔は俯いたまま、悲しみで前を向くこともできないように見える。
アリーシャが足元の箱から1発の銀弾をフラヴィアに渡す。
フラヴィアは自分の隠し銃を背中から取り出し、受け取った銀弾を銃へと込めた。
――――パシュッ!
あっさりと、処刑は終了した。
~舞台の裏側~
幕が上がった。
礼拝堂からフラヴィアを先頭に、4人のキャストがステージへと上がっていった。
「フィオナ、怪しい所は見当たりませんか?」
『とりあえずは何も。件の狙撃手もこちらに対して、攻撃の意思を感じません』
「そうですか、そこもかなり不安な点だったので」
『ただ…』
「ただ?」
『1人と聞いていましたが、2人いますよ。ずっと目を閉じているので、寝ているのかと』
2人?接近に対応する護衛なのだろうか。随分と好待遇だな。
「すみません、その人物については把握していませんでした。特徴は?」
『えーっと……これは変な報告になるかもしれませんが』
「なんでもいいです、不確定要素は失敗に直結しますから」
『では主観を交えます。2人は同じ服を着ています。それが、軍の制服というよりも部族の服装、と表現した方がいいかもしれません』
え、部族の人?ヴィオラの事だから、本当にどっかの軍隊から引き抜いてきたと予想してたんだけど…
「狙撃の腕は確かです。もう1人の存在も気になりますが、能力者の可能性も考慮して、引き続き警戒をお願いします」
『了解です』
うーん、部族、部族ねぇ……
「ヴィオラ、あなたが雇った狙撃手について教えてもらえませんか?」
『今更聞くんですか?……彼女は軍隊内でも存在が知られていない
「殺し屋!?」
『狙撃手は自身の情報を隠したがります。彼女も同様で、殆ど記録が残っていませんし、これからも残らないでしょう。ですが、仕事の選り好みがあり、断れない仕事以外は、監視や遠方での護衛が主だったモノのようです』
モノホンさんかー。雇い主が暗殺指令出してなくてよかったよ。
「よくそんな逸材を見つけ出せましたね」
『いえ、お恥ずかしながら、彼女は自分からアプローチを行ってきました』
「え、求人広告でもやってたんですか?」
『それが分からないんです。聞いても風がどうこうしか話してくれませんし、クロさんや一菜さんの事を知ったのも彼女が元なんです』
なにそれ、こわい!
ウチ、前々からスナイパーに、ど頭狙われとったんけ!?
「私の事は何と……」
『それも風が騒いでるとか、そんな感じでしか』
お祭り騒ぎやんけ!
どないすんねん!かち割られてまう、鉛玉ぶち込まれてまう!
「意思の疎通が困難でしょう?」
『いえ、普段の会話は成り立っていますよ?最低限ですが。何かしらの事象に関してだけ風という単語を用いている節があります』
「オカルトチックな情報で」
聞けば聞く程分からない。いいや、フィオナに任せよう。
そうこうしているうちに、ヒルダが台座に載せられていく。
ここからが重要だ。一菜が完璧に仕事をこなしてくれることを信じるばかりである。
「一菜……」
一菜の顔は俯いているが、緊張で固まっているだろう。
前に私に施してくれた時は、やり過ぎで暫くの間、腕の動きが悪くなってしまった。
今のヒルダは銃弾で死ぬ。普通の人間と変わらない。
フラヴィアに聞いた話なのだが、彼女たち吸血鬼には魔臓というものがあり、体が高速で治癒するのはそれが原因だそうだ。
体に合計4つ。それぞれがそれぞれを再生させる為、普通に勝とうとするなら同時に4箇所とも攻撃しなければいけないらしい。
しかし、銀弾を用いれば話は別。
もともと銀に弱い吸血鬼は、魔臓を破壊しなくても銀の楔や武器で倒すことが出来ていたし、昼間は活動出来ない。弱い個体であればニンニクや水流によって閉じ込めることも可能だった。
そこに、力だけでなく知恵を得た吸血鬼が現れ、自らの弱点を着々と克服していく。それが今、この世界に生き残った吸血鬼という事だ。
ただ、その耐性は完全ではない。
弱点は今でも苦手だし、銀によって付けられた傷は、なかなか治癒できない。その治癒対象が魔臓であればなおさらだ。
そして治癒が完了する前に、残りの魔臓を破壊できれば、吸血鬼は今までに吸血によって得た力、耐性を一時的に全て失う。
今のヒルダは、全ての魔臓を破壊されているのだ。
フラヴィアによって下腹部と右太腿を、謎の男の発砲による右胸部下の銃撃は銀弾ではないが、空間に遮られるように魔臓が再生できていない。そして狙撃手によって左太腿に止めを刺された。
今、一菜が行っているのは、これから行われる処刑への対策。
もし加減を誤れば、ヒルダの生命力は吸い尽くされ、死に至る。
――――『
殺生石による、生命活動の剥奪。
一菜の御守りであり、生命線でもある殺生石は、触れたものの生命力を奪い、生命活動を鈍らせる。
通常、普通の人間が触れれば、2秒程で筋力、脳の活動が著しく低下し、5秒も持たずに血流、つまり心臓が停止し死を迎える。
この生命力の吸収は一定量でしか行えない為、同時に触れている生物が多いほど一人当たりの吸収量は低下する。
その性質を利用した応急処置方法が、この能力。
直接殺生石に触れ、一菜の溢れる
すると、対象から奪われる生命力の微調整が可能なのだ。
軽度の接触は、神経麻痺による麻酔や鎮痛効果、心拍数の低下による止血効果と毒の遅延、脳の機能低下による一時的な疲労の解消と
重度の接触は、神経遮断による五感の低下、心拍数の低下限による仮死状態、脳の機能低下限による認知症の発症と運動指令の制限などの効果を発揮する。
あれだけ多くの接触をしている。それが示すのはおそらく……
(刺激による蘇生を前提とした仮死ではなく、不可逆的死の直前、全ての機能を一時的に停止させる時限式の睡眠保存)
緩やかに、ゆっくりと、一つ一つの細胞を眠らせていく。緩慢凍結法のようなものだと言えるのか。
記憶の欠落を防ぐ為の、優しい眠り。
未だに人間は長時間の死から蘇生する方法を見つけていない。
冷凍保存は出来ても、起こす術を持たないからだ。
この能力は細胞が自分の力で目覚める。
例えその間に死を免れない傷を負ったとしても、治療さえ施してしまえば、夢から覚めるように細胞が動き出す。
本当に、つくづく不思議な石だと思う。
限界まで吸いつくしたのだろう。当然だが使用時間により一菜の生命力も多分に吸収される。
自分の生命力もフルに使い果たし、少しふらつきそうな仕草を見せた。
(まずいな、怪しまれる)
アリーシャはすぐに行動に移し、一菜を支えて後ろに下がった。
(フラヴィア、ナイスフォローだ!)
一菜が泣きついて離れないような演出になっている事だろう。
悪魔に魅せられた人間に見えるかもしれない。
大丈夫、地下教会の告解室でゆるしの秘跡をすれば赦してくれるよ。お偉いさんも「悪魔の虜から神へと立ち返る」とか言ってたし。
アリーシャが打ち合わせ通り、銀弾を箱から取り出し、恭しくフラヴィアへと手渡す。
最後はフラヴィアがヒルダに銀弾を撃ち込めば、第一段階突破だ。
『クロさん!バチカンに動きがあります。シスター1個小隊と2人が南側から、3人が北側から身を隠すように接近中。どうやら南側、北側合わせて5人は封鎖要員のようです』
「1個小隊が乗り込んでくるんですね、分かりました。引き続き監視をお願いします」
『上はどうなっていますか?』
「順調です。今から――」
――――パシュッ!
予定より早い。
これはミスではないだろう。
残念だが、順調ではなくなったようだ。
「……フィオナ、演目の変更です。もう一つのドミノが倒れてきました」
『そのようですね、向こうの狙撃手も動き出しましたよ』
「いつ撃たれるか分かりません。十分に警戒を」
ここで待ち構える訳にもいかないな、アクティブに片付けよう。
「チュラ、バチカンのシスター様にケガをさせてはいけませんよ?」
「うん、全員引っ掛けちゃえばいいんでしょー?」
「そうです、さすが私の可愛い戦妹!この城が元々要塞だったことを思い出させてあげましょう」
「任せてー。殲魔科の動きはちゃんと
集団の動きというのは統率を取り易く、別部隊に移っても便利なものだが。
その
「任せました!私は屋上に向かい、一つ飛ばしで舞台を進行してきます」
チュラが礼拝堂から出て行くのを見送り、屋上へと登っていく。
ヒルダの処刑シーンを早めてまで対応しなきゃいけない敵か。
何がいるやら。
おっと、忘れる所だった!
「ヴィオラ、ライトの変色をコンマ2秒早めてください。その後の微調整はお任せします」
『……はい、変更しました。お気をつけて』
~舞台の表側~
このタイミングを待っていたかのように、何者かが現れる。
お迎えに来たのは天使か悪魔か、はたまた死神か。
分かるのは……人間ではないという事だけだ。
人ならざる者のビアンコの肌に、満月の瞳と真紅の唇。
鮮やかな金髪と光を通さぬ闇の翼が、全ての人間を圧倒する。
舞台上に緊張が走り、終幕に向けてもう一波乱あるのだろうと予想させた。
人ならざる者は、ゆっくり、ゆっくりと地面に降り立ち……
その途端に、舞台は凍てつく寒さと、身を焦がす炎に包まれた。
「……うふふ、見ているだけのつもりだったのだけど」
嗤う。地獄のような舞台の上で、人ならざる者は嗤うのだ。
寒さに凍える者を、炎に身を焼かれる者を、恐怖に怯える者を。
満月の瞳に映る、世界を見て、嗤う。それだけで世界は更に歪む。
「素敵な舞台だったから、つい、参加したくなっちゃった」
その瞳は処刑執行人へと向けられているが、真意を量ることは叶わない。
「途中入場はマナー違反よ?」
「あらまぁ、別にいいでしょう?エミリア。私とあなたの仲じゃない」
「私は初対面ですわ。会いたくも無かったけれど」
「あぁ、そう、そうなのよ!そういう反抗的な所も大好きよ」
炎が激しさを増していく、狂ったように踊り、空気すらも焦がすように。
「今、すごぉ~く、いい気分なの。あなたなら分かってくれるわよね?」
「ええ、嫌という程ね。今夜はどことなく、あの日を思い出させるもの」
「あぁ、あぁ……いいわぁ。あなたは私を理解してくれる。この裏切者だらけの世界で、あなたは私に向き合ってくれた!」
興奮を抑えられない子供の様に、闇の翼がバサバサと音を鳴らす。
炎はついに屋上の外周を覆ってしまった。
「ねぇ、折角の舞台、一緒に踊りましょう?あなた達の大好きな、ダークで淫靡な旋律を。心狂わせるラモーのタンブーランを!」
「あなたのテンポは早すぎるの。もったいないわ、もっと余韻を味わいなさい?」
「あはっ!そう、そうよね。あなたのダンスは美しいもの!だから、もっと見せて!あなたの体が壊れるまで!崩れ落ちるその瞬間まで、ずぅーっとそばで見ていてあげる!」
踊る炎はその言葉に応えるように、2拍子のリズムを刻んで燃え上がり、跳ねるように火の粉を振り撒いて、段々テンポを早めていく。
既に城は炎で包まれ、中の様子を窺い知ることは出来そうもない。
テベレ川は凍り、その氷の上で炎がダンスを踊る。とても非現実的でとても幻想的な光景。
「一菜、だったかしら?まだ動けるならその子を連れて城に隠れなさい!30秒で焼滅が始まるわ!」
「ッ!」
「早くなさい!もうカウントは始まって――」
キィィィイイインという、耳をつんざく様なジェット音と共に、炎の壁が目の前を走り抜け、世界が完全に分断される。
そこから先は空間が違う、そう感じてしまうほどに体は凍え、周囲の寒さを訴える。
地上では急激な温度上昇により、上昇気流が。上空では急激な温度低下による下降気流が。
自然そのものが暴れ狂う。
状況を正しく見極められたのなら、絶望でおかしくなっていたかもしれない。
「なに……なんなの、これ」
「一菜ッ!」
そこに、また。
キャストが1人、登場する。
彼女は愚者かそれとも賢者か。
この地獄の中で、震えも怯えもしていなかった。
~舞台の裏側~
明かりの灯された要塞の中に、ノコノコと5人のシスターがやってきた。
その手には銀剣とバックラーが握られ、統率のとれた動きを見せている。
彼女たちの目的は、ヒルダの検死と
その目には決意と意思が燃えていて、無駄のない、効率的な動きを見せている。
「分かりやすーい」
あちこちに空いた覗き穴、この要塞は侵入者の誰1人に対しても、気を許す猶予を与えない。
攻め込む人間は常に監視され、いつでも攻撃されるリスクに晒され続ける。
「チュラは出来る、"ウケツギシココロ"は伊達じゃない!」
模倣観察は終了した。
彼女たちの動きは隊長格不在の際に取られる、代理指揮下による戦闘を避ける為の潜入行動。
要するに、援護目的で来たわけなのだ。
隊長は既にこの要塞の中にいる。
そこへ合流するのが彼女たちの使命なのだろう。
「まずは代理指揮者から…」
「"チュラ殿、2人まとめて行くでござる"」
虚空から声が聞こえるが、それも今更だ、彼女が驚くことは無い。
「"……チュラ、あなたの事よく知らない"」
「"クロ殿の目は確かでござろう?"」
「"姿を見せてくれないと、どんな人か覚えられなーい"」
「"忍とはそういう者でござる。それでチュラ殿、良いでござるか?"」
少し考えるが、状況が状況だ。2枚同時に奪えるならそれに越したことは無い。
「"失敗は許されないよー?……あなたは、あの青目金髪で背の高ーい人をお願い"」
「"承知した"」
「"トラッ……絡繰の位置はバッチリ?"」
「"無論。某、こういうのを、一度やってみたかったでござるよ!"」
「"えー……だいじょーぶかなー?"」
『フィオナ、其方は如何に?』
「狙撃手は伏臥体勢に入ってから微動だにしません。あんなのどうしようもないでしょう?ニコーレ先輩」
屋上は城が燃えているかのように炎が回りきっている。
あの中には一菜やアリーシャがいるのだが、どうしようもない、ほんの一寸も見えないのだ。
『然らば、我に加勢されよ。
「川辺に人……?」
『幼子の姿をしておるが、このような刻限に徘徊するなど、妖の類に違いあるまいて』
「お化けですか。それを私に撃てと……」
――ビシュンッ!
『うむ、見事な狙撃であった!慌てて逃げ出しおったぞ』
「えっ?私撃ってな……」
『我は援軍を鎖すとしよう』
「切られた……。なんだったんでしょう」
『これで良し』
「……なぜ、撃ったのですか?」
『あいつ、臆病。目的地で尻すぼみ』
【ちょっとちょっと!いきなり何!?何するのさ!?】
『早く屋上に。すごく嫌な風を感じる』
【扱いがひどいよー。泣いちゃう、泣いちゃうからー!】
「誰とお話してるんですか?」
『お友達、気にしないで』
「……さっきの子」
『あなたの仕事、終わった。でしょ?』
「いえ、吸血鬼を捕らえよ、との事ですので。アレも含まれるでしょう」
『完全にイレギュラー。あんな奴ら、関わったら、後悔する』
「ご忠告、感謝します」
『…………』
『
【こ、こわいよー。毛が逆立って収まらないよー】
『腹を括って。
「動けるナー。シャレにならん奴が出たナー」
『箱庭の主よりマシ。あいつらの内、屋上に2人確認。あと1人、どこかにいるはず』
「はいはいナー。探しとくナー」
『だれがトップか分からない、慎重に』
屋上に出た時、自分の目を疑った。
そりゃそうだろう、外は昼よりも明るかったんだから。
燃え盛る炎が、周囲の空間を赫々と照らす。
凍り付いていた辺り一面が、その光を空へと反射させ雲にまで輝きを届けている。
まるで、ライブ会場みたいな光源の量だ。
雷雲は巨大な積乱雲へと成長している。
あの炎で水蒸気が一気に空へ上がり、上空で冷やされているからだろう。
計算外過ぎる。予想していたトラブルの範疇を超えていて、何が起きているのか正常に判断できない。
それでも呆然としなかったのは、一菜が視界に映ったからだろう。
「一菜ッ!」
声が届いていない。なら、はたいてでも起きてもらう。
近付くと、アリーシャがいるのは分かっていたが、フラヴィアの姿がない。
まさか、この炎の向こうにいるのか?
「一菜ッ!」
「…………」
重症だな。
――スパァン!
「一菜、起きてください。何があったんですか?」
「あ……クロちゃん」
ダメだな、口調まで戻っちゃってる。
不活性陣の副作用で精神が下向きなのも、大きな要因なんだろう。
「一度引きますよ?今のままでは戦闘は――!」
(誰かが炎の壁から出てくるっ!敵か!)
銃を構えてその姿を現すのを待つ。
「――ッ!レジデュオドロ!?あなたまで、なんでまだここにいるのかしらッ!その子に言ったハズよ!すぐに城の中に隠れ――」
現れたのはフラヴィア、だった。
鬼気迫る表情で叫んだ彼女は……
「あらまぁ、もう終わりなの?でも、そう、そうよね。ガス欠寸前ではそんなものよね」
「フラ……ヴィア?」
――左目がない。
焼き鏝で貫かれたかのように焼けている。
言葉は途中で途切れ、倒れ込んだまま、もうピクリとも動かない。
私達が3人掛かりで勝てないだろうと踏んでいたヒルダを1人で追い詰めたフラヴィアが……
処刑の銃声から1分も経たずにやられた。
しかも、あいつは……!
「……あらぁ?あなた、どこかで……?」
「――ッ!」
体が動かない、首の裏が冷たくなっていく。
「いえ、そうよ!そう、そうなのよ!あなた、私のお人形さんじゃない!あぁ、嬉しいわ、また会う事が出来るなんて!」
「く、来るな……」
「怖がらなくていいのよ?そう、そうね。あの時は邪魔が入ったものね。おまけに私の紋章もレジストされてしまったし……でも、まだ怖いのでしょう?あの夜が忘れられないでしょう?」
(目を見るな!声を聞くな!それだけで心が折られる。紋章のレジストは完璧じゃない。ヒルダと出会ったときに思い知らされた!)
「可愛い従妹を助けようとしてくれたのはとても感謝しているの。でも残念、またあなたの負けね?時間切れよ」
悪魔の首が上を向いた。
どうしても気になって空を見てしまう。見てしまった。見なければよかった。
なぜ気付かなかったんだろう、地上に雨が降っていない。全て上空で蒸発している。
積乱雲はどんどんと膨れ上がり、その雲底、そこに向こう側の景色が歪んで見えるほどの圧力がかかっている――!
「焼滅は全てを飲み込んで焼き尽くすの。吹き飛ばしながら、ね」
「ダウンバースト……」
積乱雲は、強い上昇気流によって形成される。そして、雨粒やそれに含まれる塵が空気と摩擦することで昇華熱が発生し空気が冷やされ、下降気流によって消滅していく。
しかし、この下降気流が極端に大きくなると、ダウンバーストといい、小さな台風のような災害を引き起こすのだ。
日本国内にいた頃は聞き馴染みがなかったが、アメリカでは竜巻の発生原因となったり、航空機が墜落するなどの被害も発生している。
「私の
(なんだよ、それ!?局地的に見れば、台風以上の脅威じゃないか!)
吹き降ろした突風は、その下にある炎を喰らって熱風となり、亜音速で全てを飲み込み焼き尽くす。まさに言葉通りだ。
空気抵抗で速度の減衰も、空気の冷却も早いのだろうが、近くで発生したらそんなの関係ない。
(一帯を丸々焦土にでもするつもりか!?)
「あぁ、堕ちる……堕ちて来るわ。ねぇ、怖い?怖いでしょう?あはっ!あハははハハッ!いい!いいわよ、その
笑っている、その笑い方は無邪気にも見えるし、狂気の沙汰にも見える。
(落ちそうで、落ちてこないな……これって)
目線を下に向けてみると、炎がさっきよりも明らかに激しく燃えている。その熱が、更なる上昇気流を作り出しているようだ。
(やっぱりそうだ、あいつは自分の感情をコントロール出来ていないせいで、能力の使役に直接影響を及ぼしている)
昂ぶりによって炎が大きくなる。それなら、冷気を発揮できなくさせれば、気圧を自然消滅させられるかもしれない。
だが、その感情が分からない。下手なことをして興奮状態が解けてしまえばアレが落ちてくる。
(違う!もっと単純な方法がある。あいつは子供なんだ。感情に任せて動くし、遊ぶ癖もある。そこを逆手にとれ!)
「私とゲームをしませんか?」
「……?ゲーム?一体何をするのかしら」
炎の勢いが弱まってきた。急いで燃料をくべなければ!
「先にあなたの名前を教えてください。一緒に遊ぶお友達なんですから」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。そういえば前に会った時も教えていなかったわ」
少しだけ炎が強くなるが、まだ足りない。もっとだ、そして冷気を止める方法を探り出さないと。
「私の名前、あなたも聞いたことがあるのではないかしら?」
ええ、そうでしょうね。教科書に載るような魔女はそうそういない。
まして吸血鬼となればほとんどは生き残ってすらいない。
授業で見た彼女とは別人のようだけど、あなたがあの教科書に載っていた、父親と共に
「トロヤよ。トロヤ・
死んだはずの存在が、今、処刑場に姿を現した。
「仲良くしましょう?あなたの名前も教えて頂戴?」
凍り付くような彼女の感情は。
一度死んだ、その恐怖と苦しみ、悲しみ、あらゆる負の感情の集合体だった――
クロガネノアミカ、読んでいただきありがとうございました!
ふははは、次回もお城になっちゃったぜ☆
見通しが甘い…
おかしいな、処刑は1話で終わる予定だったんですよ。
ガッツリ2話分取るやん?
てなわけで、月下の夜想曲から、2度目の登場、トロヤ・ドラキュリアさんです。
名前の表記が変わりました。
一度死んだために、改名したんですね。
自然の暴威の前に、クロが考え付いた作戦とは!?
あ、ニコーレ先輩とフィオナの会話は普通にイタリア語です。
イメージって大事ですからね!ニンニンッ!